第3話 待ちかねた
一時的な建物に檜を使うのは正直なところ勿体無いと思わなくもないが、これには一応の理由がある。檜は日本の固有種で昔から神社仏閣や主要な建物に使われてきた。
日本書紀でも素戔鳴尊が“宮殿は檜で造れ”と命じている。樹木の起源と利用について、スサノオが自分の体毛を撒いて樹木とし、杉と楠は船に、檜は宮殿に、槙は棺に用いるよう指示し、その他にも多くの種類の木の種をまいたとある。神話の是非や信憑性はともかくとして、船を杉や楠で造るのも檜で建物を建てるのも槙で棺桶を作るのもそれぞれ理に適った面がある。
檜を建物に使うのは科学的にみても正しいと思える。
普通の木材は伐った後は強度が落ちていくものなのだが、檜は伐った後に徐々に強度が増していく。一番強度があるのが伐採してから二、三百年後ぐらいでそこから強度は落ちていくが落ち方は非常に緩やかで伐採時の強度まで落ちるのに要する期間は千年はかかるという研究もある。つまり法隆寺に使われている檜の強度は創建時の強度とほとんど変わらない状態という事になる。
修復に携わった宮大工が、他の樹種で造られた部分が腐りきって触ったら崩れるような状態になっていても、檜は壮健で鉋掛けしたら芳香が漂ったとか瓦を除けたら反り戻したと言っていたらしい。
伐採直後の強度で見るならば欅の方が檜より何倍も強く、檜に逆転されるまで五百年ぐらいかかるらしいのだが、記紀が編纂された奈良時代には“宮は檜”となっていてそれは“神様(素戔鳴尊)がそう教えたから”という事になっている。飛鳥時代の法隆寺が檜製である事から知識人や大工には檜の特性は常識だったのかもしれないが、素になった神話・伝説は五百年どころか千年後を見据えていた事になるし、どうしてどうやって分かったのかなど畏敬の念を抱かざるを得ない。
強度の他にも檜には良い芳香があって気休めに近いが防虫や抗菌効果がある。気休めと言ってもキノコの培地に檜のおが屑が混入したらキノコが生えないとか、檜林には虫がいないから鳥も来なくてバードウォッチングできないとかという話は聞く。
ヒノキチオールという樹木香のある香料や抗菌剤の原料になる物質が関与しているらしいのだが、実はその名に反して檜には少量しか含まれていない。
近縁の台湾檜から初めて抽出されたのでヒノキチオールと名付けられてはいるが、日本だと近縁種の翌檜(明日檜・檜葉とも)の方がヒノキチオールを豊富に含んでいる。青森ヒバの俎板とか聞いた事があると思うが、科学的な裏付けはある。“明日は檜になろう”から“翌檜”という俗説があるが、ヒノキチオールに関して言えば翌檜の方が檜の何歩も先を行っている。
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今後の為に伐採方法は伝授するけど森林保護も同時に伝授せねばと思っている。木は育つまで長い年月を要するから自分が植えた木が使われるのは早くて子や孫の代であり自分が使う事はあまりない。
日本列島は世界的にも植生の再生が早い地域で再生可能な範囲で適正利用できる環境にある。しかし、いくら再生が早いといっても再生する量より多くの消費をすればいずれ枯渇してしまう。このオーバーユースの状態は世界各地で太古の昔から続いている。
日本でも飛鳥時代に伐採の禁令がでているぐらいで、伊勢神宮の式年遷宮に使う檜は伊勢近郊や畿内で採れなくなったので現代では木曾から採っているとか、本来なら樹高二十メートル胸高直径五十センチメートルに達する立派な高木になるヤブツバキが精々十メートル程度の物しか無いというあたりでもオーバーユースが確認できる。
日本でこの森林のオーバーユースが解消されたのは、広範に化石燃料が使われだして以降、つまり日本で一番森林面積が少なかったのは江戸時代末期だったりする。
『木を使え。だが使い過ぎるな』
別に矛盾していない。過ぎたるは何とやらだからな。
美浦では恵森を十区画に区切って十年で一回りとし、区画内の伐採数はできれば一割、使っても二割までというルールにしている。そうすると樹齢五十年以上の木を継続的に確保できる。実はこの方法は昔の里山の管理方法を真似ただけで目新しい手法ではない。
この方法はオリノコでも採用する積りでいるし必須だと思っている。オリノコは三五〇ヘクタール近くの森林を焼失しているのだから焦眉の急とも言える。
焼け跡の全域に植林するのはリソース的に無理だが麓側には手を入れるし、可能な範囲で種蒔きもしようと思っている。高山などで植生限界を超えているならともかく、そうじゃない場所に植生の無い斜面があるって凄く怖いのよ。これから梅雨を迎えるだけに土砂災害とか考えてしまう。
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「根元のここらへんを持って折るように引っ張るとこの様に採れる。簡単だろ?曲がるだけで折れない奴は灰汁が強いから採らないように」
長さ三十センチメートルぐらいの採った筍を手に説明する。
現代日本からすると季節外れに思える梅雨直前だが筍採りをしている。こんな時期にって顔をしているのが美浦組で、そもそも食べられる物なのか分からないって感じなのがオリノコ民。
仕方が無い。
皮を剥いて皮を俎板代わりに細切りにして齧ってみせる。
うん、美味い。
「あら、結構いけるじゃない」
