第6話 鴨がやってきたので
こちらに拉致されたのが春先だったしキャンプ場から掻っ攫ってきた……もとい合意の上頂いた物資もあるので大人達の防寒装備はそれなりに揃っている。
中でも人数分以上の布団や毛布があるのは心強い。極寒の地でもなければ屋内なら毛布や布団でそれなりに凌げたりするのだ。「暖房器具は何?」というアンケートに「毛布」と答えた奴がいるのを俺は知っている。俺じゃないぞ。
そうは言っても乳幼児は体温調整機能が万全ではないので屋内用と屋外用の防寒着は作ってあげたい。それと子供たちも成長しているので仮に下の子はお古を回していくにしても新たに作らないといけない。
子供は風の子で冬でも半袖半ズボンなんて時代もあったらしいけど子供だって寒いのは寒い。むしろ鈍感になった大人より寒さを感じている事だろう。
マザーズがつむぎに篭もり静江さん指導のもと余剰の布団や座布団を解体してちゃんちゃんこや袢纏の製作に取り掛かっている。もっとも奈菜さんが涙目になっているが見なかった事にする。
その頃俺らが画策していたのは鴨狩り。
大川と里川の取水口で鴨の群れが羽を休めているのでこれを狩って食料にするのと、羽根や羽毛が得られたらという事。もっとも羽毛布団一つにどれだけいるのやらなのでストックしておくか小物が精一杯だろうけど。
そういう訳で、政信さん、榊原くん、伊達くん、美野里、匠、文昭、俺の七人で鴨々大作戦を練っている。
「デコイで誘き寄せるのは鉄板だよね」
鴨は群れる生き物なので、仲間に似た姿形の物があると仲間が安全にいると思って寄って来る習性がある。目眩ましという意味のデコイの語源はこっちの方。
「水路に入ってくれれば飛ぶ方向が限定できるから網構えれば正にカモにできるけど」
離水するには助走が要るので細い水路内だと前にしか飛び立てない習性を利用して訓練した家鴨か何かで水路に誘い込んで生け捕りにする。確か鴨場の伝統猟法がそんな感じだったかな。
「条件的に難しいかな……どこかに池でも掘らないと難しいかもね」
「餌が無いと来ないんじゃないか」
「鴨って何食べるんすか?小魚とか?」
「雑食だから魚も食べるだろうけど、基本的には水草とかの植物食だね。合鴨農法って聞いた事無い?田んぼの雑草を食べるから。あと虫や貝も食べるか」
「今冬では難しい方法かな。来年以降で鴨池を作るかどうかってあたり?」
「それで良いとして、じゃぁさぁ……水面にいるのを仕留めたとしてどうやって回収する?」
水鳥なので基本的には水面にいるから、深いところだとボートを出して網ですくう事もある。
陸上で仕留めればというのもあるが、飛んでいる鳥を落とすのは面制圧ができるバードショットの散弾でもないと難しい。クレー射撃だね。
銃より威力も精度も悪い弓矢で当てるなんてのは那須与一でもなければそうそうできる事じゃない。静止していれば何とかなるかも知れないけど。
「陸に誘き寄せて無双網とか」
「網猟やったことある?」
「無い。ネットで見たことはあるけどやった事はない。免許も持ってないし」
くぅ……話がとっ散かる。マサえもん、助けて。
「とりあえず何羽か狩ってみるか」
「里川だったら流れても拾えるから里川で撃ってみます?」
「撃つって事は……ショットガンを使うんですか!」
伊達くん、そう騒がないように。気持ちは分からんでもないけど目を輝かせないように。
「使うとしても空気銃だよ。装薬は駄目」
「なんでですか?鳥撃ちはショットガンってイメージがあるんですけど」
「確かにそうだけど俺ら基本的に猪と鹿がターゲットだったから散弾銃の名に恥じて一粒弾なのよ。鳥撃ち用は無いから無理だね」
散弾銃の弾は粒が小さい(=弾数が多い)順に鳥撃ち用のバードショット、鹿などの中型動物用のバックショット、熊や猪にも対抗できる可能性がある一粒だけのスラッグショットというように用途によって使う弾が異なる。
バードショット、バックショットと分類される中にも粒の大きさが何段階もあって実際には獲物に応じてもっと細分化される。
散弾ではあるが主に拳銃に使われる小動物用のラットショット(スネークショットとも)ってのもあるけど拳銃は狩猟には使えない。
「スラッグショットじゃ駄目なんですか」
「スラッグショットは命中精度が劣悪だから相当近付かないと当たらない。鴨の大きさだと……十メートルとかかな?だけどそこまで近付くのは至難の業だし当たっても鴨が木端微塵になるから駄目だよ」
散弾銃の銃口はチョークといって銃身の内径より細く絞ってある。絞らなければ弾が直ぐに散らばってしまって遠くの目標に届かないので絞ってあるのだが、この狭められた銃口を通らないといけないスラッグは当然ながら銃身より細くならざるを得ず隙間だらけで銃身内のあっちこっちに当たって真っ直ぐ進めない。だから発射された弾がどこに行くかは弾に聞いてくれ状態になる。口の悪い人だと「火縄銃の方がよっぽど当たる」と言うぐらい命中精度は期待できない。
