第17話 寒冬の置き土産
大寒冬を記録した今冬だが、三月に入るとかなり落ち着いてきた。
気象庁では冬季の平均気温が平年より高いと暖冬、平年並みなら並冬、低いと寒冬という区分けがある。そして大幅に低いと大寒冬と呼ぶ。
ただ、一般には暖冬は聞くが寒冬は耳慣れず、厳冬という表現の方がよく聞くと思う。ただ、厳冬は寒さが厳しい日を指す言葉で冬季全体を指して使う事はまずない。
夏も平年より低い冷夏というのは聞くが、平年より高い暑夏はあまり聞かれず、猛暑の方がよく聞くと思う。そして、猛暑も暑さが厳しい日を指す言葉。
現状では気象観測網もなく蓄積年数も少ないので厳密な平年値は無いのだが、例年に比べて平均気温は二度ほど低いと思う。
平年より〇.四度ぐらい低くなると寒冬、一.〇度ぐらいを超えて下回ると大寒冬とされるので、今冬は特に厳しい大寒冬だったのは間違いない。
第二世代が志向したストーブは実現しなかった。
そもそもが泥縄だったしな。
ホムハル集落群を含めてだが、凍瘡などの低温による疾病や積雪や凍結による転倒などでの怪我はあったようだが、重傷者や死者は出ておらず何とか乗り切った感がある。
ただ、どの集落も準備していた暖房用の薪がギリギリだったようで、冬将軍の最後っ屁なのか二月末に大雪が降った際は全世帯を集会場に集めて寝泊まりすることで残り少ない薪を節約する涙ぐましい努力があったようだ。
冬を乗り切るという点では滝野も大丈夫だったが、のっぴきならない問題が発生した。
それは、開拓予定地での伐採が全くできていないという事。
春になると樹木は休眠から覚めて水を吸い上げはじめるので、伐採するには秋に休眠に入ってから春に休眠から覚めるまでの冬季に行うのがよい。
だから冬季に開拓予定地近くで伐採しようと目論んでいたのだが、ミヌエを越えた日本海側は積雪が凄すぎて現地にたどり着くこと自体が危ぶまれる状況だったので断念した。
一応、晴間を狙って先遣隊を進発させたのだが、黒井川沿いを少し下ったところで“これ以上進んだら駄目だ”と早々に引き返してきた。
現地に着くまでに遭難する可能性が高く、現地に着けても建物も何も無いのでテントで凌ぐのも厳しく、そもそも目的である伐採など可能とは思えないという先遣隊の判断は賢明だと思う。
なので、伐採は雪解け後にならざるを得ないし、そうなると樹木は休眠から覚めている可能性が高く、含水率は高くなってしまう。
きっちり乾燥させた木材でないと歪みがでるから、短期間で達成できる目的を果たしたら取り壊す仮設施設ならともかく、常設の施設には伐採して直ぐに使うというわけにはいかない。
伐採して直ぐ乾燥工程なしの木材で建てた出端屋敷は、匠が可能な範囲で厳選した木材を使っていたが家屋として考えたら非常に短命に終わっている。
今冬に伐採できていれば一夏を過ぎた来秋ならギリギリ使えたとは思うが、春の伐採だと二夏越さないと乾燥に不安がでる。
川合のときは美浦で乾燥済みの木材を融通したが、これは舟運を使えば比較的簡単に輸送できたからで、今回は峠を越えるので美浦などで乾燥させていた木材を使うのは厳しいから、地産地消ではないが現地付近で伐採した木材を使うしかない。
来秋にある程度の建物を建てられたら早くて来年の秋、遅くても再来年の春には入植できたと思うが、その目論見は脆くも崩れ去った。
「司ちゃん、伐倒と搬出は目途が立ったから、次はタク小父さんかカクさん呼んで製材を教えてもらいたいと思うんだけど」
「ちょっと急ぎすぎじゃない?」
「今冬に伐採できなかったから建築期間を圧縮しないと色々と齟齬が生じる」
義秀が遅延に対するリカバリー案として避難民自身で製材までできるように仕込む事を提案している。
