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文明の濫觴  作者: 烏木
第12章 北へ
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第1話 鴨庄開拓計画

候補地の測量と地盤調査は終わって問題ないとの結論が出たので輝政くんが中心になって『鴨庄開拓支援計画書』が策定された。

輝政くんが中心なのは複数の工程を組み立てるのは彼がピカイチだから。


その『鴨庄開拓支援計画書』だが、これは駄目というのが一点と、これは絶対に駄目というのが一点あった。

それと考慮が漏れている部分はあるが、これは()()()開拓支援だったら影響は少ないから問題は無い。


「考慮漏れが一点と、駄目出しが二点あるが、概ね大丈夫だ。よくここまでの計画を作った」

「現地での資材調達が楽観的過ぎました?」

「人員体制が拙いとか?」

「突貫で建てる仮飯場に問題が?」

「それか橋?」


ほうほう、駄目出しは人員体制と橋だが自覚はあったか。


「先ずは考慮漏れだが、食糧の補給にいく人間も飯を食う事が考慮されていない」


ミヌエから鴨庄までの移動は順境でも半日ぐらいかかるので『通い』は無理だから、現地で飯場を建てて泊まり込みで作業する事になる。

しかし、最初に持ち込んだ食糧だけで無補給だとあっという間に食い尽くしてしまうのでその度に往復していたら効率が悪すぎる。

だから、鴨庄の飯場に食糧その他を補給する必要がある。


それだけでなく、鴨庄が独り立ちできるまでは食糧その他の支援は必要だからミヌエから鴨庄への連絡線・補給線の確保は必須ではある。

そして、この辺りまでは彼らも考えていて、開拓中は三人組の補給隊を編成して食糧その他を補給する計画もちゃんと立てられている。


計画書によると、初期段階で泊まり込みで作業するのは十人(避難民一家族一名と美浦からの指導監督者二名)としていて、ローテーションで交代することになっている。

泊まり込みをする先遣隊が必要とする食糧だが、力仕事をするので平時より食糧消費量を多くしていて、一人が一日に必要な食糧の重量を一.五キログラム(主食の米が六合(炊飯前重量九〇〇グラム)と副食や調味料などが六〇〇グラム)と設定している。

だから先遣隊の十人が一週間(五日間)で七五キログラムの食糧を消費する計算になるので、その分を毎週ミヌエから補給する計画になっている。


これは概ね妥当な見積もりだと思う。

一日あたりの食糧の消費量が多い気がするが、足りないのは大問題だから多めに見積もっているのだろうし、不測の事態に備えての予備という考え方もできる。


でだ、何が抜けているかと言うと、補給に来た人員に昼飯を食べさせずにトンボ返りで帰すのでなければ、持ってきた食糧の全てを鴨庄に補給する事はできないという事。

片道に半日ほどかかるという事は半日では着かない事もあり得るし、日が長い夏場ならともかく秋以降はその時間に出発したのではミヌエに帰り着けない事態も考えられる。

そうすると、補給隊は鴨庄で一泊して翌朝に出立する。

つまり補給隊は昼食・夕食・翌朝の朝食の三食(三人組なら合計九食)を食べることを織り込んでおく必要がある。


ただ、今回の事例だとそう大きな誤差ではなく余分に見積もっている余裕の範囲で収まるだろうし、何なら食糧を当初計画より少しだけ多めに持って行けば解決するから問題はない。


しかし、これは基本的には補給元の拠点(策源地)から日帰りが可能な範囲だから考慮から漏れていても余裕の範囲で収まって大きな問題にはならないだけで、片道に二日とか三日かかる距離だとそれではすまない差がでてくる。


例えば、補給隊が三人組で片道二日で往復四日だとすると、出発前と到着後に策源地で食べる分を除いても運搬している食糧から一人あたり一〇食分(四日 × 三食 - 二食)を食べる事になるので三人だと三〇食分を消費する。

片道三日かかるなら四八食分((六日 × 三食 - 二食) × 三人)を消費する。


補給隊が食べる分だけ現地に到着する食糧は減ってしまうので、補給隊の人数を増やして運搬量を上げるとか補給頻度を上げなければいけなくなる。

しかもこれは、安全な水と炊飯に使う燃料(焚き木)は何時でも何処でも幾らでも入手できるとして水や焚き木は運ばない条件での話。

人間が一日に必要な水は摂取するだけでも二.五リットルぐらいにはなるので、もしも水も運ばないといけなくなると運ぶ水の量は馬鹿にならない量になるし、焚き木だって(かさ)や重さも無視できない。

