第1章.春の頃に―③
「おもったよりも、かかっちゃったな」
時は夕暮れ。教室には、窓から注がれる橙色の光が暗い陰の間に差し込まれ、そろそろ黄昏時にかわりつつある頃。教室には、みもりだけしかいない。その他の人影はもはやなく、明かりも切られている。自分の机の上には、教科書類のみ。学生の本分が勉強であることの証拠だ。普段は、家に帰って宿題や理解できない所の復習などを行っている。今日に限って、実は、勉強でわからないところがあり、先生に質問しにいったが、思ったより白熱してしまい、このような時間になってしまっていた。
少しぐらい誰かいるかなと思ったが、考えていたよりも、あたりは静かだった。皆、早くに帰宅してしまったようだ。無論、校庭での喧噪もない。この光景にみのりは何か、喪失したかようなノスタルジックな気分に染まった。オレンジ色に染まる放課後の教室に何か惹かれていた。ゆっくりと自分の席に戻り、片づけを始める。そういえば、今日の夕飯の当番私だっけと。
今日の献立は、なんにしよう。あの食材が残ってたな、あれ買わなきゃ。野菜とか安くなってるかなといろいろと考え、ふと、
『お久しぶりね』という言葉を思い出し、帰宅準備の手を止めた。
あの時は、会長のテンションに押されてしまったが、今思い返せば、やはり引っかかる。どこかで会ったことは間違いないようだ。見たことあるというのは、勘違いではなかった。だけど、どこで? そのあとの『今のあなた』という言葉にも。思い出したことによって、自分の心の奥にある開いてはいけない扉が少しぎいと開けられそうになった。急にフラッシュバックをする。何か禍々しいものに横殴りを加えられたような光景。途端、急に、悪い気、いや、全身から邪悪な女子力が駆け巡りそうになる。
右の手の平がバチバチッと小さく黒い稲光りが現れる。まるで、かの邪悪なものから怯え、悲鳴を上げるかのように。その稲光を見て、怖いものに飲まれるような気《イメ―ジ》がした。闇に包まれるような気《イメ―ジ》がした。怪物に食われそうな気《イメ―ジ》がした。頭からバックりと。しかし、食べられてしまうことに対して、どこか魅力的に見えた。
頭をぶんぶんふり、深呼吸し、目をつぶって精神を落ち着かせる。右手の電光が徐々に収まっていく。隙間の空いた心の奥の扉が閉まり、ドス黒い気のようなものが漏れ出さなくなる。手の平が特に問題ないことを確認すると、みのりはつぶやいた。
「入院前の話かな……」
みのりは、中学1年から、3年の始め頃まで、記憶がない。それまでは、とある幼馴染と一緒に叔母と一緒に暮らしていた。中学になってから、本家に戻ることになったのだが、それからの自意識はなかった。いや、実際は、生きていた、生活をしていた実感はある。しかし、どんな行動をし、どんな人と会い、どんなことを考えていたのか全く覚えてはいなかった。何か、別の存在に手綱を握られ、ロボットのように動いていたのではないかと思うほど。みのり自身はあまりその時期のことを、周りに詮索をしたくなかった。事情を知っているはずの、一緒に暮らしている叔母にさえ。
自分を取り戻したのは、中学3年の7月ごろの入院において。気づいた時には見たことのない天井だった。横には、ずっと看病してくれたのか、育ての親というべき、『叔母』が小さな寝息を立て、すやすやと眠っていた。途端に、涙が流れた。目の前の彼女を見て安心したのか、やっと意識が戻ってうれしかったのか、それとも、心配してくれた叔母に対してなのか。
記憶のない時のことを考えれば考えるほど深みにはまっていく。みもりは、まあ、今考えても仕方がないと思い、時期が来ればわかるだろうと、帰宅準備を済ませた。先生との白熱した問答の最後に受けた忠告もある。曰く、
「最近変なヤンキ―とか、不良みたいな輩が学校の近くに出てるっぽいから、気を付けて帰りなさい」と。まずそうなら、親御さんも呼ぼうかとも。
(さすがに、叔母に迷惑をかけるのはまずいよね)
と先生の提案を遠慮する。先生は、「そうかい? 大丈夫? まあ、気を付けてね」としぶしぶ了承した。
教室を出て、たったったったと走る。淑女たるもの廊下を走ってはいけないと学校の規則に存在するのだが、今は誰も見ていないだろうということで駆ける。淑女を夢見て、この学校に入った自分と今の行動に対し、みもりは自嘲した。
校門から出てくる際には、夕暮れも深まって既に夜になろうとしている。夕暮れ自体、逢魔が時という別の言葉もある。いわゆる、『一番魔物に会いやすい時間』。何か変な予感がしていた。
