第11話 進捗する事しない事
「アッ! クソッ……クッ…………やったー!」
「こら、そっちじゃない……そうそう……獲れた!」
たも網ができたら使ってみたいよね。
ということで滝野に張ったエリの魚溜り(漁獲する部分で、小カサとかツボなどと呼ばれる事がある。定置網だと箱網に相当する部分)で魚掬いをやらせているが、それなりの数の若鮎が入っていた。
普段というかこれまでは滝野の滞在人数は常駐は少数で一時的に増えるだけなので常設のエリは無いのだが、一応はエリを設置できるようにはしていたからエリを設置している。
現代日本では闘竜灘は鮎釣りの解禁時期が全国でも一、二を争うぐらい早いことで有名だったが、ここでも結構な数の鮎が遡上してくる。
現代日本では加古川の下流域で大量の稚鮎を放流しているんだけどね。
ローテーションで来てくれていた白石さんから聞いたけど、里川は例年になく多くの鮎の遡上が見られたそうだ。
鉄砲堰で下流域の川底が洗われて産卵しやすかったんじゃないかというのが美野里の見解だそうだ。
鮎は年魚とも呼ばれ、長くて一年程度しか生きられない。
晩秋から冬にかけて産卵され、孵化した仔魚は川を下って冬季は海で育ち、稚魚に成長した鮎は春に川へ遡上していき、やがて縄張りを持って成長し、光周性(昼の長さである日長の変化に反応する性質)により秋に成熟して定着性が薄れていき、晩秋から冬にかけて川を下って河口付近で産卵して死ぬ。
遡上してきてある程度縄張りを持つなど定着し始めたあたりから初夏ぐらいまでの鮎を「若鮎」と呼び、夏季の成長した鮎を「成魚」と呼び、産卵のために川を下っていく鮎を「落ち鮎」や「子持ち鮎」と呼ぶ。
若鮎、成魚、落ち鮎はそれぞれ違う味わいがあるが、個人的には純粋に美味いのは成魚で、一番好きなのは落ち鮎かな?
“お前は子うるか(卵巣の塩辛)や苦うるか(内臓の塩辛)が好きなだけだろ”との声には「アーアーきこえなーい」と返す。
苦うるかは同好の士が少ないから作ったら作っただけ食えるけど、子うるかと白うるか(精巣の塩辛)は競争率が高いので“お前は苦うるか食っとけ”と言われてあんまり食べられない。
鮎釣りは排他的な縄張りを持つという習性を利用した友釣りが有名だが、闘竜灘では五月には解禁になり友釣りができるという事は鮎が縄張りを持っているという事。
この辺りというか加古川水系ではというかでは梅雨前にはだいたい縄張りを持っている事が多い。
鮎は排他的な縄張りをもって定着する魚として有名ではあるが、縄張りにできる川底は有限なので全ての鮎が縄張りを持てるわけではない。
縄張りを持てなかった鮎は更に上流に遡上していって縄張りを持つことも多く、遡上数が多い年はより上流まで分布を広げる事が知られている。
しかし、縄張りを持てなかった鮎の全部が全部、更に上流に遡上するわけではなく、群れをなして他の鮎の縄張りに一斉に殺到して餌である藻類を食い荒らすといった事をする鮎もいるし、縄張りと縄張りの狭間を渡り歩いて暮らす鮎もいる。
縄張りを持って定着しているこの時季にエリに迷入するということは縄張りを持っていない鮎になるのだが、この数からすると一匹狼的な鮎ではなく群れた鮎がエリに飛び込んだようだ。
若鮎といっても体長は十数センチメートルはあるから子供達からすると『でっかい魚を獲ったど』になるかな?
さぁ、母親らに自慢しに行くがよい。
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子供達が(たも枠とかたも柄は川合から仕入れて俺が最終組み立てをしたが)自作のたも網で(エリで集めて逃げ場がない状態にしていたけど)鮎を何尾も捕まえた事は避難民のお母さんたちには結構インパクトがあったようだ。
漁業主体だったアーエを除けば漁獲効率はとても低くて、子供一人で集落の総掛かりでも獲れない量を獲ってきたのは衝撃だったようだ。
実際は子供達の能力やたも網の効果ではなく、エリの効果なのだが。
それと、網の編み方の教本は子供達の興味を引いたようで、母親らの教育への無関心が少し薄れて読み書きの教育が捗っている。
中には子供と一緒に授業を受けるお母さんもいる。
こっちの方は一歩前進といったところ。
分かり易い実例って大事だな。
上手くいっていないというかまだまだな分野だと圃場の再生。
滝野の圃場は今年の栽培は難しいと思われる。
素人の俺の判断だとアレだから美浦には専門家を寄こしてくれるよう頼んでいる。
植物が根を張れる土壌の深さを『有効土層』というが、優良な圃場だと田畑だと五〇センチメートル、果樹などの樹木だと一メートルぐらいある。
それだけの深さがあるのは優良な圃場だからであって、そこまでいかなくても収量減などはあるだろうが栽培自体はできる。
そうはいっても限度はあって、作物にもよるが有効土層は一五から二〇センチメートルぐらいは欲しい。
有効土層は耕したり施肥したりした作土層(たいていは表層から一五から二五センチメートルぐらい)と作土層の下にあるが植物の根が自ら入り込める層までの事で、有効土層が五〇センチメートルといっても作土層がそこまで深いわけではない。
基本的には作土層は深い方がよいのだが、過ぎたるは猶及ばざるが如しで、深すぎると肥料分が薄められたり保持性が悪くなったり虫害が発生しやすくなるなどの問題がある。
長年栽培している圃場だと、定期的に耕耘している作土層はともかく作土層の下は段々と硬く締まってきて作物が根を張れなくなる事がある。
