第18話 一を聞いて十を知る
仮設本部として設営されたテントで地形図を描く。
測量したわけではないので誤差は酷いだろうが描いた周辺の地形図に現在地もプロットする。
「美恵さん、鶴郎くん、ちょっと来てこれ見て」
「……地図?」
「どこに石灰窯を建てれば良いと思う?」
「……司と輝政くん呼んでいいですか?」
「良いぞ」
「じゃ、ちょっと失礼します」
二人を呼びに席を外す鶴郎くん。
初めに二人にレクチャーして司くんと輝政くんに考えさせるときのファシリテータになってもらうつもりだったけど、司くんと輝政くんがいても特に問題はない。
「ノリちゃん、私だとどこに建てたら良いかは分からないよ」
「剛史さんは美浦の窯炉や石灰窯、オリノコの登り窯、コロワケの煉瓦窯諸々の全部で建てる場所をちゃんと選定して設計もしていたよ?」
「…………分かった。ヒント、ヒント頂戴」
父親でもあり師匠でもある剛史さんの名を出されたら引けないよね。
「そうだなぁ……まず、美浦の石灰窯は云わばラボレベルの装置だからあれの拡大版はキツイと思うぞ」
「あぎゃ! それは困った」
美浦の石灰窯は実態としては大きな坩堝といった感じで、鋼鉄製の容器に貝殻などを入れて回りを高温にして煆焼している。
これは量が知れているからできる話であって産業的な使い方はできない。
「剛史さんから聞いてない?」
「分からない事はノリちゃんに聞けって……」
「スパルタだなぁ……基本的な石灰窯は形状は若干違うけど甑炉と使い方は似ている」
「……つまり、石灰窯は上から燃料の炭と石灰石を交互に入れて火をつける感じ?」
「その通り」
美浦には鋳造用の金属を溶かす溶解炉の一種(というか原始的な溶解炉)の甑炉がある。
ちなみにとうの昔に廃炉になった初代甑炉(美浦平にあったので廃炉後の遺構は津波で完全に破壊された)の設計は佐智恵で築炉は匠。
旭丘の二代目甑炉の築炉には剛史さんも関わっているが、設計が佐智恵なのは変わらない。
「……ノリちゃん、もしかして上から燃料や原料を入れ続けて、下から取り出し続けたらずっと動かせるんじゃない?」
「発想は良いね。それを完全にやったのがシーケンシャル処理(連続窯)の竪窯とかシャフトキルンと呼ばれる物だ」
バッチ処理の不連続窯だと加熱して煆焼したあとに冷却してから取り出す必要があって熱効率はよくない。
それと大型化すると熱ムラがでて品質にバラツキがでてくる。
それに加えて仕込み・焼成・冷却・出荷といったサイクルになるから最低でも四基ぐらいでローテーションしないと安定出荷ができないから四基から七基ぐらいが同じ場所にある石灰窯はそれなりにある。
また高温と常温を何度も行き来する事になるから窯の消耗も激しい。
そこで冷却に使用した排気の熱を次に煆焼する物の煆焼の熱にしたり煆焼部の排気をその上の原料の予熱や乾燥に利用するなど熱の効率化を計り、加熱部を一定の位置にして液体燃料(重油など)を噴射する形態にする事で温度調整を容易にする(=品質が安定する)方法が考えられた。
それがシーケンシャル処理のシャフトキルンという物。
その後には複数のシャフトキルンを連携させて品質や熱効率を高めたタイプの石灰窯も作られている。
ただ、これらの石灰窯は原料同士の隙間が無いと窯が詰まって空気が通らなくなってしまい操業できなくなるので、原料の石灰石(バッチ式の石灰窯は燃料の石炭などの固体燃料も)はある程度の大きさと硬さが必要になる。
そこで現代では原料の大きさを選ばない回転窯がよく使われている。
ちなみに燃料効率だけを言えばロータリーキルンは最適化されたシャフトキルンには及ばない。
