第14話 美浦へ送り出す
暑い盛りが過ぎて秋になりオリノコに来て約半年。
意思疎通も随分スムーズになったし、当初は俺らの言う事に半信半疑というかやらされ感があった様に感じていたが、色々と実績を積んできたので今は彼らにとっては新しい事でも意欲的に取り組んでくれるようになっている。
そしてオリノコ川から取水するオリノコ用水の開通日を迎えることができた。まだ色々と頼りない面はあるが生活用水と畑で使う水を川から汲んで段丘の段差を登らなくてよくなったのは嬉しい。
このオリノコ用水だが、貢物に随分な量の“ゆうぶにさんずい”を費やして文昭の力も借りたが基本的にはオリノコのみんなで造った。
“用水路を開削して水を引く”という彼らにしたらできるのかどうか分からない事でも取り組んで、一日五時間、休みは五日に一度という彼らには過酷な労働に付き合ってくれたお陰である。
一日五時間で休みは五日に一度を現代日本と比較して短いなんて思っちゃいけない。
元々彼らは日に二時間ぐらいしか働いていなかったのだから倍近い時間働いている事になる。“今までの倍働け”なんてどこのブラックだよ……まぁやってもらったのは俺なんだけど。
労働時間って実は産業革命の前後で大きく違っている。
一説によると狩猟採取社会や小規模な粗放農業の段階だと一日二、三時間ぐらいで、ポピュレーション・サイズ内だとそれ以上労働するとエネルギーを消耗するだけとかなんとか。オリノコは狩猟採取と極小規模かつ原始的な粗放農業段階で、一日の労働時間は二、三時間という説の通り二時間ぐらいだった。
自然の状態が維持されたまま百人が暮らせる恵みが得られるとしてそこに百人未満しか人が居なかったら、働きすぎたばあいに自然の再生能力を越える物を取得してしまい色々と拙いことになる。まあ人口は百人で頭打ちになるが。
人口をそれ以上に増やすには自然が破綻しない範囲で土地効率を上げて百人以上が暮らせる恵みを得る必要がある。
労働力や資本……要は人・物・金を投下して土地効率を良くする方法というのが集約農業と言われる物。種を播くぐらいはしても手入れも水遣りもせず放ったらかしの粗放農業より耕したり色々と手入れしたり肥料をやったりした方が収穫が増えるのは分かると思う。
実は集約農業になっても精々一日五、六時間ぐらいで、領主が“せめてこれぐらいは働けや”と出した数字は現代日本の法定労働時間(年間約二千時間)より低いぐらいだと聞いた事がある。物理的に働ける時間が日中だけなので必然的にそうならざるを得ないんだとか。明かりは高価な貴重品なので夜なべするのは全然割に合わず日の出前や日没後に働く事はあまり無かったらしい。
しかし産業革命以降の工場は夜に明かりを灯しても割が合う生産性を持ってしまった。持ってしまったので調子に乗って一日十何時間も働かせるなんて事になり……まぁ労働者は持たないよな。その後に“一日の三分の一を労働に、三分の一を休息に、残り三分の一を自分の為に”という感じの運動もあり『労働時間は一日八時間まで』という風潮で現代に至る。
善し悪しは別にして長時間労働はだいたい産業革命のせい。
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目の前に置かれた三つの篭に青紫色の円筒状の物体、大小さまざまな黒・紫・赤・青と色とりどりの球状の物体、赤いこじんまりとした団栗状の物体が盛られている。
一つ目のはアケビだな。次はブドウ系だと思うけど種類の判別が付かん。最後のは細長いミニトマトに見えなくも無いがミニトマトは有り得ないからたぶん違う物だろう。
分からない事は分かる人に聞くのが手っ取り早い。ちょうどお誂え向きの人物が歩いていたので聞いてみよう。
「美結さん、美結さん……これ何か分かる?」
「ん?クコじゃないですか。あったんだ」
「クコ?杏仁豆腐の上に乗ってる赤い奴?こんなだっけ?」
「ドライフルーツにしたのが流通してますから見慣れないかもしれないですけど干す前の実はこんな感じです。ま、生食はお勧めしませんけど」
「こっちのブドウ系は分かる?ノブドウかヤマブドウだとは思うんだけど、ノブドウは食べられないって聞いた事があるから」
「ノブドウも美味しくないだけで特に害は無いですよ。それと食用になる物としてはヤマブドウ以外にもエビツルもあります。でもこれがどれかと言われると……葉っぱや生り方とか見ればだいたい分かりますけど、さすがに実だけで特定するのは……先輩や美野里姉さんなら分かるかもしれませんが私には難しいです」
