下っ端事務員は、引きこもり竜とぐーたら生活を夢想する
レイコウの朝の行動は、最早パターン化している。
目が覚めたら一番にすることは、ビン底眼鏡の装着だ。
これが無ければ、彼女はスムーズな行動が出来ないのである。
眼鏡の装着後、ベッドから這い出したら、カーテンを開け、同居中の黒銀竜に容赦なく陽の光を浴びせる。
「――むぎっ?!」
レイコウ作のベッド(と言っても、籠にクッションを敷いただけだが)で熟睡していた小型竜が奇声を上げたが、彼女は気にしない。
同居中のそれは、放っておけば、いつまでも起きようとしないのだ。
「……起きたくない。 まだ寝ていたかった……」
中性的な声の、悲し気な独白が聞こえてきたが、レイコウは無視した。
顔を洗って、化粧品で肌を整えれば、朝食の支度だ。
物ぐさなレイコウの朝食は、大体前日の夕食の残りに、パンを焼いただけである。
魔導式のコンロで、前夜のスープを温め、パン焼き機に一人と一匹分の食パンをセットする。
魔導式の生活用品にかかる魔石が必要なくなったことが、基本的に寝てばかりで、ニート上等生活を満喫している竜と同居する、最大の利点であった。
『――今日も、お出かけ日和となるでしょう』
魔導式テレビから流れる情報を聞き流しながら、黙々と口を動かすのがマツバ家の朝の食卓の風景である。
使用済みの食器を片付け、身支度を整えれば、レイコウは家を出る。
「行ってきま~す」
「今夜はカレーで」
同居竜の夕飯リクエストは、大概スルーだ。
ドアを閉めたレイコウを、爽やかな朝日が照らす。
青い空の下には、今日も白い壁がそそり立つ。
魔物と人の領域を分断する堅牢な壁は、そのまま人々を守ると同時に、その腕に囲い込んでいる。
――迷宮都市エリュシオン。
神の戯れである迷宮を抱え、そこから産出される魔石や生体素材によって潤っていた都市は、今やゆるゆると衰退の一歩を辿る。
錬金術と魔物の養殖技術の発達により、人工の魔石や合成素材が生み出されてから早数百年。
品質のばらつきが大きく扱いが難しい天然物の魔石や生体素材は、合成物に取って代わられて久しい。
勿論、完全に天然物が駆逐されたわけではないが、それらが使用される軍事向けの魔法具の需要など、民生品に比べれば高が知れている。
また、迷宮に潜り、魔物を狩る冒険者も、きつい・危険・汚いの3Kが揃った労働条件により、なり手が減る一方である。
停滞した平穏が凝る、白壁の箱庭。
その外壁を、古い古い結界で覆われた自宅の庭先から眺め、レイコウは最も普及した移動手段である転移魔方陣を起動した。
◆◆◆
癒しが欲しいと、レイコウは切に思う。
特に、職場のギスギス具合が極まっている時などは。
レイコウが就職したサニー商会は、天然の生体素材の販売・加工を行う、エリュシオンでは中堅どころの商会だ。
縮小し続ける市場にもめげず、存続し続ける老舗でもある。
そんなサニー商会は数年前に先代から代替わりし、その息子の若旦那が跡を継いだのだが……。
「――あ、忘れてた。 ごめんごめん、すぐやるから」
それ、十分前にも言ってたよね。
魔導式演算装置に伝票を打ち込みながら、レイコウは内心突っ込んだ。
男が通信機に何か言う度に、先輩事務員の機嫌が悪くなるので、正直勘弁してほしい。
同じ職場で営業を担当しているカンデと言う男性職員は、レイコウから見てツッコミどころ満載な仕事ぶりである。
それなりに大きな仕事をとってはくるのだが、段取りが甘く、自分の許容量以上の業務を重ねるせいで、何でもかんでも中途半端になりがちだ。
結果、とばっちりが行くのは、実際に素材を手配したり、加工を行ったりする業務部だった。
納期の数日前になって、カンデがその存在を思い出し、業務部は徹夜で納品したのに、納期に遅れたのが業務部のせいになっていたこともある。
