第2話 第一先住人発見
支流も十分な水量があるので雪風で上っていく事にしたが、小一時間ほど上ると時たまオールがつかえるようになり漕ぐのが厳しくなってきた。川幅はあっても水深はそれ程無いという感じ。
「棹で進もうか」
漕ぐのが窮屈なら川底を水棹で突いて舟を進めればいいじゃないってことで俺はオールから水棹に持ち替えて船尾に移動する。
水棹で舟を操るのはこれはこれでコツが必要で、水棹を強く握り過ぎると舟が動くと水棹に引き摺られて身を乗り出す形になってしまい下手すると舟から落ちる。初めてやるなら座ってやった方が良いし、最悪水棹は手放してもいい。そして欲張らない事。経験者は語るだよ。
そろそろ小休止かって頃に、山火事の全貌が見えてきた。
麓から中腹にかけて目算だが幅一キロメートル、奥行き三キロメートルぐらい燃え広がっている。
火災発生が一昨日の午後だとすると二昼夜ってところか。北風は収まっているし、平山は片側だけ急峻な片峠らしく、こちら側は緩斜面といった感じなので美浦側に延焼する可能性はだいぶ低くなった。
「人がいる」
岸本さんの指差す方を見てみれば、確かに三百メートルほど先の河岸段丘か自然堤防のような微高地に人影が見える。
ついに第一先住民発見。
それと、幸か不幸か山火事帯の扇の要あたりに位置している。
何らかの事情を知っているんじゃないかな?
「雪風は一旦係留するぞ」
雪風を岸に着けて流されないよう係留して荷物を降ろす。
「残すのは雪風用の装備、食料は一日分の十五食でいい。後は持って行く。それからデジカム……岸本さん、お願いできる?」
デジカムを取り出して頷く岸本さん。
せめて「はい」とか「了解」とか「分かった」とか「任せて」とか言おうよ。
「ライフルは文昭……念の為装弾しといてくれ。エアは……美野里」
「一平ちゃんのがよかない?」
「分かった。安藤くん、エアの方は頼む。そっちは装弾はしなくていい」
ライフル銃は弾倉から素早く薬室に装填できるし、薬室に装填した後でも不発弾を取り出せるよう薬室から弾を抜けるようになっている。しかし、エアライフルは装填したペレットを抜き取ることは構造上できないので、一度装填したら発射するしかなくなる。
「先陣は私が切るよ」
そういって美野里が歩き出し、俺、安藤くん、岸本さん、文昭の順についていく。
荷物は大物を文昭が、その他は俺が背負う。文昭は背中の荷物に加えてライフルってどこかの陸戦型を彷彿とさせるシルエットだな。
◇
「どうもぉ、どうも、どうもぉ」
掌をひらひらさせながら笑顔で美野里が声をかける。
向こうだって当然こっちが近付くのが見えていた筈だし、敵意が無いという意思表示は必要。ジェスチャーが合っているかは分からんけど。
ざっと見たところ竪穴住居と思しき物体が六基――屋根が草むらになってるけど――と高床の建物が三基ある。
人数は子供も入れて二十の半ばぐらいで、十数人の顔には入れ墨らしき文様がある。鼻を中心に頬にかけて翼を広げたような文様が多い。女の方は非常に似た文様だが、男の文様は様々で、若い男は女と似た文様だが男には統一性が見られない。
麻製と思しき貫頭衣っぽい衣類をまとっている。ただし、汚れているのか何なのかは分からないがかなり茶色っぽい感じがする。それと臭い。獣臭いというか何と言うか……
「みなじがどこのムラくる」
代表なのか老婆に近い女が尋ねてくる。
『見た事が無いがどこの集落から来たのか』って感じだな。
これで意思疎通は……駄女神仕事しろって違うか。これでもまだマシか。
「我らはあの山の向こうから来た」
ジェスチャー交じりで答えると強い怯えの表情が走った。
いや、元々怯えてはいたんだ。
この集落の住人たちは総じて背が低い。ざっと見る限り小学生から中学生ぐらいの背丈。大半は一四〇センチメートル前後で高くても一五〇センチメートルぐらい。
対してこちらは一番背の低い岸本さんでも一五五センチメートルぐらいあって一番でかい文昭は二メートルある。頭一つどころか三つも四つも高い。文昭と並ぶと大人と子供に見えると思う。
彼らからすれば『巨人族到来』な状況ともいえる。
「帰らじ 言わじ」
帰って来ないと言った。
……何それ?分からん。考古学なら匠なんだけど、これって文化人類学だよな。
「サカ 言わじ ケレが死じ ケレがゴマ 山のとうに バチじ …… 風がタクセじ 地がゴソじ ほむらがアメに ケレがアーバじ …… わわがのなじ 死じ ムラサキ 山のとう はぐじ かえらじ …… 我がおりのこじ そ オリノコのムラサ …… オリノコのサナ 言わる」
増々持って分からん。ビデオには取れているから後からゆっくり考えよう。たぶん何か災害の伝承だろう。そんで平山の向こうから帰ってきた者がいないって事か。どれぐらい前の話なんだろう?
