第15話 発破するにも準備はいるよ
「試験発破って気が早くないか?」
「義教が見落としているだろう点も気になっている」
「えっ? 何か見落としている?」
「アンモニアガス。カルシウムがあるとアンモニアが発生する」
「それぐらい百も承知だけど?」
ANFOの主剤は強酸の硝酸と弱塩基のアンモニアの塩である硝酸アンモニウムだから、カルシウムなどの強塩基のイオンがあると弱塩基のアンモニウムイオンが強塩基のイオンに追い出されてアンモニアが発生する。
これは水溶液中でイオンになってからの話だから乾燥状態での接触ならアンモニアはそうそう発生しないが、吸湿してアンモニアが出る可能性が無いわけではない。
「先ずはじめに俺はANFOとは指定していない。次にANFOを使っても露天ならアンモニアの発生は大した問題ではない。実際、石灰岩の露天掘りは普通にANFOを使っている所も多い」
ANFOは他の爆薬と比べると格段に安価で安全性が高いにもかかわらず威力は十二分にあるので、産業的にはANFOが使用できないケース以外ではANFOを使うのが普通。
「露天ならそう。露天部が終わって坑道発破になるとアンモニアガスは面倒。坑道や隧道でANFOはあまり使われないのは知っている筈」
「それは誤解があるな。地下水とかが無ければアンモニアガス発生抑制剤を添加したANFOは普通に使われているぞ」
発破しても完全に全部が反応する訳ではないし、発破孔に入れる際に零すことだってある。
そうして硝安がある状態で水に濡れて強塩基と接触するとアンモニアガスが発生する。
強塩基のカルシウムと反応というのはコンクリートなどのポルトランドセメントを使っている所でも起こるので(日本ではあまり実施されないが)ビルの爆破解体の現場でも起き得る。
オープンエアなら拡散も早いので然して問題はないが、坑道やトンネル(隧道)といった閉鎖空間でアンモニアガスが発生したら事故も起き得るので、濃度にもよるが換気が必要になる事もある。
だから坑道や隧道の発破にANFOを使用する場合はアンモニアガス発生抑制剤を添加したANFOを使う。
アンモニアガス発生抑制剤を添加したANFOだとアンモニアガスの発生量は無添加のANFOに比べて三分の一ぐらいまで抑えられるらしい。
低減させた発生量であってもアンモニアが面倒だとか地下水とかの水があってANFOを使い辛い場合はダイナマイトや黒色火薬を使う事もある。
黒色火薬は世界最古の火薬(爆薬)ともされる歴史ある爆薬で、さすがに現代兵器に使われている例は寡聞にして聞かないが、狩猟用の散弾の発射薬や発破用の爆薬などで二十一世紀初頭でも現役だったりする。
ANFOは導火線では誘爆しないので伝爆薬が必要だが黒色火薬は導火線でも誘爆するので発破孔に粒状の黒色火薬を充填してやれば導火線で発破できる。
黒色火薬のRE係数(重量あたりの爆発力をTNTと比較した係数)は〇.五五でANFO(〇.八)には及ばないがダイナマイト(組成によって異なり、軍用なら〇.九程度あるが、産業用なら〇.四から〇.五程度の物が多い)となら遜色ない使い方ができる。
ただし、黒色火薬は火気や摩擦や静電気で引火誘爆する敏感な爆薬なので、少々の火気では誘爆しないダイナマイトやANFOに比べて取り扱いに注意を要する。
「坑道発破を見越してアンモニアガス発生抑制剤は検討しておいた方がいい。一応の目星はつけているが実際どうなるか分からないから何回か試して発生抑制剤の種類と量を割り出す必要がある。それと目星が誤っていたりしてあまり効かなかったら、最悪ANFOではなくダイナマイトか黒色火薬での発破も要検討」
「ダイナマイトの製造コストは?」
「伝爆薬ならともかく、発破となると原料含めて面倒かな?」
「成る程、黒色火薬は取り扱いが面倒だから主体はANFOとして換気を検討するかセリ矢で割るとかの方がいいのでは?」
「セリ矢は安全な場所以外はお勧めしない」
セリ矢というのは石とかコンクリートを割るのに使う道具で、割る物に穴(下穴)をあけてそこに差し込んで叩きこんでいくと穴が広がっていく道具。
直線上に少し間隔を開けて幾つもの下穴をあけてそれぞれの下穴にセリ矢を配置して叩きこんでいくと下穴の連続線に沿ってぱっくり割れるというもの。
一回叩けば割れるわけではなく具合を見ながら複数のセリ矢を何回も叩くので、割る物の上にいてセリ矢を叩き続ける事になる。
割れた時に自分が乗っている方がバランスを崩して動いたりすることも皆無ではないので安全が確保できる場所でやる方が良いのは佐智恵の言う通り。
「換気を考えるにしても事故が起きてからより、どの程度発生するかは掴んでいた方が良い」
「試験発破したい動機は理解するとしても、現地での準備がないと難しいぞ。取り敢えず聞くが、ANFOはどれぐらい持ってきた?」
「……スケくん」
「二五キロ入りの木箱二四個だから正味重量で六〇〇キロぐらい」
「……はぁ?」
幾ら何でも六〇〇キログラムはやりすぎじゃないか?
