第5話 概況
昨秋に美浦で実験的に植えた露地の麦類だが、これまでと比べると異様に遅い季節外れの遅霜にやられて散々な状況になったそうだ。
季節外れの遅霜がある可能性を考えていた奈緒美が遅霜対策の指示はしてはいたが、手が回らなかった部分もあって麦類の他にも春蒔きの野菜類も霜害にあっている。
麦類も野菜もある程度は育っていたし蕾や穂を出していた物もあったから、除灰が不十分だったわけではないとの事。
分かり切っていた事だが、鬼界アカホヤ火山灰だけでなく、火山の冬による天候不順も敵になる。
これは人間の農作物にだけ牙を剥くわけではなく、天然林などにも同様に牙を剥いていて、落葉樹の新芽・新葉も相当数が霜害にやられている。
常緑樹は霜にやられるような軟な葉だったら冬季に全滅してしまうので常緑樹は大丈夫だったようだが、落葉樹は深刻な霜害を被っている。
昨春は降灰でやられ、今春は遅霜にやられ、二年連続で碌に枝葉を出せなかった落葉樹は枯死する可能性もある。
降灰と天候不順でこの辺りに多い楢類が多くを占めている落葉広葉樹林は大打撃を受け、今後は今は疎らに生えているに過ぎない常緑広葉樹の樫類が勢力を伸ばして照葉樹林を形成する可能性は高い。
樫類も楢類も両方とも団栗が生る樹木であるブナ科の樹木(常緑樹が樫類で落葉樹が楢類)なので、どちらが優占しようが団栗は生るので食物網に激変は無いとは思う。
今現在、昨秋の団栗の供給が激減していて今秋の団栗も期待できなくて、団栗を食べていた美浦とホムハル集落群を除く人間や鼠・栗鼠・猪・熊などの野生動物が食糧不足に陥っている事に目を瞑ればの話だが。
美浦とホムハル集落群を除く人間で思い出したが、避難民のリーダー的存在の岡渕ワケノ氏(岡渕はこちらが授与した名字)からユラブチ集落群に自分達の状況を報せたいという話があり、それはある意味もっともな話なので認めたけど報せに行くのに手ぶらはあり得ない。
だから手土産は持たすのだが、今後も継続的にユラブチ集落群に維持用の食糧を贈るか否か、贈るとしたら何を贈るかも検討しないとな……よし、司くんに考えさせよう。
ユラブチ集落群の人達がどこにいるのかのあたりは付いているというか、避難民は知っていたというか知らないと報せに行けない。
彼らの目論み通りにいっていたら福知山市大江町あたりから下流の由良川沿岸に居る筈。
福知山市大江町は『日子坐王(崇神天皇の弟)の土蜘蛛退治』『麻呂子親王(用明天皇の第三皇子)の三鬼(英胡・軽足・土熊)退治』そして『源頼光の酒呑童子退治』という鬼退治伝説で有名な大江山や、元伊勢(伊勢神宮が現在の場所に遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社や場所)の一つの元伊勢内宮皇大神社や元伊勢外宮豊受大神社などもある土地だが、佐智恵にとってはそんな物よりニッケルが採れた大江山鉱山やレアメタルのモリブデンが採れた仏性寺鉱山、それと大江山の中腹でたたら製鉄が行われていたと思われる鉄滓などの方になるだろう。
その福知山市大江町だが、実は現代日本の大江町あたりの由良川の河原の標高は六メートルぐらいしかないので、縄文海進により海面とほぼ同じ海抜ゼロメートル、つまりは大江町から下流は由良川ではなく由良湾・由良浦といってもよい状態だと思われる。
日本海は干満差が小さいとはいえ干満はあるので魚介類が漁獲できる可能性はあるから、それを考慮しての避難なら侮れない智恵の持ち主と言えるだろう。
◇
肝心の鴨庄の開拓だが、当人達は予定より進捗していないと善後策を検討している。
この状況は俺の想定の範囲内で“そろそろ相談にくるかな?”という段階だが、まだ慌てるような時間じゃないから呑気に構えている。
彼らが自分達の目論見より遅れている要因は大きくは二つあると思っている。
一つは、避難民は本当にズブの素人だから一から十まで“手取り足取り”“して見せて 言って聞かせて させてみる”をしないとまともに作業もできないのだが、それを怠って彼らを戦力化できていないから滞ってしまっている可能性がある。
ホムハル集落群ではどの集落にも山雲組出身者がいるので、例えば「○○の法面を補強して」というようなザックリとした指示でも山雲組出身者が指揮して動いてくれるが、そのレベルをズブの素人に求めるのは駄目だろって感じ?
もっとも、製材などを仕込んでいたのだから実力の程は分かって入る筈。
どう指導すれれば良いかが分からなくて試行錯誤しているならよいが、万が一、ここに気付いていないなら……説教だな。
もう一つは『後々の為にキッチリやっておかないと駄目な部分』と『当座が凌げれば十分な部分』の区別ができていないところかな?