――――
後で解読したのだが「サカが言うには、太陽が死んで、太陽の破片が山の遠く(向こうという事つまりは美浦のあるあたりだと思う)に墜ちた。風が吠えて、地が震え、焔が天に(空を焦がすほどの火柱か?)、太陽が産まれた。我々の多くが死んだ。(時の指導者の)ムラサキが山の遠くに赴いたが帰ってこない。我が居残った。それゆえ、オリノコのムラサ(たぶん、完全な指導者がムラサキで次善なので一音削ったのだろう)という指導的立場になった。オリノコのサナが述べた」という事のようだ。
――――
「アヤ言わねる ハモン 去りね! ハモン 去りね!」
長老の娘――後で確認したら初めに話していたのが先代で割り込んできたのが当代の指導的立場の者との事――が割り込んできて喚き立てた。娘といってもいいおばちゃんだけど。
入れ墨してないから未成年か所属不明って感じなのかな?
だけど出火原因を知ってそうなんだよなぁ
何かピジン言語っぽい単語の羅列になるけどしょうがない。
「火 誰 我 怒る」
迷惑って概念の良い言い回しが思い付かなかったから怒るとしたけど別にオコじゃない。
すると彼ら全員が割り込んできたおばちゃんを見る……あぁ彼女が原因なのか。
「風 火 広がる 何 風 強い 点ける 何」
ジェスチャー交じりだけど伝わるだろうか……『風で火が広がる。風が強いのに何故つけた』って意味を言ったつもり。
何故かプルプルと震えだしたおばちゃんに同年代っぽいおばちゃんが何か捲し立てながら突っかかっていった。長老っぽいのと同年代っぽいのも加勢してきて長老っぽいのも参戦して四人で言い争いをはじめた……何?
正直に言おう。ヒステリックに喚いてる女同士の口喧嘩は母国語であっても上手く聞き取れないのに多少似ているとはいえ異言語でのそれは全く分からん。
どうしようかなと思っていたら足をツンツンされた。見ると三歳ぐらい?よく分からんが子供がにっこりとした笑顔で見上げている。
吃驚させないようゆっくりしゃがんで目線の高さを合わせて微笑み返しをすると笑いながら両手を広げた。
腋の下に手を入れて立ち上がって持ち上げ「そーれ、高い高ーい」
……しまった。つい癖でやってしまった。
家は本家だったから盆暮れに親戚が集うんだけど小学生ぐらいまでの子は高い高いや肩車が大好きでねだられてやっていたんだ。高い高いをねだる時の仕草とそっくりだったからつい……
文化的に大丈夫なのか?ここらは面倒な事が多いからなぁって悩みかけていたら「もう一回」と言いたげな仕草。周りの大人は俺らが怒るのを心配している風なので大丈夫かな?