現代日本の大規模な露天採掘なら発破一回で五トンとか使っても不思議じゃないが、それは穿孔機で直径十数センチメートルの孔を二十メートルとか穿孔した発破孔を二〇個とかあけて発破して、一度に数千トンとか数万トンの岩石を砕くからで、粉砕物は一〇〇トンぐらい運べる特製ダンプカー(普通に一般道を走っているダンプカーの十倍ぐらい運べる)を十台以上用意してそれを発破した場所と搬出コンベアの投入口までを何度もシャトル運搬して搬出している。
「いったい何回試験発破する積もりなんだ?」
「五回プラス予備って感じで……良かったっけ?」
「そう」
一回あたり四箱(一〇〇キログラム)から五箱(一二五キログラム)ぐらいの想定か。
現代日本だったら一回の発破で小規模でも一〇〇キログラムぐらいは平気で使うからその延長線上でそう考えたのかもしれないが、粉砕物の搬出に重機が使えない現状では操業発破であってもその規模は些か多過ぎる。
そんな規模で試験発破を五回も六回もやったら下手したら搬出に十年とか掛かりかねない。
それに一回にそんな量のANFOを使うには発破孔はどんだけ(直径・深さ・数)必要になるかを考えたら……
「ドリルのφは幾つだ?」
ギリシア文字の『φ(パイと読む人もいるが正確にはファイ)』は建設建築をはじめとした工業デザインの世界では円の直径を指している。ちなみに円の半径はアール(Rやr)を使う。
φの後ろの数字が直径でφ五〇とあったら通常は直径五〇ミリメートルの円を表す。
数字の後ろにφを付ける事もあるが普通は前に付ける。
それと長さについては何も指定がなければ通常はミリメートルと解すが、臨機応変にメートルやセンチメートルで読み取る事もある。
例えば『一三〇R』は半径一三〇メートルの円周に沿ったカーブと読み取るのが正しいなど。
「ヒロくん、幾つだった?」
「φ六〇(ミリメートル)です」
「発破孔はどれだけ掘る?」
「二〇〇〇(ミリメートル)前後を想定しています」
手掘りならそれぐらいが妥当だな。
「発破孔は一回あたり何孔あける想定?」
「えっと……五つだっけ?」
「テストだからそう」
「そうか…………うん。なら持ってき過ぎだ。佐智恵、次にいう式の答えが試行可能回数だ。小数点二桁までな。願いましては、〇.六(六〇〇キログラム=〇.六トン)割る、括弧、〇.〇三(三〇ミリメートル=〇.〇三メートル)の二乗、掛ける円周率、掛ける二(二〇〇〇ミリメートル=二メートル)、掛ける〇.八五(ANFOの見かけ比重)、掛ける五(孔)、括弧閉じ、では」
「二四.九七」
この佐智恵の計算能力は正直羨ましい。
俺は、直径六センチメートルで深さ二〇〇センチメートルの発破孔だと、底面積が半径三センチメートルの二乗掛ける円周率で約二八.三平方センチメートルと計算して、そこに深さ二〇〇センチメートルを掛けた約五六六〇ミリリットル(約五.六六リットル)が発破孔の体積で、ここにANFOの見かけ比重(重めに見積もって〇.八五)を掛けた約四八一一グラム(約四.八キログラム)が一つの発破孔に入れることができるANFOの最大量という計算をして、一回に五つだと約二四キログラムだから木箱(二五キログラム)でお釣りがくる。
だから木箱の数だけ試行できるので二四回はできると計算したのだが……
「毎日発破しても一箇月近く続けられるな」
「そんなにも」
「うっとりするな。伝爆薬のダイナマイトはそんな数は用意してないんじゃないか?」
五孔掛ける六回で三〇個程度は持ってきているとは思うが、さすがに一二〇個はないだろうし、ダイナマイトを起爆する導火線・導爆線もそんなに無い筈。
「……佐智恵一生の不覚」
「初めにちゃんと計算しない佐智恵が悪い」
「いや、五孔を一つの伝爆薬で連鎖誘爆させれば……」
「まあいい。それよりもANFOは水に濡らすとまずいんだろ?」
「当然、水濡れ厳禁」
「一箇月弱の間、雨露を凌がないといけないんだから現地でに火薬庫がないと無理だろ? とりあえず、現地を見て火薬庫をはじめどんな施設がいるか検討しよう。そうじゃないとテストその物が失敗する」
万一爆発した際の被害を抑えるためにも隔離した場所に火薬庫があった方が良い。
幾らANFOは誘爆率が低いとはいえ事故が起きるときは起きる。
オッパウ大爆発やテキサスシティ大災害のように硝安の爆発事故の中には歴史に残る惨状をもたらした物もあるんだから。
佐智恵は早く発破してみたいのは分かるが、受入体制を整えてからじゃないと無理。