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文明の濫觴  作者: 烏木
第4章 冬篭り
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第13話 漂流舟

グロ注意。念の為ですが一応お知らせします。

西潟港から六キロメートルぐらい西に行った浜辺の沖合を小舟(仮)が漂流している。できれば確保したいが正直な所かなり厳しい。

雪風を向かわせようにも奥浜港から西潟港までは約十キロメートルあるので、仮に上げ潮に乗っても二時間程かかる。しかも今は凪でもうすぐ下げ潮になるから現実的には次の上げ潮を待つ事になるだろう。まぁそんなに時間がかかったら捕捉は無理だな。こっちも追い切れん。


取りあえず一報は入れておこうかという事で無線を飛ばす事にした。

「CQCQCQどこか拾える局はいますか?こちら義教。拾った局がいたら返信ください。どうぞ」


『…………義教へ、こちら匠。何かあったか?どうぞ』

「千尋浜の沖に小舟らしき物体を発見した。どうぞ」

『千尋浜のどこら辺だ?どうぞ』

「目測だが西潟港から六キロほど西、海岸から二キロぐらい沖に漂っている。どうぞ」

『漂っている?遭難中か?どうぞ』

「人影は確認できない。無人と推定している。どうぞ」

『ちょっと相談するから待ってくれ。どうぞ』

「了解。一旦終わる」


「このままなら見失うのが落ちですよね」

「まあな。雪風を今から出港させても間に合わんだろうし、デジカムを持ってきてもらう辺りが落としどころかな」


『義教へ、こちら匠。どうぞ』


はや……どういう相談だったんだ?


「匠へ、こちら義教。どうぞ」

『今、御八津岬の南西にいるんだが漂流物までのナビは可能か?どうぞ』


へ?どういう事?


「……すまん。何を言っているのか意味が分からん。もう一度言ってくれ。どうぞ」

『こっちは雪風の帆走試験中で御八津岬の南西にいる。だから漂流物を追えるんだが、留山からナビは可能か不可能かの返答を請う。どうぞ』

「こちらからは雪風が視認できていない。視認できれば誘導は可能。しかし、本当に追うのか?往復で五、六時間ぐらいかかる可能性があるぞ。どうぞ」

『ここはリスクを取っても追うべきだと判断した。二時を目処に無理だったら帰投する。後少ししたらそちらから見えると思うからナビよろしく。一旦終わる。どうぞ』

「待て。そっちは誰がいる?どうぞ」

『安藤くん、岸本さん、文昭に俺の四人だ。どうぞ』

「了解した。視認できたら発信する。どうぞ」

『了解。以上』


丸投げしていたから進捗を知らなかったけどもう試験帆走できるまでになってたんだ……雪風は元々帆走も視野に入れていて、センターボード代わりに竜骨を出っ張らせて造っていたから早かったのかな?

それにしてもタイミングよく居たものだと思う。帆走が上手く行けば捕捉はできるかもしれないな。まぁ捕捉できてもできなくても結構な時間がかかるだろうから応援を呼んだ方がいいかもしれない。


『東雲さんへ、こちら南部。何かお手伝いできる事はありますか?どうぞ』

「雪月花へ、こちら義教。できればデジカムと予備として無線機が欲しい。それと雪風組は昼抜きになりそうだからそこらも欲しい。どうぞ」

『了解。デジカムと三脚はとりあえず芹沢さんとさっちゃんに持たせて向かわせるわ。食事と暖はその後に用意して向かわせる。どうぞ』

「キートス。どうぞ」

『どういたしまして。以上』


さすが雪月花。ありがたいねぇ。


■■■

四人が奮闘すること五時間。十六時前に雪風(改)が漂流舟を曳航しながら西潟港に入ってくる。既に革で作った三角帆は畳まれていて文昭と匠がオールで漕いでの入港だ。


「お疲れ様」

「おう。何とかなったな」

「寒かったろうし腹も減ってるだろ?小屋にあったかい食事()用意してるから行ってくれ。舟の固定は俺がしとく」

「悪いな。じゃあ頼んだ」


(もやい)を受け取り杭に結んで固定する。

浮桟橋じゃないから干満差を考慮してロープの長さを調整しないと船が必要以上に動き回ったり宙吊りになったり破損してしまう事もあるし、張力が強くなって舫を解けないなんて事態も起こり得る。まぁ雪風は固定するための装置を付けているしアンカーもあるので大丈夫だが問題は漂流舟。

曳航や係留する為の装置なんて付いて無いから面倒臭い。船首(?)近辺にアンカーを引っ掛けて曳航してきたそうなのだが良くできたものだと感心する。

とりあえずアンカーロープを慎重に引っ張って手繰り寄せたが、アンカーを乗せるだけなんて状態だと固定は出来ない。

どっちがどっちなのかは分からないけど船首付近と船尾付近をロープで縛ってそれを雪風に括って固定する事にしよう。


不要な物は物置小屋に置いてきているので、海に入って雪風から伊達くんに渡してもらったロープを漂流舟の船底をくぐらせてから結んで固定する。

冬の海は当然冷たいが、それよりも漂流舟の舷側や船底に大量に付いている付着物に引いてしまった。鳥肌立てて身震いしている理由の大半は後者だと思う。さっさと小屋に引っ込んで火にあたろう。


