第2章.葉桜が芽吹く間―⑥
あの時のコーヒーの味程、思い出に残る味だったことはない。
私たちは、コーヒーの味と、それにあったデザートに舌鼓を打ちつつ、好きな作家や、好きな本のお話に花を咲かせた。どこそこのシーンがすきだとか、あれそれの文章が気に入っているだとか、あのキャラクターのあの発言はよかったなどと、他愛のないお話ばかり。でも、そのどれもが高校に入ったばかりの私にとってとても新鮮だった。
私って、こんなしゃべれるんだ。彼女とお話ししていて、そう思っていた。
こんなに同い年の子とお話ししたのはいつぶりだろうか? 中学…? いや、もしかしたら、小学校までさかのぼるかもしれない。
そのぐらい、私には、会話というものが分からなかった。コミュニケーションというものが、本当に苦手だった。テレパシーで思いを届ければよいのにと何度思ったことか。
そして、彼女とお話しして、私の憧れもよりいっそう強くなってしまったのだった。
その彼女にも、私の思いが届けばいいのに。
いくらか、準備は整った。力を入れるだけで発動する。あとは、私が決断する勇気だけ。さて、始めましょうか。私の楽園を。
……、そういえば、私の楽園によって彼女も変わってしまうのだろうか、それとも……?
***
「とりあえず、何かあったら、連絡お願いね~」
会長が伝えたその後、なぜか、みもりの個人チャット欄に
「あ、そうそう。これが終わったら、いつかお話しできる? お茶でもどうかしら?」
と来てたのも付け加えておく。
みもりは、会長ってやっぱりすごくマイペースだなぁと感じつつも、今の状況を確認した。
一つ、見た限り、影響を受けている彼女達には、女子力の変化がない。本当に変化がないのか別の要因もあるのかもわからない。
二つ、影響を受けていない、生徒・先生がいるということ。女子力使いの4人と、湊橋さん、櫻野先生。そのほか、影響を受けてない人がいるのかもしれない。共通点はあるのだろうか。
三つ、影響を受けている人たちは、人形のように会話をしなくなりぼ―っとし下を向く以外は、何らいつもの生活と変わらない。
先生の場合は、授業の説明や解説、板書をおこなうが、雑談等、一切行わない。みもりは試しに手を挙げてみても気づかず一切無視。
まるで人間の部分が、そのままそぎ落とされたよう。そして、終わればロボットのようにそのまま表情を変えずに出ていく。
生徒側に関して言えば、先生の授業をおとなしく聞いていて、ノートをとっていたり、10分休みに席を立つ子も見かける。ちなみに、授業中、みもりは、隣の席の小里さんをチラッと見たとき、ぼ―っとした顔でおとなしく聞いているはずなのに、ノートにラクガキしていたことに危うく吹きそうになった。そこだけは性格が出るみたいだ。何かの影響を受けているのかなと疑いつつも、完全ではないらしい。
小里さんは、普段は、バレないように寝ているか、たまにみもりに話しかけたりちょっかい出してきたりする子だ。
もしかしてと思い、話しかけたり、肩をたたいてみたりするも、朝の榛名と全く同じ反応だったので、一応は影響を受けている生徒の一人であると確認した。
以上、3つが現在みもりが把握している事柄だった。
ため息をつくみもり。いつまで、これが続くのだろう。
会長、副会長、それにもっちんが影響を受けていないのは心強い。しかし、まったく解決策がない。ノーヒントだ。どうすればよいのだろう。黒板に目を移す。書かれているのは、英語。黒板には、覚えるべき文法が書かれている。
いつもはノートを取るみもりも、今日に限っては取る気が起きなかった。一向にシャーペンが走らない。先生も、影響を受けているにもかかわらず、授業はしっかり行っている。しかし、その声も頭に入らなかった。
