水溜まりが広がりそうな空模様にて―②
彼女は、あの時の公園での光景は今でも思い出す。
それは、まだ、美澪が入学して間もないころの春先だった。時は、夕暮れ。部活終わりで、とぼとぼと独りで歩く。
高校生活にも不慣れで、これから先どうなっていくのだろうと漠然とした不安を抱えていた。剣道部でも、同輩の羨望や先輩の期待にプレッシャーになるほどだった。
多少思い詰めていたのだった。
朝、風のように走る女子生徒を見、どうしたらあんな風にすがすがしく走れるのだろう、と思っていたほどだった。どこか、綺麗に見えた。立ち止まり、その子が通り過ぎるまで目で追い続けてた気がした。
「ボクも、これからあんな風な高校生活できるかな」
今朝の出来事を思い出し、そっとつぶやく。誰とも知らない女子生徒にかすかにあこがれを抱いていた。
どこからか、激しくぶつかり合う音が聞こえてくる。事故でもあった?いや、違う。自動車が激突したような音の気はしない。
背筋がぞわぞわっとする。なにか、行ってはいけないような雰囲気。
頭の中の考えが、今すぐ遠回りしろと警告する。危ないぞ。巻き込まれるな。振り返るなら今だと。
それでも、美澪は好奇心の方が勝った。
何かあるのかと、美澪は足早に音の方へと向かう。
そこは、白坂公園。天女から少し歩いたところにある公園だ。いつもなら、散歩に来たお年寄り、遊具で遊ぶ子供達にやさしく見守る親、どこかに電話をかけるサラリーマン等が過ごす場所である。多少、人が少なくなる時間帯だとしても。
しかし、そこは異様な光景があった。
二人の女子高生が徒手空拳による戦闘をおこなっていた。
ただの喧嘩なら、止めるか素通りでもするだろう。しかし何か、喧嘩とは違う凄味があった。あんな蹴りを受け止めるだけで、空気が張り詰めるようであろうか。あんな、拳で轟音が響くだろうか。
そもそも、女子高生がいわゆるステゴロをおこなっているのも変であるが、それのみならず、あんなに重たい拳が放てるものか。
美澪は、固唾をのんで見守る。持っていた手提げの学校指定の鞄の持ち手を思わず握りしめる。
制服で間違いなく天女の生徒だ。一人は、見たことある同級生だった。薄い小麦色の肌で少し派手なところがあり、天女でもヤンキーっぽいというのだろう、こういう子がいることに驚いた印象がある。対して、そこまで好戦的に見えないもう一人の子は……。
ヤンキーっぽい子は、一つ飛びで、後ろに下がった後、拳を地面に打ち付ける。瞬間、炎のような塊が、相手の子に目掛け、地面を這うように加速する。当たってしまうかと思いきや、勘一発、相手の子は横っ飛びで避ける。
「これが、もしかして、女子力の戦いってやつなのかな……」
手が震えると同時に、心の奥底からゾクゾクっとするような震えを感じ、美澪は少し口角を広げた。瞬間、もう一人の黒いミディアムヘアーの子の両腕に、びかびかと小さい稲光が起こる。
「……!!」
美澪は驚く。間違いなく、あの稲光は彼女から発せられているのだと。
そして、ヤンキーっぽい子の発言に対し、彼女は叫んでいた。ここからではよく聞こえない。多分、ヤンキー娘から許せない言葉が出てきたのだろう。
瞬間、相手のヤンキー娘の初速の速さ。すぐに、ミディアムヘアーの子に迫る。食らいつこうとする左腕のジャブ。それを、ミディアムヘアーの子が受け流す。あれは、空手の型だろうが。ひどく我流で荒々しい拳に対し、流麗に逸らしていた。
続けざまに、ヤンキー娘の右からのボディブローが貫こうとする。ギリギリ、彼女は回避できたものの呻くような表情をしていた気がした。
そして、ヤンキー娘のアッパーを左手ではじく、しかし、フィニッシュブローとばかりにのストレートが放たれる。
