第2話 塩田
暖房用の柴薪もそうだが人間用の保存食も逐次準備をしている。
保存食の肝は塩。塩蔵はもちろんの事、干物にするにも初めに塩漬する事が多い。
保存食は長期間保存した物を喫食しても食中毒などで健康を損ねないのが肝要。
そして食中毒を予防する鉄則に「清潔」「迅速」「加熱(冷凍)」という物がある。
毒物の誤食とかは別にして、食中毒の原因になる細菌、ウイルス、寄生虫などが無い状態ならそもそも食中毒は起きないのでできるだけ原因が食品を汚染しないよう「清潔」にする。
そして「迅速」に処理する事で仮に汚染されてしまっても細菌やウイルスが増殖する暇を与えない。
食中毒の原因となる菌やウイルスは一つ二つあっても通常は発症せずある程度の数がないと体調に影響は及ぼさない。この発症する最小の数を最小発症菌数とか最小発症ウイルス数などというが、強力な感染力をもつ病原性大腸菌O‐157とかノロウイルスは百未満でも発症する事があるが、多くの菌は十万個とか数億個といったオーダーになる。だから迅速に処理して菌やウイルスが増殖できる時間を短くする事は有効な手段となる。
最小発症菌数が十万個といってもなめてはいけない。倍々ゲームで増殖するので好適環境下だと二十分に一回増殖する一般的な菌の場合一個の菌は五時間四十分で十万個以上(二の十七乗)になる。八分~十分に一回という増殖速度が非常に早い腸炎ビブリオだと二~三時間で最小発症菌数に届いても不思議ではない。これは付いている菌が一個だった場合の話で実際にはもっと短い時間で危険水準に到達する。この増殖スピードが腸炎ビブリオが細菌性食中毒の多くを占める要因でもある。
そしてそれでも殖えてしまった場合も「加熱や冷凍」して菌やウイルスを殺したり不活化させる事も有効である。寄生虫なんかには特に有効性が高い。
加熱しても毒素までは消えないとか煮沸してもほとんど死なないなんて事もあるので加熱したから安全という訳ではないけど多少なりとも効果はある。
保存食を作る上で特に重要なのが「迅速」だったりする。長期保存と迅速は相反するように思えるが、菌の増殖を防ぐという点では一致している。
基本的に栄養があって適度な水分があって適度な温度であれば細菌は増殖するのだが、どれか一つでも外せば増殖はある程度抑えられる。
しかし栄養については外せない。何といっても食品なのだから栄養はあって然るべき物。なので基本的には水分か温度で制御する事になる。
冷凍食品なんかは温度で増殖を抑えている好例と言えるのだが、常温で保存する場合は水分を無くして増殖しにくくするのが原則であり、現状ではほぼ唯一採れる手立てになる。
実際にはもう一つ滅菌して外界と遮断するという方法がある。レトルトや缶詰、瓶詰などがこれに該当するのだが現状では不可能では無いが難しい。
その水分だが、実は細菌が利用しやすいのは自由水とか遊離水と呼ばれる他と結合していない水であって、タンパク質や炭水化物などと水素結合などで化学的にくっ付いている結合水を利用するのは不可能ではないが難しいものがある。なので水分含有量が多くても結合水の割合が多ければ細菌が利用できる水分が足りなくなって増殖を抑えられる。
水分そのものを除去する乾物や自由水の割合である水分活性を低下させる塩蔵が保存食の基本となっているのは当たり前の話ではある。
干物にするのに初めに塩漬するのはそのまま乾かすと表面は乾いても内部が湿っていて内部で細菌が増殖する恐れがあったりするという事も要因の一つ。
塩漬する事で内部に塩分を入れて水分活性を落としたり塩分を介して内部の水分を抜く事で腐りにくくする。
保存食作りで大車輪の使われ方をするので夏の間に製塩班がせっせと作ってくれた塩の残量が徐々に厳しくなってきている。
お分かりだろうが塩の増産待った無し。
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流下式枝条架塩田の重要部品である遠心ポンプは七号で要求仕様を満足させる物ができた。岸本さん、試験への協力に感謝します。匠、佐智恵、ファーストステップは終わったから次は白銅製のポンプ作りを頑張ってくれ。
構造が簡単な手押しポンプにしなかったのには大きく二つの理由がある。
一つは揚程の問題。吸い上げなのでロスなしの理想状態であっても一気圧だと水で十メートルが限度で現実には七~八メートルあたりが限度。そこまで揚げようとすると水が落ちる速度が速くなるので効率が大変悪くなる。実用上は精々五メートルと思った方が良い。しかもこれは水の場合であり海水や鹹水のように水より比重が大きい場合はもっと下がる可能性が高い。
もう一つは吐水口でポンプを操作するので二階建ての屋根の上の高さで操作する事になる。高所作業になるので作業者が危険。しかもトップヘビーになるので枝条架の建物自体にまで影響がでる。
