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文明の濫觴  作者: 烏木
第2章 幕間
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幕間 第4話 早乙女奈緒美の野望……元年夏

早乙女奈緒美の一人語りです。

お酒……それは嘉会(かかい)の好にして百薬の長。生き甲斐にして活力の源。

そう言うとノリさんから「王莽(おうもう)乙」「飲兵衛乙」と突っ込まれる。


「酒は百薬の長(にして嘉会の好)」というのは漢書の食貨志にある王莽の詔の冒頭部にある「夫鹽食肴之將 酒百薬之長 嘉會之好 鐵田農之本 名山大澤 饒衍之臧」(()(しお)食肴(しょくこう)の将、酒は百薬の長、嘉會( かかい )の好なり。(てつ)は田農の(もと)、名山大澤(だいたく)饒衍(じょうえん)(ぞう)なり)からきている。

意味は「そもそも塩は食物に最も肝心なもので、酒は多くの薬の中で最もすぐれており、めでたい会合で(たしな)むよきものである。鉄は農耕の基本となるものであり、名山や大きな湖沼は、(狩猟や漁業の)豊饒な蔵なのである」という物だが、真の意味は「だからこれら塩、酒、鉄、山林、水源を国家が管理して専売制にすれば誰も俺様に逆らえないだろうガハハ」という物だったりする。

さすがは半代で滅び、平家物語の冒頭で「久しからずして亡じにし者どもなり」に名を連ねるだけはある。


しかし、そんなこまけぇこたぁいいんだよ。

目下の重大事は我らの生きる糧たるお酒の残量が限られているって事なんだ。この重大事を前にすればどんな事も大事の前の小事にすぎない。もはや可及的速やかに酒造りに取り掛かるのは人類の使命だってのにマサさんもノリさんもタクさんも協力的でない。

三人共全然分かってない。君達の考えは甘い甘い。ラグドゥネームより甘い考えだ。

頼れる同志のミノッチと文昭くんは言わずもがな、化学や薬学にアルコールは付き物だからユヅとサッチもこっちだ。つまり我が方はSCC内部だけでも5対3で過半数をしかも女性陣は全員を擁するのだ。

それに日本酒造りに欠かせない麹は味噌や醤油にも必要だし、そもそも酢や味醂はお酒がなければ始まらない。


お酒を造る。

調味料や有用物資や医薬品ができて生活が豊かになり活力が漲る。

みんな幸せ。


こんな簡単な理屈も分からないのによく大学を卒業できたなpgrってなもんよ。酒造推進派が大多数を占めるのは時間の問題、いや自明の理だろうが。ハッハッハ


■■■

なのでお酒を造る。

先ずは基本となるのは醸造酒なので醸造酒の準備から取り掛かる。


お酒は大雑把だが、醸造酒、蒸留酒、混成酒に分ける事ができる。

醸造酒は糖分をアルコールに変えるアルコール発酵でできるお酒で、日本酒、ワイン、ビールをはじめ多種多様な醸造酒がある。

蒸留酒は醸造酒などを蒸留してアルコール濃度を高めたお酒で、ウィスキー、ブランデー、焼酎、泡盛などが日本では馴染み深いものだがこちらも本当に多くの種類がある。

混成酒は醸造酒や蒸留酒に何らかの成分を添加したりしたもので、リキュール、ベルモット、梅酒、味醂、薬酒など。どのお酒に何を加えるかの組み合わせは星の数ほどある。

しかし、蒸留酒と混成酒のアルコールは元はと言えばアルコール発酵で作られたアルコールなので醸造酒がスタートであり基本になるお酒だ。


アルコール発酵というはグルコース(ブドウ糖)フルクトース(果糖)などの単糖やマルトース(麦芽糖)スクロース(ショ糖・砂糖)などの二糖といった小さな糖類をエタノールと二酸化炭素に分解する作用の事で、基本的にはサッカロミセス・セレビシエ(イースト菌)やサッカロミセス・サケ(清酒酵母)などの酵母が糖からアルコールを生成する事を言う。一応「カーボニック・マセレーション」など酵素を利用する方法もあるけどほとんどは酵母を使う。