そうやって有効土層が浅くなってしまった場合は、締まってしまった層に切れ目を入れるとか鋤を深く入れて割るとか掘り返すとかして物理的に根を張れるようにして有効土層を確保している。
硬く締まってしまった層は水捌けも悪くなるので適度な水捌けのためにも手をかける。
通常は物理的に根が張れないところまでが有効土層なのだが、鬼界アカホヤ火山灰を相手にすると話が変わってくる。
実は鬼界アカホヤ火山灰は植物の根の侵入を絶対許さないマンなのだ。
鬼界アカホヤ火山灰層の上の地層から鬼界アカホヤ火山灰層に入り込んだ植物の根の痕跡はほとんど観測できないとか。
物性としては入り込みやすいのだが、生化学的に阻害すると思われる。
美浦やホムハル集落群では基本的には圃場の火山灰は念入りに除去しているのでそこらの問題はあまり大きくはないが、基本的には生産地でない滝野ではそこまでの除灰はできなかったので、鬼界アカホヤ火山灰が多い層に達したらそこから先には植物の根が入り込めないと思う。
滝野でも客土したり腐植層を造るとか色々やってはいるが、現状の滝野の圃場の有効土層は願望増し増しで口から砂糖を吐くぐらい甘々にみても一〇センチメートルには遠く及ばないという厳しい状況。
現状の努力を二年から五年ぐらい継続していけば滝野の圃場で曲がりなりにも栽培できるようになるとは思うが、何も努力しなければ十年二十年かかっても不思議じゃない。
美浦やホムハル集落群はそれほどでもないが、そうはいっても他所から飛来する火山灰があって賽の河原的な部分もあるので平年並みは望めないだろうが、それでもある程度の生長は期待できる……筈。
もっとも仮に生長しても、ここらあたりでは数少ないおニューな植生になるので、鳥獣虫に集られる危険も……
収穫までは厳しいかもしれないが、やるしかないか。
広範囲で植生が再生すればアレかもしれないが、自然の再生まで踏み込むのはさすがに手に余る。
やれる範囲で、という事でやっているのは、立ち枯れた木があれば伐倒して気休めに菌駒を打ち込む事ぐらい。
立ち枯れした木を伐倒するだけでも再生速度は上がる……筈。
針葉樹にみられる事が多いのだが、倒木更新といって倒木に新たな木の種が芽吹いて生長する事がある。
森林の地面は下草などに覆われている事が多々あり、そういうところだと樹木の新芽に日光が届かず生長できない。
しかし、倒木はそんな下草の上に倒れ込むので倒木の上なら日照不足は緩和される。
倒木の上で生長した樹木はやがて本当の地面にまで根を伸ばしていき、長い年月の果てに倒木は朽ちて無くなり、倒木があった場所が空洞として残る。
そういう空洞がある樹木は原生林などで見られる事がある。
地面からは芽吹けないという状況は下草に覆われた森林と条件的には大して変わらないのだから、伐倒して生長の礎にしておくだけでも効果はある筈、あるといいな……
閑話休題
鴨庄の状況は伝え聞くだけだが(通常で考えれば激甚災害レベルではあるが美浦やホムハル集落群と比べると)降灰量が圧倒的に少ないことから今期にサツマイモの栽培は可能かもしれない。
作土層はほぼ無く有効土層はまだまだ浅いと思うから垂直系は駄目だけど水平系なら収穫できるかもしれない。
滝野だと収穫できる確率は一割未満だが、鴨庄なら五分五分ぐらいは期待できるかもしれない。
だから余剰のサツマイモの苗は鴨庄に送ろうと思う。
なぜサツマイモの苗があるかというと、美浦で芽出ししたサツマイモの苗がホムハル集落群向けに大量に頒布されているから。
鳥獣虫害や飛散してくる火山灰からの防護を凝らした袋栽培や箱栽培を行って、余った苗は駄目元で圃場に植えるという圃場再生策というわけ。
正直「美浦の種芋の数が足りるのか」と「来年以降の種芋確保ができるのか」とも思う量が頒布されているが、美浦ではそこらまで含めて算段は付いていると信じるしかない。
芋なのは比較的鳥獣虫害を免れやすいからだろうが、馬鈴薯ではなくサツマイモなのは芋だけじゃなく茎なども食べられるからかな? それとも窒素固定の関係かな?
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依頼していた専門家として親父殿が来てくれた。
俺の予想では美結だったのだが、美浦に戻した眞由美さんと朱美に構いたいらしく親父殿に白羽の矢が立ったようだ。
奈緒美らはホムハル集落群の方に行っているらしく“構想外の滝野は隠居の仕事だ”と親父殿は自嘲していたが、俺からすると一番頼りになる人物に来てもらえて嬉しかった。
親父殿の見立てでも滝野の圃場はやはり駄目だった。
「ノリちゃん、もう諦めて広場にするとか、もうちょい嵩増しして芝生とかが関の山やおもうで」
「元々生産性が良い圃場ではなかったしそんなところだとは思っていましたが……」
「……ノリちゃんにしては珍しく煮え切らん言い方やな。何ぞ心残りでもあるんか?」
「……最初期に布教用に使ってた畑があるんすよ」
「ほうか……広さ、どんぐらいや?」
「本当にこじんまりとした畑で、一畝(約一アール:一〇〇平米:一〇メートル四方)ぐらいです」
「ハッハッハッ、そったらそこだけ力入れてやりゃええやん」
元々生産性が良いわけではない滝野で除灰と客土をして腐植混ぜて土づくりというのは費用対効果が合わないが、記念碑的な意味合いで一畝程度なら構わないのではないかという事か。
「ほったら、うらは鴨庄を見てくるわ。義秀にも会いたいしな」




