水溜まりが広がりそうな空模様にて―⑫
真朝は言っていた。
「手紙とかじゃなくて、面と向かって謝ってきなさい!」と。
それはわかっている。わかっているのに。
彼女を目の前にすると、切り出せないでいた。挨拶はできるのに。世間話などは気軽に話せるのに。「あの時は、ごめん」と言えないでいた。
わかっていたはずだった。彼女は、自分が誘った申し出にしぶしぶ受けたこと。
――――申し込んだのは、ボクなのに、ボク自身あの時のことを忌避する感じ。
本当は言うべきなんだ。
――――いつも自分はどこか、弱気だ。
ちらりと屋上から校舎へ向かう扉の方を覗く。そこには、紫の包みで覆われている木刀が立てかけている。雨に濡れないよう、そっと。
――――握れば勇気をくれるかなと思った。なのに、言えないでいる自分。
「本当にボクは意気地がないな」
雨はぽたぽたと傘の上を跳ね返して遊んでいる。遠くには、雷鳴。あと少ししたら、ここら辺にも雷が轟くだろう。
人気も少なくなってきている。
「真朝も、由姫ももう帰ったかな」
――――そろそろ、あの子も帰ってしまったのだろうか。いや、それはちゃんと確かめよう。そして、今度こそ言おう。ごめんねと。
そう、彼女は校舎の中に戻ろうと振り返った瞬間だった。
***
由姫は警戒しつつ、居合の構えをとる。目の前の元子を視界に収めたまま。
「で、私に用があるってなぁに?」
「おう、うちのししょーが剣道ルーキーに用があるっていうんで、邪魔しないように足止め」
「それだけ?!」
「ああ。まあ、あっちの糸巻メガネの方は、また違う用があるっぽいけどな。ま、詳しくは知らねぇが」
元子は指をぽきぽき音を鳴らす。静かな廊下にそれだけが響く。まさに今、喧嘩をはじめようかというような動作だ。
由姫は、竹刀をみじんも動かす気配はない。
「なら、残念ながら、私の方は今、あなたには用はないのぉ、ごめんね」
「おお、そっか。残念だ。女子力の力比べできるかと思ったのに」
「……」
元子は、拳を向ける。
「お前、女子力使いだろ。竹刀で斬られたとき、バチバチっていう感覚っていうの? なんつーか別の力で攻撃を喰らったようだったぜ。まあ、シロウト感覚だけどな」
「ええ。正直に言えば、そうよぉ。でそれが?」
「いいんだぜ。私が、女子力で力比べしようっていうんだぜ。あんた、この前言ってた、恨みを返す時じゃないのか?」
居合の構えを解く。戦うつもりがないという意思表示でもあった。
「そんな、安い挑発――――」
「このままだと、私の勝ちってことでいいんだな?」
「……はい? 今、何言って」
「ああ、せっかく私が申し込んだ喧嘩を受けず、しっぽ撒いて逃げ出したってな」
「勝手が過ぎるわよぉ、あなた。別に、戦う理由があなたとはないから……」
「あー、あと、噂で聞いたぜ。おまえ、数学の点数で私に負けたってな。わたしに負けてばっかりでくやしくねーの?」
「はぁ?」
「勉強でも負けて、女子力でも負けるんだぜぇ。あの時の『恨み』っつーのは、いつ返して……」
「……あなたにだけは、言われたくはなかったわよぉ……いいわ。そんなに、食らいたければ、私の抜刀術受けてくださらない?」
由姫は、刃に当たる部分を腰に配置し、柄を上側に向け、右手を横から軽く握っていた。
「おっと、そうこなくちゃだぜ!」
真朝の方からも、
「って、喧嘩するって言っておきながら逃げるんじゃないわよ!! 待ちなさいよ!」
と、江梨華に声を飛ばしながらも離れてしまった。
元子も、小さく、
「うし、向こうもうまくいったようだな」とほくそ笑む。
拳を、手のひらに打ち付けてから、我流のファイティングポーズをとる。
抜刀術。抜きながらの初太刀で致命を与えることを目的とする、剣術。威力のほどは、既に元子は受けている。先ほどは、腕により防御をしたが、胴体に受けた場合、ダメージが相当大きい。いざ、どう避けて攻撃をするか。
元子が見るべきは、手元。動いた瞬間に、軌道を予測し、掻い潜って攻撃を当てる。かなり無茶な考えであるが、戦うにはこれしかない。
「先手必勝!」
とばかりに、元子は由姫に勢いよく近づき、牽制の拳を振るう。
抜刀術としては、近づかれるのは嫌なはずだ。こちらの攻撃が届く前に竹刀を振るうはず。手元を注視する。
まだか。
まだか。まだか。
いまか?!