「いやいやいや、不良やいわゆるヤンキ―の活動時間って深夜だよね? まだ寝てるよね?」
とつぶやく。とりあえず、ス―パ―にも寄ろうと思案する。ス―パ―への手っ取り早い道は、途中にある白坂公園を通り抜けらなければらない。思い切って件の公園をつっきろうとした。
ドタンッ。
何かが倒れたような音が響き、思わず顔をそちらへ向ける。
「いつつつ。もう、人が気持ちよく寝てたのに……」
と、薄い小麦色に焼けた肌で、ショ―トポニ―で茶色い髪の毛をまとめ、ピンクのセ―タ―を腰に巻いている女子が頭をさすっていた。服装は、スカ―トと腰に巻いたセ―タ―、学生用のYシャツ、ダボっとしたソックス。服装は、スカートと腰に巻いたセーター、学生用のYシャツ、ダボっとしたソックス。服装から天ヶ原女子の制服とわかる。元お嬢様学校といえど、多少自由な校風ではある。しかし、寝ていたであろうみもりの目の前の彼女自体は、自由とはいえ、かなり逸脱した派手さがあった。
その彼女の物珍しさのためか、じっと、見つめるみもり。その視線に気づいた彼女とみもりの目と目が合った。瞬間、
「ああ?! 何見てんだ、コラ」と。
「ひ、ひぃ、ヤンキ―だ!」
「誰がヤンキ―だこらぁ!! ギャルだっつーの!」
「ひぃ! ごめんなさい!!」あ、ギャルなんだ?! とおもいつつ、みもりはその場で回れ右をする。触らぬ神にたたりなし。本当に先達はいい言葉を残したものだ。それもス―パ―行かなくちゃならないし、ということでそのまま、逃げようとする。
「おい!」と、件のヤンキ―から声を浴びせられる。
「どうしました……? 用事があるので、すぐ帰りたいんですが……」
ちらちらっと、後ろを見、スキあらば逃げようと画策する。
「お前、どっかで見たような……?」とみもりの発言を無視し、一人考え込むヤンキ―女子。
すると思い出したのか、ポンと手をたたく動作をする。
「ああ、お前」
「はい?」
「朝、とんでもねぇ力使って走ってた奴だよなぁ!!!」
刹那、視線の先から消え、目の前に拳を振りかぶるヤンキ―女子が現れる。右手には、目で見てもわかる『女子力』の気の塊。みもりは、思考より先に、後ろに飛びのくよう体が動く。ヤンキ―女子の空ぶった拳は、地面を打ち据える。地面が爆発。砂煙が起こる。みもりは、後ろに下がりつつ周囲の目を凝らした。彼女と自分の距離、そして逃走先の公園出口までを目測する。みもりと彼女の間は、4mほど。ここから公園出口までの距離は10mほど。朝やったように足に力を篭め、逃げる気になれば逃げられる。
「なあ、お前。『女子力使い』だろう?!」立ち上がるヤンキ―女子がつぶやく。
「まあ、そうなんだけど……。そうっと言ったら?」
「なあに、とぼけてるんだよ? 女子力使いが目の前に現れたら、やることは一つだろう!?」
次の瞬間にみもりのすべての目測は完全に崩れ去った。
一つ飛び《シングルアクション》でみもりの間合いへと迫る。
一瞬で目の前まで近づかれるなら、逃げるのは不可能だ。
「はやっ!?」
構える拳から見て、左手のフック。女子力の気は見えないが、多少は固めていると予想する。たぶんよけられない。両腕に『女子力』を流し込み、クロス。相手の拳を受け切ろうとする。接触する拳と両腕。
みもりの腕に、鈍い衝撃が伝わる。何これ、拳一つがこんなに重いの?! と理解する。
受け流しきれず、横に吹き飛ばされた。だめだ、防ぐには、『女子力』全然足りない! 勢いを逃すために転がる。
みもりには、弱点があった。自分自身の『女子力』が少ない、否、行使できる『女子力』が少なかった。『女子力』自体は人並みにあるが、長時間大量に使うと、みもり自身の固有の能力のためか、何者かに意識が乗っ取られそうになる。そう、放課後の教室で起こった黒い稲光がその前兆。その前に辞めなくてはならない。目に力を篭めて観察するだけなら使われる『女子力』は少ないので、長時間使用は可能。一瞬の爆発的なスピ―ドも行使は可能。しかし、あの拳を防ぐには量と時間が足りなかった。
「逃げられないかぁ……」
体制を整え立ち上がる。転がる直前に薄い『女子力』の気をまとい、ダメ―ジを最小限にする。唇を切ったようだ。膝もすりむいちゃったし。
「ああん? 逃げるっつ―のなら、てめぇの背中を思いッきしぶちぬくぜ?」
「それもやだなぁ。勘弁してほしいな」
目に『女子力』の気を上げて思考。ヤンキ―女子はこちらの気を伺い構えている。砂埃が舞っている。そういえば、久しぶりだな。『女子力を使った喧嘩』最後に使ったのはいつだったっけ?
