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文明の濫觴  作者: 烏木
第3章 難儀な人たち
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第7話 帰路

モグちゃん号に畳と布団と網戸と硬貨を積んでいざ出発。

運びたい物を全部積めるわけではないので今回はこれだけにした。


硬貨は金属としてなので紙幣は今のところ要らない。

現代日本の硬貨は記念硬貨とか古銭の金貨や銀貨とかもあるけど一般に流通している物としては一円玉がアルミなのを除けば残りは銅貨。

五円玉が銅と亜鉛の合金の真鍮、十円玉が銅にほんの僅か錫や亜鉛を混ぜた銅といってもいいぐらいの青銅(錫より亜鉛の方が含有量は多いけど)、五十円玉と百円玉それと旧五百円玉が銅とニッケルの合金の白銅、五百円玉が銅と亜鉛とニッケルの合金の洋白(ニッケル黄銅)となっている。


白銅は海水に対する耐食性が高いので海水ポンプの基幹部品に使えるのでまとまった数があって助かる。隕鉄からニッケルを取り出して銅鉱石から銅を精錬すれば白銅は作れるけど手間が掛かりすぎるので鋳鉄製の使い捨てまで検討案に上がっていたぐらいだから嬉しい。

何だかんだ言っても鉄とちがって銅を掻き集めるのって大変なのよ。


それで、帰路でやる事だけど、今後も何度かは行き来する事になるだろうし、家畜家禽を連れての場合は徒歩での移動も考えないといけないからトリップメーターで測った四キロメートル毎に目印を設置する。

徒歩だと一時間ぐらいで着く距離だがモグちゃん号だとだいたい十分から二十分おきに目印を設置する事になる。

面倒ではあるが、簡易的な一里塚という訳。

たぶん三十弱ぐらい設置する事になると思う。


目印といっても今は穴を掘ってファイヤーピットとか、石を積み上げるとか、木の枝を突き立てただけとかだけど、有ると無いとで道に迷うリスクは変わる。

そんな目印は当然ながら耐久性は皆無に等しいので、将来的には必要に応じて耐久性の高いものに仕替えても良い。


今のところ街道として整備をする気は全くないが、何度か通る事になるだろうし、BDFも幾らでも作れる訳ではないから歩くことになる可能性も十分あるから、距離の目安と可能なら風雨を凌げる場所を設置はしておきたい。


オドメーターによると美浦からキャンプ場までが約百十キロメートルだったので、徒歩でなら三泊四日か四泊五日ぐらいの行程になる。

徒歩での移動の場合、健康な一般的な成人だと一日三十キロメートルが目安だが、荷物の具合やら人や天候によって進める距離は一定ではない。

ホテルなんて当然無いので十キロメートル毎ぐらいに休憩や食事や宿泊ができる場所を見繕っておく。全行程が約百十キロメートルなので十箇所ぐらいそういう場所が必要になる。今は地勢や水の手などを見ながら場所の目星だけだけど……

本格的な整備の必要があるなら追々やればいい。


なぜ十キロメートル毎なのかというと、江戸時代の街道が大雑把には約十キロメートル毎(だいたい二~三里が多い)に宿場町があったからだ。要は一時(いっとき)(季節によって変わるが二時間前後)で着く場所に次の宿場町があった。

江戸と京都を結ぶ東海道の距離は約五百キロメートルなのだが東海道五十三次と言うように宿場町は五十三箇所あった。宿場と宿場の間が長い所もあれば短い所もあるが、平均すれば約九キロメートルになる。山がちな中仙道だともっと短くて平均七.五キロメートルぐらい。


一日三十キロメートル歩けるので、普通は三つ先の宿場を目指して進み、健脚な人は四つ先、荷物があったり子供や年配の人などがいれば二つ先の宿場を目指すといった感じで旅をしていたようだ。一日六時間歩くというのが基本的な考え方で、状況に応じた速度で進めるという凄く合理的な配置だと思う。それに途中で何らかの事故があっても一時間も歩けばたいていどちらかの宿場町に着けるという効果もある。


この時にその場のノリで付けた、鹿追(しかおい)上の口(かみのくち)横川(よこかわ)下の口(しものくち)川俣(かわまた)辰口追分(たつのくちおいわけ)尾崎台(おざきだい)裾野(すその)丸岡(まるおか)留山追分(とめやまおいわけ)という休憩所の地名が後々まで使われる事になるとは夢にも思わなかったけど……


■■■

道中に話をしていてWCが異様に大人しい理由が分かった。

やっぱり初めは「創造主様のご意向」と伝道者を自任して布教活動を活発にしていたらしい。

しかし困った事に例の声を創造主のものだと定義してしまうと創造主は拉致犯となり、そうでないなら「何を寝言を」というWCにとって不都合な状況があった。

WCの信者達は「試練」や「転機」といった捕らえ方もできるだろうが、そうでない者にそれを説くのは少々無理があり迷走しだした。


そんな時に本田さんが「あんたらは教え導くって言っているが、具体的に何ができているんだ?タダ飯食ってるだけじゃないか。『出来る奴はやる。出来ない奴が教える』って言葉があるが、出来ない奴は自ら行って背中で教える事ができないから口先だけで教えたがる。率先垂範する奴と自分ではできもしない事を偉そうに説くだけの奴のどちらが伝道者に相応しいんだ?うちのアレらはたいがいだけど、あんたらもやってる事は大して変わらんぞ」とバッサリやったらしい。

これが意外にも効いたらしく、徐々に布教よりも模範的な行動をするようになったとの事。


ジョージ・バーナード・ショーで改心するって……

それともアレと同類視されるのがよっぽど嫌だったのか?

