第9話 見通し
一通り施設を案内したので出端屋敷に戻って今後についての当初の短期計画と修正案のプレゼンのターン。聴衆が少ないので商談って感じになっちゃうけど……
衣食住の衣類についてはつむぎで説明したので割愛して、食に関するものという事で今秋の麦類や秋冬野菜、来春の米や大豆といった穀類の作付けなどの奈緒美謹製の営農計画を披露する。
「今年は田植までに用意できる水田が五反でしたが、来年は十二町歩ありますので多少の修正はあろうかと思いますが食用の粳米を七町歩、酒米を三町歩、その他糯米などを二町歩を予定しています」
「ちょうぶ?」
聞き慣れない言葉だったのか白石さんが疑問を口にする。
農地は今でも尺貫法の言い方が残っている事があって、奈緒美がいつもそう言っているので忘れていたけど、普通は使わないから知らないか。
面積の単位で坪は使うけど反は聞いたことがあるかも程度、畝や町は知らなくても何ら問題がないってあたりが一般常識だったよね。初めの案内の時にはちゃんとヘクタールって言っていたのに……
「面積の単位で一町歩は一ヘクタールとほぼ同じ面積です。坪数で言えば三千坪ですね。正しくは町というのですが、長さの単位にも同じ字で同じ読みのものがあるので面積の方は町歩と言う事があります。厳密には一町歩というのは『ぴったり一町』という意味があるらしいのですが……田畑の場合、坪、畝、反、町といった尺貫法の言い方に慣れてしまっていて……すみません」
「そんなあると種籾だけで二百四十キログラムほどあたるがそったあるんけ?」
「その為に今年は種取に充てて種籾を確保しました。剰余分は計画的に食べていく事にしています。もっとも五日に一食といった頻度でしかありませんが……今年の取れ高は反収三俵……玄米換算で百八十キログラムは超えましたので、順調に行けば来年からは毎食食べる事が可能になります」
一食分の一合が白米百五十グラムなので玄米だと百六十七グラムになる。一日三食だと玄米で五百グラム必要。三百六十五を掛けると百八十二.五キログラムなので今年の反収なら一反で一人が一年食べる事ができる計算になる。
七町歩(=七十反)あれば美浦だけなら今年の六割の反収でも全員が一年間食べていける。実際は米以外の穀類も食べるので文字通り主食にしていても百八十キログラムも要らず、百五十~百七十キログラムぐらいしか食べないけどね。現代だと他の食べ物が一杯あるので一人当たりの年間消費量は玄米換算で六十~七十キログラム程度、一九六〇年代のピーク時で玄米換算で約百三十キログラムだから……百五十キログラムあるなら実際は味噌や米酢などへの加工分を含めて賄える筈。
「一年の辛抱と?」
「ええ。それと後少ししたら蕎麦やジャガイモやサツマイモが収穫できますから多少はマシになる筈ですし、初夏に麦が採れればかなり改善はされるでしょう。ただ根本的な解決は一年後でしょうね。それまでは基本的に狩猟や漁獲の動物食が中心にならざるをえません」
蕎麦は台風で倒伏したものもあったので四十キログラムぐらい、筵のおかげで被害らしい被害はなかったジャガイモは一.二トンぐらい、サツマイモが五百キログラムぐらいが今秋から初冬にかけて収穫できる見通しなので多少はマシにはなる。
ただ、これだけあっても全員で主食にすると半月は持つが一ヶ月は持たない量でしかないのが切ない……
「それとこれから麦の種蒔きなのですが、小麦が十一品種で一町歩、大麦が二十二品種で二町歩を予定しています。一品種が一反弱なのでお分かりかも知れませんが主目的は種取りです。成績の良いものを来年の主力に据えます」
「二毛作の裏作にするのかな?」
「そこらは何とも……今年は田んぼに蒔く事になってはいますが来年以降もそうなるかは農林大臣の判断待ちですね」
新田開拓が当時の目論見より順調に推移したので奈緒美は手持ちの大麦と小麦の九割を投入する計画に修正している。当初は畑作の予定だったので品目数も播種量も抑えていたのだが、春まで田んぼを遊ばす事もないと二毛作的な作付けを実施する。
仮に畑だとすると全部で四町歩しかない畑の四分の三を麦が占めてしまうので大量投入が難しかった事は否めない。
来年以降は畑を増やすのか二毛作にするのかは正直全く分からない。
味噌や醤油は大豆と思われているが実は米麦の占める割合は結構あったりする。
中京地方の豆味噌は豆麹を使うが、米味噌は米麹、九州や瀬戸内に多い麦味噌は麦麹が使われ、麹の量は大豆と同量程度必要となる。
醤油も「たまり醤油」は例外になるがそれ以外は原料の半分程度以上を麦が占める。そこらを考えて思い切った投入が計画されている。
表向きはそうでも奈緒美の腹としては麦汁も頭の片隅にあるのだろう。
例え過半数……いや大半であっても片隅は片隅だし。
穀類の次に野菜類を説明していると「タマネギは移植準備中って事だったね。ニンジン、タマネギ、ジャガイモと来たらカレーが欲しくなるね」とある意味では分かり易い意見を言われた。
「確かに。今は香辛料より食糧の方が重要なので控えていますが、ハーブ類は何れ……ただ雑草化が恐ろしいですが」
栽培が比較的簡単な物は野菜にカテゴライズされていった結果だとは思うが、とかくスパイスやハーブは繊細で栽培が難しいか、繁殖力が旺盛過ぎて抑制に手を焼くかの両極端な物が多い。
繁殖力が旺盛なものとしてはミントなんかが好例で、揶揄で核兵器級の危険植物なんて言われるぐらい雑草化したら駆除困難な害草と化する事がある。
逆に栽培が難しいものの代表格はオールスパイスで、世界的に見てもアメリカ大陸以外で商用栽培に成功した例は皆無といっていいぐらい。不思議な事に他の地域では育てる事は可能でも肝心の実がならないという哀しい結果が待っていて、奇跡的に実が生っても商業的には割に合わないらしい。
カレー粉のベースになる基本的なスパイスはクミン、コリアンダー、ターメリックの三種で後はチリペッパーがあればベーシックなカレー粉は作れる。
更にカルダモンやクローブやペッパーをはじめ多種多様なスパイスをブレンドして特長を出していくのが料理人や食品会社の腕の見せ所といったところ。
奈緒美植物園産の純自家製カレー粉を作った事もあるので日本での栽培が難しいスパイスを除けば一応種苗はあるにはあるらしいから、食糧の目処が立ったら手を出すと思っている。コリアンダー(パクチー)の雑草化フラグとターメリック(ウコン)の耐寒性の無さをどう回避するか辺りが課題かな?