カンデと言う男、矢鱈と弁が立ち、調子のいいことを言うので、若旦那のお気に入りである。
業務部の古株が抗議したら、カンデが逆切れして辞めると言い出したことがあったが、若旦那がとりなした結果、いなくなったのは古株の方であった。
何でだ。
業務部の中でも、特に難しい加工技術を習得していた彼は、離職後大手のライバル商会に就職できたそうだが。
良かったね。
でも帰ってきて。
真ん丸なお顔がチャームポイントだった貴方がいなくなってから、加工の客が減ったから。
……若旦那も若旦那で、何やら勘違いしている部分がある。
経営そっちのけで、色々な名誉職を歴任している若旦那であるが、周囲の人間達がヨイショしているのは大旦那の方だ。
現場からの叩き上げで商会の娘婿に収まった大旦那は、エリュシオンの中でも有益な人物であったらしい。
色々な人物がサニー商会に好意的なのは、大旦那が今まで積み上げてきたものがあってのことで、別に若旦那の功績ではないのであるが、その辺りをいまいち理解していない。
後、若旦那、資金繰りに必要なのは、売り上げではなく現ナマです。
カンデさんに、いつ支払いがあるのか、確認とらせてくださいよ。
――この商会、その内潰れるんじゃね。
レイコウはそんな事をかなり真剣に考えているが、口には出さない。
所詮は、下っ端の一事務員。
上の方に文句を言おうものなら、首を切られるのはレイコウの方である。
冒険者をしていた両親が家を遺してくれたものの、学歴無し技術無し彼氏無しの若い娘が、それなりに優良な条件で再就職をしようとしたって、そう簡単にはいかない。
仕事と言うのは、自己実現ではなく、金の為の手段だ。
内心愚痴を垂れ流しながらも、レイコウは冒険者よりもはるかに楽で、そこそこ実入りのいい職にしがみついていた。
要は、本気で危なくなる前に、退職金を貰ってズラかればいいのである。
職場への愛着が欠片もないレイコウは、完全に開き直っていた。
◆◆◆
気疲ればかりの職場から帰還し、レイコウはちまちまとアクセサリー作りをしていた。
レイコウは手先が器用で小物を作るのが趣味であり、作品をネットのフリーマーケットに流しては、小遣い稼ぎをしていた。
レイコウがアクセサリー作りに使用している材料は、同居竜がどこからともなく持ってくるナニカである。
常日頃から食っちゃ寝食っちゃ寝している引きこもり竜だが、一応役に立たなくもないので、レイコウは自称元邪竜を叩きだすのを保留にしている。
同居竜が持ってくるナニカは、鱗っぽかったり、牙っぽかったりするが、詳しくは知らない。
生体素材の流通には認可が必要になってくるが、自分で採取し加工したものについては、特に制限が無いせいだ。
さらに言えば、迷宮での魔物狩りは許可制だが、都市外の魔物に関しては実質野放しになっている為、レイコウは大して気にもしていない。
法律違反になっていなければ、別にいいのだ。
当の同居竜は、籠ベッドに寝そべりながら、娯楽番組を見ていた。
今のぐーたら具合では、本竜曰くはっちゃけていた邪竜時代の面影を見出せそうにもない。
先祖の形見であるオリハルコン製の小刀で鱗っぽいナニカを加工しながら、レイコウは一枚だけ買った宝くじが当たらないものかとひとりごちる。
そうすれば、レイコウも好き勝手にぐーたら生活ができるのだが。
レイコウとしては、趣味のアクセサリー作りで生計を立てられるならばそうしたいが、残念ながらそこまでの腕はない。
同居竜に感化され、大分駄目思考に傾いたレイコウは、未だ叶わぬ生活を夢想し溜息を吐いた。
――同居竜が持ってきた希少な生体素材のせいで、夢のぐーたら生活がさらに遠のくなど、その時のレイコウは知る由もなかった。