第10話 クズ
ハテさんは名残惜しそうにホムハルに戻っていった。
もっともあの感じだとまた来そうな気がする。
彼が特に興味を示したのが稗の黒蒸し法と風呂と竃だった。風呂は難しいだろうけど、竃と黒蒸し法はなんとかなるかもしれないから頑張って欲しい。
黒蒸し法というのは、稗の精白(籾殻や糠を取り除く作業)方法の一つで、一昼夜ぐらい水に浸け込んでから蒸して、それを乾燥させて精白するという二度手間とも思える方法。実は稗は籾が硬くて滑るので米や麦のように摺っただけだと中々籾殻が取れないので一度蒸して実を膨らませて皮を張り裂いてからという訳。
そういう方法があると知っている上で、蒸すという調理(?)ができて初めて実現可能な方法ではあるが、超絶技法がある訳でもなんでもない。
ホムハル起点での他集落の反応は一旦は待ちといった感じなので、今は今後のためにできる事をしようと思う。
という事で取り掛かったのは繊維収集。
色々と縛ったりしないといけない物もあるから縄や綱は必要なのだが、糸一本であってもここには糸屋はないので簡単に手に入る代物では無い。麻や綿といった繊維は他の用途があるし収穫時期はまだなので今は作れない。
明るい美浦の合言葉『無ければ作れば良いじゃない』の精神に則り、目を付けたのがグリーン・モンスターことクズ。
クズは葛という漢字が当てられていてカズラ・カツラとも言われることがあるが、カズラは蔓とも書きツルとも読める事で分かると思うがツル性の植物全般を指すことが多い。かずら橋はサルナシというマタタビやキウイの仲間のツル植物で作られている。現存している物は安全の為にワイヤー製の吊橋にサルナシで装飾している状態らしいけど。
葛はその名に反して有用なのは有用で、肥大した根は生薬の葛根湯の主原料だし、根からデンプンを取り出せば葛粉だし、葛粉を水で溶いて加熱してゲル化させた物は葛切りと言うので、このあたりは聞いた事があると思う。
現代では廃れてはいるが葉や茎は草食動物が好んで食べるので飼料としても使われていた。
もっとも語源は葛粉の名産地が国栖という地名だったからという事らしいので屑とは関係がない。
この葛なのだが、マメ科の植物なので荒れ地でも育ち、繁殖力と拡散力が非常に強くて北米ではグリーン・モンスターと恐れられ侵略的外来種に指定されている。
有用に使われている内は適度に刈り取られるので問題はないのだが、使われなくなると旺盛な繁殖力と拡散力が牙を剥く。街中でも放置されている所では電柱や電線まで覆い尽くされているのを見かける事があるぐらい。
これは竹にも言える事だが、旺盛な繁殖力は有用に使われている内は資源回復が早いので利点になるが、使われなくなるとね……
実は葛の茎というか蔓から繊維をとる事ができる。
その繊維で織った布を葛布といい、実は古くから使われていた。日本最古の葛布は古墳時代だったかな?
江戸時代の武士の礼装である裃にも使われていた事もあるらしいから、遠山の金さんや大岡越前も葛布を着ていた可能性はある。
何が原因かは知らないが、江戸時代には遠江ぐらいしか産地がなかったそうで、現代だと知る人ぞ知る布だと思う。
梅雨頃から盛夏にかけて微速度撮影かと思うぐらい伸びてくるのを刈り取って繊維を取り出す事ができる。つまり、ちょうど刈り取りの季節がやってくるって事。
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「こいつが葛です。鎌で根本を切ります」
五人ばかし連れて刈り取りに取り掛かる。
葛が生えている場所は美野里から聞いていたので探す手間はない。オリノコ川をちょっと下流に行った左岸(対岸)の土手に生えている。
刈り取る葛の理想を言えば、今年のびた三メートルくらいあって真っ直ぐ伸びた緑鮮やかで産毛があるものといったところだが、今回は繊維が採れれば良いと割り切って気にせず刈り取ることにする。一説によると葛粉を採った絞りかす――つまりは根っ子――からも採っていたという話も聞くので、衣類にした際の見た目や品質に拘らなければ構わないだろう。
「刈り取ったら、こういう感じに丸めてください。葉っぱはこっちの籠に入れてください。ただ葉っぱは無理に取らなくてもいいです」
繊維にするのだから折ったり切ったりはしない方が良いのでリースのように輪っかにする。それと葉は緑肥か堆肥か腐植土あたりにしようと思っている。それと後続処理の処理能力もあるので今日の作業の分量も指示した。筍の轍は踏まない。
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「お湯はもう直ぐ沸きます」
「ありがと。時間の読みが良いねぇ」
伊達くんと大林さんがファイヤー・ピットでお湯を沸かしてくれていた。まぁ出しなに頼んでおいたんだけどジャスト・イン・タイムだった。
採った生の葛は直ぐに二十分ぐらい煮る。鍋がそれほど大きくないので直ぐに煮れない分は水に浸しておいておく。