いや大丈夫じゃないな。
お子さんが二回や三回で満足する筈もないし、他にも幼子が二、三人「良い物見つけた」って目をしている。荷物を背負ったまま続けたら俺が大丈夫じゃなくなる。
こんな事してる場合じゃないってのに……
「はーい、こっちおいでー」
幼子軍団の高い高い攻撃を受けていたら、いつの間にかデジカムを安藤くんに渡していた岸本さんがしゃがんで幼子達に声を掛ける。手にはウエストバッグから取り出したニンジンジャムとスプーンを持っている。
雪風の二人には万一の為に非常食セットを渡してあるがジャムもその一つ。常温でも日持ちするし砂糖をたんまり使っているからカロリーもある。
砂糖生産はまだ軌道に乗ってないっていうかこの間やっと白砂糖が四キログラムぐらい採れたばかりの貴重品なんだけど……尚、六キログラムほどの廃糖蜜は奈緒美が確保している。ラム酒でも造る気なんだろう。
自ら食べて見せて差し出すとおずおずと口に含み……固まった。
子供ってはじめての体験をしたら脳が状況を咀嚼するまで固まるよね。傍から見てると『あぁ今、脳ミソがフル回転してるなぁ』って分かる。
「うわ ネク ケラァ ネク ケラァ」
喜色満面に一生懸命感動を伝えようとしてくれている。だけど何を言っているかよく分からない。
岸本さんが四人の幼子に囲まれて「ネク ケラァ ネク ケラァ」の大合唱になるまでさして時間は掛からなかった。
「胃袋を掴む」
ちょっと怖いよ……俺は高い高い地獄から逃れられたからアレだけどいいんだろうか。
ジャムの猛威は幼子の親兄弟にまで及び、口論(?)している四人プラスアルファを置いてけ堀にして盛り上がっている。中には涙ぐんで美野里に土下座チックに礼をする者まで現れる始末。
あぁ……なるほどね。何となく分かった。
ここは母系制の社会なのだろう。それも家母長制っぽい感じの。
女性と未婚の子と思われる者が似た文様なのはこの集落――オリノコとか言ったっけ――の出自である事を示すもので、成人男性の文様に統一性が無いのはそれぞれが別の集落からの婿という事だろう。
そしてさっき出てきたのが長老とその娘だったように、決定権者は女性なのだろう。向こうから見るとうちらの最高権力者は美野里と思ったんだろうな。
確か日本での父系の嚆矢は平安末期から鎌倉にかけて台頭した武士だったから少なくとも平安時代までは母系だったと思われる。だからここが母系社会でも何ら不思議は無い。言われれば当たり前の話かもしれない。
しかし家母長制とも言うべき権力を持ってたのか……
平安時代は伊勢物語の筒井筒のように通い婚だから男は女の実家が傾いたら疎遠にしたりする。つまり家長権は夫には及ばないとも考えられるから母系とはいえ同一ではないのだろうけど。
「美野里、火災原因とあの四人の口論のあらましを聞いてくれ。母系社会っぽいから俺らより美野里からの方が良いと思う」
「えーめんどいんですけどぉ……まっいっか」
ここは一つ、コミュニケーション力を発揮してくれ。
あっ口論からキャットファイトに進化してる。周りと山火事の方にやや注意を払ってたからどちらが先に手を出したかは分かんないけど、若い方――といってもおばちゃん――が平手打ちの応酬をはじめた。
どうしよう……マサえもん助けて……俺の手には余るんだけど……
◇
はじめに話した側が家に引っ込んでしまって終了。
結局グダグダのまま終わった。
美野里の聞き取りから分かった事は以下の通り。お疲れさん。
はじめに話をした母娘は『サのや』の者でムラサという指導的立場を代々担っている。はじめに話した老婆近いのがサナという先代のムラサでキャットファイトしてたのがサニという当代のムラサ。
後から入ってきて『サのや』とやりあったのは『ハのや』の者で、老婆っぽいのがハキでサニとやり合っていたのがハツ。
恐らくは焼畑だろうけど火をつけたら燃え広がった。
そもそもハツは止めるよう言ったがサニが前はこの日だったと聞き入れず強行し、仕方なく他家の男たちが(風下になる山側に)登って行ったのだが、サニが前はここに火を付けたと『サのや』の男たちに(風上である)麓に火をつけさせた。火は直ぐに燃え広がって登った男たちは火に巻かれて寝込んでいる。火傷を負いつつも命辛々逃げ出せたってところかな?後で見舞いにでもいってできる事が無いか確かめよう。寝込んでいるのは『ハのや』の婿たち(ハキの婿とハツの婿)、『ナのや』の婿、『ラのや』の兄弟の五人。
何と言うか……よく処罰されずにいるな。
それとこれは面倒事になるかもしれないのだが……
『サのや』がムラサをするのは山の向こうに行った者に言われたからで、戻ってきたら返す事になっている。
これがあの怯えに繋がるのか。
乗っかったら極小規模過ぎるがエルナン・コルテスだな。
作者創作の縄文語っぽいものですが、無くした方が良いですかね?
流暢な現代日本語を喋るのは若干抵抗があったので、あんな感じにしてみたのですが、書くのが思ったより大変で推敲してたら読むのも大変で……
次からはより現代日本語っぽい感じにするか『』などで囲って現代日本語にするとかに変えようかと日和気味です。それによっては先住民のセリフは改稿するかも知れません。