束の間、ミディアムヘアーの子は右手の人差し指と中指をストレートの側面に接触させる。雷光が響き渡り、ヤンキー娘の右手が爆発した。ミディアムヘアーの子はすかさず、服を掴み背負い投げで地面に叩きつけたのだ。
そのまま、ヤンキー娘は、立ち上がることはなかった。
----瞬間、美澪は最後まで立っていた彼女の背中が、今朝、走っていた少女の背中に重なる。
「……あの子だっ……」
今朝遭遇したかすかにあこがれた少女はあの子だ。俄然、興味を持った。同じ学校であれば、名前はすぐさまわかるだろう。どこのクラスなんだろう。同級生かな、それとも先輩かな。お話できるかな。仲良くなりたいな。あの子の走りと同じようになれるかな。もっと、自分を磨きたい。そして、ボクも。
あの子と勝負をしてみたい。
「えっ?」
最後、美澪の自身が思いもよらぬ考えをし、驚く。そして、自分が笑っていたことに気づいた。
『女子力』の戦いをまじかに見て影響されたのか、ワクワクしてしまったのか。熱くなってしまったのか。
「な、なんか、ボク、変だ」と、美澪はそそくさと公園を後にする。
この光景が、美澪に刻まれた記憶であり、宮原みもりという少女を認識した出来事だった。
***
どよどよとした曇り空の中で、夏服の生徒たちのおはようの声が響き渡る中、肩にかかるかかからないかの黒いミディアムへア―の少女、宮原みもりは自分の下駄箱を目の前に、戸惑っていた。
手に持つのは、一つのかわいらしい便箋。それも、ハートのシールで封をされた状態で。
「え?!ちょっと、まって。これって?!なんで?」
あまりにも、突拍子もない状況によりみもりはパニックになる。
それもそのはず、なんてことはない。みもりが、下駄箱から上履きを取る際、落ちてきたのだ。手に取った瞬間、ハートのシールでどういうものか理解する。いや、間違いでしょ、違うでしょ、あはは~、ちゃんとした人に返さなきゃ―と、表にひるがえした瞬間。
宛名は、「宮原みもりさんへ」と書かれていた。
「え、こういうのってあるんだ……。って、私なの?!なんで私?!だってここ……!ああ、いやいやいや、恋なんて千差万別。たまたま、その子が好きになった相手が私みたいな女の子だっただけだから……あはは、深呼吸しよう深呼吸」
と、一人、スーハ―スーハ―するみもり。
いつもより、口数の多いのは、あまりの出来事に脳の処理が追い付かず、オーバーヒートになりそうなところを、言葉にしているだけである。
ちなみに、こういう手紙は、初めてもらう。そして、多分、まず間違いなく学校から考えて、同性からなのも初めて。
いや、小学生の時に授業中にノートの切れ端で友達同士で他愛ない会話の簡単な手紙を回したり、もらったりしたこともあったが、ここまで本格的なものは経験がない。
「と、とりあえず、落ち着こう……。誰からだろう……」
なぜか、受け取った側のみもりが緊張して震える手。しかし、便箋を見ても、差出人の名前がない。多分、中身に書かれているだろうと、封を開けようとする……。
「みもりちゃん!おはよう~」
「ひっ?!」
とびっくりして、慌てて鞄の中に隠す。
そこには、榛名がやってきたのだった。
「あ、ハルちゃん。お、おはよう」
「どうしたの?なんか、びっくりしちゃって」
「え?あ、いや、何でもない!なんでもないよ~あはは~」
「ん?そう?悩みとか?何かあったら言ってね?」
「大丈夫大丈夫!悩みとか、ないない~」
あまりの状況に言葉を繰り返してしまう。
別に、榛名に話してもいいかもしれないが、まだみもり自身の心の整理がついていない。それも、心臓もなぜかドキドキしてくる。
誰からだろうと気になりつつも、後回しにしたい気持ち。二律背反。アンビバレンツな気持ちというやつだ。
「あ、ほら、教室が待ってるよ!」
恋文をもらったかもしれないという状況から逃げるように、榛名の手を引っ張ってしまうみもりだった。