デンプンなどの多糖類は酵母が代謝できないからデンプンでアルコール発酵するのは難しい。

厳密には正しくは無いが概ねこう考えて問題がないものとして、糖が一つのものを単糖、二つくっついているものを二糖、連なっている数が三個から十個ぐらいのものをオリゴ糖といい、ここまでを纏めて少糖(少糖類)と言ったりする。オリゴ糖は麦芽糖やブドウ糖のような単一の物質を指すのではなく複数の物質を纏めて指す言葉なのでオリゴ糖という物質はない。

オリゴ糖を超える数がくっついているものを多糖(多糖類)と言い、デンプン、セルロース、グリコーゲンなどが代表的な多糖で、グルコサミンやキチン(キチン質)も含まれる場合がある。


酵母が代謝できる単糖や二糖などをどうやって確保するかで醸造法が変わってくる。

そもそも単糖や二糖が含まれている原料を使う方法と何らかの手段でデンプンを少糖に分解する方法に分かれ、分解する方法によっても差異がでてくる。

ちなみに全てを単糖二糖に分解してオリゴ糖が無い状態でアルコール発酵すると発酵後に残る糖質がゼロになる。これが糖質ゼロビールの正体だったりする。要はオリゴ糖が無いビールが糖質ゼロ。


原料に単糖や二糖が含まれているなら、後は酵母があればアルコール発酵ができてお酒が造れる。この場合は工程がアルコール発酵しかないため単発酵と言い、ワインやシードルなどの果実酒が単発酵酒の分かり易い例と言える。他にも蜂蜜酒やラム酒の蒸留前の物なども単発酵酒。


もう一つのデンプンを分解する方法は、デンプンを少糖に分解する糖化工程とアルコール発酵工程があるので複発酵と言う。

糖化とアルコール発酵の工程が完全に分かれているものを単行複発酵と言ってビールやウォッシュ(ウィスキーの蒸留前の物)などが分かり易い例。


対して糖化とアルコール発酵が同時並行で発酵が進む方式を平行複発酵と言って日本酒や紹興酒など東アジアでのみ見られる方法である。すごく乱暴に言うと麹を使って酒造する方法の事だ。実は麹は東アジアにしかない。


デンプンの分解方法は様々だが基本的には唾液中の消化酵素(口噛み酒)、麦芽中の糖化酵素(ビール等)、コウジカビが生産する酵素(日本酒等)などのアミラーゼ(デンプンの加水分解酵素の総称)が使われる事が多い。


酵素はアミラーゼだけでなく、普通はプロテアーゼ(タンパク質の加水分解酵素の総称)やリパーゼ(脂質の加水分解酵素の総称)が同時に含まれていて、デンプンは少糖に、タンパク質はペプチドやアミノ酸に、油脂(脂肪)は脂肪酸やグリセリンその他などに分解されて発酵時に酵母などが利用する。


■■■

工程的に一番単純なのは単発酵だが課題は原料……

果実については、ブドウ、リンゴ、ミカンなどキャンプ場にきた時に食べていた果物の種を育苗してる。しかし実生だから最低でも数年、下手すりゃ十数年から数十年といった時間がかかるし性質も分からない。そして何よりそもそも結実するかも分からない不確かな物しか無い。だから「できたら目っけ物」程度に思っている。


そこで有望なのはノリさんが捕獲した蜜蜂。

蜂蜜には凄く期待している。来年の夏には百花蜜が十~十五キログラムぐらい取れてもおかしくないから、これを半分確保すれば……比重を一.四で三倍希釈として……だいたい十~十六リットル程度は造れそうだ。


単発酵酒は現状では原料調達に難があるので本命の複発酵の準備をしておく。

今冬の酒造に備えて麹菌と酵母の培養はしておきたい。

培養元の菌株は私のコレクション……もとい研究サンプルを活用する。

菌株は変性して駄目になる事があるから小分けにしたサンプルを分散保管していた。そのせいというかお陰というか一応コレクションしていた全種類が揃っている。とは言っても一種類毎の量は少ないので失敗は許されない。