何れにせよ悟りには程遠かったんだね。

正に「修行が足りん」だ。

背中で教え導ける模範的な人になれるよう精進してくれ。


他にもキャンプ場を離れるのに抵抗感はどうなのかを聞いたが、身体だけ大人になった奴らの面倒をみるのを一種の使命感でやっていただけなので、彼らが去った以上はどうでもよく、差し当たり麓あたりに移ろうかと考えていたところだったので渡りに船と思ったと言われた。

やっぱり砂利の斜面を一キロメートル行かないと森林に着けないのは物凄い欠点で、電気も水道もガスも無いなら固執する事もないってさ。


ガスはLPガスだから商用電源が落ちて安全装置の解除ができないだけで、直結させれば使おうと思えば使える。屋台なんかはそうやって使っているし。

まぁ使ったら再生不可能だけど……


■■■

色々とやっていたので帰路は9時間掛かったけど夕暮れ前に到着できた。

留山は普段の山裾を回り込む比較的平坦な道(通称:御八津道)ではなく留山の頂上を通り、美浦の全景を見てもらう。

標高は百メートルも無いがこの近辺では比較的高い場所なので美浦を一望できる。


「手前右側に見える幾何学模様の場所が水田で十二ヘクタールあります。その奥が畑で四ヘクタールです。右手の星降湾で製塩をしてました。台風で壊れたので現在再建中ですが……正面やや左に見える建物群ですがあれは倉庫と工房です。今のところ住居はあそこの広場に面した大きい建物の一軒だけです。新たに住居を建てる計画はあって用地選定と設計については案が幾つかあります」

「柵と堀をめぐらせているのですね」

「そうしないと野生動物が入り放題になってしまいますんで……鹿や猪は結構います。あれだけやっても偶にやられます。こっちも向こうを食っちまいますが」

「あの橋は……」

「はい。例の場所です……彼らはあの松林の更に先まで流されました。橋自体は台風で壊れていますが、修理すればまだ使えます。歩いて渡るには危ない場所なので橋を架けていたのですが……歩いて渡るにはあそことかあそこですかね」

「……それにしても半年でようここまで作れたの」

「機械も道具もありましたから……ガソリンが無いのでもう出来ませんが」

「ガソリンがあったらもう一度できる?」

「二度としたく無いですね。ガソリンがあったらここをもっと住みやすくする方に使いたいです。……さて、そろそろ行きましょうか」


文昭には先に戻ってもらっているので晩御飯はきっと大丈夫。

寝床はどうしよう……最悪、キャンピングカーで寝てもらうか。

そこらの手配は将司がそつなくやってくれる事に期待しよう。

視察団(?)を泊めるのは三泊を考えている。

明日から丸二日視察に充てて、明々後日の朝に発てば三泊四日。


■■■

晩御飯はお客さんの分を含めてちゃんとありました。

ただ、蛇やバッタがメインという比較的ゲテモノ度が高い日に当たったようで、わいわい食べている原住民に対してお嬢様方の大部分は御通夜のような雰囲気で笑えない。


それと空曜日だから米飯がある日の筈だが出されていない。後で聞いたら炊き出しで使ったから半月は出さないって原住民で決めたそうだ。この辺りの溝は大事になる前に考えないとな……美浦(ここ)にきて十日近く経っているのだからお嬢様方も多少は慣れて欲しい。俳優などが海外にホームステイする番組でも七日あればかなり現地流に適応しているっていうのにまだ難しいですか……まぁあっちは演技力もあるし仕事だしプロ意識が高いってのもあるか。


お客さんがいるから一瞬「拙いんでねぇの」って思ったけど、酷い物を最初に見せておけば後から「騙された」とならないから好都合かな?ドン引きされたらどうしようかなどと思っていたけど白石さんと秋川さんは普通に食べてくれた。

それどころか「これマムシ?シマヘビ?」とか「ハチノコはもう遅いか」云々……何と言うか、二人ともメンタル強すぎません?


どこに泊まってもらうかの話を振ったら何と部屋換えが行われていた。

楠本さん一家が漆原さん一家が使っている三十畳の大部屋を共用し、空いた大部屋にお嬢様方を移し、残りの男女が十八畳の部屋をそれぞれ一部屋。

俺ら四人は事後承諾だけど別に文句はない。


そうすると十八畳の部屋が二部屋空く事になり、その内の一部屋をパーテーションで半分に分けて八畳の部屋を二つ作ってあった。(通路的なもので二畳分消費)

現在の出端屋敷の空室状況は十八畳一部屋に八畳二部屋。

きっちり居残り組が入れるよう部屋が用意されていた。

出発前に部屋換えの話をすると「必ず勧誘しなければ」というプレッシャーになりかねないので黙っていたそうだ。


今晩のところは、十八畳に一人はさすがに寂しいのでお二方には八畳の部屋をそれぞれ使ってもらう事になった。


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