いや、まだだ?!
「やばっ?!」
瞬間、元子の牽制の拳が相手に届くか、否かのところで、竹刀を勢いよく引き抜くよう、柄の部分で顎に直撃させる。
衝撃が顎を貫通する。
「知ってるぅ? 抜刀術の命題は、『三尺三寸の刀をもって敵の九寸五分の小刀にて突く前に切り止める』。あなたの懐に飛び込むための拳こそが、弱点ではなくこちらの抜刀術の獲物になるのよぉ」
既に、居合での抜き放つ前の状態だ。
「けっそうかよ!」ともう一度、元子は間合いを取り、窺う。
「やっぱり、あなた、結構頑丈なのねぇ」
元子は、またもや近づき、もう一度左のジャブを放つ。
「あなた、短絡馬鹿わよねぇ。そう、何度も同じ手を――――」
「――――女子力使いってこと忘れんな」
由姫が懐に入られる準備をしたつかの間、元子の左ジャブはフェイントとして、女子力で固めた気の拳を地面に叩きつける。その気は、波として、元子の拳から放たれ、居合の少女へと奔った。
左のジャブを警戒したか、フェイントに気を取られてしまい、元子から放たれた気の波に反応できず直撃する。
うし、と少し喜ぶもののすぐファイティングポーズをとる。
向こうもかなり直撃を受け吹っ飛ばされていたが、体勢をもどす。とたん、由姫は、体勢を低く、柄の部分を上向きに上げ、納刀の構えのまま元子に向かって走り出す。
それに反応し、元子は下段の攻撃に備えるが、甘かった。
そのまま、抜刀少女は廊下の壁や、窓を上り、宙を舞う。元子が反応できるか否かの瀬戸際、彼女の竹刀が、元子に目掛け弧を描くように振り下ろされる。
「ぐっ!!」
即座に、腕で防御する元子。先ほどの居合抜きとは比較にならない重さ。普通の人ならば、余裕で腕の骨に重大な損傷を与えるだろう。
「どお? 『カラス落とし』の味は」
「カラスじゃなく、スズメすらも落とせねぇんじゃねぇのか……?」
もちろん、元子の強がりだった。軽口を叩くことで、己を震わせる。何も力だけではない。精神力の戦いでもある。
「虚勢を張るのは大概にしたらぁ。すぐに無理だってわからせてあげるんだから」
と、由姫は、片手から、両手持ちへと切り替える。抜刀術による一撃必殺ではなく、剣道で相手を打つ方法へと変える。
竹刀による連続攻撃。面から、胴、小手と打ち方を変幻自在に変更し、元子を打つ。
元子その竹刀の軌道に、反応する。防ぐ。避ける。竹刀を振らせておいてから、拳や蹴りでのカウンターを放つ。お互いの竹刀と徒手空拳の乱打戦。
「だったら……!」
と何を思ったか、元子は、肩から思いっきり、由姫の懐へと体当たりをした。女子力の気も添えて。
由姫は、なすすべもなくそのまま錐揉み上に吹き飛ばされる。
彼女は地を転がりつつも何とか、立ち上がり居合の構えをとる
元子は、追撃とばかりに、由姫の方へと回し蹴りをくらわそうとする。
その蹴りは、胴を薙ぎ払う。
……はずだった。
元子は当てるはずの相手の二、三歩後ろにもう一人いる。誰だ? 由姫だ! 双子なのか? いや、違う。そんな馬鹿な。ならば、江梨華が使っているような人形なのか、それも即座に脳が否定する。蹴りが入っていたはずの目の前の彼女は、半透明だった。いうなれば、分身していた。
その彼女は、即座に、抜刀した。
避ける暇を与えてもらえない。もう一人の由姫が持つ竹刀は、元子の体を斬っていた。
竹刀で打ち据えられ、膝をつく。もう一人の半透明の由姫は、既にいなくなっており、そこには本人が立っていた。先ほどのは、夢か現か幻か。
――――斬られてはいないのに、ばっさりと斬られた感覚。これが、ししょ―が言ってたやつか……。
「これ、女子力の気を一気に使うから、あんまり使いたくないんだけどぉ。今の状況なら、アリよねぇ。うふふ」
「へぇ、じゃあ、もう一遍使ってみろや……」