「ケラァ」
初めは恐る恐るだったが一度口にしたら次々に手が伸びてくる。気に入ってくれたなら竹林の増殖防止と食料確保ができて一石二鳥というものだ。
現代日本だと市場に並ぶ筍は孟宗竹の物なので採れるのは春であり地上に顔を出すか出さないか辺りの物を掘って収穫するのが普通である。しかし、ここにあるのは真竹という種類の竹で、筍を出すのはこの時季になるし孟宗竹より地下茎が浅いので地面を掘ることなく地上部だけを採ればよい。
地上に四十センチメートル伸びているぐらいまでは全体が食べられるし、一メートルぐらいまで伸びていても穂先の部分なら食べられたりする。
だから多少大きくなっていても鎌なんかで刈れば良いんだけれど、真竹は別名で苦竹と言われていて育ちすぎたり収穫から時間を置くと急激に苦くなってしまう。若い物の採れたてなら生でも美味いんだけどね。そこで手で折ってみて折れればOKで折れなかったら時機を逸したという判別法を使う。真竹は一日で一メートルとか伸びるので一時間か二時間の差で食べられるかどうかが決まってしまう旬の短い食べ物ではある。伊達に竹冠に旬と書いて筍というわけではないのだ。
食べられるとなると現金なものであちらこちらから出ている筍目指して散っていき、それぞれ何本も採ってくる。中には一抱えぐらい採ってきた欲張りさんもいた。
採ってきた筍は半割りにして皮を剥いて塩茹でにする。一回で食べきれる量だったらそのまま調理してもいいんだけど、そうじゃなかったら茹でて灰汁抜きしておかないと厳しい。それと灰汁抜きしてから乾かせば多少は日持ちもするし。
こうなったのは一回で食べ切れる量とか一人三本までとかに制限しなかった俺が悪い。明日からもにょきにょきと生えてくるだろうから暫くは筍月間になるのかな?食える分だけ採るという事と、色々危険もあるから一人では行かないように言い聞かせなくては。筍が好きなのは人間だけじゃない。猪や熊も筍や笹の子は大好物なのだから。
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待ちに待った家屋建築のため匠がやってきた。
「待たせたな」
「待ちわびたぞ。檜の準備できてるぜ」
「東屋は建てたんだな」
「竃周りだけな。火は絶やしたくない」
時季外れだが間引きの為に伐った竹を使って竃に屋根を掛けている。なんちゃってなので普通に雨漏りするやっつけ感あふれる代物だが。
「すまんが桐油は使わん」
「分かってる」
桐油というのはアブラギリの種子からとった油の事。有毒物質を含むので毒荏とも呼ばれるのだが木材の保護剤としての用途がある。他にも昔は灯火の燃料としても使われていて現代ではバイオディーゼルの原料にも。
乾性油といって空気に接すると酸化して完全に固まる性質が桐油にはあるので、木材に塗ると撥水性を発揮するし艶も出る。重ね塗りしていけば防虫効果も期待できる天然の防腐剤としても使える。
冬の終わりから春にかけて採ったアブラギリの種子で作った桐油だが、船舶と恒久住居に使用する分を確保するのも怪しいって感じなので予定外でろくすっぽ乾燥させていない木を使う今回は桐油を使わないのは妥当な判断といえよう。使用想定年数からいっても勿体無いし。
現状の木材の防腐処置は屋内用なら漆塗りがあるけど屋外だと柿渋を塗ってその上から桐油を塗るってあたりが関の山で、後は焼いて表面を炭化させるあたりか。
関西以西には焼杉とか焼板とか言って杉の板材の表面を炭化させる方法がある。聞いた話だが焼板を使うと火災保険の保険料が凄く高くなるのでほとんど見かけなくなっているとか何とか。言っちゃなんだが炭化層って炭だから燃え易いよね。
本式では板を組んで煙突状にして中を燃やすのだが、バーナーで炙る簡易版や黒系や茶系の塗料を塗る見てくれだけの物もあるらしい。
「今回は間に合わせだから良い物は森に残してある。まぁ見てみてくれ」
匠に檜の検分をしてもらう。
質と量のどちらも判断しかねるんだよな。
願わくば足りていて欲しい。
◇
「何とか足りるだろう。最悪階高と内装の方で調整する」
伐って運んで皮を剥いだ檜丸太群を点検し終わった匠がOKを出した。
「玉切りせず持って来るのは大変だったんじゃないか?」
「どの長さで切りゃいいか分からなかったから男手を総動員して丸まま持ってきた」
「お陰で何とかなりそうだ。柱の穴は東西に柱芯で三間(約五.五メートル)間隔で四本、南北は三間半(約六.四メートル)な。後、東西の中二本は一間外側に張り出しも頼む」
簡単な設計図を示されながら説明を受ける。一度見ているが建材如何で変更もあるから色々と確認も行う。
東西が約十六.四メートル、南北が約六.四メートルの長方形の建物が基本で真ん中は外側に約一.八メートルほど出っ張っている高床の平屋という物。二十五メートルプール並の出端屋敷と比べると一周りも二周りも小さい。ちゃんと学習してくれたようだ。
「一人三畳もないけど我慢してくれ」
「分かってる。皆も“ビジホと思えばどうってこと無い”ってさ」
「ビジホと言ってくれるか。ネカフェと言われるかと思ってたから」
「どっちにしろ今のテントよりは何倍もマシだって。ずっとならともかく仮住まいだからな」
役割分担とかの話し合いは特に要らない。俺が思ってることは匠も思ってるだろうし、匠が考えてることもだいたい分かる。一々確認するまでもない。