はっきり言って目と鼻の先といった至近距離じゃないと威力的にも命中精度的にも役に立たない代物で、鳥撃ちに出かけるが万が一熊さんに出合った時のお守りとして何発か持って行くあたりが関の山である。
命中精度をあげるため銃口にチョークが無くて口径一杯のスラッグショットを使うスラッグ銃身という物があり、この銃身に付け替えて口径一杯のスラッグショットを使うとかなりマシになる。中にはスラッグ専用散弾銃という深く考えたく無い分類名の銃もあったりする。
これなら五十メートル離れた十センチメートルぐらいの的に狙って撃つ事は不可能ではない……えっと火縄銃よりはマシ程度です。はい。
銃の精度を表す単位にMOA(Minites Of Angle:一度の六十分の一の角度・一分角)というのがあり百ヤード(九一.四四メートル)先で一インチ(二五.四ミリメートル・正確には一.〇四七インチ=二六.五九三八ミリメートル)に集弾するのを一MOAと言って値が小さい方が精度が良い。
現代のアサルトライフルは二~三ぐらいが多く、狙撃銃だと〇.五ぐらいないと厳しく、猟銃だと一を超えたら修理が必要なぐらい。俺らの持ってるライフルもメーカー保障がサブMOAといって一未満を保障している。
ちなみに無理やり当てはめるとすると、スラッグ専用散弾銃のMOAは八ぐらいで火縄銃は二十四あたり。正直狙って撃てる代物じゃありません。
普通の散弾銃でスラッグを撃った時のMOA?……知らんがな。三十超えるんじゃね?
「十メートルって……何でそんな性能の物があるんですか?用途が全く分からないんですけど」
「日本の銃規制の関係かな?二十歳で持てる猪に対抗できる物は残念ながらスラッグしか無いの。鳥撃ちについては得手不得手の不得手の部分だから仕方ないよ。猪ぐらいなら何とか実用範囲内だから。まぁ俺らは何か直ぐにライフルの所持許可がでたから散弾銃は正直あまり使ってないんだ」
「じゃぁライフル」
「あのねぇ…….308で鴨撃ったら木端微塵間違いなしだよ。猪でさえぐちゃぐちゃで下手すりゃ半分以上肉が無駄になるんだから……あいつはあくまで対熊用兵器と思って」
「……バーミントライフルは無いんですか」
「良くバーミントを知ってたね……でも日本では小口径のライフルでの狩猟は禁止されているから無いよ。しかもライフルの所持許可の理由が対熊用だから熊に対抗できる口径のものになるのは当然だよね。バーミントライフルの日本でのカウンターパートがエアライフルなのさ」
バーミントは小型の害獣という意味で、有害小動物用の口径が小さくて命中精度の高いライフル銃をバーミントライフルと言う。
小動物なので警戒心が強くて近づけないから遠くから狙うしかないけど的が小さいから命中精度が良くないと意味がない。そして威力はそれほど必要ないので小口径――五.五六ミリとか六ミリ程度まで――で命中精度が良いボルトアクションが多い。失中(弾が外れる事)したら逃げられるので二の矢は要らないというか撃てないのでその点でもボルトアクションが選ばれている。
海外だと猟銃といってパッと思い浮かぶのがバーミントライフルと聞いた事があるけど日本では口径が六ミリメートル未満のライフルを狩猟に使用するのは禁止されているし、ライフルを使って良いのは熊と猪と鹿に限られているからバーミントライフルを日本で使うのは難しい。ベテランの鹿専門ならアリかな?
ライフル射撃競技ならスモールボアライフル(二二口径=五.六ミリメートル)って区分があって持てるけど。もちろん競技以外には使用できない。
「そういう訳で手持ちでまともに使えそうなのがエアだけなの。榊原くんと伊達くんはエアライフルの訓練と弓矢の特訓とどっちが良い?」
「訓練と特訓?」
「訓練もせずに撃っても当たらないから……ってか訓練なしに銃を撃たすつもりはない。そろそろ三人には使い方を覚えてもらおうかと話ししてたんだよ。それと弓は銃と違って相応の技量が無いと当たらないから射るには猛特訓してもらわないといけないからね。目指せ那須与一やヴィルヘルム・テル」
「「エアライフルでお願いします」」
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「銃を扱うのは危険が伴います。安全の為にもここでは絶対に指示に従って勝手な事はしないでください。場合によっては鉄拳制裁もあります。よろしいですね」
「「「はい」」」
畑の向こう側に作った射撃場――均した地面と百メートル先の土塁と距離別に幾つかの的があるだけだけど――の前で榊原くん、伊達くん、安藤くんの三人に告げる。
鉄拳制裁は……危ない場合に手が出ちゃった時の予防線。ですよ?