義秀が仕込みたいといっている製材というのは、伐り出した木を角材や板材などの材木に加工したり寸法を調整したりする事をいう。
柱なら丸太のまま使うという事も可能だが、床板にするにはちゃんと板材になっていないととても面倒なので、製材は建築では必要不可欠な工程でもある。
現代日本だと余程の理由がない限り木造建築には規格品といっても過言ではないレベルまで製材した材木を使っているが、匠の祖父の義勝師匠が若い頃は原木そのまんまや加工度が低い材木を現場合わせで加工して組み上げる事も多かったと聞いている。
義勝師匠は“団塊の世代が家を持つころに建築件数が跳ね上がって、人手不足から低技量でも短期間で建てられるよう似たり寄ったりの金太郎飴みたいなおもろない建物と建て方が増えていった”と言っていた。
現場合わせだと携わる大工の技量に大きく左右されるし、そもそも設計図通りには完成しないし、建築に要する時間も掛かる。
だから材木の加工度合いを高めて規格品にすることで建築方法を標準化して大量に建てられる手法が使われるようになった。
この方法は短期間で完成するので大工の工賃も抑えられるのと、材料をまとめ買いできて調達費が安くなるので、建築価格もかなり低くなる。
どれぐらい安くなるかというと……旧来の手法により近い注文建築の新築住宅を建てるのと新手法の極みに近い建売住宅を建てるのとで、同等の建物を建てる場合の比較だと建売は注文建築の半分から三分の一ぐらいまで下がる。
もっとも、注文建築は建売より拘った造りにしたり拘りの材料を使ったりするので価格は青天井ともいえるので、建売との単純比較は机上の空論でしかないが。
そういった面白くない建物と建て方と義勝師匠が言っていた手法だが、規格品にして量産するのは合理的でもあるので、美浦では一点物や一品物は別としても基本的には規格に則った材木を製材して使用している。
そうしていたからスプラウト小屋の量産が可能だったわけだ。
つまり、建築に要する期間を短くするには現場合わせではなく規格品にして現場では微調整で済むようにするのが王道という訳。
「製材要員を増やすという事?」
「そう。それに自分達で規格に合わせて製材できるようにしないと、うちらや山雲組が掛かりっ切りになるし双方にとって良くないと思う」
義秀はこれは単なるリカバリーではなく製材まで仕込めれば自分達である程度の建築ができるようになるので、関与度を下げられるというメリットも示した。
「それは確かにお説ご尤もだけど」
「タク小父さんやカクさんが難しければ山雲組から派遣してもらうという手もあるけど、山雲組にはホムハル集落群の導流提の点検をしてもらう予定だから……」
義秀が言っている導流提は土石流流向制御工の導流提の事。
通常の導流提は河川の流れを制御する物だが、土石流や雪崩などの流れる方向を制御する物も導流提と呼ぶことが多い。
美浦の旭丘もそうだが、他の集落でも土砂災害の発生があり得る場合は、家屋などの重要部を守るように導流提を設けている。
火山灰が降り積もっていて土砂災害が起きやすいので導流提の重要度が増していたが、今冬は雪も多かったから導流提が傷んでいる可能性もあるから点検・整備をしておきたいという事。
「父さんかカクさん兄さんか山雲組か……義秀くんじゃ難しいの?」
「真似事はできるけど、所詮は真似事。本物の方が良いと思う」
「……ちょっと考えさせて」
司くんが長考に入った。
目を瞑って握り拳にした右手で額をぐりぐり擦っている。
これは司くんが考え事をするときのスタイルで、子供の頃から変わっていない。
ただ、本人にそうやっている自覚はないようだ。
五分ぐらい考えた後に“仕方ないか”とボソッと呟いたから考えがまとまったのだろう。
