第2章.葉桜が芽吹く間―④
――――幸せの白い糸って知ってる?
そこから始まる学校の噂。誰がどこで言いはじめたのか、またどこの発祥かもわからないジンクス。
――――なんでも、その白い糸を服のどこかにつけて、他の人に見つからないようにすると幸せが訪れたり、物事がうまく捗ったり、想い人に近づくことができたりするんだって。
いついかなる時でも、女子というのは、噂や占いなどが好きなもの。無論、天ヶ原女子でさえもその通りに他ならない。
――――見つけられても取られちゃいけないよ。とられるとその日願った幸せの数倍になって不幸が訪れるの。見つけられても、自分で隠し直せば不幸にならずに済むんだって。
しかし、幸せのメリットがあるのなら、それ相応のリスクもあるというのもセオリ―である。少女たちは、そうして、広められた出どころのわからぬものを楽しむのだ。親しい人と人の共通の秘密として、少女たちに巡り巡っていく。表側では幸福という名の甘い蜜によって。それは、魔女が作った毒とも知らずに。
***
その朝は、異様だった。部活の練習の声もなく、静けさだけが残る校庭。みもりは、『今日の部活は中止です』というような連絡があったかな? と記憶を探るが、一つもない。生徒が登校していないというわけでもなく、玄関に向かう人影もいる。しかし、その者たちも変わった点が一つあった。いや、むしろそのたった一つの点こそが、朝の登校時間の異様な不気味さを醸し出していた。
誰一人として、無口である。
いつもなら聞こえてくる他愛のない世間話も、勉強の相談や、宿題についての会話や、部活の掛声もない。ましてや、内容不明なヒソヒソ話もしている気配すらない。皆、黙したまま、玄関に吸い込まれていく。なにか、お葬式? と勘違いしてしまうほど、沈黙がこの学校を支配していた。
みもりも、声を出せずにいた。一言でも発したら、皆ににらまれてしまいそうだ。
遠くから、榛名が見える。仲のいいクラスメイトを見つけ、安堵してみもりは、近づいていく。
「ハルちゃん、おはよう!」
すると、榛名はみもりを一瞥した後、また視線を足元に戻す。なにか、昨日の拒絶が続いているようにも見えた。表情は、ぼ―っとしたまま。
みもりも、内心、え、ちょっと冗談だよねと、狼狽しつつも、
「ハルちゃん、どうしたの? なんか、あった? 昨日、もしかして悪いことしちゃった……?」
とみもりは問うも、一向に榛名は答えてはくれない。
最初の一瞥以降、みもりが透明人間になったかのようだった。会話をしてくれようとしていない。みもりも、話しかけようとするが、何を話せばよいかわからないままだった。榛名も黙したまま、虚ろな目で歩みを進める。二人はげた箱で上靴に履き替え、教室へと。しかし、沈黙は二人の間だけではなかった。教室もまた、校庭と同じく異質であった。
入った瞬間、ある種の気持ち悪さをみもりは覚える。誰一人、会話をしていない。静かに自分の席に座って、机に目を向けたまま誰もしゃべろうとしていない。いつもの教室。いつものクラスメイト。そして、いつもの朝の時間で。
常日頃あったものが、変わるだけで、こんなにも世界が違うとは。
「え? 何……これ……?」
みもりの発言にも意にも介せず、榛名はカバンを置き、席につく。そして、周りと同じく視線を机に落としたままである。
なんらかの女子力の能力なのではと考え、目に女子力の気を流し込む。が、
「おかしい。こんなことができるのって、能力が働いていると思ったのに。気の流れがいつもと変わら……ない……?」
日頃、みもりはつい癖で、クラスメイトの女子力の働き具合を観察もしていたりもする。しかし、いつもの彼女たちの気の流れであり、普段の彼女らの女子力の流れそのままだった。
みもりも、慌てて自分の席に着く。何か息が詰まりそうだ。苦しい。どうしたものか。誰かが、入ってくる気配があった。ふいに、顔を上げる。
目と目があった。向こうはみもりに気づいたようだ。しかし表情も変えずその人は自らの席に着く。
「あれ……? もしかして……」と、みもりはさっきの視線に気づいた彼女へ寄る。
「湊橋さん……? おはよう」
「……おはよう……宮原さん。今日の教室は、静か……ね」
「うっそ、話できる?! よかったぁ」
「……。それがどうしたの……」
「あ、いや、えっと……ごめん」
みもりが話しかけたのは、この前の図書館で会ってお茶をした『黒い』少女である。彼女の名は、湊橋江梨華。彼女も、みもりのクラスメイトの一人。図書館の時のほどの、ゴシック調の雰囲気はないものの、ウェーブのかかったボブはあいかわらずのまま、化粧はうすく、その代わりに眼鏡をかけている。
普段は、静かに本を読んでいるタイプであり、積極的に何かにかかわることはせず、むしろ、一人で何かをしていることが多かった。そんな中、クラスで図書委員を選ぶときに自らを率先して立候補していたのは、みもりの印象に残っている。
この空気の中、会話できる人が一人でもいたことにより、みもりは安堵をしていた。
「なんか……、あったのかしらね……。皆、静か……」
「うん、というか、なんかあったのかな、レベルじゃない気がする。なんていうか、私達だけ、変な世界に迷い込んだような……」
「メルヘンね……」
「メ、メルヘン? って……! う―ん、そういうわけでもないような……」
「……私は、落ち着けていいけれど……」
「そ、そうかな……なんか、怖いよ……」
江梨華は、引き出しから出した本を読み始める。この状況に興味が無さげのようだ。
「……。抜け出したいなら……、校内を調べたら……?」
「えっ?」
すぐに、彼女は本に集中し始める。みもりは、聞き返そうとするも、
「お、今日はみんな、静かだね―」
とお気楽な声を発する、担任の櫻野先生が来たことにより聞けずじまいになっていった。