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文明の濫觴  作者: 烏木
第11章 来訪者
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第19話 名字授与

春が来て一部復旧できた田畑の春仕事が一段落したので、各集落を巡って名字を授ける名字授与式を執り行ってきた。


「オリノコの首長(むらおさ)であることと織物業であることから『織野(おりの)』という名字を授ける」

「山雲組を率いていることから二人の許可を得て特別に東と書いて『(あづま)』と読む名字を授ける」

「染め物をしていることと『染谷』という名字を授ける」

「井預りをしていることから『井口』という名字を授ける」

竪琴橋(たてごとばし)の管理を行っていることから『橋本』という名字を授ける」

「檜の管理を行っていることから『檜山』という名字を授ける」

「桑の管理を行っていることから『桑原』という名字を授ける」

「養鶏をしていることから『鳥飼』という名字を授ける」


司くんが命名の由来を説明して、東山親子(匠んとこ)謹製の石製の表札と史朗くん謹製の蒔絵細工の命名板を手渡す。

輝政くんと帆奈さんは後ろで微笑みを浮かべながら座っている。

二人がどうしてもごねるなら“後ろで座っているだけでいいと言え”とは言ったがどうやら強硬にごねたようだ。


名字授与式はここオリノコが最後なので、やる方のこっちは十二回目と手慣れたものだが、受けるオリノコの者にとってはお初の事なのでそこらは注意喚起しておいた。


誰にどの様な名字を付けるかや名字の由来を考えたのは第二世代で、俺は乞われたので現代日本にあった名字の中で俺が比較的一般的だと思っている名字を五〇〇ぐらい列挙したものは提供したし、第二世代が考案した名字がありかなしかには答えたが、選定には一切関わっていない。


まあ、現代日本には様々な名字があるし、中には漢字の読みに古代日本語を当てたと思われるような常用外の読みをするような名字もあるから基本は通し、ホムハル語で変な意味になるものだけは撥ねようと思っていたけどそういうのは無かった。


列挙した名字の由来を聞かれたけど、由来が著名なものならともかく全ての名字の由来を知っている訳ではないから“知らん”と言って逃げた。


うちの東雲の由来は、信州のどこだかに東雲という(あざ)(現代日本では小字(こあざ)に該当するので、町丁的に言えば何丁目ぐらいの小さな地域)があったそうで、そこ出身のご先祖様が江戸に出てきたときに屋号を出身地の(あざ)から取って『東雲』としたのが始まりとは聞いている。

しかし“(あざ)の東雲の由来は?”と問われたら“知らん”としか答えようが無い。

そもそも信州のどこにあった(あざ)かも分からないんだから無理。


列挙したのを一般的な名字にしたのは、珍しい名字は珍しいだけの理由があるのだと思って避けたから。


珍しい名字といえば東雲もそうで、全国で千人も居なかったと思う。

そして、佐智恵の家の天馬はそれ以上のレア。


同音異字の天間や天満を含めればそれなりにいるとは思うが、佐智恵の家は天満家からの分家だそうだが本家と分家を区別できるよう字を変えたそうなので他に天馬と書く家があるかは知らない。


そういった珍しい名字だと『〇〇会』のような同姓さんが集う催しがあると聞いた事があるが、東雲家(うち)天馬家(佐智恵んち)もそういった催しは聞いた事はない。


他にも珍しい名字あるあるを言えば『悪いことをしてニュースになると一発で誰か分かるので悪いことはできない』というネタがある。

ありふれた名字や名前だったら同姓同名がいても不思議じゃないが、珍しい名字で同姓同名ってのが存在する確率を考えたらねぇ……


閑話休題

第二世代が選定した名字は職業由来が多くを占めていて、オリノコの例で言えば地名に由来を求められるのは『織野』ぐらい――それでも職業に引っ掛けてもいる――で、東山()東雲()に由来した山雲組からの(あずま)を除けば、他は職業に由来したものになっている。


