幕間 第26話 ミツモコのブリケット屋さん
ブォォォォォォォ ブォォ ブォォ ブォォ ブォォォォォォォ
砂塵――後で火山灰だと聞いた――が舞い続けるのが落ち着いたころに汽笛が聞こえてきた。
入港を知らせる『長音、短音、短音、短音、長音』の汽笛合図だから美浦の河川艇の『白梅』が到着したのだろう。
外に出て湾処を見ると予想通り『白梅』を岸壁に舫っている人影と舫うのを待たずにこちらに走ってくる人が見えた。
姿形に見覚えはあるから美浦の人なのは間違いない。
というか、こんな状況で来るのは彼らしかあり得ない。
走ってきた人から物凄い緊迫感で“全員を集会場に集めて欲しい”と言われたので素直に集会場に行くよう触れ回った。
全員が集会場に集まったところで美浦の人が開口一番“今の何倍もの火山灰が降ってくる可能性がある”と。
無いに越した事はないがと前置きしつつも、大量の火山灰が降ってきたら辺りが真っ暗になって昼間でも月の無い闇夜のような状態になる可能性があると。
うん。その話は知っている。
豊葦原瑞穂でこの話を知らない大人はいないだろうぐらい有名な話だ。
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いつの日か南西の遠いところで火を噴く山が大噴火して噴煙が天高く吐き出される。
その噴煙は四方八方に広がり、この辺りも空が噴煙の黒い雲に覆われて昼でも月の無い闇夜より暗くなることがあり得る。
そこまでいかなくても噴煙に含まれている砂や塵のような灰、火山灰が降りそそぐ。
どれぐらい火山灰が降り積もるかは分からない。
三〇センチメートルは積もらないとは思うが、二〇センチメートルぐらいは積もるかもしれない。少ないに越したことはないんだけどね。
問題はその火山灰で、火山灰のせいで草木に実がならなくなるし、根も張れなくなるから、火山灰を土に埋めるとかしないと食べ物が無くなる。
降り積もる量にも因るけど元の生活に戻れるまでに五年とか十年とかかかると思う。
だから美浦では十年分の備蓄をしている。
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エパカヌサキミコがこんな話をしていたと長老が皆に伝えているし、他の集落でもそうだろう。
だからミツモコもそうだが、どの集落も米蔵を幾つも建てて米を備蓄している。
外が暗闇に閉ざされると外に出るのは危険なのでできれば全員で集会場に籠って欲しい事や、それが起きる兆候や対処方法などが伝えられ、詳しくはこれを読んで欲しいと手順書が渡された。
除灰が進むまでは外にでる際はこれで防護するようにと防塵メガネ・防塵マスク・外套が三組渡された。
美浦で増産しているからでき次第持ってくるが、今ある物だと一集落あたり三組が精一杯との事。
他には当座の食糧が渡された。
食糧は蔵にあるので大丈夫なのだが……
それ以外の話としては、他の集落に配るのでミツモコから燃料を提供して欲しいとの事だった。
それに対してムラサキは苦笑いしながら“しこたまあるから全集落の一年分を余裕で出せる”と即答した。
うん。ブリケット製造責任者の私の失態でブリケットを持て余しているので幾らでも供出できる。
以前は褐炭の採掘量がブリケットの製造限界だったが、昨秋の大地震で崩れたところから大量の褐炭層が見つかったので、褐炭の採掘量が製造限界ではなくなった。
大量の褐炭に歓喜して調子に乗って冬の間に作り過ぎてしまった結果、今冬だけでこれまでの年間製造量を遥かに超える量を作ってしまって……
今の製造限界は石灰やバインダーなどの副原料の確保もあるが、実態としては貯蔵庫に貯蔵できる量になっている。
既存の貯蔵庫に納まりきらず穴掘って上に屋根を被せる突貫の仮設貯蔵庫を六基も造ったぐらい。
長老から“ここを掘れ”と言われた場所はずっと砂地で確かに掘りやすかった。
なんでも、長老が子供の頃は穴を掘って屋根を被せた家に住んでいたそうで、その跡地だから一度掘られているから他のところより掘り易かろうという事だった。
貯蔵を考えずに山ほど作った事をしこたま叱られたけど、怪我の功名でミツモコの面目躍如になったんだから許して。
お願い。許して。
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貯蔵庫が空いたので原料庫が許す限りの褐炭を採掘してからブリケット製造に勤しんだ。
これは美浦の人から増産を頼まれたムラサキからの指示なので大手を振って作れる。
数日経った頃に轟音が鳴り響き、その日の夕方には南西に真っ黒な雲が現れた。
そして翌日からは昼でも真っ暗闇になり火山灰が降り続いた。
対応手順書に従って真っ黒な雲が現れた時点で全員が当座の物を持って集会場に避難して籠っているので人的被害はない。
で、今は炭坑灯で厨房を照らしている。
中も外も真っ暗なので、照らさないと調理ができないからだ。
私が照明係なのは調理係と照明係に分ける際に問答無用で照明係にされたから。