「指導員は楠本。助手は敷島と私東雲です。よろしくお願いします」
「「「よろしくお願いします」」」
「では楠本教官お願いします」
先ず初めにするのは座学。
最初にやっておかないといけないのがどんな銃であれ必須の安全に取り扱う為の心得。
『銃は如何なる場合も弾が入っている物として取り扱うこと』
『例え弾が入っていなくても銃口を人に向けてはいけない』
『持ち運ぶ時は銃口を上にして薬室(弾を込める場所)を開放して固定する。銃を水平にするのは射撃位置について標的にむかってから』
『銃を受け取ったら最初に薬室を開放して弾が装填されていない事を確認する』
などなど
「理屈では簡単すぎて当り前だと思うかもしれないが、実践するのは案外難しい。実技の際には身体が覚えて条件反射でできる様になるまで徹底して繰り返す。いいな」
「「「はい」」」
「では次に弾道の解説を行う」
弾道計算って中には早見表を作って携帯してた人もいるぐらい面倒くさいのよ。
端的に言えば重力と空気抵抗なんだけど、空気抵抗は対気速度と抵抗係数からきて、ファクターに分解すると弾丸の重さや形状、発射時の運動量、発射速度、発射角、弾丸のスピンの方向と回転数、彼我の高低差、風向、風速、気温、湿度、気圧などになる。さすがに砲弾と違ってコリオリの力までは考慮しなくても良いけど、例にあげた要因は三百メートルだと数センチメートルから数メートルぐらいの誤差を生じかねない。
さすがに詳細に全部やる訳にはいかないので、ある程度は省略しながら――それでも相当な量になるが――進んでいく。詰め込みすぎたのか高度過ぎたのか三人がついていけてない部分もあったがそこはフォローを入れておいた。一応高校で習うレベルの数学と物理で八割方は理解できると思うんだけど……
観光客相手の射撃場みたいな至近距離なら当たるけど二百メートルとかになったらそのあたりもちゃんと計算に入れて照準しないと弾は狙った所にはいかない。計算が甘ければ手前に落ちたり飛び越えたりなんて良くある事。百メートル離れた熊なんて十秒かからず到達してしまうから百メートルなら四秒で照準して急所必中、二百~三百メートルでほぼ急所に命中させられるよう俺らは仕込まれた。
「次はスコープの付け方と調整方法だ。さっきも言った通り水平の目標を撃つ際は銃を上向きにしないといけない。弾は一度上にいってから落ちてきて当たる。スコープは直線で見るのでスコープの中心と弾道が一致するのは発射直後ととある一点になる。この一点までの距離は銃や弾の特性とスコープの角度によって決まる。厳密には他の要因でずれるので風などの要因を排除する為この調整作業は通常は屋内で行う。スコープの角度を調整してある距離の時に照準の真ん中で命中するようにしておくのだが、これを零点修正やゼロインという。『三百メートルでゼロイン』とかな。実際に狙撃する時はターゲットとの距離がゼロイン距離より近ければ下を遠ければ上を狙って撃つ……ところで話は若干変わるが『ゼロ距離射撃』ってどういう事だか分かるか?……安藤、どうだ」
「えっと……銃口をくっつけて撃つことですか」
「榊原は」
「一平と同じです」
「そうか……伊達」
「ゼロインの距離がゼロメートル……つまり水平射撃の事です」
政信さんは教練の間は呼び捨てにする事で心構えをさせている。普段は気の良いお父さんで呼び捨てなんて絶対しない人なんですけどね。
「伊達が正解。安藤と榊原のそれは『接射』という。戦車砲などの直射砲だと仰角に合わせて照準器の角度も自動調整される事もあるが。ライフル銃にそんな機能はないから自分の頭で考えて補正しないといけないからな。それじゃぁ具体的なゼロインのやり方から……東雲、ボア・サイティングは」
「空気銃は銃口にレーザーポインターを付けます」
「ふむ。ライフルの方は文字通りかな」
「はい。ボルトを抜いて銃腔を覗きます」
銃身の延長線上に的を置いてスコープが中心を捉えるように調整する事をボア・サイティングと言い、これでスコープの軸線と銃身の軸線を一致させる。これが狂っていると次の作業が全くできなくなる。
次に固定した銃で比較的近くの的に向かって撃ってスコープの角度を調整する。面倒でも徐々に遠くにしていかないと弾着が分からなくて調整のしようがなくなる。
途中で昼食も挟んで六時間ぐらいの講義が終わった時には三人の頭から湯気がでているのを幻視してしまった。この後実技する?それとも実技は明日にする?個人的には明日にした方が良いと思うよ。