アルコール発酵酵母は乾燥酵母の状態で、清酒、焼酎、泡盛、ビール、ワイン、パン、味噌、醤油などの菌株をそれぞれ何種類も取り揃えている。

生物学的に言えばS・セレビシエとS・サケとシゾサッカロミセス・ポンベ(ポンベはスワヒリ語で酒の意)の三種(S・サケをS・セレビシエの亜種もしくは品種とするならS・セレビシエとS・ポンベの二種……S・サケを独立した別種にしようという意見があるというのがより正確なので学会的には二種かな?)が主なアルコール発酵酵母なのだが、分離源や用途や得手不得手によって菌株と呼ばれる品種のようなものがある。


例えば……同じホモ・サピエンスといっても、化学は滅法強いがノリさんの介護がなければ生きていけるのかが危ぶまれるぐらい日常生活能力が残念なサッチが居れば、何でもできるけど、どれも一流には届かず、それでいて弟子は一流に届くノリさんが居て、食べられる物への情熱と技量は抜きん出ているけど料理の発想力が悪い方に振り切れているミノッチが居るといった感じで、個々人によってできる事とできない事がそれぞれ違うので適材適所が重要になる。


これは酵母も同じで、味噌酵母で日本酒を醸造すると日本酒よりだいぶアルコール度数は低いが一応はお酒にはなる。不思議な事に大豆を使っていないのに味噌の風味がするけど……

また同じ清酒酵母の中でも菌株が異なればその他の条件を同じにしてもできあがりは異なるし、ある蔵元で抜群の成績を誇る菌株が他の蔵元ではあまり成績が芳しくないなんて例は山ほどある。

酵母選定や配合も本当に奥が深い世界なのよ。

だからこそ多種多様な菌株が存在しているんだけどね。


パン酵母や味噌酵母は普通に売っているけど、きょうかい酵母をはじめとした酒造用の酵母は密造酒防止などの観点から基本的には酒類製造免許いわゆる酒造免許が無いと入手できない事が多い。

だが、そこはそれ醸造の研究をしていたから研究室を通して研究用という建前もとい研究目的として調達(購入)したり他の研究者や蔵元さんなどから融通してもらったりして取り揃えているし自前で育種した酵母もある。

この子達が死滅したり変性するのは世界的な大損失なのは火を見るよりも明らかなので、純粋培養してやらないといけない。


だからマサさん協力してよ……温度の維持と振とう器があったら純粋培養ができるんだからさぁ……砂糖も少ししか使わないってば。


日本の国菌である麹菌については粉状種麹と粒状種麹の状態で黄麹、黒麹、白麹がそれぞれ数種類から数十種類ある。それ以外の麹に利用する赤麹菌などは残念ながら菌株は持っていない。というか複数種類の菌種の混合体なので菌株という概念が無いか非常に弱いためコレクションに向かない。


黄麹はニホンコウジカビやキコウジカビとも言われるアスペルギルス・オリゼーだと言っても大過ない。菌を肉眼で見ることのできる人の漫画などで学名のA・オリゼーが有名になったが、この黄麹が味噌、醤油、日本酒、味醂、酢などを造るのに凄く重要なのだ。醤油についてはショウユコウジカビとも呼ばれるA・ソーエや現代では研究施設のサンプルぐらいしかないA・タマリもあるが、醤油醸造に使う麹の九割方はA・オリゼーだったりするし、A・ソーエは学問的にはオリゼー群に含む場合がある。

この黄麹は多種多様な使われ方をするので用途に応じた菌株がある。

中には自社で種麹を育てている所もあるけど基本的には種麹屋から仕入れるのが大部分で、酒造業者によって使う菌株や配合はまちまちだったりする。

なので黄麹の菌株サンプルはたくさんある。


黒麹は泡盛に使われている麹から分離したA・アワモリが中心で、A・サイトイという菌種も含まれる。クエン酸の大量生産に使われるA・ニガーという菌種を黒麹に含める場合もあるけど、日本醸造学会は国菌の認定宣言でも明らかなように麹菌には含めていない。

