第3話 なめるな
将司が態々「命令」と言ったのは結果を引き受けるという意思の表明であり、文昭や俺が自責の念で潰れないためのやさしさでもあるのだろう。
幾ら三桁に上る鳥獣を殺してきたといっても人間を殺した事はない。人命が決して軽くは無い社会に生きてきた倫理観からすると抵抗感はとても大きい。鳥獣も初めのうちはくる物があったけど……
それを将司が背負ってくれるというのだから、美浦のみんなを守らなきゃならん。
こちらから見て左から娘、母、父、男の順……男は粋がっているだけで喧嘩慣れもしていない一般人だな。DQNに付いてきた己の判断を恨んでくれ。
奴らは「殺せ」と聞こえた瞬間、一瞬足が止まった。
「どっ……どうせ虚仮威しに決まってる。なめてんじゃねぇぞ!こっちは背水の陣をとったんだぜ……馬鹿なお前らは知らんだろうが水を背にした方が勝つんだよ!必殺背水の陣だ!俺らの勝ちは揺るがねぇ!」
味方を鼓舞する為か、俺らを脱力させる為か、気の効いたギャグのつもりか、素で言っているのかよく分からん。さすがに最後のとは思いたくないが……
ジリジリと近付いてくるがもう少し近寄ってくれば足場が良くなるので、まだまだ引き付ける。タイミングは文昭に任せて、俺はそれに合わせればいい。
一人を除いて喧嘩慣れはしているようだが、これは喧嘩じゃない。
威しのつもりだったのかもしれないがナイフを抜いた時点でもう喧嘩じゃ済まなくなっている。
切った張ったの命の遣り取りをなめるなよ。
腰に下げた鞘からいつでも剣鉈を引き抜けるよう抜け止めを外して柄に手を掛ける。
先端が尖った肉厚の大型ナイフのような鉈を剣鉈という。山刀とかマタギ刀と言う人もいるけど。
枝打ち、蔓切り、藪払いはもちろんの事、獲物の止め刺しや解体、皮の裏すき、骨切りなどにも重宝する。止め刺しなどで刺突できるよう、樋(俗称:血溝)と呼ばれる溝があって刺した剣鉈を抜きやすいようにしてあるし、手が刃の側に滑らないよう鍔も付いている。
普通に鉈といったら思い浮かべる先端が尖っていない鉈を腰鉈とか山鉈といい、重さを利用するので、枝打ち、蔓切り、藪払いの他に薪割りや竹割りにも使える。
剣鉈や腰鉈は工事や山仕事や狩猟など正当な理由があれば現代日本でも合法である。もちろん不必要に持ち歩いていたらしょっ引かれるけど……
佐智恵謹製、刃渡り八寸の愛用の一柄をこんな事に使うのは嫌だがそうも言ってられない。
「佐智恵……すまんな」
「ん?野良犬駆除も役目の内」
「ありがと」
奴らを「人の形をした手負いの獣」と意識して対峙する。
……そろそろ良い間合いだな。
文昭がDQN父に向かって飛び出したのに合わせ、剣鉈を抜いて左端のDQN娘に飛び掛る。
まさかこっちから掛かってくるとは、そして得物を持っているとは思っていなかったのか、驚愕した表情を浮かべながらへっぴり腰でナイフを振り回しているが力み過ぎだし腕だけで振っていてまるっきり素人だ。それに間合いが遠過ぎる。
振り戻しのタイミングに合わせて飛び込んでナイフを持っている腕に剣鉈を叩き込むとナイフは地面に転がっていった。ナイフは手に握られたままだった気もするが余計な事を気にしてはいけない。
振り下ろした剣鉈を振り上げざまに腹に突き立てて捻りながら引き抜き、倒れ掛かってくる肢体の首を薙いでから蹴り飛ばす。女子生徒相手に優位な得物で瞬殺は大人気ないとかの寝言は知らん。
なんか文昭の親父さんに習った型を幾つか連続させた感じの動きができた。
アインスとかは言わんよ。それフラグだから。
次目標のDQN母に向き直ると背景に川岸まで吹っ飛んでいく物体が目に入った。文昭も問題ないようだな。
―――
後で聞いたら、ナイフを持つ手を左でかち上げて右肘を鳩尾に叩き込み、間髪入れずに左のレバーブローで足を止め、金的を蹴り上げたら左スマッシュで上体を起し、バックステップしてテンプルに右回し蹴りを叩き込み、崩れ落ちてきたところに体当たりで吹っ飛ばすというエゲツナイ連続攻撃だったそうだ。良くて失神という一撃を何発出してんのよ。
―――
ただ、里川上流からザワザワと音が聞こえてきた。
あまり時間がないな。
DQN母が鬼の形相で振りかぶってナイフを投げて来るが大きく外れる。手品や大道芸でないならアンダースローの方が良いんだけどね。どちらにせよ刺さるように投げるのは結構難しいけど……
投げナイフを牽制にして奇声を上げながらタックルしてきたのだが何を考えているんだ?