手抜きでも構わないから時間を掛けずにさっさと終わらせるべきところもキッチリやろうとするから一つひとつの工程に時間を要してしまい全体が遅れてしまっている可能性もある。
もしもこれが原因なら、その根本的な原因に匠や俺がからんでくるかもしれない。
どういう事かというと『熟達した職人のやっつけ仕事は駆け出しの最高の出来より上手い』というアルアル話。
ピカソが本当に言ったかはしらないがピカソの名言とされている“三〇年もの研鑽を積んできたから描けたのであって、三〇秒で描いた絵ではなく三〇年と三〇秒かけて描いた絵だ”という奴。
例えばだが、匠や俺が当座の足場や踏み台を目分量のやっつけで作っても、立つところはかなりの精度の水平になっている。
人間が造る物だから完璧な誤差ゼロの水平はあり得ないというか求めてはいけないが、常設だと欲を言えば勾配〇.一七パーセント(約〇.一度)以内ぐらいの水平は欲しい。
現代日本の家屋の傾きの許容範囲は、新築なら〇.三パーセント(約〇.一七度)以内、中古は〇.六パーセント(約〇.三四度)以内とされているから、最低でも新築の基準は満たして欲しい。
一方で、仮設だったら水勾配の勾配二パーセント(約一.一度)から勾配三パーセント(約一.七度)の精度なら実用上の問題はないからその精度で十分とも言える。
しかし、匠や俺が目分量で作っても勾配が〇.一パーセント(約〇.〇六度)を超えることはほぼなく、だいたい〇.〇五パーセント(約〇.〇〇六度)以内になっている。
彼らは匠や俺のやっつけでこの精度をお手本にしてしまっていて、本来なら誤差が二パーセントぐらいなら余裕で許容するところに誤差〇.〇五パーセント以内で作ろうとしてしまって余分な時間を要している事が考えられる。
これに自分で気付いて修正したなら最高で、相談にくるのも悪くは無いからここまでなら及第だ。
俺が痺れを切らして助言というかここまでくると忠告になるが、忠告に従うならギリギリ許容範囲として使うけど、俺の中の彼らの評価を下方修正する必要がでて、体制の再構築も視野に入れざるを得ない。
忠告を聞かなかったら? まあ無いとは思うがその場合は更迭して二度と責任がある役目は担わせない。
一番ある目は、やんわりと聞いてきて、俺もやんわりと示唆するってあたりかな?
彼らがもう少し追い込まれたら面と向かって聞きに来ると思うし、そうなったら俺もある程度は具体的な対応案を喋ると思う。
◇
避難民の子供達への教育だが、こちらはあまり芳しくない。
教育の必要性が認められてはじめて教育を行うことはできるが、避難民は誰も教育の必要性が分からないから実施できず、教育の必要性を説いて納得してもらうところからになる。
現代日本では小学校中学校の義務教育と三年間の高等学校までは大部分が修了していて然して疑問は持たない。
学歴社会という学業成績が(絶対ではないにせよ)その後の人生を大きく左右する要素であるのも受容していると思う。
しかし、他地域に比べると古来から教育には熱心だった日本でも子供の義務教育への道のりは簡単ではなかった。
日本の最初の学校制度は明治五年の学制で定められたが、当初は任意に近かったと思われる。
明治政府は『子供に学校教育を行う必要を認めない人』の言い訳をあの手この手で潰していく事を繰り返していき、明治一九年の小学校令では『義務教育』という文言が初めて登場している。
ただし『学校があるところは子供を学校に通わせる義務』だったから、学校が無いところは義務ではなかった。
その後は各地に学校を設ける法令を定めたり、止めとして経済的な理由を潰すために明治三三年の第3次小学校令で義務教育の学費の全額国庫負担を実現している。
明治政府の国家権力を以てしても三〇年近くかかっている事を思えば教育の必要性を人々に認識させるのは実は至難の業だったという事だ。
江戸時代以前は、公家や武家や寺社に多かったと思うが、家庭教師的な自力で子弟を教育する方法と、対象は富裕層や下級武家の子弟だとは思うが、寺子屋などの学校(私塾)教育という方法があった。
ただ、どうしても私塾は富裕層が多い都市部に集中するので、江戸時代に庶民相手の貸本屋が成立しているなど都市部の識字率はある程度は高かったと思われるが、日本全体だと明治初頭の識字率が四割ぐらいだったから多くてもそれぐらいしかなかったと思われる。
まあ、識字率四割は同時期の欧米と比べると室町時代の宣教師が女子供も文字が読めると吃驚したという逸話があるぐらい異様に高いんだけどね。
その日本の識字率だが、明治の終盤には九割以上になり現代まで続いている。
ホムハル集落群で学校教育的な物をある程度の形にできたのは、奇跡的な幸運に恵まれたからに過ぎなかった事を痛感している。
美浦はそもそもが現代日本に暮らしていたから教育への価値観は共有できたし、親御さんたちも協力的だったから(教師役と教科書などの教材作成が俺に集中したという点を除けば)全員に中等教育(現代日本の高等学校レベル・前期中等教育が中学校で後期中等教育が高等学校)を行うことに何も問題は無かった。
ホムハル集落群もオリノコで当時幼子のヤソくん――今はホムハルで尖った酒を造って奈緒美を歓喜させている酒蔵を営む立派な杜氏になっている大多喜ヤソ氏――をはじめとした子供達が美浦の基礎学校に合わせて行った基礎教育の成果を存分に示してくれたお陰で教育への理解が進んだためある程度は形になった。
今思えば、オリノコの幼子達が好奇心満々で俺らが文字を如何使っているかを知って初めは遊ぶために習いだしたんだけど、子供達が自主的に学習をはじめるなんて奇跡以外の何物でもなかった。
教育への価値観はユラブチ集落群とは共有できていない。
まあ、文字が無い状態で読み書き算盤と言われても理解が及ばないのは分かる。
だから、今は遊びの中で学ばす事になりそうだ。
雪月花から幼児教育のレクを受けた方がいいかな?