理由は私が普通の油灯に比べてかなり明るい炭坑灯を預かっているからであって、調理の戦力外だからではない。
この炭坑灯は美浦から買っている特製灯油を灯して使う。
普通の油灯は普通の油を使っていて、あると無いとでは大違いではあるが、作業できるような明るさは無い。
でも、この特製灯油を使う炭坑灯で照らせば細かい作業ができる明るさになる。
実は、炭坑灯はミツモコにしかない。
褐炭の採掘で段々地中に入っていくと暗くて作業できないが、松明を使うと万が一引火すると大惨事になるから使えず困っていたのだが、それを聞いたエパカヌサキミコが炭鉱で使える灯りとして授けてくれたのだ。
しかし、特製灯油は作成に手間がかかるのでミツモコの炭坑灯用にしか作られていない。
普段は普及させるために製法などを教えてくれる美浦だが、特製灯油は合成過程で危険な物質を使うから化学を修めた者でないと教えられないとの事で教えてもらっていない。
だから美浦から買うしかないが、ミツモコで使うには十二分にある。
特製灯油は他の油と異なり取り扱いに注意がいるので、ミツモコでこれを扱えるのはブリケット製造の先代の責任者と当代の責任者の私と後継者候補の二人しかいない。
だから、私が照明係。
調理の戦力外だからではない。
これは声を大にして言いたい。
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避難してから三日目に突入した。
油灯の仄かな灯りしかない薄暗い中での生活は正直しんどい。
ムラサキは『長くて五日間と書いてあった』と言っていたから半分に突入する。
ただ、少しだけ暗さがおさまっている感じがあるから、そろそろ終わってくれそうな気もしている。
そんなさなかに大きな地震があった。
地震の揺れで屋根に積もった火山灰が大量に落ちたのか、ドドドドドドという音も響いた。
昨秋の大地震の後は何度も地震があった。
美浦の人から大きな地震の後にはこういった地震が暫く続くもので、そういう地震を余震というと教えてもらった。
だから地震には慣れてしまっていたが、今回の地震はかなり強い揺れを感じたし、薄暗いさなかだったのもあり、子供らは狼狽えて悲鳴をあげていた。
正直、私も狼狽えたし、集会所は大丈夫だろうが家や貯蔵庫が大丈夫なのか心配だったが、子供らの手前“大丈夫だ”と言って虚勢を張っていた。
◇
「おい! 外、明るくなってる!」
玄関に向かった連中が大声をあげた。
家などが心配だったのは私だけではなかったようで、地震が治まって暫くして集会所の玄関から見える位置に家がある連中が様子を伺いにいったのだが、外が明るくなっていて外が見えたようだ。
「よし、斥候班は準備しろ! それと明かり!」
「応さ!」
防護セットは三組しかないので斥候班は三人。
閉め切った屋内はまだまだ暗いので私も準備する。
防護を固めた三人の斥候班は、私が照らす灯りを頼りに読み上げられる点検表に従って防護服・防護メガネ・防塵マスクがちゃんと装着されているかを相互に指差呼称して問題ないことを確認してから斥候にでる。
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今年の栽培は無理との判断で、野菜類の代わりにモヤシ小屋でモヤシやスプラウトを育てて野菜の代わりにすることになり、その指示書通りに建てたモヤシ小屋で指示書通りに育てたモヤシが食卓に並ぶ。
「ミツモコが一番除灰が進んでいてモヤシ小屋もうちが一番最初だったんだって」
「うちは最初に火山灰を捨てる穴があったからな。あれが無ければうちももっとかかった筈だ」
半世代上のそろそろ第一線を次代に譲る連中が話している。
取り囲むように土塁を造って土捨て場を造るのだが、土塁を造る場所と土塁を造る土を掘る場所の火山灰は取り除かないといけない。
一部の土塁ができたらその土塁を造るために掘った穴に次の土塁を造るために取り除く火山灰を埋めていくことで次々と土塁を延長していって土捨て場を取り囲むのだが、ミツモコは最初に取り除く火山灰を埋める場所として私が六基造った仮設貯蔵庫の穴をそのまま火山灰を捨てる穴にしたため、効率よく土捨て場を造る事ができた。
「これからは大豆も備蓄した方がいいんじゃないか?」
「そうだな。味噌で貯蔵してもいいかもしれないしな」
「おいおい、それらは火山灰が田畑に入ってこなくなってからの話だ」
「確かにムラサキの言う通り。周辺の除灰や飛散防止に本腰入れていきましょう」
「そうしてくれ。そうそう、二、三年は冬が厳しくなるそうだからブリケットは全力で頼むぞ」
おっと、こっちに話がきた。
「任せてください! って言いたいけど、石灰がちょっと心許ないです」
「心配するな。美浦から石灰とバインダーが来ることになっている」
こっちの原料の在庫状況は把握済みで増産依頼という事か。
「分かりました。全力でやります」
「頼んだぞ。豊葦原瑞穂が生き残れるかはお前にかかっている」
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あの時は大袈裟だと思ったんだけど冬がこんなに厳しくなるとは。