「だよね」
「今度採りに行く時に付いて行って確認します」
「よろしく」
これは何をしているかと言うと美浦への贈答品の検分。
遅ればせながら美浦に招待するのだが、贈答品がこれで大丈夫かどうか確認をさせられている。招待するのだから贈答品なんて必要ないと言ったんだけどそうもいかないらしい。いくら“ご遠慮せずそのままどうぞ”と言われても土足で上がり込むのは抵抗があるという感じなのだろう。仕方が無いので“食べ切れないぐらい取れた物”と指定したところ篭一杯の果実が並べられた。
美浦に招待するのが遭遇から半年も経っているのは幾つか理由がある。
一つはお互いの信頼関係を確立させる必要があった事。次にオリノコの生活基盤の構築を優先した事。更に美浦の受け入れ体制と移動手段を整える時間が必要だった事。最後に彼らの言い伝えでは山向うが一種の禁足地のような扱いだった事。
それと稲刈り要員の供出に合わせて見学させればという思惑も否定しない。
◇
「ハツ村長、積み込んでください」
この後にやらないといけない事があるので贈答品は問題ないという事にして、迎えに来てくれた小桜に積み込んでもらう。小桜を使うのは子供たちに長距離を歩かせるのは問題があるのと移動にかかる時間を短縮するため。
陸路だと道程が二十五キロメートルぐらいあって、進むことだけ考えて順調にいっても大人の足で七、八時間ぐらいかかる。実際には目印の再設定とか草刈りとか色々やりながらになるのでいつも十時間以上かかっている。夜明けに出発して日暮れに到着という感じ。
対して小桜を使うとオリノコからなら下りなので水口や芦原口まで一時間強を見込めば着ける。そこから美浦まで歩くとして合計三、四時間もあれば美浦まで十分たどり着ける。戻りもプラス一時間ぐらいで済む。
「第一便の人は乗り込んでください」
第一便は総勢十九人。第二便が十八人だから丁度半分。全員が空けるのもなんだというのと小桜の収容人数もあるので二回に分けている。
オリノコ派遣班も第一便は黒岩さん、吉崎さん、伊達くん、大林さんの四人で第二便は本田さん、赤坂さん、坪井さん、美結さんと俺の五人に分割して美浦に赴く。
「……十七、十八、十九……OKです」
「黒岩さん、頼みます」
「おう、任せとけ」
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第一便を見送って昼食をとった後、本田さんと赤坂さんと坪井さんの三人と面談する。オリノコ派遣班の第二便から美結さん以外という形になるのだが、美結さんがサツマイモと蕎麦の収穫目安の確認をしておきたいと言って畑に行ってしまったので三人に談話室に来てもらう。
黒岩さんと本田さんのコンビ、それと赤坂さんと坪井さんと吉崎さんのトリオは基本的にはそれぞれ組として組み立ててきたのだが今回は一便と二便に分割した。その理由というのが……
「前提としての確認なんですが、お三人は男女の関係にある」
「…………」
「そしてお二人とも妊娠の兆候がある……という事でよろしいですか」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取ります」
「すみませんでした」
「別に謝る必要はないですよ。お三人の間でこの関係が納得されているのであれば、お三人の関係についてはとやかく言うつもりはありません」
どっちがどうとか、誰のせいとか、時系列はこうでとかはこの際どうでもいい。三人とも二十歳をすぎた大人なんだから、ちゃんと合意があって他の人に大きな迷惑を掛けないのであれば何をしようがかまわない。正直に言えば三角関係から刃傷沙汰にならなかっただけマシだと思う事にしている。
子供は望んだからといってできるとは限らないが、健康な若い男女同士なら望めば結構な確率でできる。八割か九割ぐらいだったかな?そして望んでいなくてもそれなりの確率でできる。避妊具が無い現状では言うまでも無く“やればできる”といって過言ではない。
それぐらい言われるまでも無く知っている筈なので“どういうつもりで子供ができるような事をしたんだ”など言うのも馬鹿らしい。
オリノコ派遣班には赤坂さんと坪井さんのケアするリソースなんて無いんだから、それらを踏まえた上で事に及んだのであればそれでいい。それでいいんですってば。
「ただ念の為の確認ですが、お三人で何とかして三人プラスお子さんの食い扶持は確保してくださいね。栗原さんと状況が違いますから援助や配慮は無理ですよ」
「えっ」
