第11話 候補地
巴鴨尽くめの宴会が決め手になったようで、避難民の永住先は(仮称)市島付近にする方向になった。
そうはいっても“雪が融けたら開拓開始”とはならない。
ミヌエから(仮称)市島までは、健脚の若衆が雪中に徒歩で行きが四時間半、帰りが五時間半だった。
雪中だと五割増しぐらい時間がかかるから、平時だと三時間から三時間半ぐらいと見てよいだろうが、それでも片道半日はかかるからミヌエからの通いは無理。
ちなみに(仮称)黒川は往復ともに二時間半ぐらい(つまり、平時だと一時間半ぐらい?)だそうだから(仮称)黒川ならミヌエから通いも不可能ではなかった。
川合のときは通いでも現場事務所兼飯場的な建物を建てたが、(仮称)市島だと通いが無理だからちゃんとした飯場(建設建築現場で寝食ができる場所)を構えないと難しい。
そして、現場事務所も飯場も直ぐに建つわけでもないし、建材をどうするかという課題もある。
それと住居などが整った後に現場事務所や飯場をどうするのか。
仮設の物は役目を終えたら取り壊すというのが常道だが、そのまま残して集落役場兼集会場的な役目を果たさせるという案もあり得る(但しその場合は仮設ではなく常設の基準で建てないといけない)とか、いっそのこと飯場を建てたらそこに移住させればいいじゃんという考えもある。
他にも色々課題があるのだが、どうやら第二世代は気付いていないようだから美浦に根回ししておくか。
◇
司くんと義秀が建築について鶴郎くんの手を借りたいと言ってきた。
鶴郎くんは匠の息子で建築の後継者である。
つまりは、司くんの兄であるし、建設担当である義秀の相方でもある。
「どの部分で手を借りたいんだ?」
「想定している建物の資材の見積もり。どれだけ伐採しておけば良いかの算定」
「建築様式はどうするんだ?」
美浦及びホムハル集落群では標準の礎石建物か、ユラブチ集落群では標準の竪穴住居及び掘立柱建物かという問い。
「礎石建物でいきます」
「ユラブチの者にも確認が取れています」
「なら良い」
「どこに建てようが建てる建物は似たようなものだから必要量は大して変わらないだろうけど、伐採する場所は建築場所に近い方がいい」
「まあ、そうだな」
「目ぼしい候補地は見繕っているけど、なるはやで絞り込むのに手を取られるから見積もりはカクさんに頼みたい」
義秀が言うには、目ぼしい候補地は鴨庄川が竹田川に合流する辺りの右岸と左岸、それと鴨庄川を少し遡ったところにある丘陵地帯近辺の鴨庄川の右岸と左岸の四つだそうだ。
地図上では鴨庄川が竹田川と合流する辺りに市島駅があるので(仮称)市島としていた。
河川の合流点付近は交通の要衝でもあるので、この近辺の竹田川の左岸側と鴨庄川の右岸側が当初の有力候補で、条件が良い方にすればよいと考えていた。
しかし、義秀が視察した上での結論は“失格ではないが、優良でもない”だった。
竹田川の左岸側は山が近いから高台に構えやすいが水利に難がありそうで、鴨庄川の右岸は平地がある程度広がっているが高台は自然堤防ぐらいしかなくて少々水害が怖いとの事。
そこで、義秀が目をつけたのは合流点の東側にある丘陵だった。
竹田川や鴨庄川の右岸は後背湿地のような平地があるのだが、その幅は一キロメートルあるかないかぐらいで、すぐ東側に南北に連なっている丘陵がある。
この丘陵と鴨庄川が接する辺りはどうかというのが義秀の見立て。
実はこの鴨庄川はこの丘陵を東西に貫いて流れているので、鴨庄川は先行河川(先に河川が流れていて、周りが隆起しても河川の浸食の方が隆起より早くて山地を削ったような地形ができる事があるが、そういう地形を流れる河川を先行河川という)だと思われる。
そして鴨庄川が丘陵部を貫いた東側にも平地があって、そこを暫く進んだところが巴鴨の越冬地になっていたそうだ。
竹田川と鴨庄川の合流点から見て東の丘陵に集落を構えて鴨庄川から引水してやれば竹田川や鴨庄川の後背湿地を存分に利用できるし集落が水害に遭う確率は低い。
そして巴鴨の越冬地からは適度に距離があるから巴鴨に警戒されることも無いだろうというのが義秀の見解。
義秀、それって候補地は四つではなく“その丘陵部のどこにするかを絞り込みます”って言っているのも同然ではないか?