煮ていくと緑が濃くなりマメ科繋がりなのか枝豆を茹でているのに似た匂いが漂いだす。更に煮ていくと緑が抜けていって黄色っぽくなる。これが煮上がりの合図なので取り出して水に浸けて冷ます。これを繰り返して今日の収穫分を処理する。鍋の大きさが処理能力のボトルネックなんだ。
刈り草を敷いた上に煮た葛を並べて上からまた刈り草を被せて適当に石を乗せれば今日の作業はお仕舞い。刈り草のお布団の中で発酵が進むという案配だ。
俺が習った方法だと、刈り草の上に菰を被せてその上に重しの石を乗せるのだが菰がないから省略する。また発酵させるやり方は何通りもあるらしく、穴を掘って室にするとかもあるそうだ。
「今日の分はこれまでです。お疲れ様です。ありがとうございました」
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発酵させていた葛を触ってみるとヌルッとした感触がする。表面には白いカビのような物も生えている。正直に言うと余り気持ちの良い物ではない。しかし、表皮を腐らせて剥離するのが目的なので発酵具合としては悪くない。
発酵には五日ぐらいかかるので、近辺に発酵させている山があと四つある。発酵具合を確かめたのは初日に刈り取った分。この時季は、葛もそうだが雑草も旺盛に生長するので材料には事欠かない。
「こんな感じになったらこれを洗って表面の皮を取ります」
率先垂範という事で、オリノコ川に入り川の水で表皮を剥ぎ取っていく。
「表面の皮を取り終えたら、ここを掴んで引き抜きます」
表皮を剥がして中心の木質部も引き抜いたら手に残るのは靭皮だけ。広義の麻に当たるので使用するのは大麻と同じく靭皮の部分。靭皮というのは外皮の内側にある柔らかい部分のことで甘皮とも言われるが、この靭皮にある繊維質の部分は強靭で長くて軟らかいのでよく利用される。
大麻、黄麻、亜麻、苧(紵・苧麻・青苧・山紵・真麻など別名が多い)などの靭皮繊維は糸や布や縄などに利用されるし、楮や三椏のそれは和紙の原料である。
「残ったこいつを水で洗って干します」
後日の工程ではあるが、乾かした靭皮を二ミリメートルぐらいの幅に裂いて、先端部分と根元部分を機結びして長い糸にする。
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できた葛糸は各家に配ったので、各家で葛布を織っている。
織機がある訳ではないので布になるまでの時間は掛かるだろうが麻を織っていたので織りはできる筈。
ざっくりとした計算だが、服を一着作るのに五日分ぐらいの葛を必要とするだろうから、五家ある各家に一着分を配分しようと思うと原料供給に一ヶ月ぐらい掛かることになる。葛の刈り取りは二ヶ月弱はできる筈なので歩留まりとかを考えても一家に一着は当たるだろう。
織る方も手織りなので一着分の布を織るのも一ヶ月以上は時間が掛かると思う。
昔は服が非常に高価だった理由というのが、一着分の布を織るだけで一人一ヶ月以上かかるという事。織るのだけでもそうだが製糸、染色、縫製などの労力も加味すれば、服一着の製造原価は二、三家族が一ヶ月暮らせる位の金額……つまり月給三ヶ月分ってことになる。製造原価でこれだから流通コストなどを乗っけていくと半年の収入に近くなる。動物の革は織らない分労力が少なくて済むので、綿のシャツより革のコートの方が安いという事もありうる。
現代で言えば自動車を買う感覚に近いかもしれない。いや余剰生産力から考えるともっと高いかな?つまり新品の服は一生の内にそう何度も買えるような代物では無いという訳だ。布が安価になったのは自動織機や紡績機などによる機械化・工業化の影響が大きい。日本最大級の会社の基礎は自動織機であったのは興味深い。
だから一年で一家に一着分あれば十分だと思っていたのだが、十センチメートルぐらい織り上がった頃、彼らの目の色が変わった。これまで作っていた麻布と異なり凄く綺麗なのだそうだ。
ハツ村長を先頭に“どれぐらい糸にできるのか”と前のめりの状態になっている。糸にまでしておけば、織るのはいつでも良い訳か。なるほどな。
ただ、煮る作業がボトルネックになっているので五割り増しぐらいが限度と思うので、そう回答しておいた。
◇
この葛布ブーム……正直に言うと計算外です。
そしてホムハルのハテさんが再訪したとすると面倒な事になるかもしれない。筍採りの時のボーンヘッドとは異なるが、やってしまった感が……
いや待て、そもそも何で葛だったっけ?
……思い出した。主に土木工事用の縄だった。
おいおい、縄なら葛の蔓をそのまま撚って縄にすりゃよかったじゃん。それに葛じゃなくてもツル性の物ならたいてい使えるってのに、何でわざわざ葛にして更に布にするんだ?そんな必要なんてどこにも無い。というか縄という目的に合ってないじゃん。
縄が無いからツル性の植物で縄を作ろう。
近辺に葛の群生地が有った筈。
葛といえば葛布とかあったな。
そういや麻の糸や布が枯渇してるんだっけ?
葛布で凌げば良いんでね?
思い返すとこんな思考の遷移があったと思う。
葛布を思い出したのがターニングポイントというかここで脱線したんだな。
目的の為に手段を考え、その手段で実現できる別の目的に気を取られ、本来の目的を忘れる。
俺はアホの子か!