「えっと言われましても、妊婦二人を抱える余力はオリノコ派遣班には無い事ぐらいは分かりますよね? 無理してやるとするなら他の人の負担が増えるのですが、理解を得られると思いますか? 自己責任の度合いと援助への理解のハードルは比例します。これが誰かに強制された結果とかならまだ理解も得られると思いますが、今回のケースではそれなり以上の自助努力をした上でそれでも足りない分だけとかでないと理解は得られないと思うのですが如何でしょうか」
「それは……」
「それと無条件で援助はできませんよ。援助を受けるという事は支援者の言う事を聞くという事です。例え支援者が始めは見返りなんて要らないと思っていてもそれを当り前と思われると支援する気が失せます。ですから“援助は受けるが好きにする”は許しません。オリノコの人たちは私たちから援助を受けているので、基本的に彼らは私たちの言う事に従っています。それまでの自分たちのライフスタイルを変えてまで私たちの意向に沿おうとしています。それが援助する者とされる者の姿です」
「何それ芹沢さんが言ってたのと違う」
「赤坂さん、芹沢が言ったのは“援助を受けるオリノコの人たちはこちらの言う事に逆らえない。だからこそ傲慢になるな彼らに無茶を言うな”って事ですよ。援助や保護を受ける者は支援者や保護者の言う事を聞かないといけません。聞きたくなかったらその者からの援助や保護を受けなければいいのです。オリノコの人たちは“何でも言う事を聞くから助けてくれ”と言いその通りにしています」
「理屈は分かりますが……」
「ご理解を得られて何よりです。その上で今後どうするか考えてください」
「…………」
「まあ、私も鬼ではないので少し助言を。美浦ならオリノコにいるより諸条件は良いでしょうから戻るのはどうですか?」
「いいんですか?」
「オリノコの人たちは相当な自助努力をしています。援助が不要になるのも時間の問題でしょうから大丈夫ですよ。それに妊婦さんに暖房も防寒も備蓄も劣るオリノコに居ろというのは死ねといっているような気もしてますので……まあ、残っても良いですし戻っても良いですよ。どうするかは三人で決めてください。残る場合は他のメンバーが納得できるものを用意してくださいね」
「……はい」
「私からの話は以上です。それと老婆心ながら……戻るなら今度の美浦行きに合わせて引越しするのも手ですよ」
三人を美浦に戻すのは将司と雪月花に相談済みの落し所。
三人で話し合う時間も必要だろうという事で畑に向かう。
「話は終わりましたか?」
「気を使わせてごめんね。こっちの言い分は言ったけど、基本ダンマリだからどうなるかは分からんけどね……ただ予定がだだ崩れで頭が痛い」
「参考までにどんな予定だったんですか」
「現行の体制で後一年持たす積もりだったの」
「じゃあ想定外の事態って事?」
「くっつく事自体は想定してたけどね。こんな早くに二人も妊娠するとは思わなかった」
「……イチャコラするのは想定してたんだ」
「可能性が高いかなって程度だけどね」
半年前に雪月花が立てた筋書きに近いこの状況に対する率直な思いは“やっぱりこうなったか”と“ちょっと早すぎね?”と“雪月花怖い”というもの。
「サツマイモと蕎麦は戻ってきてからで十分だよな?」
「ええ。見るまでもなく」
「それじゃ鶏小屋の最終確認して戻りますか」
「来るの白レグでしたっけ」
「うん。やっと育ったんだって。抱卵させるのと雛用の餌に色々苦労したらしい。生産ロットの都合で十二羽って言ってた」
黒岩さんの要望の雌鶏六羽は諸般の事情で卵用種の白色レグホーンの雌鶏が倍の十二羽となった。純粋に卵用で雄鶏がいないのは繁殖を考えてないから。
家禽化が相当進んでいる品種なので育雛には人の手が不可欠だとかなんとか。なので育雛は美浦で行って幼鳥か成鳥の段階からオリノコで飼育という形をとるという事になった。
「じゃあ結構使えますね。スクランブルエッグ頼んでいいですか?」
「何故にそんなものを」
「佐智恵姉さんが絶品って言ってたから」
「カシコマリマシタ」
鶏小屋に向かっているとハロくんが来てハツ村長が呼んでいると。
ハテさんらが団体で訪ねてきたとの事。
「鶏小屋は明日にしましょう。夕御飯を何か適当に作ってきますね」
「ありがとう。あっ、手掴みかトングで食べられる物にしてね。そうじゃないと食べられないと思うから」
「……そうでしたね。もうすっかり忘れてました。それじゃあ串焼き系にしますね」
オリノコではお箸で食べる文化が浸透してほとんどの人がお箸を使えるようになっている。