構わず顔面に膝をお見舞いする。
背中に馬乗りになって左手で髪を引っ掴んでだらブチブチッという音と共に髪の毛の塊が手に……オイ!責任者!……本体を脇に放り投げて額に手を掛けて頭を持ち上げ、剣鉈をもぐり込ませて首を薙ぐ。
ラストの目標を睨むとガタガタと震えている。
今まで強者の代表だったDQN達は瞬殺され、しかも俺は返り血で凄い事になっているから見た目も滅茶苦茶怖いよね。しかも確実に命を取りにきているのだから……
「ウワァーーーッ!」
悲鳴をあげつつ川に向かってまっしぐらに逃げるが深追いはしない。
追うどころか撤収だよ撤収。すぐ傍まで鉄砲水が来ている。
向こう岸で呆然としている人もさっさと逃げないと鉄砲水にのまれるぞ。
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あっという間、ものの十数秒で川の水位が六十センチメートルは上がった。残っていた井堰も破壊されたようで杭なども流れている。
六十センチメートルというと大人の太腿か股下あたりだが、鉄砲水や津波などの水流をなめてはいけない。三十センチメートルもあれば簡単に足元を浚われてしまう。柔道有段者に足払いを掛けられ続けるようなもので一人で耐えるのは難しい。それに水の浮力も相まって踏ん張りが利かないのでなおさらである。
渡河途中の彼はもちろんの事、川原に降りていた者は皆流された。
数秒ぐらいは耐えていたが、段波がくると一溜まりもなく全員流れ落ちた。
キャンパーといってもリクリエーションの範囲で専門家という訳ではないからレスキューやサバイバルの知識があったり実践ができる訳ではないか。
鉄砲水はある意味一過性なので一列に並んで受ける圧力を一人分にして後ろから支え続ければ耐え切れる場合もあるんだけど……
結果論で言えばこちらが手を下さなくても一緒だったかな。あくまで結果論だけど。
流された奴らの確認は後からでもいいけど、向こう岸の四人はどうしよう。
仮に土下座されたとしても、今更どうしようもないんだよなぁ……
優位の時に下げる頭には価値があっても底値で下げる頭には何の価値もない。ワンゲル部さんの様に初めから下手にでていたらこの状況は無かった筈だ。
「佐智恵、雪月花」
将司の声に応えて二人が銃袋からライフル銃を取り出して装弾する。
「佐智恵、貸せ」
二人に殺らせる訳にはいかんだろう。
雪月花には将司と文昭が手を差し出している。
考える事は同じか……
「手や顔に返り血がついてる。後のメンテが面倒だから嫌。それと……なめないで」
「同じく。私も殺る。それで全員同罪」
うちの女性陣は相変わらずオトコマエだなぁ……
「おい。俺はどうなる」
「じゃぁ芹沢さんは業突くババァを……セクハラジジィは私が殺る」
右膝を地面に付けて立膝のような姿勢の膝撃ちの構えを取る二人。
説得を諦めて後ろに回る。
マンストッピングパワーと殺傷能力がありすぎて不要な苦痛を与える……要はオーバーキルってことで(警察は使うけど)戦争で使うのは禁止されているソフトポイント弾。
十五~二十メートルはライフル銃にとっては至近距離といってもいい距離。
四発の銃声が響いた後、対岸に生存者はいなかった。
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『ここまでする必要があったのか』
『他に手は無かったのか』
そういった批判はありえるだろう。
そしてそれはきっと将司が一番重く受け止めている。
俺らは「将司が必要だと判断したから」という逃げ道があるが、将司にはそれが無い。
今後の為に考えるのはいい。
反省するのもいい。
だが後悔はしない。
あの時点ではこの決断がベストだった。
「ベストの決断だ。断固支持する」
難しい顔をしている将司に声を掛ける。
その後は「返り血を洗い落とせ」との指示で、流された者の捜索は三人に任せて俺と佐智恵は先に戻る。返り血を浴びたのは俺だけ……刃物を使ったのは俺だけだから当り前か。
血の付いた服は佐智恵に回収され秋空の下で水浴びをして震えている。
佐智恵、早く着替えを持ってきてくれ。頼む。
着替えがどこか分からなかったら匠に聞いてくれ……
それはそうと銃声はどこまで聞こえたかな。
屋敷とは反対側に発射しているからよく聞こえなかったかも知れない。
政信さんに聞いたところ「四発だろ。自分と奈菜は分かったけど普通は知らないから特に反応は無かった。そういう事だ」との事。
流された人の捜索で、確認できた遺体は十五体。
大半が三キロメートルほど下流の瀬に引っかかっていたそうだ。
残りの四人は海まで流された可能性が高い。
生存率は限りなくゼロに近いため認定死亡でいいだろう。
鉄砲水に流された人の生還率が意外な数字なのは口にしてはいけない。
それはあくまで多数の事故をまとめた統計上の数字であって個々の事故でその生還率が当て嵌まる訳ではないのだから。
公式には『危ないと言っているのに川を渡ろうとした十九人は運悪く鉄砲水に流されて亡くなった』という事にした。真相を知られてもどうもなりはしないけど……
遺体をそのままにしておくのは、精神衛生上も生物学的衛生面でも問題があるので弔いはする。
瀬の近辺の留山の麓に埋葬した。南無南無……