そして、水や焚き木を運ぶ分だけ運べる食糧(補給物資)が減ってしまう。


この様に輸送隊が無補給でどれだけの距離を運べるかは運搬中に消費する物と消費スピードと輸送隊の速度に依存する。

満載で出発して半分の物資を消費するまでに進める距離が進出距離の限界だが、その場合は物資は一切届かず、行って帰ってくるだけになる。


イスラエルの軍事史学者のマーチン・レヴィ・ファン・クレフェルト教授は著書の『補給戦』の中で、馬車を使った輸送の限界距離を『馬車限界』と呼び、その距離は条件が良くても一二〇マイル(約二〇〇キロメートル)程度だそうだ。

二〇〇キロメートルというと東京から静岡ぐらいの距離だから現代日本なら一〇トントラックで日帰りできる距離でしかないが、自動車も鉄道もない時代だとこれだけの距離を陸上輸送するのは一大事業だったという事。

しかも、この馬車限界の一二〇マイルというのは比較的平坦で道路もあって水や焚き木の補給はどこでもできる欧州の話であり、条件が悪ければもっと短くなる。


単独行での到達距離の限界を克服するために輸送隊が消費する物資を策源地と輸送隊の間を何度も往復して輸送隊に補給する支援隊を編成すれば物資を届けられる距離は伸びるが、これを行うと消費量が半端なくなる。


この好例がフォークランド紛争における英国のブラック・バック作戦。


英国はフォークランド諸島近辺でのアルゼンチン軍のジェット機の運用を妨害するためにフォークランド諸島で唯一ジェット機の運用が可能であるポート・スタンリー空港の爆撃を計画した。

しかし、国際関係など諸般の理由から英国領の英軍基地からでないと出撃できなかった。

そこで英軍はフォークランド諸島から最寄りの英空軍基地である大西洋上の英国領アセンション島のワイドアウェイク基地からバルカン爆撃機とヴィクター空中給油機を出撃させたのだが、アセッション島とフォークランド諸島の距離は約六,〇〇〇キロメートルもあった。


米国のB-52戦略爆撃機なら航続距離は一六,〇〇〇キロメートル以上あるから六,〇〇〇キロメートル彼方の爆撃も可能だが、英国が当時持っていた戦略爆撃機であるバルカン爆撃機の航続距離は四,〇〇〇キロメートルぐらいしかないので、バルカン爆撃機単独だと片道の三分の一程度でしかない二,〇〇〇キロメートル飛んだ時点で帰投しないと燃料切れで墜落してしまう。

だからバルカン爆撃機は空中給油機から給油を受ける必要があった。


しかし、その空中給油するヴィクター空中給油機の航続距離だが、これが他に給油しなかったとしても三,七〇〇キロメートル程度しかないから、別の空中給油機から給油してもらって航続距離を伸ばさないとバルカン爆撃機に追随できなかった。

そのため、複数の空中給油機が連携して燃料を継ぎ足ししながらバルカン爆撃機にも空中給油するのを何度も繰り返して爆撃し、帰りも同じように複数の空中給油機が連携しながらワイドアウェイク基地と本隊の間を何度も何度も往復して帰着させた。


このときに使われたバルカン爆撃機は二機(内、一機は予備)なのに対して、空中給油機は一一機(内、一機は予備)も使っている。

つまり、一機のバルカン爆撃機に積める爆弾を六,〇〇〇キロメートル運ぶために一〇機もの空中給油機を必要としたのだ。

しかもその一〇機の空中給油機は一回飛んで終わりではなく何度も往復している。

無補給での進出限界の三倍の距離に届かすために、これだけの支援と燃料消費を必要としたという事。


鉄道や自動車といった大量の物資を高速で遠距離まで少人数で輸送できる手段が使えるようになるまでは、陸上輸送には自ずと限界があって、昔々の戦争ではほとんどの合戦が双方の策源地から数十キロメートル程度までの距離で行われたのは輸送できる距離の限界があったから。


孫子に『食敵一鍾 當吾二十鍾 忌桿一石 當吾二十石(敵の一(しょう)を食むは、吾が二十鍾に当たり、忌秤一石は、吾が二十石に当たる)』[現代語訳:敵の食糧一鐘を奪うのは味方にとっては二十鐘の食糧が増えたことであり、飼料(豆がら・ワラ)の一石を敵から奪うのは、味方にとっては二十石が増えたのと同じ]という有名な一節があるが、遠くの敵国まで自国から食糧を運ぶと五パーセントぐらいしか届けられないから、敵から奪った食糧の二十倍の食糧を自国は節約できるという解釈も成り立つ。


