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文明の濫觴  作者: 烏木
第11章 来訪者
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第7話 派遣員の受難

「っく……ノリちゃん先生酷いよ」

「同じくっ……ノーちゃん酷い」

「ノリちゃんは大丈夫だぞ。義秀(ヒデ)も大丈夫だろ?」

「大丈夫」


文昭は美浦に帰ったが、帰るまでの三日間はユラブチ集落群対応派遣隊の錬成に勤しんだ。

“ちょっと身体が鈍ってるんで鍛練に付き合ってくれ”とは言ったが、それは俺自身の鍛練に付き合ってくれという意図だったのだが、文昭は派遣隊全体の鍛錬と解釈したようで、雪でやれる事が無い派遣隊に野戦築城訓練と称して雪を掻き集めさせて滑り台というか雪山というかを築かせた。


子供たちはその雪山を(そり)に乗って滑って遊んでいるが、雪山を築いた面々は俺と義秀(それと文昭)を除いて筋肉痛で往生している。


「いや、普段使わない筋肉使ったから……」

「朝の体操、真面目にしてる?」


当初から今でも美浦で継続している事の一つが朝の体操。

最初はエコノミークラス症候群の防止だったんだけど、会社や学校で朝の体操があるところもあるからか、そのまま惰性で朝の体操が継続されて現在に至る。

朝の体操は、幼児や高齢者向けには『みんなの体操』が、一般向けには『ラジオ体操第一・第二』が、そして上級者向けには“準備運動してからでないと怪我する体操”と揶揄される事もある『自衛隊体操』が用意されていて、各自が選んで体操している。

実はラジオ体操はかなり考えられた運動で全身の筋肉を程よく使うので、第一だけでも真面目にやれば体力維持にかなり有効な手段だったりする。


「普段から怠けてるからじゃない?」

「ちょっ、ヒデくん、それ酷いって」

「ヒデくんが筋肉痛になんないのは偶々土木工事と同じ動作だっただけじゃん」

「そうそう、あとノリちゃん先生には二日後に筋肉痛がくる呪いをかけとく」


筋肉痛は歳を取ると遅く現れるようになるという説もあるが、これは俗説であって実態は異なる。


該当の筋肉の普段の運動強度をかなり上回った運動強度で使用すると翌日など比較的短時間で遅発性筋肉痛が起きるが、そこまでではない運動強度だと二日後とか三日後など遅発性筋肉痛が起きるまでの時間が延びる。

つまり、遅発性筋肉痛が起きるまでの時間は普段の運動強度をどれだけ上回った運動をしたかに連動しているのであって、実は年齢とは直接の関係はない。


ただ、加齢とともに遅発性筋肉痛が起きるまでの時間が延びるのは体感的には普通だと思う。

実際には、加齢とともに『無意識に運動強度を抑えてしまう』とか『これまでの経験により効率が良い(=運動強度が低い)身体の動かし方を会得している』などで、加齢によって運動強度が低くなり遅発性筋肉痛が起きるまでの期間が空くのだと思われる。

加齢とともに筋肉の修復速度が遅くなって遅発性筋肉痛が起きるまでの時間が延びるという事も考えられるが、若齢者でも運動習慣がなければ筋肉の修復速度は遅くなるので遅発性筋肉痛が起きるまでの期間は長くなりがちなので、これは加齢というより運動習慣の有無によると思われる。


筋肉痛は乳酸などの疲労物質がたまって云々というのも俗説で、疲労物質がたまって起きる筋肉痛は運動している最中や直後に現れる現発性(即発性・早発性・急性)筋肉痛の話。