黒麹の一番の特徴はクエン酸の産出力が優れている事。

この特徴のお陰で気温が高い温暖な地域――沖縄や鹿児島や宮崎など――での醸造が安定する。黄麹だと雑菌に負ける事があるが、黒麹はクエン酸という武器があるので雑菌に負けないのだ。

黄麹を使っていたため安定しなかった鹿児島の醸造業者の為に明治の終わり頃に安定して醸造できていた泡盛の麹菌を九州に導入した。そのお陰で九州での醸造が安定するようになり、これ以降を近代焼酎と言ったりする。

温暖な地域での醸造は安定するのだが、クエン酸は酸っぱいのでそのまま飲むのではなく蒸留酒(泡盛や焼酎)にする事が多い。一応日本酒も造れるけど採用例は極少数……


白麹はA・アワモリの白色変異株(アルビノと思ってくれれば大過ない)なので生物学的にはA・アワモリに含まれるが、分離者であり近代焼酎の父ともいえる河内源一郎氏にちなんだA・カワチとも言われる。

河内源一郎氏は泡盛麹(黒麹菌:A・アワモリ)を九州に導入して近代焼酎へ転換させたが、その後に黒い胞子で汚れないよう胞子が白い白色変異株を見つけて分離した。これが瞬く間に焼酎業界を席巻して現代でも白麹は「焼酎麹」とも呼ばれているほど焼酎業界では重宝されている。


これら麹菌のサンプルは培養して胞子を増やさないと製麹(せいきく)に必要な量にならない。つまりは種麹屋よろしく種麹を造る必要がある。


一応は味噌や醤油という建前もあるので黄麹は十種類ぐらいは培養したい。それと冬の寒さがどの程度か分かっていないので保険と称して黒麹と白麹の種麹も何種類か作っておいた方が良いと思う。

そうだ。もろみ酢を造るにはA・アワモリが最適だったわ。うん。もろみ酢の為にも黒麹と白麹を培養しないとね。


麹の培養つまりは種麹作りはコウジカビの胞子を得るのが目的なので、酵素が目的の製麹とは方法が異なり発酵期間は製麹の二日ぐらいに対して七日前後と長時間かかる。また原料も精米歩合がほぼ玄米といえる二分搗きから三分搗き(精米歩合九八~九七%)――要は菌糸が入り込む傷をつける程度の精米――のものを使うなど差異がある。


酵母も麹菌もそうだが、この手の培養で一番注意しないといけないのがコンタミ(コンタミネーション:混入や汚染)で、目的外の菌株や雑菌が混じると全部が駄目になってしまう。特に麹菌の属するアスペルギルス属にはカビ毒(マイコトキシンの一種のアフラトキシンなど)を生成したり、アスペルギルス症などの疾病を引き起こしたりする種が多い。というか「麹菌が例外的にこれらの遺伝子が不完全だったり不活化している」といった方がより正確だろう。

これが麹菌が「家畜化された細菌」とも言われる由縁の一つ。特にA・ソーエなんて天然には存在しないという説があるぐらいだから家菌って言ってもいいかもしれない。

麹菌と他のアスペルギルス属の雑菌は生活環が似ているので製麹中に他のアスペルギルス属の菌が混じるとできた麹にカビ毒が混じってしまい、それ以降が全て駄目になる。なので酒蔵でも製麹室は部外者立入禁止だったり二重扉などで雑菌が入らないよう細心の注意を払っている。


種麹を育てるには雑菌対策がある麹室が無いと面倒なのよ。種麹はまだアレだけど、製麹は麹室というか製麹室が無いと危険なの。命に関わるの。

だからね。タクさんお願いだよ。麹室(こうじむろ)製麹室(せいきくしつ))を建てて頂戴。

駄目なら日和号を閉鎖して麹室にしてしまうよ。それでも良いの?


酵母や麹菌の培養は摂氏三十~三十五度あたりをキープする必要があるので気温が高い夏場にやってしまいたい。

タクさんは麹室、マサさんはサーモスタッドと振とう器を急いで!

はやくしろっ!!間に合わなくなってもしらんぞ!って……お願い!

後はノリさんとか文昭くん使って何とかするからさぁ……ね?良いでしょ?


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