しかし、本川(竹田川)沿いではなく支川(鴨庄川)沿いというのも王道だから問題ない。
「成る程な。反対する理由はない。添状が必要なら言ってくれ」
「あざーっす」
俺の第一候補は(仮称)黒井だったのだが、(仮称)市島でも悪いわけではない。
第二世代と避難民が(仮称)市島が良いというなら問題ない。
■■■
鶴郎くんに新集落に建てる建物の設計と資材見積もりを依頼する連絡を入れて暫く経った頃に、義佐鶴郎くんコンビが滝野にやってきた。
「校長先生、御無沙汰でした」
「鶴郎くん、わざわざ来たのか」
「美浦にいたまま設計と見積もりってそりゃないでしょ。設計は現地見ないとだから現地に行きますよ。美野里母さんが拗ねて貸してくれなかったから、佐智恵小母さんに頼み込んでバーミンター借りてきました!」
やっぱりか。
美野里のハンター気質は確実に受け継がれている。
「……ちょっと佐智恵が貸したバーミンター見せて」
「はい。持ってきます」
鶴郎くんが持ってきた猟銃(一六式バーミンター)を検分する。
「これ、俺のだから大事に使ってくれ」
「えっ? 校長先生のだったの?」
「サッちゃんが貸したってんなら構わない……で、義佐は何で?」
「巻き込みヨシ! という奴ですよ」
「……ご苦労なこって」
美浦で“巻き込みヨシ!”を使うシチュエーション及び意味は二つあって、一つは巻き込まれた側が“私は巻き込まれただけです。不本意です”という意味で使うもので、もう一つは巻き込んだ側が“首尾よく巻き込んでやりました”という意味で使う。
先の義佐の発言は前者の意味の方で、鶴郎くんが現地調査(を名目とした鴨狩り)に赴くにあたって義佐が同道する羽目になったのだろう。
本来“巻き込みよし”というのは、自動車教習所で運転を習っているときに、左折時に歩行者や二輪車などを巻き込む危険が無い事を確認したと、教習指導員に知らせる発声として使われるもの。
だから、自動車教習所がないこの世界では“巻き込みよし”という言葉を口にする機会なんてそうそうない筈なのだが、第一世代が先程の意味で使っているから元が何かはともかくとして第二世代も使っている。
こういう意味になった原因は美野里の逸話とSCCにある。
その逸話というのは以下のようなもの。
美野里が教習所の路上検定中に左折する際に“巻き込みよし”と言ったのだが、左後ろに自転車が迫ってきていて検定員が補助ブレーキを踏んで“よしじゃねぇ! 自転車が来てただろ! 何を見てよしと言ったんだ!”と叱られて検定中止(不合格)になった。
これに美野里はいたく不満だったようで、俺らに“あれは突っ込んできた自転車が悪い! 左にウインカー出して減速している車に追い付いたのに敢えて左に鼻先入れるなんて狂気の沙汰だよ! そんなんどうやって予測しろってのさ! もし次があったら絶対あいつを巻き込んでやってから巻き込みよし! とやってやる”と何度も何度も愚痴っていた。
ああいった場合は停車してやり過ごすのが正解と思うが、検定員補助で一発検定中止はままある話だし、世の中には信じ難い行動をとる人間もいるから、過ぎた話だから不運と踊っちまったと諦めるしかないが、美野里の物言いが何かのツボに入ったSCCの面々が、巻き込んだときや巻き込まれたときに面白がって“巻き込みヨシ!”と使っていたのが発祥。
「巻き込まれた以上は利用すべく、名目上は各集落に(浄水用の)凝集剤の補充としています」
「……じゃあここに来る前に?」
「オリノコ、川合、ミツモコ、サキハル群、コロワケと回ってきました」
「お疲れ様」
「それで、ホムハル、ハクバル、コクダイ、ワバルと回ってからミヌエ。そこから鴨庄にという予定」
「気を付けて行ってくれ」
「はい」
それにしても『市島』じゃなくて『鴨庄』か。
『(仮称)市島』は『(仮称)鴨庄』に改名する事になるのかな?
