転移する理由が見つからない 079
完全に詰みの状況でささやかれる、観察者からの声。
絶望的な状況で、大慈はどんな答えを出すのでしょうか。
転移する理由が見つからない 079
「クソ食らえ」
恐怖に吐き気を催しながら、その幻聴へと吐き捨てた。
極力体重を一箇所に集めないように、身体を起こす。
壁だけではなく自分の身体も軋む音がする。
あちこちが痛んで、最早どうなっているのかも良く分からなくなってきた。
まるでこのマンションと一緒に、自分も粉々に砕け散るのではないか?
そんな妄想がよぎるが、手にした温もりにより現実へと帰る。
「死んでる場合じゃないよな」
俺が死んだら、彼女も死ぬ。
そんなことを認める訳にはいかない。
他人の命を、命懸けで助けようとするような女。
こんな良い女は、絶対に死なせない。
祈ったり願ったりで、今の状況が改善するはずもない。
もしそれで助かるのなら、何故この状況になるまで助けなかったのだと思う。
それが何かは知らないが、そんな奴を俺は信用しない。
少なくとも、俺にはそんな奴は必要ない。
遠くで声が聞こえる、そんな気がするが、無視だ。
崇めろだの、讃えろだの。
他人を舐めてる奴が、他人から敬われるなんてあるわけが無いだろうが。
そんな奴は、相手をするだけ無駄だ。
彼女を抱えて窓の外を見る。隣の家へ繋がるベランダは捕まるところなどなかった。
蹴破り壁はいつの間にか無くなり、室外機さえも無い。
まるで誰かが、助かる手段を潰しているかのような気がしたが、それでも諦めない。
壁が抜ければ、向こうに登れる。
壁まで近づくことが出来て、壊せて、抜けられる場所を探そう。
そう思いながら振り返ると、眩暈がした。
煙と熱が上がってきている。酸素が足りなくて脳がやられてきているのかもしれない。
耳鳴りに混じり、誰かの声が聞こえる。
俺が生きていることを、存在することを否定するような、強い呪いの声。
眩暈と痺れで動かなくなっていく身体は言うことをきかず、彼女に覆い被さるように倒れこむ。
頭を打たないように無理に抱えたために、身体が不自然な形で壁を打ち、痛みに顔が歪む。
呪いの声は止まず、まるで反響するかのように壁が、棚が振動する。
壁はヒビが広がり、棚は開き戸が壊れそうになっていくだけでなく、留め具が壁ごと剥がれつつある。
死ぬのか? ここで、こんな風にして?
こんな良い女を道づれに?
助けることさえ出来ないで!
そんなこと、納得出来るわけねぇだろうがっ!
人間、開き直ると強い。
火事場の馬鹿力というものもある。
腕も痛めた気がするし、出来るかはわからないが。
それでも俺は、他にはもう出来ないだろうから、覚悟を決める。
壁をぶち抜いて、落下する。
その瞬間に周辺状況を見極めて、助かる確率が最も高い場所へと彼女を投げ飛ばす。
全力で、助ける。
俺は、俺が助からないと、決めた。
身体の痛みとか死への恐怖とか、そんなどうでも良いものは無視だ。
グダグダうるさい呪いを呟く幻聴も、知らん。
最後に出来る全てを、彼女を助けるという一つに絞る。
動く気配の無い彼女を抱き上げ、立ち上がる。
壁を蹴り抜いて落下しようとした瞬間、その壁が砕けた。
絶望の中、大慈は彼なりの答えを出しました。
それが善意なのか、意地なのか、やけくそなのか。
それでも、彼は迷うことなく、答えを出しました。
果たして、その答えを証明することが、できるのでしょうか?