現発性筋肉痛の分かり易い例を挙げれば、手を握って開いてを素早く繰り返していると前腕部に痛みを感じたり熱を帯びたりすると思うが、これが現発性筋肉痛。

それと、現発性筋肉痛の痛みの原因は水素イオンであって乳酸ではない。


「ヒデが筋肉痛にならないならノリちゃん先生もならないと思うぞ」

「いや、あんまり土木工事やってないじゃん」

「なので、身体鈍ってるから文昭に鍛練に付き合ってくれって言ったんだよなぁ」

「巻き込まれた私らの立場は!」

「正直、すまんかった」


他のメンバーからの苦情に対しては素直に謝っておく。


「さて、苦情大会はここらにして、避難民の永住先候補の話。司くん頭で検討してくれ」

「はーい」


■■■


永住先の話は迷走したまま今日のところはお開きになった。

色々な意見や考え方がでて収拾がつかなくなったので時間を置いて再度検討しようという事になったが、急いで結論を出す必要はないので問題はない。


永住先の案についてはだいたいにおいては俺の想定範囲内だったが、中には淡路島や小豆島に移住させるという“それ何て島流し?”と言いたくなるような案もでていた。


将司から釘を刺されているので静観するが、第二世代だけで検討させると往々にしてこんな感じになってしまう。

風呂敷を広げるだけ広げて畳めなくなった状態と言えば分かり易いだろうか。


将司は好き放題に広げられるだけ広げられた風呂敷でも綺麗に畳む名人なのだが、将司の真似は三人衆はおろかSCCの他のメンバーにもできないのだから、それを司くんに求めるのは酷という物。


もっとも、風呂敷を広げる範囲は畳める範囲に抑えるのが鉄則で、畳めないほど広げてはいけない。

実は、将司も必要があって広げさせる場合も畳める範囲に制御している。


しかし、第二世代は野放図に広げられた風呂敷を将司が綺麗に畳むのを産まれたときから見てきたので、会議とはそういう物だと誤解しているきらいがある。


ここらは後々の課題だな。

将司からは“緊急性が高くないものについては自分たちで気付くまで待ってやれ”と言われている。


そうはいっても、風呂敷を広げる事ができる事自体は悪くない。

風呂敷を広げられるというのは自分で考える事ができている事の証左なのだから。


そして『自分で考える』というのは基礎学校で教えているときに腐心している部分でもあるから、それが実を結んでいる事は喜ばしい。


『大人の言うことをよく聞く良い子』というのは、往々にして『大人の言う通りにしておけば良い』と自分で考える事を放棄した子であることが多い。

そういった思考を放棄している人間は以前の世界では何人も見てきたが、教育熱心で完璧主義な親をもつ子に多かった印象がある。


自分で考える事ができない子は劣等生なのかというと実はそうでもなく、俺が通っていたそれなりの私立高校の特進クラスの三分の一ぐらいはそういう子だった事から分かるように、学校の成績は優秀である事が多く、会社でも評価が高い事が往々にしてある。


どういう事かと言うと、一部の例外を除けば習った解法をどれだけ覚えているかが評価になるからで、自分で新たな解法を考える事はたいていは評価されないし、チャレンジングな事をやりたがると煙たがられるのが相場だから。


それと、教育熱心で完璧主義な親をもつ子は『親がどういう結果を望んでいるか』と『その様に見せるにはどうすれば良いか』については無類の強さを発揮するので、高評価になりやすいという事もある。


その高評価は実は事実である必要はなく、例え事実と異なっていても“親の望む結果に見せる事”が最優先で、そのためには違法行為であろうが不正行為であろうが褒められたものではない行為であろうが躊躇いなく実行する。

ある意味では『どの様に取り繕えば良いのか』という粉飾の技術だけが磨かれる。


これは特殊な例ではなく、過程ではなく結果を評価するやり方をしているとこうなりやすい。

結果が全てだから失敗を極度に恐れて挑戦はしないし、結果が望ましくないときも望ましい形に見えるように粉飾するようになってしまう。


大企業の組織ぐるみの不正とかは『親が期待する結果』の親を上司・経営者・株主に変えればこの延長線上にあると思う。

大企業でそれなりの地位にいるというのは優秀な人間・頭のいい人間という事だと思うが、そういう彼らが『〇〇が期待する結果』のために事実を捻じ曲げて粉飾を重ねていくし、粉飾の技術は鍛えまくっているからちょっとやそっとじゃ発覚しない。