実際の集落名はそこに住む者達に決めさせればよいけど、仮称がそのまま採用されて(仮称)が外れるだけになる可能性が高いんだよな。
「そうそう、ここのトップは司くんを据える予定だからその積りでいてくれ」
「了解」
司くんからすれば、鶴郎くんは兄で義佐は義兄だから、この二人には強くは出られないだろうが、ああ言っておけばある程度は司くんを立ててくれる筈。
「カクさん兄さん、やっぱり来た」
二人に司くんに挨拶に行くよう言おうとした時に司くんと義秀がやってきた。
「司くん、何て事をしてくれたんだ? 美野里母さんを宥めるのに苦労したんだぞ。どうしてくれる」
「知らんがな」
「それに拗ねてバーミンター貸してくんないからサチ小母さんから借りたぐらいだぞ」
「それも知らんがな」
「ああぁん、校長先生、つかっちゃんが冷たい」
「知らんがな」
「校長先生も冷たい。シクシク」
兄弟のお約束に巻き込むなっての。
まあ、誰かを巻き込むまでがお約束だけど。
そして、いつもは義佐を巻き込みにいくのだが、今回は俺にしたのはいい判断だ。
「義佐兄はカクさんの付き添い?」
「ご名答。名目としては凝集剤の補充だけどな」
「凝集剤の補充……ありがとう。ちゃんと浄水できていた?」
「南と東を回ったけど大丈夫だったぞ」
うん。こっちの兄弟の会話は真面目だ。何か事務的で面白味がない。
東雲家男子はおちゃらける事がほとんどないんだよな。
他から振られたらちゃんとお約束に従ってふざけ返すのだが、東雲家男子はコメディー・リリーフの適性がないようで、東雲家男子が起点という事はまずない。
そして東雲家男子同士だと、誰もコメディーに振らないから面白みのない真面目なやり取りが延々と続く。
誰か一人ぐらい三枚目気質の奴がいてもいいのに。
「ええ、それでは。スケさんカクさん、出発はいつにします? うちらは明日にでも出れますけど」
「つかっちゃん、俺が出張った名目は凝集剤の補充だから、ホムハル、ハクバル、コクダイ、ワバルと回ってからミヌエって行程になる」
「補充は帰りにという選択は?」
「例え名目でもキッチリ熟す事が大事だから先に片付けておく。他に感けて名目を等閑にするのは愚者の所業」
ばつが悪そうな表情でそっと目を反らす司くんと義秀。
「ん? 如何した?」
「武士の情けだ。聞いてやるな。義佐にも身に覚えがあるだろ?」
「……セルヴァ。カクさん、やっぱり誰しもが通る道なのかな?」
「だな。俺らも身に覚えがあり過ぎるわな」
「全くだ。さて、つかっちゃん、俺らは北方集落を回ってからだ」
「……では、一緒に回るか、うちらが先行するか、タイミングを計ってどこかで落ち合うか、ですかね? スケさんカクさん、如何します?」
「先行されたら場所が分からない」
「だな。タイミング計ってだとミヌエの湾処で落ち合うのがいいが……スケさん」
「明日はホムハルとハクバルで、明後日にコクダイとワバルとすると……明後日の晩にはミヌエの湾処には着けるとは思うけど、念のため明々後日の晩までにミヌエの湾処でっていうのが妥当かな?」
ミヌエの傍を流れる加古川水系の高谷川は比較的水量が少ない川なので、ミヌエから少し離れた場所を流れる水量が多い加古川水系の柏原川にミヌエの湾処を設けている。
他の集落の湾処は比較的近傍に湾処があるからそうもいかないが、ミヌエは集落からは少し離れているのでミヌエの湾処で宿泊していてもミヌエに負担をかける事はない。
「つかっちゃん、俺は住民台帳の件があるから一緒に回るわ」
「同道して大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。問題ない」
こうして、第二次鴨庄カモカモ作戦が動き出した。
元々は現地調査と平行して資材見積もりしたいって話だったのにねぇ……
俺は行きませんよ。
お留守番です。




