第5話 道筋
幾ら難民とはいえ、働かずにただ飯喰いは双方にとってよろしくない。
そこで、仕事として葦の刈り取りをしてもらう事にした。
水辺で火山灰が流されていったからか、例年よりは貧弱だが河原の葦は生長していたから刈り取って利用する。
刈り取った葦は例年なら用途別に選別するのだが、今回は全量を土壌改良材・肥料として使う。
今年は稲の収穫というか栽培自体をやっていないが、例年では稲を刈り取ったあとの水田に規格外の葦を敷くという事をやっている。
そうすることで秋以降に雑草が生えるのを抑制できるし、春には腐植になって肥料にもなる。
来年に耕作するかは未定ではあるが、耕作地に腐植層を積み上げていく事はマイナスにはならない。
「そういう訳だから、輝政くんが差配しろ」
「えっ?」
「えっ? じゃない」
「私じゃ見本を示せないですよ。そんなの無理です」
「じゃあ聞くが、お前の親父の将司はどうだった?」
将司は身体を動かす肉体労働系はかなり不器用で、酷い言い草だと“首から上があればいい”と言われるぐらい。
全体が一丸になって作業する田植えや稲刈りでも“二度手間になるから何もするな”“邪魔だから向こうで全体の進行を指揮しておいて”と言われ田植えや稲刈りの作業からは追い出されていた。最初期はやっていたんだけど、下手すると保育園児より不出来というのが明らかにるとねぇ……
そして、輝政くんは将司から“首から上があればいい”が強く強く遺伝したのか将司を遥かに凌ぐ不器用さで……もしも『運動神経悪い選手権』があれば優勝を狙える逸材だと思う。
「父さんもその手の作業は……でも指揮は取れていた」
「そう。自分が作業できるかどうかは、指揮できるできないには関係ない」
作業の技能と指揮能力と運営能力は別の能力だ。
中には兼ね備えている者もいるが、それは希有な例であって、たいていはそうではない。
指揮能力や運営能力には欠けるが高技能の者が指揮・運営するのと、技能はないが指揮能力や運営能力に長けた者が指揮・運営するのでは後者の方が上手くいくのは自明の理だろう。
運営能力に長けた者が運営し、その指示の下、指揮能力に長けた者が作業を指揮し、その指揮に従って技能に長けた者が作業をするのが一番良い。
運動神経が悪い事にかけては他の追随を許さぬ輝政くんだが、業務全体を俯瞰して適切な作業分担を決めて適切な人員を配置する事にかけては天賦の才を持っていると俺は評価している。
先の例で言えば指揮能力に長けた者という訳だ。
適切に分割した分業制にしたら、単独で作業するのに比べてどれぐらい生産性が向上するかご存知だろうか。
アダム・スミスの国富論には約二四〇倍になっている例が挙げられている。
輝政くんは、単独で完結させていた作業や、適切な分割になっていなかったり人員配置に不備がある分業制の作業を改善して、格段に作業効率を向上させることができる貴重な人材だという事。
もっと視野が広くて複数の業務間の関係とか時系列的な思考とか業務以外のことにまで目と耳と手が及ぶなら美浦の次期指導者に推挙したかもしれないが、天はそこまでの才能は与えなかったようだ。
資質的に経営層には向かず、作業員としては“いない方がマシ”となりかねないが、中間管理職、特に非定型業務の中間管理職としては非常に優秀だから、上手く使ってくれる上役に恵まれれば能力を発揮できる。
逆に言えば、上役に恵まれなかったり、才能を見出してくれなかったら不遇の人生を送りかねない。
才能を見抜いた経営者に抜擢してもらって大きな権限を貰わないと能力を活かせないのだから、現代日本だったらおそらく役立たず扱いだろうな。
業務改善のコンサルタント? ああ、それは駄目だな。
問題を解決したら金蔓が無くなるんだから問題を解決するコンサルタントは直ぐに失業する。
コンサル業からみた優秀なコンサルタントというのは『従業員自身が問題を解決できるようになれる手法を従業員に伝授すると経営者に思わせる事ができる者』となる。
それと伝授する『従業員自身が問題を解決できるようになれる手法』は実効性に乏しい事も大事。
有意な実効性があったらそれはコンサルタント失格の『問題を解決するコンサルタント』になってしまう。
それに実効性が乏しいというのは、出鱈目な手法という事ではなく、一見尤もな内容に見えるが、修得難度が高くて人を選ぶとか、特定のケースにしか適用できず汎用性がないとか、逆に一般化しすぎていて実際の場面では適用が難しいとか、実行するには要する人・物・金・時間が膨大で実質的には実行不可能とか、コストに比して得られる効果が見合わないなどがある。
「できない事はできる奴を選んで任せればよい。作業の模範が要るなら川合に人を出してもらえば良い」
「……それは分かりましたが、言葉が……」
「言葉が通じなくても気持ちで通じる。教える気と教わる気があるなら言葉の壁は乗り越えられる。これ、親父殿の実戦証明付きだ」
実際に人間の意思疎通において言語情報が占める割合は決して高くはない。
というか、研究によると、対人コミュニケーションにおいて言語情報が占める割合はたった七パーセントしかなく、九三パーセントという圧倒的大部分を占めるのは非言語情報によるものだそうだ。
対人コミュニケーションにおける視覚情報(見た目・身だしなみ・しぐさ・表情・視線など)は対人コミュニケーションの半分以上の五五パーセントを占めていて、いわゆるボディーランゲージも視覚情報に含まれる。
残りの三八パーセントは聴覚情報で、声色や抑揚、声の大小、テンポなどがこれにあたる。
聴覚情報は言語じゃないのかと思われるかもしれないが、全く知らない外国語で話されていて喋っている内容が全然分からなくても、大声で相手を遮りながら捲し立てているのを聞いたら『怒ってる』と感じるだろう?
