第12話 開拓予定地
第二次鴨庄カモカモ作戦から帰還した鶴郎くんと義秀から開拓候補地の評価を聞いた。
鴨庄川が貫いた丘陵地帯を少し進んだところの鴨庄川の右岸側に狭いが平地があって、平地と丘陵がぶつかる辺りの高台が開拓候補地として最有望と聞かされた。
「ここなら昔聞いた『山、畑、家屋、道路、水田、用水路、水田と並べる形』が採れる」
確かに教えた覚えはある。
江戸時代の農村開拓の基本形の一つとされていた形態が『山、畑、家屋、道路、水田、用水路、水田と並べる』というもの。畑を一段高台に置いて家屋との間の傾斜地を林にするという事もある。
土地の開拓は地勢によって大きく異なるから、農村開拓の基本形は他にも幾つかあるが、この形態は山裾とか傾斜地などに適応がある。
「それと南斜面になるから日当たりも問題はないです」
南斜面が良いか北斜面が良いかは現状では実は微妙だったりする。
南斜面はは日当たりが良いし冬の北風も山越えになるので好立地と思われがちだが、実は地盤は北斜面の方が堅固な事が多く、崖崩れはむしろ南斜面の方が多く発生する。
北斜面の方が地盤が良い事が多いというのは建設業の肌感覚としてそういう物があるとは聞いていたが、国総研(国土交通省 国土技術政策総合研究所)が調べた崖崩れの実態調査の結果からも北斜面より南斜面のほうが崩れやすい傾向が見てとれる。
南斜面は日当たりが良い事が多いから崖崩れが多くなるという仮説がある。
日当たりが良いから寒暖の差が激しくなるし乾燥と湿潤が繰り返されやすくなるため、岩石が風化しやすい条件が揃ってしまうというもの。
他にも、土壌は乾燥状態になると撥水性を持ってしまい、深部に水が入り込みやすくなり、風化や斜面崩壊の呼び水になるので、乾燥状態になりやすい日当たりが良い場所は地盤が悪いという説も聞いた事がある。
ただ、これは地質学でのタイムスケールでの話なので、“何千年何万年も繰り返されたら”という前提条件が付く。
つまり、南斜面の風化した表層部(場合によっては数メートルを超える)を全て剥ぎ取ってしまえば人間のタイムスケールでは問題は起きないから、崩れる可能性がある全ての場所で岩盤に達するまで表層部を削るしっかりとした造成をした土地ならば何ら問題はないので、そういう造成地なら南斜面はお勧めとも言える。
しかしながら、そういった大規模な造成を行えない現状では、利便性が高いが崖崩れや地滑りなどの土砂災害のリスクがある南斜面か、利便性には劣るが土砂災害のリスクが低い北斜面かは悩ましいところ。
それと、木材は北斜面の樹木の方が良いから北斜面は木材用の林にしておくというのも捨てがたい。
なぜ北斜面の方が木材として良いかというと、南斜面は低い位置で枝葉を広げても十分に光合成ができるが、北斜面は高い位置まで伸びてから枝葉を広げないといけないから真っ直ぐ長い木材がとれる樹木は北斜面に多いという事。
「ノーちゃん、何か懸念が?」
「南斜面は土砂災害のリスクがあるんだが、そこらはどうなっている?」
「ええっと……“尾先、谷口、宮の前”でしたっけ。尾根の突端付近と谷の入り口付近は避けてます」
家を建てるのを避けるべき土地を指す『尾先、谷口、宮の前』という言葉がある。
尾先は尾根の突端部近辺のことで、谷口は文字通り谷の入り口付近のこと。
この二つは土石流・地滑り・崖崩れといった土砂災害が起きやすいので、大昔から建物を建てるのを避けるべき土地として伝わっている。
最後の宮の前は神社や寺院の入り口の近辺のことで、こちらは自然災害ではなく信仰関係や人出などの関係だと思う。
信仰上は、神社仏閣は善くない物を鎮めるために建てられている事があるので悪い気が溜まりやすいとか、神仏の傍で畏れ多いといった感じで、人出の方は祭事などで不特定多数の人間が家の前で屯することになるので、店舗ならともかく純粋な住居としては厳しいという事だと思う。
門前町は参拝者相手の商売をする商工業者が軒を連ねている事が多いのも頷ける。
「宅地に向くのは“平らな土地で、東から南にかけてがやや低地で開けていて、西と北に小山か森がある”でしたっけ。親父から聞いています。ここならその条件に合致するかと」
平らな土地で云々というのは、そういう地勢は吉相の地だと伝わっている。
日当たりが良く、西日や北風から護られるので打って付けという事。
実は美浦の美浦平も旭丘も東方から南方にかけて開けていて西には留山、北には恵森(旭丘は留山の小尾根)という立地になっている。
「校長先生、何か懸念が?」
「概略図だからはっきりは言えんが、実はここら全体が谷という可能性があってな、ここにあるという高台が扇状地の削れ残りだとすると危ない。もちろん、丘陵本体だったら然程問題はない。谷である可能性は低いがどうにも判別がつかん」
「…………義秀くん、どう思う?」
「…………何とも言えない。調べてみて駄目だったらもう一つの候補地のココ?」
「校長先生、そこならどう?」
「確かにそこならリスクは低いが、利便性はかなり劣るな」
「そうなんすよ」
「さっきも言ったが、この候補地が駄目なわけじゃないからな。あくまで薄い可能性の話だ」
「最終決定は雪が融けて測量や地盤調査をしてからだけど、第一候補地は十中八九、第二候補地は九分九厘大丈夫だと思うから、二箇所の建物案と資材見積もりやっとく。司ちゃん、ヒデくんそれでいい?」
「ノーちゃん、どう?」
「任せた」
「つかっちゃん」
「…………カクさん兄さん、頼んます」
「頼まれた」
■■■
スケさんカクさんコンビが美浦に戻ったあと、義秀が南方と東方の集落にも鴨のお裾分けと住民台帳の収集をして帰ってきた。
義秀が集めた住民台帳からホムハル集落群の現時点での総世帯数が一三六世帯(総人口:七六三人)という事が判明した。
ある意味ではこれが初の国勢調査なのかもしれない。
最大は二十二世帯あるホムハルで、以下、十二世帯のフマサキとコロワケ、十一世帯のミツモコとサキハルとコクダイ、十世帯のオリノコとハクバルとミヌエ、九世帯の川合とヒノサキとワバルといった具合で団栗の背比べ。
ホムハルが他集落の二倍程度で、他は押し並べて同じというのは初接触時から変わらない構成。
人口の増加は率に依存するので、他所が二倍に増えるならホムハルも二倍になるという事なので不思議はない。
それと、川合は入植時の八世帯から一世帯しか増えていないが、これは全員が若い世代だったからで、あと少したつと独り立ちする子が多数でてくる。
その後はまた暫く停滞してというのを繰り返す事になるのは年齢構成が歪なのが原因だが、これが解消して年齢構成がばらけるには長い年月がかかると思われる。
それはともかく、命名が必要な世帯数がホムハル集落群一三六世帯プラス避難民八世帯で一四四世帯ということになる。
一四四種類の名字を用意するって滅茶苦茶大変。
そりゃ、日本の名字はバリエーションが世界でも類を見ないぐらい豊富だから上位二,〇〇〇位以内のほとんどの名字にその名字の知り合いがいたり一度は見聞きした事がある名字だったりするとは思うが“じゃあ一割の一〇〇個でいいから列挙してくれ”と言われると固まると思う。
頑張ってくれたまえ。