第9話 年の瀬
「はい。お疲れさん」
恵さんが散髪ケープを外しながら俺の肩を叩いた。
ここは希望者がいれば風曜日に開業するバーバー漆原の椅子の上。
「んあっ……ありがとうございます」
今日は今年最後の営業日なので大盛況である。次が待っているので寝惚け眼で席をあける。俺は何故か散髪中に寝てしまうんだよな。「どんな髪型にされるか分からないよ」なんて言われる事もあるけど、これまで困った事はない。
切った髪の毛は集めて網に入れて外周の柵に吊るして獣除けにしていたり、針山の詰め物にしたりと再利用もしている。
人毛醤油とか毛髪醤油って言葉はあるが、髪の毛から醤油を作るっていうのは不可能ではないが効率は悪く日本では実用化はしていなかった筈。塩酸で毛髪のタンパク質を加水分解してアミノ酸を得るのだが、同じ製法でも原料を毛髪じゃなく大豆の茎や葉とかにした方が品質が良くてコストも安いのでよっぽどアレじゃなければ手を出さないだろう製法。
まぁやれる方法があれば誰かがやるって事でアレな奴はいるわけだけど……
さっぱりしたので作業場に行って門松や注連飾りといった正月飾りを作るとしましょう。終わったら餅つきの準備も待っている。籾摺りうざぁ……
そろそろ下拵えに入る御節料理は志願者を募って静江さん指導の下で取り掛かっている。静江さん、ご面倒をおかけしますがご指導お願いします。
御節料理は、祝い肴は黒豆、田作り、伊達巻、栗金団。焼き肴は鯛、海老、鰻。酢の物は紅白なますに蛸。煮物は陣笠椎茸、盾豆腐、ニンジン、くわいの予定。
もっとも海老、鯛、蛸は獲れたらの話。あるかどうかは海チームの運と頑張りに掛かっている。
古風な御節料理で一般的な品でここに無い物は色々とある。
先ずは数の子。ここらにニシンは居ないから当然ない。
それと昆布も無いから昆布巻きもない。
蓮根、八頭(里芋)、牛蒡、蒟蒻あたりもない。
牛蒡は食用になったのは江戸時代以降って説もあるけど縄文時代の遺跡から出土しているそうなので探せばその内見つけられるかもしれない。蒟蒻も日本以外で食べる地域はほぼ無いのでこっちも探せばあるだろう。蓮根も自生している可能性は高い。里芋は縄文時代に東南アジアから伝播したという説が有力らしい。見つかったらいいな。
それと蒲鉾は無理ではないけど食紅がないから紅白は難しい。
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クリスマスも無事終わった。子供たちがツリーとデザートそしてプレゼントを喜んでくれたので良しとしよう。
正月飾りも飾りつけ、餅も搗いて鏡餅と丸餅を作った。俺と匠と佐智恵の出身地は伸し餅派だけど、丸餅派が圧倒的だったし三人とも強い拘りは無いので今年は丸餅で不満はない。もう少し多く搗くなら一部を伸し餅にとも思うけど。
そして今日は冬至……の筈。
いやね、正確にはこれまでの観測結果から割り出しているだけで本当に冬至なのかは観測仕切れてないってだけ。九分九厘冬至です。
今日が元年の最終日。いわゆる大晦日。三十日ではないけど大晦日ってのは太陽暦なら仕方が無い事。
迎春の準備も終えて早めの夕食をいただいてゆっくりした時間が流れる夕暮れ時に留山の方向から拍子木の音が聞こえてくる。音は徐々に大きくなり屋敷の玄関の前までやってきて扉から拍子木を首にかけた将司が入ってくる。
「こんにちは……お見えになられました」
それに長老役っていうかまぁ長老なんですが、源次郎さんが応える。
「これはこれは……寒い中お疲れさまでございます」
「お役目ですので」
その刹那ウォー!ウォー!ウォー!という叫び声とともに玄関の扉がやかましく叩かれる。
「どうぞお入りください」
源次郎さんが声を掛けると扉を開け放ち赤ら顔で角と牙がある藁服の四人が足を踏み鳴らしながら乱入してくる。
「泣ぐ子はいねがぁ」
「悪い子はいねがぁ」
「ヘソ取っちゃうぞぉ」
「うぁーーーん!」
「悪い子は連れてっちゃうぞぉ」