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以下は蘊蓄話なので読まなくても大丈夫です。
※炭坑灯
十九世紀に発明されて主に炭鉱などで使われたオイルランタンの『マイナー・ランタン(マイナーズ・ランタン)』『カンブリアン・ランタン』の事
マイナー・ランタンのマイナーは小さい・少ない・劣るという意味の"minor"ではなく、鉱夫を意味する"miner"の方。
地下資源や地下資源の採掘を英語で"mine"や"mining"と言い、マインする者(鉱夫)=マイナー。
『仮想通貨のマイニング』は仮想通貨の採掘。
『マインクラフト』はマイン(採掘した物)でクラフト(作成)するゲーム。
炭鉱では石炭粉の粉塵やメタンガスの発生などがあり、ランタンの火がそれらに引火して爆発する事故が発生していた。
そこで、メタンガスや石炭粉に引火しないランタンを求めて試行錯誤して完成された安全なランタンがマイナー・ランタン。
炭鉱が多かった英国ウェールズ地方の古称のカンブリアを冠してカンブリアン・ランタンともいう。
通常は飛行機の中は火気厳禁だが、オリンピックの聖火を飛行機で運ぶ際は特例的にマイナーランタンに灯すのであれば許されているぐらいマイナー・ランタンの安全性は高い。
※特製灯油
バイオディーゼル燃料の一種で、脂肪酸エチルエステルとトリアセチンの混合油。
油脂(高級脂肪酸グリセリンエステル)のグリセリンをメタノールやエタノールといった低級アルコールとエステル交換して脂肪酸メチルエステルや脂肪酸エチルエステルにするのが通常のBDFの製法。
ほとんどのBDFがFAMEなのは、メタノールと違ってエタノールは酒税がかかるのでコスト高になるため。
ただ、この製法ではグリセリンが副生するのだが、このグリセリンの処分が問題になっている。
そこで処分法として考えられたのがグリセリンをアセチル化してトリアセチンにするという物。
トリアセチンを軽油やガソリンなどの石油燃料に添加すると凝固点や粘性が低下するし、ガソリンのアンチノック剤(レギュラーガソリンに混ぜるとハイオクガソリンになるみたいな感じ)としても機能するので、BDF製造の副生物のグリセリンをアセチル化してトリアセチンにしてFAMEに添加してBDFの性能向上を計る事が検討されている。
そうなると考えられる事として、BDFを作ってその副生品のグリセリンをアセチル化するのではなく、油脂と混合するのをアルコールではなく酢酸エチル(酢酸とエタノールが脱水縮合したエステル)にする事でFAEEとトリアセチンにする製法もできつつある。
この方法ならエタノールは使っていないので酒税はかからないという利点もある。
酢酸エチルは極めて低い濃度なら天然にも存在しており、日本では香り付け用途での使用が認められている食品添加物で、欧州では比較的安全な溶媒としてカフェイン除去などといった食品の加工にも使われているが、物質としての酢酸エチルは基本的にはラッカーなどの塗料の溶剤とかマニキュアの除光液などに使われる有機溶媒なので法令で劇物に指定されているし、可燃性液体としてガソリンと同じ第一石油類に指定されている取り扱いに注意を要する物質でもある。
※なぜトリアセチンを添加しているのか
FAMEやFAEEといったBDFは軽油や灯油と比べて粘性が高いので、ディーゼルエンジンにBDFを単体で使用すると性能低下や不具合(故障)が発生する一因になるため通常は軽油に混ぜて使います。
もちろん、BDF単体で使えるように設計しているディーゼルエンジンもあります。
BDFの粘性の高さはオイルランタンにおいても悪影響を及ぼし、粘性が高いから灯芯の吸い上げが弱くなり、時間あたりの吸い上げ量が減って火勢が弱く(=暗く)なるし、液面が下がると吸い上げられなくなって燃料供給が止まって火が消えてしまいます。
そこで、BDFにトリアセチンを添加して粘性を下げることで吸い上げを助けて明るさと継続時間を確保しています。
※じゃあ、美浦の植物油を使ったオイルランプは?
BDFより植物油の方が吸い上げが弱く、灯油を使うオイルランタンに植物油を入れるとそもそも火が付きません。
時代劇などで見掛ける行灯皿は植物油や魚油や鯨油を燃料にしていますが、これは液面と火の間が非常に近い(=吸い上げ高さが低い)から吸い上げが弱くても何とか火が付きます。
美浦の植物油のオイルランプ・オイルランタンは、燃焼箇所のすぐ下に液面がくるよう浅くて広い燃料タンクにするなどの工夫を凝らしています。
そもそも吸い上げが弱い(時間あたりの燃料供給が少ない)というのは明るくない事を意味するのですが、逆に言えば時間あたりの油の消費量が少ないという事でもあります。
常夜灯などの低照度で構わない用途で使う分にはこれで十分なので植物油をトリアセチン添加BDFにして使うのではなく植物油のまま使用しています。
美浦に高照度のランタンが無いのは、美浦では高照度が必要な場合は電灯を使うので高照度ランタンの需要がありません。