とりあえず、今説明をしているであろう教科書のページにも目を落とす。どうやら、綿から、糸へそれから衣服の作り方を説明する内容が英文で書かれているらしい。
「糸」か……。
そういえば、ハルちゃんと小里さんに糸くずがついてた時があったよなぁ。図書館では、湊橋さんも落としてたっけ。なんて、みもりは思い出してみる。ちらっと、もう一度、小里さんに目を向ける。
「あ、ま―た、小里さん、同じところに糸つけてる、いい? とるよ?」
微笑みながら、まったく反応をしない彼女の肩の糸くずを手でつまむ。すると、
何か、熱さのようなものの衝撃が走った。
思わず糸くずを離そうとする。思わず落としてしまう。ひらひらと落ちる糸くず。なにか、違和感を覚えた。落とした糸くずを拾う。
すごく燃えるような熱さ。何か、沸騰したお湯の中から取り出した直後みたいな感触。濡れてはいないが異常だ。とりあえず、机の上において、目に気を集めて観察する。とくになんも変哲もなかった。
とりあえず、熱のようなものが気になったので触ってみた。
すると、
「え? 何これ……?」
みもりの周囲の風景に、不可解な異物が追加される。そこら中に張り巡らされた、赤い糸。糸。糸。しかし、現実に存在をする糸ではない。その糸は、ほとんどの生徒・先生につながれており、見た目は操り人形のようだ。隣の小里さんも、赤い糸が全身くまなくつながれている。
赤い糸は、腕に。足に。背中に。頭に。生徒、先生、一様に。
そして、みもりが触っている糸くずの熱から、女子力の流れに入り込んできそうになる。思わず、その糸から手を離すと、その不可解なものは消え去っていた。とりあえず、今度はもう一度注意してもう一度触ってみる。
「……間違いない。女子力だ、これ」
小さく周囲の視線を凝らしてみる。つながっていないのはみもり自身と、湊橋さんのみだ。となるとこの赤い糸をつかって、何らかの女子力で影響させている……?
その赤い糸は、天井を見れば、教室の扉の向こうへ続いている。たどっていけば、何か見つかりそうだ。
次の休み時間にもっちん呼んで、見てみようか。わかり次第、会長にも言わないと。と次の行動の指針が決まったところで、糸くずに触れたままでいると、やはりもう一度糸くずから何か底知れぬ熱の流れが触れてきた。触れたままの熱は、みもり自身の女子力に干渉してくる。たぶんこのまま、何もしなければ、皆と同じになるかもしれないと、今度は思いっきり手を離した。
たぶん、この糸が何らかの女子力のトリガーになってる……? やっと、一歩進んだような気がした。
***
「うっわ、すっげ。何これ、キモッ!」
元子がさっきの糸くずを触れての一言である。あの糸くずは、小さいソーイングセットの中に入れた。小さいので、わかりやすいように針にその糸くずを通して、結んでおく。
「あんまりずっと、触れてちゃだめだよ? なんか、その糸、女子力の気を感じてなのかわからないけど、気の流れに交じってこようとするから」
「お? あ、ホントだ、やべぇ! へい、パスパス!」とみもりに糸くずとそのついた針を渡す。そのまま受け取って、急いでソーイングセットにしまう。
「はあ、なんか、あれだな。さっきの女子力の感じ、あんときを思い出す」
「いつの?」
「あれだよ。ししょ―との喧嘩のとき」
「……! ああ……。まあ、やってることはおんなじだからね。あの時と……。そういえば、あの糸くず触った時赤い糸見えたでしょ」
「ああ、見えた見えた。糸が赤くて、人とつながっているって、使ってる奴、相当夢見がちじゃね―かな、ありゃ」
「運命の赤い糸か……。かもしれない……ね」
運命の赤い糸、イメージ的にはロマンチックであるが、あそこまでに、張り巡らされていたら、返って恐怖を感じざるを得なくなっていく。
「とりあえずだけど、糸たどってみる?」
「おう、そだな」
そして、みもりはもう一度、箱を開き、その糸に触れた。