「い゛い゛こ゛て゛す゛い゛い゛こ゛て゛す゛」
「お前は良い子かぁ」
「い゛い゛こ゛て゛す゛い゛い゛こ゛て゛す゛」
「怠け者はいねがぁ」
和広ちゃんと江理ちゃんはギャン泣きでお母さんにしがみ付き、史朗くん宣幸くん美恵ちゃんの三人は乱入者に抱きかかえられて半泣きで良い子と主張している。
はい。なまはげです。
扮しているのは、悠輝さん、黒岩さん、伊達くん、文昭の四人。悠輝さんがノリノリでなまはげ役をかってでてくれたお陰で俺は珍しく?見物人になっている。
お面は「こういうの一度やってみたかった」と言って源次郎さんが佐智恵提供の弁柄――ぶっちゃけ赤錆――を使って漆器製の逸品を作ってくれた。本人はまだまだ納得していない風だけど。
「なまはげさん、どうぞこちらでご一服ください」
一頻り暴れたところで源次郎さんが声を掛けると四股踏んで座るなまはげさん。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「寒い中お越しくださいましてありがとうございます」
「おう長老よ、田畑はどうであった」
「お陰様で年を越せそうです」
「そうかそうか。来年も良い作になるよう拝んでおいてやる……ところで子供らはちゃんと手伝いはしよるか」
「はい。ここの子等は真面目で皆のいう事をちゃんと聞く良い子です」
「ほうほう……ちょっくらなまはげの帳面を見てみるぞ……何々……登っちゃいかん言われちょる柿の木に登って大怪我するとこやったやと……それから焼魚や煮魚の目ん玉をつまみ食いしちょるな」
なまはげさんに睨まれて心当たりがある子がビクッとする。他にも幾つか挙げるなまはげさん。
「長老よ、ちゃんと聞き分けさせい。どうしても子供らが言うこと聞かなんだら手を三つ叩け。いつでも山から降りて来るからな」
「よう言うて聞かせますからこの餅で御免くださいませ」
「分かった分かった。ほな皆も達者でおれよ!来年また来っからな!」
「良い子にしてるんだぞぉ」
「じゃぁなぁ」
足を踏み鳴らしつつ去っていくなまはげさん。
◇
「お疲れ様です」
「おう!楽しかったぞ」
なまはげ役と長老役の皆さんお疲れ様。
本当はもっと色々と作法や道具があるらしく本場の人に怒られるかもしれないけど、何人かの記憶を継ぎ接ぎした物を一部標準語ちっくに変えた台本を作ってなまはげ問答を上演?した。
なまはげ役は男衆で持ち回りかな?長老役は……当面源次郎さんよろしく。
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春馬くんと榊原くんが交代々々で山芋(自然薯)を丁寧に丹念に根気よく擂っている。すり鉢と擂粉木で山芋と格闘しだしてもう小一時間になる。
「白石さーん。こんな物でどうでしょう」
「どれどれ……うん。こんなもんだろ」
蕎麦打ちを趣味にしていた白石さんによると、山芋や長芋をつなぎにする時はおろし金で大根おろしのようにしたら駄目なんだって。小さな粒々が残ってそこが切断点になって蕎麦がブツ切れになるから、やるとしたらすり鉢で徹底的に擂り潰さないとつなぎにならないって。かつておろし金で作ったトロロで蕎麦打ちしたらボロボロになったのだがそれが原因だったか……道理で失敗する訳だ。奥が深い。
お店だとミキサーとかで作る事もあるって言っていた。
春馬くん、榊原くん、お疲れ様。大変だったね。
でもね、山芋つなぎの蕎麦を食べてみたいって言ったのは君らなんだから仕方ないよね。言い出しっぺの法則が発動したって事で。
白石さん指導の下で黒岩さん本田さん栗原さん五十嵐さんというスタッフ勢の五人がこね鉢で蕎麦粉を練っているのを横目に朱音さんが出汁の仕上げに入っている。昨日から厨の一角を占拠して作っていた力作である。
年越蕎麦は鴨南蛮蕎麦と天麩羅蕎麦。
なまはげさんからずっとお母さんに抱きついていた和広ちゃんと恵理ちゃんも蕎麦の香りに誘われたのか卓袱台とお母さんを交互に見ている。
来年がいい年でありますように。