息も調え、立ち上がる。かなりのダメージを受けているが果たして。
「なら、もう一度味合わせてあげるっ!」
由姫の目の前に、半透明の彼女が現れ、縦横と2連で、斬り結ぶ。
元子は、今度こそ両腕のガードにて反応する。十分すぎるほど、女子力の気の流れを防御に使う。しかし、耐えるのがやっと。
「はぁはぁ、そよ風かと思ったぜ……」
「減らず口を……!」
もういちど、由姫は元子を範囲内に収め、抜き放つ瞬間から、最高速度で抜刀する。
目標は、もう一度、胴。今までの手ごたえならば、いけるはず。
そのまま、竹刀が元子の胴を揺さぶろうとする。
しかし、手ごたえがない。
軌道を呼んでいたのか、既に低姿勢で、竹刀をくぐっていた。
「……!」
そこから、元子は連続技を入れ込んでいく。左からのフック、右からのストレート、そして蹴り上
げからの先ほどの拳に固めた女子力の気を地面に打ち付け爆発させる。
「はぁはぁ」
相手を警戒したまま、元子は、じりじりとさがるように間合いを開ける。倒れていてくれよと、内心願いながら。やりすぎではないことを願いながら。
「はぁはぁ……。うふふ……。あなたは、何もかも私の超えるべき壁になるのねぇ……いいわぁ。それでこそ、……ラ・イ・バ・ル……よねぇ」
(いつライバルになったんだよ)
と元子は心の中で、ついツッコんでしまう。
由姫は、膝立ちで、竹刀を支えにし、肩を上下に大きく揺らす。
まだ倒れていないのかよと元子は考えつつ、向こうからしたら、お互い様かとも感じた。
正直、目的としては、もう十分すぎるほど達成している。邪魔しないように足止めをすること。みもりのところまで追いかけることはしないだろう。できたとしても、向こうはかなり消耗をしていて、邪魔立てはできないはず。あとはもう、意地の張り合いしかない。どちらが、負けを認めるか。力比べで立っていられるかだけだ。
由姫は、ゆっくりと立ち上がり、居合の構えに入る。
元子は、残った力を振り絞って、構える。お互いに、多分、これで最後かもしれない。
抜刀の構えをしたまま、彼女は左手で手のひらを上にし、何かを持っているようなしぐさをする。とたん、その手のひらからボールのような発光したものが浮かび上がる。一目でわかる。あれは、女子力のカタマリだ。何をする気だ。投げつけるとでもいうのか。
「これで、キメてあげるわぁ。とくと、御覧なさい」
どうするかと言えば、自分の真上に気のカタマリを放り投げ、落ちてきた瞬間に竹刀で斬り刻むように何度も振るった。
とたん、気のカタマリが、破裂し刃のような女子力の気が元子へと襲い掛かる。
横に飛び教室の中に入ろうとするが間に合わない。無残にも切り刻まれてしまった。そのまま、立ち上がる気配がない。
由姫も、膝をつく。鳴り響く雷鳴。光が、彼女を照らす。窓の外を眺めれば、雨と風と雷が、踊るかのごとく暴れている。
「……さて、どうなったのかしらぁ」
竹刀を支えにして、立ち上がる。体は重い。立つのが、やっとなぐらいだった。
体に無理させながら、警戒し居合の構えをする。
起きる気配がない。由姫は勝ったと、内心喜ぶ。
「さーて、どんな、寝顔してるのかしらねぇ」
敗者の顔を覗くのが、勝者の特権とでもいうべきか、静かな足取りで、元子へと向かう。雷鳴で、倒れている彼女の顔を照らされた瞬間だった。
「案外、余裕あんだな、おめぇ」
刹那、倒れていた元子は眼を開き、腕から飛び起き、逆さで全身を軸に一回転するように足から上昇する。そのまま蹴りで由姫の胴体から顎へと貫いた。
そのまま、由姫なすが儘に吹き飛ばされ、廊下を転がっていく。
彼女は起き上がらなかった。
「目標達成と。ししょーから、教えてもらったのが生きたな……てか、頑丈でよかったぜ……」と、壁を背にして、座り込んでいた、元子だった。