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衣食住最後の住環境について。
「この出端屋敷ですが、最初にやっつけで建てた物なので木材や壁材などの建材が整ったらちゃんとした家屋を建てる予定でいます」
「これがやっつけ?……もったいなくない?」
「建てた本人が六年程度が実用上の限度で十年は持たないだろうと言っています。重みや乾燥などで歪んで使えなくなるとの事です。それと木が腐る可能性も捨て切れません。まぁ今日明日どうこうという話ではありませんし、防腐剤の都合もありますので一年後ぐらいでしょうか……こちらも後一年の辛抱って感じです」
元々出端屋敷は仮屋であって終の棲家という訳ではない。
ちゃんとしたログハウスは材料や乾燥具合の吟味、防腐、防水などの処理も含めて建てているのでそんな事は無いが、出端屋敷の場合は木材の乾燥も防腐処置もしていなければ樹種もマチマチなものを組み合わせて建てているので本当に腐ったり歪んだりで使えなくなる可能性が高い。
初期に伐採した木材の乾燥などの処理は一段落していて、間に合わせではあるが工房や倉庫といった建物も大所は出来上がったので、次のステップとして恒久的な建物を考えている。恒久的といっても何千年なんて単位ではなく人間の寿命程度持てば良いなぁって感じ……つまりは「現代日本で一般的な建物と同等あればいいなぁ」って水準であり、法隆寺のように千年以上持つ建物なんて全く考えていない。
事故や災害や住む人の都合などで入れ替わり立ち替わりになるので、現代日本の木造建築物の総数を一年間に建てられた木造建築物の数で割ると三十年ぐらいになる。つまり木造建築物の平均年数は三十年程度という事である。
だけど、三十代で建てた家が六十代で駄目になるというのはどうもしっくりこない。平均寿命の計算方法を家屋に当てはめると八十年ぐらいになるという説もあってこっちの方が感覚的には納得できる。
実際はライフサイクルの関係や経済性などがあるから前者の方が巨視的には正確なんだろうけど……それと築三十年の中古住宅と言われると……ね?
それと防腐剤についてはクレオソート(コールタールを乾留してできる方で、止瀉薬に使われる方とは名前が同じだけで別物)やナフテン酸塩やAAC(第四級アンモニウム塩)やACQ(AACに銅化合物を添加したもの)といった薬剤は無いので、燻製にするとか、漆(紫外線に弱いので屋内専用)、柿渋、桐油、檜油といった多少は効果があろう天然素材を掻き集める手間暇もかかる。
天然素材と言っても、毒性があるから防腐、防虫、防蟻に効力を発揮できたりする物もあるので、中には取り扱い注意の毒劇物も当然ある。例えばアブラギリの種子から取れる桐油は毒性を持つ脂肪酸を含む毒物なので、荏胡麻からとれる食用のエゴマ油と対比して毒荏と言われたりする。今年は収穫シーズンを逃したが、アブラギリが群生している場所は見つけているので来年は種子を確保して桐油を採る予定。
「現状ではキッチンを各戸に持たすのは食糧事情などからも難しいので一戸建てではなく集合住宅のような物を建てる予定でいます。建物については幾つか案はあるのですが、大まかに言えば独身寮とかシェアハウスのようなプライベートスペースが限定的で共同生活性の高い形態のA案と、長屋や社宅、家族寮のような基本的には独立した家に近づけたB案に集約できます。要点としては、どこまでを共同使用してどこからを個別空間にするかの線引きの話になります。現状は水回りは共同、寝室は個別というのは鉄板として、その間のダイニングやリビングなどの機能を共同にするならA案で、個別にするならB案って感じですね。現状のドミトリー方式だと寝室も共同ですからそれよりは一歩前進はしたいと思っています」
出端屋敷を現代の施設に当てはめるとバックパッカー御用達のユースホステルやゲストハウス、登山者が使う山小屋などの宿泊施設としてのドミトリーに相当すると思っている。(ドミトリーは寄宿舎や学生寮などを指す事もある)
寝室も相部屋でプライバシーは最低限しか守られていないなど概念的には似ている。
一時滞在ならともかく今後も住み続けるとしたら最低でも寝室まわりは独立させないと色々と支障をきたす。現状では夜の営みなんて滅茶苦茶ハードル高いもの……
「それと当面は出端屋敷を使いますが、炊事と集会場などの機能を持つ建屋も検討しています。ここらはどういう住居にするかで必要な機能が変わりますので住居の形態で決まる類の話ですが……」
可能なら学校機能も付けて子供たちに読み書き算盤を教えようとも思っている。
一応、教員免許は持ってるので基本的な教え方とかは真似事ができるけど教材がないのがねぇ……これも課題か。