話されている言語を理解して『怒っている』と判断していないのだから言語情報ではない。
だから、教える気と教わる気があれば対人コミュニケーションの九三パーセントを占めるノンバーバルコミュニケーションを駆使すれば何とでもなる。
「……分かりました。何とかしてみます」
「そうしてくれ。そうそう、言い忘れていた。彼らの作業時間は一日二時間が目途だからな」
「へ? 二時間って」
「ピンと来ないかもしれないが、元々はそれぐらいだったんだ」
労働時間を増やせば得られる物が増えるというのは当たり前に思うかもしれないが、実は当たり前ではない。
狩猟採取や粗放農業だと労働時間を増やして一時的には収穫量が増えたとしても、それは未来の収穫の前借をするようなものなので、長期的に見ればトータルの収穫量は減ってしまう。
自然の回復力と収穫のバランスをみると一日の労働時間は二時間とか精々三時間ぐらいが限度で、それ以上は自然の回復力を上回る収奪をしてしまうので何れ詰んでしまう。
集約農業とか工業とかだと未来の収穫を前借するような事が少ないのでもっと長く働いても大丈夫だけど。
「それなら……朝食のあと、一時間半ぐらい葦刈りしてもらって、その後刈った葦を滝野に運び込んで田畑に敷いたら昼食。それ以降は自由時間」
「いい配分だと思うぞ。それじゃあ頼むな」
「セルヴァ」
「じゃあ次に。義秀はそこらの山から枯れ木を伐採してストーブの薪を確保してくれ」
「ほいさ。でも足りる?」
「足りないだろうな。だから今冬の必要量に足りない分は枯れ木以外も伐採して急速乾燥させる方向で」
「ほーい。美浦から移送は考えなくていい?」
「どうしても足りない時の最後の手段だな」
積灰による樹木への影響だが、枯死する樹木が散見されるようになるのは一五センチメートルを超えたあたりからで、二〇センチメートルを超えると枯死していない樹木が珍しいという逆転が起き、二五センチメートルを超えると基本的には全滅と考えた方が無難といった感じ。
美浦の積灰量は二〇センチメートルぐらいはあるから下手すると八割の樹木が枯死しても不思議じゃないが、滝野の辺りの積灰量は約一〇センチメートルぐらいなので、枯死する樹木が全くないわけではないだろうが、探さないと見つからないぐらい少ないと思われる。
探さないと見つけられない物を当てにするのは危険だから、ある程度で枯れ木捜索を諦めて生木を伐採して使う。
幾ら含水率が低くなる冬季といえど、伐採したばかりの木は薪として使うには含水率が高過ぎるので、人為的に乾燥させる必要がある。
これも昔やったなぁ……拉致られて最初の冬だったか。
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難民を受け入れて難民の暮らしが成り立つように衣食住を提供し労務も世話するのはもちろんだが、これだけでは駄目だ。
滝野に滞在してもらうのは一時的な緊急避難であって、何年先になるかは分からないが永住する当ても何とかしないといけない。
彼らが望むならこのまま滝野に永住するのも選択肢としてはあり得るが、これは下策だろう。
ホムハル集落群にとって滝野は特別な場所という認識もある。
その特別な場所に余所者が滞在しているのを彼らが渋々でも認めているのは、他に手がないという事や美浦の意向があるからだが、一時滞在ならともかく永住するとなると話は異なる。
そうなると考えられる選択肢は三つある。
一つ目は、ユラブチ集落群に帰還する。
二つ目は、ホムハル集落群の空白地に新集落を構える。
三つ目は、ホムハル集落群の勢力範囲外の空白地に新集落を構える。
ホムハル集落群や美浦などに分散して受け入れるとかどこかの集落なりで全員を受け入れるというのは端から選択肢に入れていない。
ユラブチ集落群に帰還するのが一番自然だとは思うし、おそらく労力も一番かからないとは思うが、経緯が経緯なので上手くいくとは思えない。
ある意味ではミヌエに避難させたのは『棄民・厄介払い』なのだから、厄介払いした側とされた側が何事もなく仲良しこよしに暮らせるとは思えず、無理に帰還させたら騒動の種をばら撒くようなものだ。
ホムハル集落群の空白地もなぁ……空白地は将来的にホムハル集落群の集落が分村するための場所でもあるので座りが悪い。
ホムハル集落群では三十年ぐらいで人口は倍増している。
集約農業で食糧確保が容易になったことや、上下水道の整備や風呂の習慣など公衆衛生の向上で夭逝する者が減ったことなどが人口倍増の原動力になっている。