物置小屋に入ると、匠が茶の湯の湯のみ茶碗のような物体を繁々と眺めている。どうやら漂流舟から持ち出した物のようだ。


「うん。やっぱり貝文土器だな。昔見たのと似てると思ったんだよ。劣化前はこうだったんだな」

「それじゃあ、あいつははるばる南九州からどんぶらこと流れてきたのか」

「ここが九州じゃない確定はできていない。案外すぐ傍に居たりして」

「何の話です?それにその湯飲みっぽいのが何か関係が?」

「この様態の土器は貝殻で文様を付けた土器っていう意味で貝文土器って言うんだけど、こいつはほぼ南九州からのみ出土する土器なんだ。だから漂流舟は南九州で使われていただろうと推測できるって話」


縄で文様を描いたと思われる縄文土器に対して貝殻で文様を描いたと考えられるため貝文土器とも呼ばれ南九州に特異的に出土する土器がある。

縄文早期以前の土器は鉢状で中には尖底土器とも言われる底が尖った物が多かったが、貝文土器は縄文前期以降に見られる平らな底を持つ物が多い。そのため当初は縄文前期頃の物とも考えられていた。

しかし、二十世紀終盤に発見された鹿児島の上野原遺跡などでの発掘調査により年代的には縄文早期に存在しており、逆に縄文前期には途絶していたであろう事がほぼ確定されている。ある意味では現在は縄文早期という事の傍証でもある。


「みんなお疲れ様。この後の事だが……」


人心地ついたところで徒歩で美浦に戻ることを将司が切り出す。

これは事前に話し合って決めていた事で、もっと遅くなったら西潟港の物置小屋(ここ)か留山追分で一泊というプランもあった。西潟港から美浦までは歩いて二時間ちょいなので今から歩けば多少は暗くなるかもしれないが帰れなくも無い。


逆に船は色々と問題がある。

もうすぐ干潮になるのでこれから出港したら上げ潮になり潮流に逆らう事になる。更に夜間航行にもなるので危なすぎる。

漂流舟の調査は奥浜港の方が人員や道具の都合上も楽なので奥浜港まで曳航したいが、そうするには下げ潮を利用して東行しないと厳しい。明日の下げ潮は未明と午後なので、今日は美浦に戻って明日出直して午後の下げ潮に合せて出港するのが合理的な方法という訳。


■■■

奥浜港に曳航されてきた漂流舟を陸揚げして検分する。

長期間漂流していた事を物語るように船底や舷側にはカメノテ、フジツボ、イガイ、エボシガイ、ホヤなどが大量に付着している。


正直なところ正視に耐えないグロ注意物件である。

カメノテやフジツボはまだいい。潮間帯にいるしそれほど大きくもないし見慣れてもいる。それにカメノテは食料資源でもあるのだ。何を恐れる必要があろうか。


だがエボシガイてめえは駄目だ。

十センチメートル以上ある伸縮する半透明や黒色の柄部でウニウニと蠢くクリーチャーは俺の許容限度を超えている。


生物の方は美野里(適任者)に任せて船の方の調査を担当するが、大して成果がある訳ではない。

全長五メートル全幅八十センチメートルぐらいの鰹節形の単材刳舟。

匠の見立てでは内側の加工の具合から石斧を使用して杉の丸太を刳り抜いた物だそうだ。いわゆる丸木舟とか丸太舟と言われて想像する一本の丸太をそのまま繰り抜いて造った船だ。単一の材料から造っているので単材刳舟と分類される原始的な物。アウトリガーが付いていたようにも見えないし帆柱を立てていたような形跡も無いのでカヌーのような手漕ぎボードと思われる。


丸木舟は、一本の丸太をそのまま刳り抜いて前後端を尖らせた鰹節形、丸太を二つに割ってそれぞれを刳り抜いて造った竹筒を縦に二つ割りにしたような割竹形、それと舟の中央部に刳り残しをつくった箱形の三つに分類する手法があるが、漂流舟は最初の鰹節形をしている。


初期の舟は、木材を使うものが丸木舟と(いかだ)、それと動物の革や骨などで造った物の三つがあるが、何れも世界各地に太古から見られる物なので何らかの特定には至らない。


遺留品は貝文土器以外には特に目ぼしい物はなく漁具や航海道具の類は見当たらなかったため、南九州にいただろう以上の情報は得られなかった。


美野里からの情報だが、エボシガイがあったので一度外洋に出た可能性が高いという事が分かった。エボシガイは岩礁などの固定物にはあまり付着する事が無く、多くは漂流物に付着し、それも外洋で漂流している物に付着している例が多い。

つまり南九州から一度太平洋か東シナ海に出てからここに来た事になる。

それと付着物の生長具合から漂流期間は一年以上三年未満ぐらいとの推測。但し精度は悪いらしい。


それ以上の情報は得られなかったが、それでも舟を利用する人間が確かに存在している事が確認できたのは成果といえば成果。


付着物の多くは本日の夕食になったが、正直なところ箸が進まなかったのは仕方が無い事だと思う。


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