「じゃあ、シーケンシャル処理のシャフトキルンを造れば良いの?」
「難しいと思う。バッチ処理の石灰窯は燃料が固体燃料だけど、シーケンシャル処理のシャフトキルンは液体燃料になる」
「えっ? 液体燃料になるんだ」
「固体燃料でもできなくは無いが焼成中の窯の排気口から固体燃料や石灰石の投入という危険な作業がいる。そうそう、シーケンシャル処理のシャフトキルンも石灰石の投入はあるから人間を使い捨てにしないなら機械化は必須だな」
一応、固体燃料を使ったシーケンシャル処理をする石灰窯も存在はしていたが原料や燃料の継ぎ足しは人力だった。
当時の従業員への聞き取り調査の資料が残っているが、とても過酷な作業であったのが読み取れる。
製鉄に使う高炉のように固体燃料と原料の投入は機械化できるが、そこを機械化するなら石灰窯なら液体燃料を使う。
固体燃料だとどうしても燃焼灰が混じるので液体燃料を使った物と比べると品質に劣るし、固体燃料の嵩の分だけ窯の容積を食ってしまうので同じ容積の窯だと生産量も劣る。
精鉄ならコークスの炭素が鉄と混じることで融点を下げる(その後に転炉で炭素量を調整する)のでコークスである必然性があるが石灰だと余計な不純物でしかない。
品質的にも生産能力的にも石油を使った石灰窯に太刀打ちできなかったため、固体燃料を使用した石灰窯の多くが廃窯してしまった。
バッチ処理であれシーケンシャル処理であれ、固体燃料を使った石灰窯の止めとなったのは実は化学肥料。
不純物が多い低純度の石灰の主要用途は実は圃場のpH調整剤だったりする。
江戸時代ごろから石灰岩が採れる地域に雨後の筍のようにできた石灰窯は地元で作れる土壌中和剤(当時の人からすると肥料という認識)だった。
そして明治期以降に石油を燃料にした高品質大量生産の石灰窯にシェアを奪われ続けてバタバタと倒れていった。
終戦直後は辛うじて残っていた石灰窯は戦後復興の礎としての石灰需要で一息つけたが、品質と生産性に劣る固体燃料の石灰窯は化学肥料の普及にともなう石灰の肥料需要の激減によって立ち行かなくなった。
「それと規模感が全然違う。バッチ処理の石灰窯は最大でも七日ぐらいかけた操業一回で三〇トンぐらいの生産が限度だけど、シーケンシャル処理のシャフトキルンは日産一〇〇トンが最低レベル。それ以下だと熱を回しきれず無駄が多くなる」
「うわ……日産一〇〇トン……ええっと……カルシウムの原子量って……「四〇」キートス。そうすると炭酸カルシウムの分子量が……おお一〇〇だわ。で、酸化カルシウムは……五六だから……四四パーセントが炭酸ガスになって抜ける。ざくっと重さが半分になると考えたら酸化カルシウムが日産一〇〇トンだと毎日石灰石を二〇〇トンも入れ続けるって事か……うん。例え燃料と石灰石が無尽蔵にあったとしてもモグちゃん号が何台もないと原料確保が無理じゃない?」
「そう思うぞ」
「そっか。だけど甑炉と同じく燃料や原料を上から入れるなら投入口は地面と同じレベル(高さ)が良いんじゃないかな? 持ち上げるのは大変そうだし」
「だな」
「つまり、採掘場より低い土地に建てるとか掘り下げるとか窯以外のところを盛土するとかして窯の天辺と地面のレベルを合わせる。水平距離が離れるなら埋め立てるか橋を渡す……これ如何?」
「とても良い案だと思う」
実は崖にへばりつくように造られた石灰窯も結構ある。
当然ながら崖の上には石灰岩が採れる場所がある。
「それで、甑炉と石灰窯は形状が違うって話だけど」
