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文明の濫觴  作者: 烏木
第12章 北へ
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第10話 製網技能

ユラブチ集落群への支援だが、食糧支援として一集落あたり竹製や木製の(うけ)を十基とたも網を二つ、防寒装備としては秋口あたりに美浦で塩漬けにしていた原皮を塩抜きせずにそのまま一集落あたり一〇張ていど提供する方向になった。


美浦に供出可能な原皮がどれぐらいあるのかを問い合わせたら、美浦で必要となる備蓄分(伝動ベルトとかパッキンなどで革が必要な事はある)を差し引いても八〇張は下らない原皮が供出可能との事だった。

それを聞いた時の若衆の顔は見ものだったな。

そこまで塩漬け原皮があるとは思ってもみなかったようで、鞣剤や鞣す手間暇を想像して血の気が引いていた。


美浦からは在庫を確認していたら駄目になっていた物もかなりあったそうだが、仮設集落一つあたり一〇張以上は配れるので十分だろうし、美浦も不良在庫を処分できて万々歳といったところか。

もったいない精神で何でもかんでも貯めれば良いわけじゃないけど、今回も貯めていて助かった例かな?


筌についてはホムハル集落群で手分けして作ってもらう方向で話を進めたいと言うので了承した。


ここまでは良いのだが、たも網は滝野に残っているユラブチ集落群からの避難民に作成方法を教えて編んでもらいたいと……これを聞いた時の俺の心情を正直に言うと『おめぇら舐めとんか! 舐めたらいかんぜよ!』だった。


たも網の作製をホムハル集落群に依頼するなら原料の糸(実際は紐と言える太さなこともあるが)とたも枠とたも柄があれば、網の目の細かさや大きさにも因るが、かかりっきりなら早い人なら一日か二日、遅い人でも五日ぐらいあれば一つ作れる。

集落あたり二個掛ける七集落で一四個ぐらいなら分散して作ってもらえば数日で済む話だから美浦やホムハル集落群に依頼して作ってもらうのが王道というもの。


だけど“今を凌ぐだけならそうかもしれないけど将来的には網の編み方を教えた方がいい”というのが若衆の意見だった。


(もっと)もな意見に聞こえるかもしれないが、根本的に誤っている。


手始めに聞くけど、彼らに網の編み方を教えるのは何処のどいつだい?

何度も言うが、俺は不老不死じゃねぇんだよ、俺が死んだ後はどうする積りなんだよ。

君達が教えるってんなら百歩譲って認めるけど俺頼みはない。


それにな、網の編み方は多くの人が身に付けるべき技能じゃないんだわ。

その証拠に君達の誰も網の編み方は知らんのだろ?


そもそもの話だが、君達だけでなく美浦やホムハル集落群でも網を編める人は極少数なんだ。

やり方を知っていて何度も何度も練習し続けていけば初級レベルには会得できる技能難度ではあるが、漁獲担当でもなければ網を作ったり補修したりする機会はほぼない。

逆に言えば網漁を営む漁獲担当者は自分で網を補修したり作ったりできないと困るからしっかりマスターさせたけど。


現代でも網漁を営む漁師さんは網の補修ぐらいは自分でできる人はそれなりにいる。

まあ、業者に依頼したり新調するとかで『金で解決』という人もいるだろうけど。


世間一般では保有率は低いがその業界では保有者が珍しくはない技能は普通にある。

例えば、現代日本で建設建築業に携わる者に玉掛け技能講習を修了して玉掛け作業ができる者はそれなりにいるし、物流業に携わる者にフォークリフト運転技能講習を修了してフォークリフトを運転操作できる者は珍しくはない。


玉掛け作業やフォークリフトの運転操作が簡単とは言わないが、限られた人しか会得できない鬼畜難度の技能ではなく、個人的には運転免許と同等程度で、八割九割ぐらいの人が持っているだろうと期待する程度の知能や身体能力があれば取得できる範囲の国家資格だとは思う。


運転免許は近年では若年層の運転免許の保有率は減少し続けているが、それでも七割ぐらいは保有しているし、九割以上(男性九八パーセント・女性九二パーセント)が保有している世代(身分証明書として持っているということが珍しくない世代かな?)もあるので、取得しようと思ったら特段の理由がなければ取得できる程度の難度だと言えるだろう。


玉掛けやフォークリフトの国家資格も取ろうと思えばたいていの人が取得できる国家資格ではあるが、じゃあ、日本の人口の何割の人が玉掛けやフォークリフトの国家資格を持っているのかと問われたらそんなに多くはないと思う。


運転免許保有者は石を投げたら当たるぐらいにはいるが、それと比べて玉掛けやフォークリフトの資格保持者は圧倒的に少ないが、免許や資格を得るには金や時間を要するのだから必要性や利便性でどの免許や資格を得るかを選ぶのは当然の話。


近年の運転免許保有率の低下は都市部では自動車を運転できなくても何ら支障がないことや自動車の取得や維持の費用が(かさ)んでいることで、運転免許の必要性を感じない人が増えたからだと思う。


そして美浦やホムハル集落群の大多数が網を編む技能を有しないのは、その必要がないからだ。

網の作製や補修の技能は、本質的にはそれがあれば飯が食えるという技能ではなく、製網業や網漁の従事者の一部に本業に付帯した余技(よぎ)というか付随技能として身に付けているという性格の技能だ。

まあ、製網業者だとそれで飯を食っていると言えなくもないが、大半が編み機で編むので手で網を編む技能は無くても大きな問題はない。


網を編む技能は、広く一般に身に付けさせる技能ではないのだから、必要性が乏しい人に教える事に何の意味がある?