遠心ポンプは加圧ポンプなので理論上は配管やポンプの強度か加圧する能力の限度まで揚程を確保できるし吸い上げ能力もそこそこある。また地面にポンプを設置して操作できるので安全性は段違い。
遠心ポンプは今後必要になる物なので早めにノウハウを手に入れたかった。手押しポンプはレバーを押し込む(ピストンを持ち上げる)時と持ち上げる(ピストンを下げる)時の速度と負荷が異なるので動力化するのは面倒だけど遠心ポンプは負荷変化が少ないし回転運動なので動力化との相性も良い。
◇
「駄目!出てこない!」
「エア噛んで無いか?」
「噛んで無いけど出てこない!」
星降湾の船着場である奥浜港の近くに塩田を作る事にして竹管を継いで海水の取水を試みたのだが残念な事にポンプでの汲み上げは失敗した。
始動に大量の呼び水を要し、起動してもチョロチョロ程度しか出てこず、出てくる量より呼び水の方が多いんじゃないかって具合。
試験結果を受けて技術者会議が召集された。
みんな分からないって言うからSCCの男衆で原因と対策を練る。俺らだって分からんけどどげんかせんといかん。
「やっぱり横引きが長すぎたか?」
「六十メートルはあるからなぁ」
干満差が結構あるので取水口を干潮時の海面の下まで入れようとするとポンプから六十メートル程度の長さが必要になる。取水口が海面上に出ると管内の海水が全部出てしまうので干潮時にも海面下に無いと都合が悪い。
「高さ自体は六メートル無いんだけど……」
「いけると思ったんだけどなぁ」
垂直で試験した時は大丈夫だったんだけど、管が長いので海水が中を通るときの抵抗力が強くなって吸い込みが出来ないというのが原因と思われる。竹管なので節のところなどで余計な抵抗が生まれているので尚の事か……
管もポンプも動力も全て非力だからこの程度も吸えなかったという事。哀しい。
「ポンプを頂じゃなくて満潮線ギリギリに置いてみるのはどうだ?そうすれば横引きはかなり抑えられるんじゃ?」
「それか満潮線辺りから溝を掘って人工の潮溜まりを作ってそこから取水するとか」
「入浜式の感じで近くまで導水するのは確かにありだと思う」
「問題は弓浜を掘削できるかって辺りか?」
「満潮線ギリギリに置くのは機械寿命に悪そうだし高潮は考慮に入れないと危険だし掘削案の方が安全性は高いんじゃないか」
「入浜式ってどうやってたんだっけ」
「干拓が主流だったと記憶している」
とりあえず弓浜を掘削してみる。
それが困難だったらポンプを海岸に近付ける。
それでも駄目だったら弓浜もしくは黒浜の干拓を試みる。
というのが技術者会議の結論となった。
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幸か不幸か掘削は可能だったので、地形図と睨めっこしながら場所と形状を決めて掘る。掘ったは良いがポンプで吸えなければ意味がないので本格的に掘る前に桶に海水を満たしてテストしている。
余り深く掘ると浚渫なども大変なので水深は一メートルぐらいにして面積で水量を確保する事にしたのだが……えっと大き目の露天風呂?って感じになってしまった。満潮時に水没する水無海浜温泉ってのがあったけど構造的には似た様な物。熱水は湧いていないので海水温のままだけど……
貯水槽の底面と側面は石組みと三和土で漏れたり崩れないように処理して総工期十日の工事を終えた。油圧ショベルと鉄筋とコンクリートが使えたら掘削一日、土留めと鉄筋の配筋と型枠で一日、コンクリ打設と養生で三日……多分仕上げを入れても六日あれば作れただろうけど十日掛かった。期間は倍近くで収まっているが、人日でみたら十倍以上掛かっている。
◇
「そろそろ引くぞ!者共掛かれー!」
将司の掛け声に応えて最後の接続部分である二メートル程の箇所を掘り進む一同。
今日は導水口を開いて稼動させる日。
工事している最中に海水が流れ込んできたら大事なので最後の接続部分を残していた。今日の引き潮に合わせて掘削して半日後の満潮までに開いてやるのだ。
導水口は一ヶ月にだいたい二度ある大潮の略最高高潮面から少し下に設置してある。なので大潮に合わせて稼動させる。
枝条架で塩分濃度を高める工程は七日から十日ぐらい続けるので毎日海水が必要な訳ではない。一ヶ月に二度取水できれば大丈夫なのでこの位置にした。
穴掘りが一番上手いのが政信さんで次点が文昭。以下、奈菜さん、悠輝さん、匠、俺という順番になる。上位三人はさすがは陸自関係者だけあって穴掘り能力パネェ……井戸の試掘には何としても三人の協力を得ねば。
掘り開いた取水口に石を敷き詰め、壁は石垣を組む。
これは匠と俺の独壇場。と思いきや悠輝さんも上手い。
悠輝さんって何者なの?
潮が満ちるのは日没後というか夜中になるので取水口ができた時点で引き上げる。
問題がなければ取水口の石組みにも三和土を詰めて補強工事が待っているけどこちらは念の為の側面が強い。
翌朝、人工潮溜まりに海水は満ちていてポンプでの移送もできたので一歩前進。