「スケさんには悪いがカクさん兄さんを呼ぼう」
「ありがとう」
「スケさんカクさんをとると言ったら理久兄、嘉偉兄、義智兄が何か言ってくるかもしれないけど、その時は、説得よろしく」
「おっおう」
鶴郎くんを呼ぶと高確率というか余程でない限り義佐も来る事になる。
そうなると貴重な人手を二人も引き抜く事になるので、司くんの言う通り美浦のというか三人衆・第二世代がやりにくくなる可能性が高い。
匠にしろ鶴郎くんにしろ山雲組にしろ、引き抜かれた側は思惑が崩れるが、引き抜かれた側のダメージが一番大きいのは鶴郎くんで一番ダメージが小さいというかダメージが無いのが匠だと思う。
この世界では世界一の名匠だと思う匠を引き抜かれてもノーダメというのは、三人衆からすると基本的に第一世代は扱い辛いのだが、その中でも扱い辛い筆頭格が匠だから、居なくても大きな問題にはならないからで、逆に、鶴郎くんが引き抜かれたら建築分野は匠を使わざるを得ないから三人衆の気苦労が増える。
義佐は化学分野になるからまだ扱い易い春馬くんがいるからマシだが、匠に負けず劣らず使い辛い佐智恵が出張ってくると途端に厳しくなる。
じゃあ、匠を呼べばいいじゃないかと思うかもしれないが、今回の目的と照らし合わせると匠は不向きと言わざるを得ない。
匠は見込みがある職人を一流の職人にグレードアップさせる事はできても、素人を一人前の職人に育てるのは苦手としている。
そんな事があるのかと思われるかもしれないが、これは極ありふれたもの。
教える側と教わる側の差が大き過ぎると難度が跳ね上がるのだ。
大学の教授だったら幼稚園から高等学校までの教育を全て上手くできるなどという事はないでしょ?
ざっくり言えば、匠が教えるのは大学レベルで、一人前の職人は中卒、見込みがある職人が高卒みたいな感じで、見込みがある職人でないと匠の教えについていけない。
匠の教えについていけるならそれはもう立派な一廉の職人だから、素人を一人前の職人にするという今回の目的にはそぐわない。
匠が素人に教えられないんだったら山雲組のときはどうしてたって?
そりゃあ、俺が一人前の職人に育成してから匠が見込みがある者を上級者に鍛えあげたという事だよ。
今は山雲組が一人前の職人に育てて、その中で見込みがある者に匠が教えるという形態になっている。
周りに迷惑を掛けないという事を重視したら匠になるが、匠だとおそらく目的を達成できないから、山雲組か鶴郎くんのどちらかという選択になる。
そして、山雲組は義秀がいうように導流提の点検や雪解けで増えるだろう土砂災害や水害対策に使いたいから、山雲組から戦力を抽出するのはホムハル集落群の安全を脅かす可能性がある。
じゃあ、鶴郎くん一択かといえば、二人も抜けるのは美浦にとっても厳しい話になる。
講師を招聘するのを諦めて今滝野にいる人間が教えるのはどうかとも思うが、それは義秀が止めた方が良いと言っている。
約めて言えば『目的を達しえない可能性(匠招聘案と義秀講師案)』と『ホムハル集落群の安全に対する懸念(山雲組抽出案)』と『美浦の思惑の阻害(鶴郎くん招聘案)』と『入植時期が遅れる(製材を仕込まない案)』という中で、どのリスクを採るのかという選択になり、この辺りをグルグル考えていたのだろう。
その上で司くんが出した答えが『鶴郎くんを招聘する』つまり『美浦の思惑を阻害してでも避難民の永住先集落への入植までの期間を短縮する事を優先する』決断をしたということ。
これは全体を考えても良い決断だと思う。
もっとも、これが将司だったら『義教が教えろ』で御仕舞いだろうけど、第二世代はそこまでは言えないだろうから上出来だと思う。