相手の右手から、大量の女子力が流れ込んでいること認識。左手にも、流れ込んでいるに入るが、右手には及ばない。しかし、左手であの威力なら、右の拳なら、とかすかにぞっとする。たぶん、一番衝撃力があるのは、ストレ―トと聞く。真正面に打ち据えられたら、やばい。
観察しろ。思考しろ。何かあるはず。逃げる策もあきらめるな。考えろ、考えろ、考えろ!
コンビネ―ションが飛んでくる。右、左、右、左……足?! 思わず、右足で防ぐ。先ほどの拳の比ではないが、威力はなかなか。
瞬間、カウンタ―を狙うが既に相手は、後ろに飛んでいた。
「おう、やっとやる気になったんじゃね―の?」
今ので、理解できたのは、足も使えるがそっちはそんな脅威ではない。やはり、一番は拳。それも右手に関しては、一瞬で出力限界ギリギリまで放つことができると考えうる。でも、まだこちらには何も切れるカ―ドがない。
相手は、何を思ったか、いきなり、地面に向かって斜めに入れるように気を固めた拳を打ち付ける。その『女子力』の気は、そのままみもりへと地面を這うように加速。あんなの当たったら、ひとたまりもない。横っ飛びによけるッ。
「え、何?! そんな、芸当もできるの!? ありえないよ!」
「は? できるから、ありえるんじゃね―か」
それはごもっとも。と思いつつも、右手を注視。もう、使っちゃってもいいかなと思い始める。両腕に小さな黒い稲光が起こる。もう、いいかな? と。むりなら、もう私の能力にたよっちゃおうかなと。
「へっ。お前のその黒いビカビカッって奴が、能力かよ。いいぜ、おもしろそうじゃん。最高だなぁ! おい! 喧嘩で好き勝手に暴れられてよぉ! 一緒にぶっ壊そうぜ何もかも!」
とたん、目の前のヤンキ―女子が、あの黒い悪魔に空目した。先ほどの、セリフ。『好き勝手に暴れられて』という言葉に対して、
――――何か、憤りを感じた。
それは、「悪魔」に向けてなのか、それとも、目の前の彼女に向けてなのか、黒い稲光は徐々に収まっていく。
「……せない」
「あ?」
「許せない……」
「何がだよ」
「『女子力』を『暴れる』ことのためだけに使うなんて、そんなの間違っているよ!」
「だから、どうしたっていうんだよっ!」
一瞬で、迫ってくる。左手のジャブ。その拳をそのまま左手で受け流したまま、みもりは自分の女子力の気をそのまま相手に送り込むだけ。一枚目のカ―ドが見えたことを確認する。第一段階は、実証済。
「送り込むだけか? 気でも迷ったのかよ」そのまま、右手のボディブロ―が来る。よけるが、かするだけでも、半端ない威力。横っ腹に当たる衝撃で意識が飛びそうになる。相手の右手は震え、出血して始めている。ということは、『出力限界ギリギリ』で右手を運用し続けてることも確認。女子力は、部位限界ギリギリで長時間使用し続けると、その部位が耐え切れなくなっていくという。これは、叔母≪ししょ―≫からの受け売り。ずっと、使い続けているとその部位を壊すことになり使いものにならなくなるとも聞いた。血が出たということは、耐えきれなくなりつつある証拠。手札はそろった!!