そういう事で、俺は『大人の言うことをよく聞く良い子』は慎重に見極めようとしている。

理解力や考察力があって大人の言うことに従うべきか否かを自分で判断してこれは従うべきだと判断して従っている子と思考を放棄して唯々諾々と従っている子の区別って結構面倒なのよ。


それと、従っている振りが上手い奴。

子供の演技力を舐めてはいけない。

心の中で舌を出しつつ親や教師(大人)が望む姿を演じる事なぞ造作も無い。


ここらのコツは、適度に反抗する事。

何でもかんでも唯々諾々と従うのではなく、適度に反抗して大人に指導させてあげるのも実は大人が望む姿なのだ。

そして適度に大人を満足させておけば色々と役に立つのだよ。


『いい子ほど裏ではろくでもない事をしている』というのは本当だ。

俺がそうだったし、おそらくは将司と雪月花も同類だと思う。


それはともかくとして、美浦では雪月花の幼児教育の結果、物凄く聞き分けの良い子、つまり『大人の言うことをよく聞く良い子』が量産されている。


だから、基礎学校での俺の仕事は“子供は我儘言ってもいいんだ”“失敗を恐れるな。失敗はその方法では上手くいかないという成果だ”“皆を吃驚させるような事をやれ(但し危険な事はお目玉です)”など『敷かれたレールは無視しろ。どこに行くかは自分で考えろ。お前らはそれができるんだ』という事を刷り込むことだった。


俺は『学ぶ(すべ)を学ばせて、自分で学び自分で考えることができるようにすること』が教育の究極の目的だと思っている。


アインシュタインは『教育とは学校で習った全ての事を忘れてしまった後に自分の中に残るものをいう。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること。それが教育の目的といえよう』と述べたそうだが、かなり賛成できる。


■■■


「ノーちゃん、何かヒント頂戴」

「自分達で考えなさい。それにノーちゃんは自主トレ中だし」

「……ねぇ、久々に乗っていい?」

「乗って良いのは十歳未満の子供だけです」


プランクや腕立て伏せの時に背中に子供を乗せるのは、長女の有栖が好きだったのと、それが弟妹に引き継がれたからで、今では孫が乗ってくる事がある伝統芸能になっている。

もっとも際限なくやるわけにはいかないから十歳で卒業として以降は遠慮願っている。

だから朱美はもう十年近く乗っていない事になる。


「サッちゃんとミユチは余裕で十歳超えてるんですけど?」

「サッちゃんとミユチは別格です。夫婦のコミュニケーションです。他と一緒にしないでください」


元々は佐智恵を座らせて負荷をかけていたのだが、佐智恵が代わりに有栖を乗せて……というのがそもそもの発端なので、子供達が卒業した後は偶にプランク中に佐智恵や美結に座ってもらっている。

まあ、孫が乗るようになって頻度はかなり減ってしまったが。


「朱美は小さいからいいでしょ?」

「駄目です。強請(ねだ)るなら自分の旦那に強請りなさい」

「筋肉痛の状態ではねぇ……それにそこまで鍛えてないし」

「なら諦めなさい」

「……むぅむぅ……じゃあ、そのものズバリはいいから、せめて方向性とかのヒントを」


こりゃ旦那の司くんや他のメンバーに頼まれて来ているな。

俺が有栖の次に甘いのが朱美だから篭絡しにきたか。

そんな安易な手に乗る訳にはいかん。


「生まれ育った環境と異なる環境は、それ自体が多かれ少なかれストレス源に成り得る。筋肉痛の具合はどうだ?」

「多少はマシになったけど……ねぇ、女子に男と同じ作業させるのは無しでしょうに」

「そのクレームは文昭には伝えておく」

「伝えるじゃなくて止めさせて」

「それも伝えておく」

「むぅ……糠に釘とはこのことか」

「よくできました」

「……外で遊んでる子らから十歳未満の子を見繕って連れてきてやる」


ふっふっふ。朱美よ、それはご褒美だぞ。


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