陸上輸送を馬車に頼るとこうなるのだが、これを全部自動車にできたのは第二次世界大戦での米国と戦後の話。

つまり、第二次世界大戦中の米国以外の国は鉄道は使ったが鉄道から先の陸上輸送については、一部は自動車にできたにしても部分的には馬車も使われていたのだ。

米国が戦後の覇権を確立できたわけだ。


「順境なら補給隊が消費するのは一食分だから誤差でもいいけど、もう少し遠くて日帰りがきつかったら三……いや四食掛ける三人の十二食分を消費するし、二日なら……十食掛ける三人で三十食分も……三十食だと先遣隊の一日分、運ぶ量の二割になるから誤差ではすまないか」

「そゆこと。今回は問題ないが、こういう事を計画するときには考慮すべき内容だ」

「……なら、ミヌエへの補給も同じ事が?」

「ああ、そっちは問題ないぞ。舟運を使えるからな」


船舶の運搬能力は現代であっても破格の高さを誇るので、古来から舟運は最高の運搬手段の一つであって、自動車や鉄道ができる以前は無敵だった。

先の『補給戦』にも“馬車なら六〇〇両で運ぶ量を船なら九隻で事足りるし船の方が早い”というような記述がある。


日本の河川は急流が多いから現代だったら河川の舟運はトラックに完全に負けるが、それでも日本の河川で舟運に使われていた全長一五メートル、全幅二メートルぐらいの高瀬舟であってもその積載量は三八俵積み(約二.二五トン)から七五俵積み(約四.五トン)もあった。


仮に三八俵積みの荷物を人力で運ぶなら力持ちで一人あたり一俵(六〇キログラム)を運んだとしても三八人必要になるが、高瀬舟の運航にはそんな人数は要らないし、高瀬舟は馬や牛や人間と違って食事の必要がない。(船員には食事が必要だが)


美浦の河川艇は重たい蒸気機関を載せていて燃料も積まないといけないのでそこまでは載らないけど一トン程度は軽く積載できる。

一トンの食糧を先遣隊と補給隊を合わせた十三人で消費するには(運搬中や保管中その他のロスを考慮に入れても)一箇月半ぐらいはかかるから、定期便に載せて美浦からミヌエに搬入すればお釣りがくる。


「という事は、ミヌエから鴨庄まで舟運が使えたら」

「月一回の運航で交代要員も乗せていけばそれで済むが『黒井川で高瀬舟が運航できるなら』という条件がつく」


ミヌエの湾処をミヌエの最寄りの河川である高谷川ではなく近傍の柏原川に設置しているのは高谷川の水量が少な過ぎてホムハル集落群の標準型の高瀬舟の運航が厳しいから。


その高谷川と分かれて由良川水系に至る黒井川も高谷川と同じく高瀬舟で行き来ができるほどの水量はない。

やるとすると、水深と川幅を確保するための運河的な物を整備して、標準型高瀬舟よりもっと小型の無動力の高瀬舟に荷物を積んで棹で進んだり綱で曳いたりすれば竹田川との合流点付近との往復はいけるとは思う。


「竹田川と鴨庄川はたぶん高瀬舟が運航できると思うから黒井川と合流するあたりに湾処を設けてやれば」

「湾処と高瀬舟の管理」

「……そうか! ノリちゃん先生が仮称黒井を推していたのは」

「今さらジローだけど先に教えてくれていたら……」


昭和歌謡の『今さらジロー』を元ネタとした言い回しを何で第二世代が知っているかと言うと、親父殿世代以上の方々がよく使うのでそれを覚えてしまったという訳。

俺らの世代だと、寒いおやじギャグとか死語レベルの古臭い言い回しだけど、そういうのは隔世で巡るのかもしれない。


ファッションとかもそうだな。

例えば、上半身に着る服(トップス)の裾を下半身に着る服(ボトムス)にタックインするかタックアウトするか。

俺らの世代だと圧倒的にタックイン派が優勢だが、親世代ぐらいはタックアウト派が優勢で、その上の世代はタックイン派が圧倒的。

今のところ、美浦ではタックアウト派世代が少ないので圧倒的にタックイン派だが、誰かがタックアウトを真似たらその世代あたりがタックアウト派世代になるかもしれない。


「単純に『通いで開拓できる場所』って事だぞ」

「……そうなの?」


物凄く疑った目で見られている。


「通いなら補給問題は起きないからな」

「………………」


『河川の合流部という交通の要衝』というのは候補地の仮称黒井と仮称市島と仮称田野に共通している。

その中で仮称黒井を推したのはミヌエから通いが可能という事以外に仮称黒井を推す理由はない。

俺の中では仮称黒井を策源地として竹田川や竹田川が属する由良川水系の舟運網の礎を築くという構想はあったから、最初から説明されていたら仮称黒井一択になっていた可能性が高いのは認める。