それに製網道具である網針(あばり)をどこから分捕ってくるつもりなんだ? 自分達で作るのかい?


網を人手で編むには網針と目板(めいた)を使うのが一般的。


網針は織機だと()とかシャトルと呼ばれる物と類似していて、糸を巻き付けていてその糸を繰り出しながら編んでいく。

シャトルと網針の見た目での違いは、シャトルは細長い糸を巻く芯棒に大量の糸を巻きつけていて、糸を引っ張ればするすると糸を取り出せるのに対して、網針は本体に縦に糸を巻くのと裏返しながら巻き付けるのでシャトルほど多くの糸を巻けないのと糸を引っ張っても糸も勝手には出ていかず糸を出すには出す操作をする必要があるところ。


シャトルは織機の経糸同士の間の杼口(ひぐち)に糸巻きを往復させて効率よく緯糸(よこいと)を通すための物なので極論を言えばシャトルは糸巻きの一形状ともいえるが、網針は編み針(あみばり)の役目も持っているところが形状や糸の巻き方の違いになっている。


網針は長辺方向に糸を巻いていくので網針の長さが巻ける糸の長さになるとも言えるが、大き過ぎると取り回しが悪かったり網目が大きくなる――網針の幅が編める最小の編み目の幅を決める――などの弊害もあるので、美浦では小さめの幅六ミリメートル長さ一〇センチメートル程度の物と大きめの幅一.五センチメートル長さ二〇センチメートル程度の物をよく使っている。


この網針だけど、現代日本だと単価が安いというのもあるのだろうが、十本セットとか五十本セットとかで売られている事も珍しくない。

一本の網針に巻ける糸が短いから多数の網針に糸を巻いておいて一気に編み上げるという用途などに使うのだが、破損する事も珍しくない。


目板は網の目の大きさを定める道具で目板に糸を引っ掛けて編むことで目の大きさが揃った網が編める。

当然ながら網の目の大きさ毎にそれ用の目板がある。


そして網の編み方だが、網が長方形なら単純に均等に編んでいけばいいので(編み始めはともかくとして)単に編んでいくだけなら比較的難度は低いのだが、実際にはそういう網ばかりではない。

例えばたも網だと円錐形か円錐台形の網なので、網の目の大きさを揃えながらも一周している一段の目の数を変化させないといけない。

だから目の数を増やす増やし目や目の数を減らす減らし目という手法を用いて変えて行くのだが、目の数が一番多いところを最初に編んで減らし目で減らしていく方法と目の数が一番少ないところを最初に編んで増やし目で増やしていく方法がある。

ここらは流儀だとか編む作業環境とかに依存するらしいのだが、美浦では黒岩氏のやり方がベースなので増やし目を使うやり方が多用されている。


編み物をした事がある人は分かってもらえると思うけど、編み始めの一段目を編むのが結構面倒なのよ。

それと初めのうちは後になるほど編み目が締まってきて同じ目の数だけど長さが短くなる事も。


きちんとした網の編み方を会得するにはそれなりに習練はいるんだ。

おそらくは俺が教えて彼らが作れるようになる時間より俺が一四個編む時間の方が圧倒的に短い。


決して『教えてやらせるより自分でやった方が早いし正確だからと後進の育成をしない』のではない。

習作という名の不良品や破損させてしまうなどで消耗してしまう網針も大量にでるが、これが技能を持つべき人のためなら必要経費として許容するが、必要性に乏しい人のために割くほど現状のリソースが有り余っているわけじゃない。

『平時の無駄は非常時の対応力』を標榜してリソースの浪費に寛容というか何なら推奨までしていたが、今は非常時だ。


それらを踏まえた上でもう一度問うが、本当にユラブチ集落群からの避難民に網の編み方を教えるのか?


……分かったならそれでいい。


■■■


「これで良い?」

「いいぞ」


教本のイラストを見ながらだけど、ちゃんと蛙又結びができている。


「あれ? んん?」

「ここにもう一度結ぶんだよ」

「……こう?」

「そう」


増やし目や減らし目は戸惑うポイントの一つ。

通常部分はもう教本を見なくても編めている。


「ねぇねぇ、これ……」

「別の網針の糸と繋げるんだよ……ええっと……これだ。こうやって、こうやって、こうやって、こう。やってみて」


糸の継ぎ方は色々あるが、美浦やホムハル集落群では用途によって機結び(はたむすび)一重(ひとえ)継ぎ (シングル・)シート・ベンド)と二重(ふたえ)継ぎ(ダブル・シート・ベンド)を使い分けている。

機結びはその名の通り機織り(はたおり)の時に糸を継ぐのに多用された結び方で通常は機結びで事足りるのだが、機結びより強度や信頼性が必要な用途では二重継ぎを使う。

漁網はその強度や信頼性が必要な用途なので二重継ぎを使っている。


教本の二重継ぎのページを開いて手元と教本のイラストを見せながら見本を見せる。


「…………こうやって……こうやって……こうやって……こう?」

「上手だよ」

「えへへへ」


結局、避難民の子供に網の編み方を教えているじゃないかって?

別に教える積もりは無かったんだけど、たも網を編んでいたら好奇心旺盛なお子様たちがやってきて“やりたそうに こちらをみている”ので、やらせてみた結果でしかない。


不良品が大量生産されているが子供の好奇心に水を差すような野暮なことはしない。

大半はそのうち飽きるだろうが、筋が良い子もいるので使用に耐え得る網が編み上がるかもしれない。


追加のたも枠とたも柄を川合に依頼しておくか。

完成品が有るのと無いのとでは達成感や意欲に天地の差があるからな。

成功体験というのは大事。


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