現代日本の名字のかなりの部分(一説によると八割)が地名由来であるが、今の状況だと一つの集落に二つも三つも地名由来の名字を付けるのが厳しかったようで、主に携わっている職業をフックにしたようだ。


そうなるのは仕方が無い部分はある。

現状では地名と言える集落名だが、音をとるか(意味)をとるかが難しい。

例えば『サキハル』の元々のホムハル語での意味は『東の原っぱ』だが、意味を優先して『東原』とするのか音を優先して(サキハルと読む名字は俺は知らないから強引に)『先春』とでも付けるかと言われるとかなり迷う。


ちなみにサキハルの首長には意味で名付けて『東原(さきはら)』としたが、東の読みを変えて音を当てた折衷案が採られた。

一応、国東(くにさき)半島のように東を『さき』と読ませる固有名詞が無いわけではない。



慇懃講である名字授与式が終われば慇懃講の対になる無礼講。


ドンドンドドンと祭の始まりを知らせる太鼓(ドラム)が繰り返し打ち鳴らされる。

これ……実はスイングジャズの名曲の『シング・シング・シング』のイントロ部のドラムソロの繰り返し。

暫くすると管楽器(笛やラッパ)の演奏者が合流して『シング・シング・シング』が演奏され、集まった人々が曲に合わせて皆で踊るのがホムハル集落群のお祭りの定番。

傍から見るとフラッシュ・モブみたいな感じ?


元々、ホムハル集落群の人々は踊りが好きだった。

当初は楽器がなくて無伴奏の声楽(ア・カペラ)や棒で岩を叩いたり拍手をしてリズムをとる程度だったが、それでも色々と踊るのが好きだった。


そんな踊り大好き民に踊りに適した楽曲や楽器を渡したらどうなるか。

そう。余暇の時間に練習しまくりで短期間で楽譜を渡せば演奏できるようになってしまった。

もちろん、その陰には楽器作成や譜面起こしに奔走した美浦の人々がいた。


それと、和合祭のパレードなどから自分が躍って楽しむ踊りとは別の、観客を喜ばせる踊り・魅せる踊りにも目覚めてしまった。


「やっぱりオリノコの『シング・シング・シング』が一番良いですね」

「ほう、まだ一番手を保っていたか」

「コーチが良いんでしょうね。また有栖が厄介になるかと思いますがよろしくお願いします」

「カミさんに言っとく」


黒岩(旧姓:吉崎)華さんは中学や高校で吹奏楽をやっていて楽器や楽曲にも詳しかった。

中でも『シング・シング・シング』は彼女にとって思い入れが特に深い曲だそうで、そんな彼女が指導したオリノコの楽団の『シング・シング・シング』が他所に負けるわけがない。


さすがに吹奏楽団や管弦楽団(オーケストラ)やビッグバンドなどが使用する全部の楽器は用意できないが、華さんに意見出してもらって比較的構造が簡単な楽器は作ったし現状では難しい楽器は原型になった原始的な物や別の楽器での代用などで楽器を用意した。

もっとも、一集落では現代のような吹奏楽団を編成するには頭数が全然足りないからかなり変則的な編成になっている。


美浦にはあまり刺さらなかったがホムハル集落群はドハマリした。

乞われるまま各集落で音楽指導もし、全集落から選抜されたメンバーでフル編成した楽団の指導もした華さんは彼らから楽神として崇められている。


演奏される楽曲は俺らの頭の中にある現代までの楽曲――譜面起こしはほぼ俺の作業――が多いが、中には現地で作曲された曲もある。

その現地で作曲された曲の大半は有栖が作曲したもの。

ただ、有栖に作曲技術の手解きをしてくれたのは華さんで、今でも新曲を創ったら華さんの監修を受けている。


「東雲さんは今度は避難民のお世話プラス後進育成か。いつも面倒な仕事を押し付けてすまんね」

「いやいや、黒岩さん達も大変でしょう」


黒岩家は当初の支援時からずっとオリノコに在住してくれている。

それはそれでとてもありがたいのだが、欲を言えば黒岩氏には美浦にいて経済政策のブレーンの地位を占めて欲しかった。


SCCは自然科学系に強く傾倒しているので経済には(うと)い。

そりゃあ、それなりの経済観念と必要十分以上の会計の知識はあるつもりだが、『自由な通貨発行権を持つ存在の特異性』は黒岩氏に指摘されるまで危険性を含めて全く気付かなかった。