「鴨庄じゃ問題にならない事が仮称黒井だと起きる事もあるだろうから、どこだろうが大して違いは無い」

「………………」


納得しないか。


「仮称黒井だと片道二時間ぐらいだろ? 往復で四時間って事は実作業できるのは一日に精々四時間ぐらいって事だ。準備と後片付けの時間も考えたら通いだと泊まり込みの四分の一ぐらいしか作業が進まないとかもあり得るから期間が相当かかる」

「………………」

「否応なしで泊まり込み一択という鴨庄というのは悪い選択じゃない。仮称田野だと片道一日だから補給の負担はより大きくなる」

「………………」


よし、諦めた。


「とりあえず、ここでこの話題は打ち切るぞ。一点目の駄目出しだが、ノリちゃん先生を鴨庄の泊まり込みメンバーに組み込んだ上に交代なしにしているけどこれは駄目」

「現地にはノリちゃん先生か義秀くんのどちらかがいないとキツイと思って」

「ノリちゃん先生はここだけの専任じゃないんだからノリちゃん先生なしで体制を練り直しなさい」


ユラブチ集落群対応派遣隊の男性は俺を含めて五人。

そして計画では鴨庄に泊まり込んで指導監督する者が二名と補給要員が三名なので、ユラブチ集落群対応派遣隊の男性陣を全員使うことになる。


「それは無理!」

「……本当に? ノリちゃん先生は不老不死じゃないんだよ。ノリちゃん先生が死んだ後はどうすんの? 仮に失敗してもフォローしてもらえるうちに自分達だけの体制でやっておいた方が良いんじゃないか?」

「…………でも、開拓地も総合的に考えたら仮称黒井の目もあった筈なのに気付かなかったし」

「そういった致命的でないとか、問題の種類が変わるだけで大して影響がない事には口を出さないよ」

「これは致命的と?」

「そうだ。親世代を頼るな。もっと自分達の好きにして見ろ」

「……分かりました」


“セルヴァ”じゃなく“分かりました”か。

別座敷で納得いくまで付き合うか。


「じゃあ、もう一点の駄目出しな。竹田川に架橋するのは駄目だ」

「橋は無茶でしたか。状況次第では川を渡れないとかを考えたんですが」

「当面は橋ではなくやれて渡し舟だな。渡し船でも状況によっては渡れないが、橋を架けているとそれだけで数年単位の時間が掛かる」

「数年もですか?」

「竹田川の川幅というか橋の全長はどれぐらいを想定している?」

「一〇〇メートル前後と想定しています」

「一〇〇メートル級だと最低でも橋脚は三基必要になる」


木造桁橋の橋桁がワン・スパンでいけるのは三〇メートルぐらいが実用上の限度(もちろんそれより長いスパンの木橋はあるがコストパフォーマンスや作業難度など諸々を考えると三〇メートル程度までが無難)だから三〇メートルを超える長さだと(河原を含んだ)河道内に橋脚が必要になる。


橋桁の最大長を三〇メートルとすると、橋の全長が三〇メートル超から六〇メートル以内だと橋脚は中央部の川の中に一基、もしくは両岸の河原に一基ずつの二基(オリノコの竪琴橋がこの形態)、六〇メートル超から九〇メートル以内なら両岸の河原に一基ずつの二基、九〇メートル超から一二〇メートル以内なら両岸の河原に一基ずつの二基と中央部に一基の合計三基の橋脚が最低限必要になる。


川幅が広いところに架橋したいけど川の中に橋脚を建てるのが難しかった時代は、桁橋ではなく水面に連結した浮き(船)を並べてその上に板を渡す浮き橋(船橋)が使われてきた。


「オリノコの竪琴橋の二基の橋脚を建てるのに半年以上掛かった。これは通常時は河原で工事が比較的やり易く、尚且つ作業者の居住地で大人数で建てての話だ。この計画の橋梁だとミヌエから片道三時間、往復六時間だから一日あたりの一人の作業時間は二時間だから二割五分ぐらいしか進まない。二基建てるだけでも二年以上掛かっても不思議じゃない。それに一基は川の真ん中に建てないといけないから川の付け替えもしないといけない。いったい何年かかるんだ?」