「ああ、甑炉は細長い円筒形だけど、あれは溶解した物が滴下するから時間あたりの溶解量が増減すると面倒とかもあって円筒形でいいんだが、石灰窯は金属の溶解と違って熱分解に時間がかかるから高温を維持する必要があってね」
「成る程……蓄熱する事も考えないといけないとなると太くしないと熱が逃げるし、上部の排気孔は限定した方がよさそう……太めの円筒の上を絞った形……容積を稼ぐため回転楕円体って手もあるか……」
良くそこまで考え付くと感心する。
石灰窯の形状に『徳利型』と呼ばれる物があって、窯の断面をみると徳利と形状が似ている石灰窯もある。
俺のように現代までの石灰窯の変遷の歴史からのカンニングじゃなくて独力で一瞬にしてそこまで行けるとは……
「うーん。底面積とって高さを抑えたのとその逆。どっちが良いかが分からない」
「それぞれのメリット・デメリットを考えてみようか」
「そうか……安全性は低い方が優位。使用資源と築炉期間も低い方が優位。火の回りは……うん。高い方が優位。ノリちゃん、焼成温度は最低温度が九〇〇度、適正温度が九五〇度、上限温度が一,〇〇〇度で合ってた?」
「おおよそ合ってるよ。上限温度は一,一〇〇度だけど」
炭酸カルシウムは熱分解で酸化カルシウムと二酸化炭素に分解するのだが、摂氏九〇〇度で二酸化炭素の分圧が一気圧ぐらいになるのでその前後ぐらいから熱分解が始まる。
摂氏一,〇〇〇度では二酸化炭素の分圧が三.八気圧ぐらいになり熱分解の速度が上がるので摂氏一,〇〇〇度ぐらいで煆焼する事が多い。
ただ、煆焼温度が高くなるにつれ酸化カルシウムの結晶ができやすくなり、その後の反応性が落ちてしまう。
例えば、粉砂糖はショ糖の粉末で、氷砂糖はショ糖の大きな結晶なのだが、同じ重さの粉砂糖と氷砂糖を水に溶かすのにどっちが時間がかかるかとか、加熱してカラメルにするのにどちらが早いか(というか氷砂糖でカラメルは作らないとは思うが)という事と同じで、結晶化すると結晶から引っぺがすエネルギーがいるのと内部まで反応するまでの時間がかかる。
ある程度の結晶化は仕方が無いとしても実用に耐え得る程度までとなると焼成温度の上限はおおよそ摂氏一,一〇〇度と言われていて、摂氏一,一〇〇度を上回るっていくほど反応性がどんどん落ちていくので産業的には使い物にならなくなる。
熱分解は石灰石の表面から始まって熱伝導で内部の熱分解が進行していくので酸化カルシウムの結晶ができにくく反応性が高い高品質な生石灰を得ようとすると、理屈の上では摂氏九〇〇度程度の環境で内部まで均一な温度になるまで置いておくのが一番になるが、これでは時間がかかり過ぎるので産業的には摂氏九五〇度ぐらいで比較的長時間煆焼するという方法と、摂氏一,〇〇〇度ぐらいの高温で比較的短時間煆焼して必要に応じて選り分けるという方法がとられることが多い。
そして現代ではだいたい後者が使われている。
理由はほとんどの用途では最高品質である必要はなく、摂氏一,〇〇〇度前後の煆焼での品質で十分だからで、どうしても最高品質が必要な場合は選別するという感じ。
現状の俺らが使用する用途では最低品質でも大丈夫なのでそこらあたりは大丈夫。
高純度で反応性が高い酸化カルシウムの用途でぱっと思いつくのはコークスと混ぜて電気炉で摂氏二,〇〇〇度ぐらいまで上げて炭化カルシウム(カルシウムカーバイト・単にカーバイトとも)を合成するとかかな?
「紙と筆いい?」
「いいぞ、これ使え」
「キートス」
直ぐにブツブツ言いながら石灰窯の形状案を紙に書いていく美恵さん。
美恵さんは打てば響くとか一を聞いて十を知るって感じだから相手にしていると本当に楽しい。