謎の老婆とマスターと
声を掛けられただけ、そこに存在しているだけの老婆にこれ程まで気圧される事が今迄あっただろうか。木の影に隠れ表情こそ見えないが妖しく笑っている姿は簡単に想像がつく。
「貴方達を探しておりましたのよ。確か四人って聞いていたのだけど…」
「だ、誰ですか?」
大切な髪色を失い、泣きじゃくっていたルラクは圧力等気にならないのだろう。犬に身を預けていた体制から立ち上がる。すると近付いて来た老婆は彼の目を見ると先程とは違う柔らかい笑みを浮かべた。途端に彼女の纏っていた圧力が消え失せる。そして二人と一回ずつアイコンタクトを取り、ゆったりとした口調で話し始めた。
「自己紹介が遅れたわね。私は天津川 チヅル。この学校の校長をしているの」
「校…長?ってなんよ?」
「ギルドマスターみたいなものと言えば分かって下さるかしら」
校長という言葉は分からないものの、マスターの立場であればお偉いさんなのだと認識したレイルが首を縦に振る。
「ふふ、伝わった様ね。そちらの世界のマスターから貴方達宛にメッセージが届いているでしょうから確認してご覧なさい」
眠たい目を擦りながらルラクは躊躇う事無くステータスメニューを開いた。目の前に表示されるモニターのような画面を見るなりチヅルの目付きが変わる。その挙動を彼女の言葉に違和感を抱いていたレイルが見逃すはずは無い。
「あんた普通のギルドマスターじゃないだろ」
「あら、どうしてそう思います?」
「どうしてって言われてもな、今の目付きはまるで…」
「えぇぇぇぇ!?」
目を細めて笑うチヅルと厳しい表情のレイル。彼の言いたかった言葉はまたしてもサイレンの様な声を上げるルラクに遮られる結果となった。
「ちょ、これ見てぇ!!俺らの名前変わってる!」
「うっせぇよルラク。そんなビビる事……え?何これ」
彼の開いたステータスメニューを覗いたレイルは思わず絶句する。何故ならレイルの名は黒野 怜。ルラクの名は狩ノ瀬 琉々と表示されているのだ。おろおろしながらもルラクは通知欄を開きメッセージを拡大表示する。そこにはマスター直筆の見慣れた文字が並んでいた。
「Zランクパーティのメンバーであるクロア・レイル、カーセル・ルラク、キル・リーチェ、グース・シュアナは別世界、日本への留学を命ずる。そちらの世界に魔物は居ないから安心するがいい。帰還したくば特別単位を一定数取得する事だ。最低限の付け届けとしてその世界の言語は理解出来る様にしてある。精々頑張れ」
彼らは不思議とその謎の文字を理解する事が出来、今思えば会話も成り立っている。これはマスターからのプレゼントの様だ。読み終えた二人は思わず顔を見合せ、困惑した表情のままチヅルへと視線を戻す。彼女は先程と変わらず笑みを浮かべたままだった。
「私からすると貴方達の世界の方が未知なのだけれど…そちらからしたら日本も立派な未知の世界よね」
「この世界はにほんって言うんですか?」
「えぇ、正確にはこの国の事を日本と呼ぶの。他にもたくさんの国があるわ」
細かい事は勿論分からない。だが自分達が魔物の居ない安全地帯へ飛ばされたのだと理解したルラクは何処と無く安心感に浸っていた。この世界ならば落ちこぼれと罵られる事も危険な思いをする事も無いと思ったが故である。一方でレイルはと言えば少し不満そうだ。
「つまんねぇじゃんこの世界」
「いやいやいや!なんて事言うんだよ!?平和だしこの世界のがいいと思うけど」
スライムにすら苦戦する彼らにとってロゾル・ガーティオでの生活は常に死と隣り合わせなのだ。危険性が無いのであれば日本で暮らしたいと思うのは妥当だろう。頭の後ろで腕を組み、不満気に話すレイルと正反対の意見を持つルラクが言い合っているとチヅルが静かに口を開いた。
「ルラクさんは消滅してもよろしいの?」
「へ…?」
一瞬にして彼らの時が止まり、静寂が辺り一帯を支配した。風になびかれる草木が僅かに音を立てる。
「しょ、消滅?」
「下に書いてあるじゃない。ほら」
最初に静寂を破ったのはレイルだった。彼女の指差す所を見ると小さく追記と書かれる文章に目を留める。そこには追記、罰則についてと記されていた。
「追記、罰則について。留学期間は最長二年とし、それまでに帰還出来なかった場合は存在自体を消滅する。その他、校長を除くそちらの世界の者に正体を明かす行為も同様の罰則を行う。常々メンバー全員の連帯責任である事を忘れるな」
「……帰りたい!今すぐに!!」
追記を読み終えて帰りたいと嘆くルラクを他所に、いわば命を懸けた一つのクエストであると判断したレイルの様子は先程に比べ大きく変わっていた。口角を上げ、八重歯を剥き出しにして笑うその表情は流石悪魔族の血を引く者といったところである。
「おもしれぇじゃん。この難関クエスト俺らがクリアしてやんよ」
彼女を真っ直ぐに見据える最低ランクZのリーダー、レイルは昔からとにかく面白い事が大好きなのである。ステータスが低いにも関わらずギルドに所属したのも、リーダーになったのも全て面白そうだからの一択だ。
「これって…受けるも受けないも強制だよねぇ…多分」
クエスト画面にでは無くわざわざ通知欄に表示されるメッセージの意味を察したルラクの正論は、風に攫われ遥か遠くへと消えていった。そして彼はステータスメニューを閉じ、生き生きとした幼馴染の姿に視線を向ける。
様々な出会いと別れが訪れるこの季節は幾度も人の人生を変えるものだ。別世界ロゾル・ガーティオで生まれ育ったレイルとルラクの人生にもまた、新たな歴史が刻まれようとしていた。