「……泊まり込みとかで急げば」

「ならもうそこが開拓地だろ」

「………………」

「あと、同じ竹田川に架橋するなら仮称市島じゃなく仮称黒井で、尚且つ黒井川と合流する前の竹田川に架橋すべきだな」

「……それだと鴨庄川にも架ける必要があって二本架けるよりも一本の方が良いと」

「鴨庄川と合流した後に架けるなら一梁(ひとはり)で済むだろうが橋脚は三基必要になる。一方で仮称黒井だったら川幅はそこまで広くないだろう。もし九〇メートル以内で済むなら橋脚は河原に二基で済む。鴨庄川なら橋脚無しでもいけるんじゃないか?」

「……確かに」

「それとな、河川の合流部の直下に橋脚を建てるのは止めた方がよい。合流直後は流れの向きや強さが複雑に変化するから洗掘(せんくつ)(水流で川底や堤防が削られること)されて橋脚が倒れるぞ。それなら合流前のところに架橋した方が無難だ」


河道内に橋脚が無い橋梁なら特に気にする必要はないが、河道内に橋脚がある場合は河川の狭窄部や水衝部や合流部や湾曲部などの流況変化が激しい場所を避けるのが望ましい。

他にも河床勾配が大きく変わる部分(そこから急流になるとか、そこで急流が終わって緩やかになるなど)も避けた方が無難。


「橋を架ける発想は悪くないが、時期尚早だと思うが?」

「じゃじゃじゃ、仮称黒井での架橋は?」

「片道二時間だから一年以上掛かると思った方が良い。泊まり込みで期間短縮というなら仮称黒井が開拓地だな」

「…………」

「それに橋の部材も架橋地点付近で伐採して乾燥させておく必要もある。今からやっても架橋できるのは一年後か下手すりゃ二年後だ。だから今はやるとしても伐採と乾燥に留めておいて、鴨庄の開拓が一段落した後で架橋じゃないかな?」

「……ぐぅ。お説御尤も」

「……橋が駄目なのは分かったけど、渡し舟だって直ぐにはできない。ザブザブ渡るしかないけど水量が増えるとキツイなぁ」

「黒潮から唯一無事に回収できた救命ボートを回してくれるそうだから、それを渡し舟にすればよい。地上を運ぶための台車は匠に発注済みだが……道路がなぁ……最悪は担げ」


一年半ぐらい前の津波で外洋船の黒潮、内海船の雪風と春風、河川艇の小桜の四艘を喪失していて、残存している美浦が直轄運用している船艇は外洋船の不知火、内海河川併用船の小鷹、標準型高瀬舟のモデルになった河川艇の白梅の三艘。

戦力半減どころではないので再建は計画していたが、外洋船は造船に取り掛かる前に大量降灰に見舞われて頓挫している。


黒潮から回収できた救命ボートは次に造る外洋船の救命ボートにする目論見だったのだがこれを回してもらう。

需要と重要度が増した動力船の河川艇(標準型高瀬舟)はもう直ぐ新造船が就航するらしいが、これを回してくれというのはさすがに無理。


救命ボートは六〇キログラムぐらいはあるし、一人で持てる形状ではないので一応は台車に載せて曳くことができるよう考えているが、舗装されていないところだと厳しい。

そうはいっても四人ぐらいで担げば陸上でも運べないわけではないから台車の出番は無いかもしれない。

道路を整備できれば下りは船に乗って、上りは台車に載せて曳くという運用もできる可能性はあるってぐらい。


「いつの間に……」

「開拓地を鴨庄にするとなった時に打診した。鴨庄は竹田川の右岸にあり、ミヌエは竹田川の左岸だからどうにかして竹田川を渡る必要がある。場所を選べば歩いて渡ることもできるだろうが、冬場とか水量が多いときは難儀するからそれなりの渡河手段があった方が良いからな」

「……はぁ……落ち込む」

「精進し給え」


ここまで進めたのだから鴨庄で成功するよう努力するもよし、卓袱台返しをして開拓地を仮称黒井に変更するもよし。

何事も経験だからこれを糧に成長して欲しい。

できる限りのフォローはするから頑張ってくれ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 四艘喪失は、かなり痛かったですね。自然相手じゃ文句も言えないし。 そして東雲さんに論破されて落ち込む若手。そうやって人は成長するんです。都市計画を一人で請け負っていた東雲さんに勝とうなんて、…
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