黒岩氏から“まだまだ小規模な経済圏だから何とかなってはいるが、今の感覚のままで経済の舵取りをしていたら、人口増や経済規模の拡大に通貨供給量が追い付かずデフレーションに陥ったり、経済規模に見合わない通貨供給をしてしまってハイパーインフレーションやスタグフレーションに見舞われる”と忠告された。


黒岩氏が言うには、美浦はある意味では瑞穂経済圏において自由な通貨発行権を持っているそうだ。

美浦で造幣した鉄貨はその鋳鉄の価値ではなく美浦が定めた価値の物として流通させていて、その価値を支えているのが美浦の信用、つまり瑞穂経済圏で流通している貨幣は本位通貨ではなく管理通貨(信用通貨)であり、その信用を支えている美浦は自由な通貨発行権を持っているとの事。


そして、自由な通貨発行権を持つ存在は経済の中では物凄く特異な存在で『自由な通貨発行権を持つ存在』と『それ以外』ではルールが異なるというか場合によっては正反対の行為が推奨されることもあるそうだ。

一番分かり易い例を挙げれば、通貨発行権を持たない人や組織では収支を黒字にし続ける事は推奨されるというか存続するために必要不可欠ともいえる行為だが、自由な通貨発行権を持つ存在が収支を黒字にし続けるとその通貨を使用している経済圏は深刻なデフレーションに陥って破綻するそうだ。


自由な通貨発行権を持つ存在は、市場の通貨量と経済規模のバランスを取る事が最大の使命と言っても過言ではないそうで、市場に通貨が足りていなければ(≒デフレ)減税したり通貨の発行量(=国債の発行量)を増やすなどの財政出動をして市場の通貨量を増やし、ハイパーインフレやバブル経済などで市場の通貨量が多過ぎたら財政出動を抑えたり増税をするなどして市場から通貨を回収して市場の通貨量と経済規模のバランスを取る。


約めて言えば、自由な通貨発行権を持つ存在の収入は市場の通貨を減らすことで、支出は市場の通貨を増やすこと。

だから、自由な通貨発行権を持つ存在の収支は経済が上手く回るよう調整した結果の値でしかなく、それが黒字だの赤字だのを論じる事自体が愚かな行為なのだそうだ。


しかし、自由な通貨発行権を持つ存在は数十年ぐらい前まで存在しなかった。

本位通貨制度だと本位物(例えば金本位制度だと金の)保有量が通貨発行の上限になるので自由な通貨発行権は持てず、一九四四年ごろに制度として成立した国家の信用を裏付けとした管理通貨制度でなければ自由な通貨発行権を持つ存在は生まれない。


一応、本位通貨制度下でも本位物の保有量に関わらず通貨発行できるようにするために兌換を停止するという非常手段を用いれば上限を超えた通貨発行ができるのだが、非常事態が終息して兌換を再開しようとすると過剰発行のツケを払わされることになる。


第一次世界大戦という非常事態に対応するため兌換停止という非常手段を用いた世界各国がそのツケを払う事で世界恐慌が引き起こされ、これが後の第二次世界大戦を引き起こしたとも言える。

こんな世界的な大恐慌と大混乱と大戦争を引き起こす原因になりかねない手段を用いないと自由な通貨発行をできない存在は『自由な通貨発行権を持つ存在』とは言えない。


そして管理通貨制度においても発足当時から自由な通貨発行権を持っていたかというとそうでもない。

金本位制度の(くびき)から解き放たれたのはドル・ショックとも言われる一九七一年の第二次ニクソン・ショック(ちなみに第一次ニクソン・ショックはニクソン大統領の訪中宣言)によるドルと金の兌換の停止と変動相場制への移行からになる。