今はまだ集落内で持つ人口だが、このままならあと三十年もすれば今の二倍、接触当時の四倍の人口になるし、六十年後には今の四倍、接触当時の八倍の人口になる。
当然ながら、分村して空白地の開拓をしなければ人口を支えられなくなる。
その余地というか伸びしろは必要不可欠といえる。
その余地も埋め尽くしたらどうするかは……どこかで人口抑制が必要になるだろう。その頃にはもう俺は生きてはいないだろうけど。
一つ目二つ目がしっくりこないとなると、三つ目の“どこの勢力圏でもない、もしくは、ユラブチ集落群の勢力圏内の空白地に新集落を構えてもらう”というのが一番座りが良い。
ミヌエとムイブチ(ユラブチ集落群の最寄りの集落)の間は一日かかる距離だが、その間は空白地でもある。
ならば、三分の一ぐらいの距離にある黒井川と竹田川が合流する辺りと三分の二ぐらいの距離にある竹田川と土師川が合流する辺りに新集落を構える。もしくはミヌエとムイブチの中間地点になる竹田川沿いのどこか。
一押しは黒井川と竹田川が合流する辺りだな。
ミヌエから通いでの開拓は不可能ではないし、支援が必要になった際も都合が良い。
それに竹田川を遡って行く方向にも発展できる余地もある。
それと、河川の合流点というのは地形的にみてもそれなりの要衝だ。
多方向にむけて舟運が可能というのもあるが、合流点は狭隘な地形の事が多いため、ここを抑えると多方面に対して睨みが利く。
黒井川と竹田川の合流点付近もそうで、近くに丹波の赤鬼と綽名された赤井(荻野)悪右衛門直正の居城でもあった黒井城があることからも古来から要衝の地であったのは間違いないだろう。
ミヌエを策源地にして(仮称)黒井の開拓を行い、次いで(仮称)黒井を策源地にして竹田川と土師川が合流する辺り(仮称:田野)を開拓する。
竹田川と土師川が合流する辺りを田野と仮に名付けたのは、合流する手前で一度竹田川が山に挟まれているのだが、その場所の右岸に舌状台地があって現代日本のそこの地名が「田野」だから。
河川に近いと水の手は良いので一見すると優良な物件ではあるが、碌に治山治水できていない現状では河川の近傍で河川との比高が大してない土地は中々にリスキーなので、河川に近い高台がこの時代の神立地だと思う。
ホムハル集落群もだいたいがこの河川の傍の高台という神立地に集落を構えている。
現代日本の地図からみると(仮称)田野は中々の神立地で、ユラブチ集落群がここに集落を構えなかったのが少々不思議に思える。
ユラブチ集落群がここに集落を構えなかった理由として考えられる事としては『ユラブチ集落群は東西に広い集落群なので南方に関心が薄かった』『ムイブチから(仮称)田野へのルートが結構難解なので気付かなかった』など。
ミヌエから出張ってもらっている世話人のトウジョさんにヒアリングしたところ、(仮称)田野はムイブチとの連絡路からも外れていると思われた。
(仮称)田野の近辺で竹田川が山に挟まれるのだが、(仮称)田野より先の竹田川と竹田川と合流する土師川の左岸は山が迫っていて山を迂回するような感じの流れになっている。
そして、ムイブチとの連絡路は(仮称)田野の手前から竹田川を迂回させている左岸側の山を突っ切る形になっていると思われる。
ムイブチから川を遡る形で進んだとしても土師川の左岸は山が迫っているので右岸側を進む必要があるのだが、ムイブチからなら土師川を渡って右岸に達してから遡って行き、竹田川との合流点を越えてからもう一度土師川を渡って竹田川の右岸に至り、そこから竹田川を遡る形で進まないと辿り着けない。
ミヌエ側からなら山に入らずに河川の狭隘部まで進んで渡河すれば着くから、ムイブチから行こうとするなら、ミヌエ方面に向かって山越えをしてから竹田川を下って渡河すれば着くには着く。
最終的な決定は義秀に測量隊を率いさせて確認してからになるとは思うが、(仮称)黒井と(仮称)田野に集落を構え、陸路ではなく舟運をベースにすれば福知山盆地(ユラブチ集落群)への影響力をかなりのものにできる。
もっとも、(仮称)黒井が安定するまで十年、そこから(仮称)田野に手を広げるまで十年、(仮称)田野が安定するまで更に十年と三十年近くの時を必要とするだろう。
その頃には降灰の影響もかなり薄まっている筈だし、ユラブチ集落群も何らかの動きがあるだろう。
俺が生きているかどうかも分からないぐらい時間が掛かるから、決断は第二世代にさせないといけないな。