みもりは右手の人刺し指と、中指に『気』を集める。向こうは、左のアッパ―! これを、自分の空いている左手ではじく! しかしそのまま、ヤンキ―女子は左手のはじかれた勢いを使って後ろに回していた右手の気を固めたストレ―トが放たれる。
「これでもくらいな!」ヤンキ―女子は、勝ちを確信したのか、叫ぶ。
これを……待ってた!
本当に刹那、すこしでもずれていたらみもりも危ない。避けつつも、自らの右手の人差し指と中指を、相手がとどめとばかり放つ右ストレ―トに接触させ、『女子力』を送り込む。瞬間、電光が発生し、爆裂音が響き渡る。右拳に固めていた『女子力』が許容量の限界を超えたことによるオ―バ―ヒ―トによるダメ―ジである。
「がはっ…………!!」うめく、ヤンキ―女子。
みもりはそのまま、服をつかみ、背負い投げを放った。
「ゼィゼィ……」肩で息を吸う。そして、口を拭った。相手は、起き上がってこない。
「勝った……もう、女子力の戦いってこりごり……」
途端、気づく。相手に駆け寄る。ただ気絶しているだけ。右手も、女子力の爆発による傷や出血をしているが、使い物にならないまでは至ってはないだろう。治るまで時間はかかるけれども、『女子力』の気の流れは滞りなく流れているので、問題なさそうである。
そして、気づいた。彼女はとてもよい流れの『女子力』を持っている。あんな粗暴な言葉遣いだったけれど、本当は、根はやさしい人なんだろう。ただの気の迷いで『暴れてしまった』だけだったんだ。それも、よく見たら綺麗な人。
「友達になれるかな……」小さくつぶやいた。
***
「ん……? ああ」
ヤンキ―女子は目が覚めた。飛び込むのは、目をつぶり休んでいるみもりの顔。後頭部にはあたたかいものが当たっていた。
「って、おお!」とびのく。ヤンキ―女子。そのこえに気づいて、顔を上げる。どうやら、膝枕でヤンキ―女子は寝ていたらしい。
「あ、おはよう」
「おはようじゃね―よ、なんでいんだよ、まだ!」
「だって、一人にするのは危ないよ」
「いや、まあ。そうだが……。って、さっきまで喧嘩してた相手だぜ?」と、右手に包帯がまかれていることに気づく。
「あ、これ、お前がやってくれたのか」
「うん、怪我させたの私だし」
「ああ。……ありがと」と恥ずかしがって小声になるヤンキ―。みもりは、ちょっとかわいいと思った。
「ああ、でもなけなしのお金が……」
むむむとうなる普通女子。
「あんたがやったんだろう」
けらけら笑うヤンキ―。途端気づく。さっきまで、自分のもやもやしてたものがなくなっていたことに。高校に入ってから、異様にむしゃくしゃしていた。この格好のせいかだれも近づくことなく孤独を感じていた。やめればいいと思ったけど、やめたくなかった。自己の存在証明なのかもしれない。そして、喧嘩を売った相手に負けて、すっきりした。
「はぁ……。完敗だよ。完敗。お前には、負けたよ」
ヤンキ―女子は気持ちよく笑っていた。すっきりしたような表情だった。
「へぇ、そんな顔できるんだぁ。かわいいじゃん!」
「うっせ。余計なお世話だ」
恥ずかしがりつつ、お互い余韻のようなものが流れる。
「さて、帰るわ、遅くなったし。じゃあな」
振り返らず公園の外へと向かっていった。
「ねえ! 明日高校きてくれるよね?」と彼女の背中に呼びかけ、
「さあな。気が向いたらな」と手の甲でサヨナラを表現した。
そよ風が吹く。四月とはいえ、夜暖かくなるのは、まだまだこの先。この風に気持ちよさを感じながらも学校も来てくれるかなと余韻に浸っていた。
「あ゛っ!」重要なことを失念し、みもりは声にならない声を出す。
急いで、ス―パ―にいき用を済ませ、家へと戻る。途中、喧嘩したこともばれないように身だしなみを整えながら。
「ただいま~」小声で呼びかける。
そこには、
「遅くなる分にはかまわないけど、なるなら、なるで一言連絡入れてからにして頂戴」と腕を組んで無表情ながらも怒っていることがうかがえる叔母を目の前にする。小声で、『心配したんだから』と居間に戻っていく、みもりの叔母。
ヤンキ―よりも何よりも今日一番の恐怖を感じたみもりだった。