つまり、人類の歴史はおろか日本人の平均寿命よりも短い数十年の歴史しかないのが自由な通貨発行権を持つ存在と言える。


じゃあ、それ以降なら管理通貨制度を導入している国家は全て自由な通貨発行権を持つ存在と言えるのかと言うとこれまた否となる。

『資本の自由化』と『固定相場制』と『(自由な通貨発行権を含む)独立した金融政策』の三つの政策は同時に全部を実現することはできず、同時に二つを実現すると残りの一つは実現不可能になるという『国際金融のトリレンマ』と呼ばれるものもあり、管理通貨制度だったら自由な通貨発行権を持てるわけではないので、自由な通貨発行権を持つ存在は非常に限られる。


黒岩氏が言うには、基本的には自由な通貨発行権を持てる可能性があるのはユーロを除く国際決済通貨(ハードカレンシー)やそれに準じる通貨の発行国、つまりは米国、中国、日本の三か国は鉄板で英国とスイスは含めても良いとは思うが、カナダとオーストラリアとロシアは微妙だけど条件としてはありうるとの事。


ここでユーロが除かれるのは、複数国で等価として流通する通貨――固定相場制――だから加盟国が好き勝手に通貨を発行できないから。


国際決済通貨以外の通貨(ソフトカレンシー)は信用に劣るとか米ドルとの固定相場だったりで、とてもではないが独立した金融政策を行うことはできない。

そういったソフトカレンシーで自由な通貨発行をやるとジンバブエのようになってしまう事も……


そういう訳で、自由な通貨発行権を持つ存在は数が少なく歴史も浅いので、その特異性とルールは普通は知らなくて当然だし、個人が生きていく上では知らなくても問題はないし、これまでの経済常識に真っ向から歯向かう内容も多いから理解に苦しむのも当たり前だが、自由な通貨発行権を持つ者がそれを知らないのは被害が大き過ぎるそうだ。


日本経済が沈み続けているのは、日本円が国際決済通貨の仲間入りをして自由な通貨発行権を持ったにも関わらず、従来のルールに則った財政を続けているからというのが黒岩氏の見解。


これを理解できるまで何度も黒岩氏にレクチャーしてもらってかなりの時間は掛かったが、第二世代に経済を教える時期には間に合ったので助かった。

近い将来に起こりえた危機を未然に防げたと言ってもいい。



「再来年の遷宮だが、完全に山雲組に任せたいんだが、東山の棟梁から何か聞いているか?」


黒岩家は匠の拘りによる掘立柱建物(掘っ立て小屋に非ず)である神社的な建物に住んでいる。

隣接する掘立柱建物には限りなく真円に近く造られた鉄鏡がご神体として鎮座しているのでこちらを本殿とすると黒岩家は拝殿(もしくは社務所)に住んでいる形になる。


そして掘立柱建物は建物としては寿命が短いので定期的に建て替えが必要になる。

オリノコの建物はこれまで十年毎に建て替えていてそれを遷宮と呼んでいる。

実際はもっと長く使えるが、技術の伝承も兼ねて比較的短期間の十年にしている。


その遷宮の時期だが、前回から十年とするなら再来年にあたるので、今は造営に使う檜の伐採をはじめる時期でもある。


なお、取り壊した建物の廃材は他の建物の建材として再利用している。

適切に使用されている檜は法隆寺の例でも分かる通り千年を超えても健在なので“それをすてるなんてとんでもない!”のだ。

だから、再来年の遷宮に合わせて再利用する建物の計画も立てられていたりする。


「申し訳ありませんが、匠は出張るつもりですね。枯死しかねない檜から伐っていかないといけないけど、そうなると一筋縄ではいかない筈だと」

「……ああ、小径木とか曲がった木が多くなるとか、十分な強度が無いとかか」

「そうみたいですね」

「棟梁には普段は手や口は出さずに危険なところだけ指摘してもらう立場で……」

「それができれば苦労しません。一万円賭けてもいいです」

「全員がそっちに賭けるから賭けが成立しない」


二人で苦笑い……


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