第4話 事情
異文化交流の主役は怖いもの知らずの子供だな。
人見知りする子供の方が圧倒的に多いが、そうではない好奇心旺盛な子供もそれなりにいる。
そういった好奇心旺盛な怖いもの知らずの子供は大人が色々考えを巡らせて躊躇逡巡する場面でもグイグイくるしその子の親はハラハラする。
そのお陰で、未知の言語を会得していく上で物凄く重要な『これは何か?』という質問をユラブチ語で何と言うのかが早々に判明した。
『これは何か?』をシンプルに表した語は、日本語だと「何?」で、英語だと"What's?"で、仏語だと"Qu'est-ce que c'est?"で、芬語だと"Mikä"もしくは"Mitä"(可算名詞を指す場合は『ミカ』で、不可算名詞を指す場合は『ミタ』)といった感じになる。
雪月花から聞いた可算名詞と不可算名詞の例だが、『コーヒーが入ったコーヒーカップを指して“ミカ”で聞くと可算名詞の“コーヒーカップ”と返ってくるし、“ミタ”で聞くと不可算名詞の“コーヒー”と返ってくる』というものだった。教科書に載っている例だそうだ。
日本語だと器自体を聞かれたのか、器の中身を聞かれたのか分からないことから考えると優秀なのかもしれないが、とっても面倒だった。非ネイティブスピーカー相手ならある程度は忖度してくれるみたいだけど。
それはともかく『これは何か?』という意味の質問の仕方が分かれば片っ端から聞いて回れば色々な事が分かってくるので、言語習得の滅茶苦茶大きいフックになる。
ユラブチ語で『これは何か?』を意味する言葉は「ネカン」というものだった。
好奇心旺盛なお子様が頻りに「ネカン」「ネカン」と尋ねてくるのであたりを付けたが正解だった。
どうしてあたりを付けられたかというと、実はホムハル集落群の元々の現地語で『これは何か?』にあたるのは「ネコン」なのだ。
「ネコン」と「ネカン」は一音違いだし同じカ行なのでそうじゃないかと思ったのだ。
色々と質問していって判明したのだが、ホムハル集落群の元々の現地語とユラブチ語ではア段とオ段が入れ替わっている例が多数みられた。
どちらが元かは知らないけどどこかで段の転訛が起きたようで、挨拶の定番の「オトケレル」が「アタケレル」になっていたりした。
日本語で言えば「こんにちは おげんきでしたか」が「かんにちうぉ あげんきでしとこ」になるみたいな感じ。
他にもどちらが元なのかは知らないが倒語も多数あった。
倒語というのはサングラスをグラサンとかマネージャーをジャーマネといった感じに読みの順番を入れ替えた語のことで、多数の言語でこういった言葉遊び的な倒語は普遍的に存在する。
日本語にも当然あって、マスメディア業界用語とか内輪ネタ(ネタも種の倒語が元)とか隠語みたいな感じはあるが、中には倒語が正しい用語に変わる事もある。
例えば「新しい」は「あたらしい」と読むのが普通だと思うが、元々は「あらたしい」と読むのが正しかった。
『新』の訓読みは「あら(た)」と読むのが圧倒的に多く、「あたら」と読むのは「あたらしい」ぐらいしかない。
つまり「新しい」は「あらた+形容詞化の“しい”」で「新たな様子」という形容をしているので「あらたしい」が元々の読み方。
しかし、現在では「あらたしい」の「ら」と「た」を入れ替えた「あたらしい」という倒語が正しい読みとされている。
他にも、植物の「サザンカ」を漢字で書くと「山茶花」なのだが、「山茶花」を音読みすると「さんさか」と読める。(茶を「さ」と読むのは茶道などがある)
この「さんさか」の「ん」と「さ」を入れ替えて「ささんか」、連音(連濁)で後ろに濁点がついて「さざんか」となり山茶花と書いてサザンカと読むようになった。
だから、いつの日か「ふんいき」の倒語である「ふいんき」が「雰囲気」の正しい読みに変わる日がくるかもしれない。
それはさておき、段の入れ替えがあるだけでも変換が面倒なのに倒語のコンボが加わってますますカオス度を増している。
「こんにちは おげんきでしたか」が「うぉちにんか きあげんとこでし」に……うん。無理。
まあ向こうからすればホムハル集落群の元々の現地語が転訛と倒語がある言語になるのだが。
意思疎通に努力を要するというのは伊達ではなかった。
近いけど引っかかるところが一杯あるというのは全くの別物より質が悪い。
しかし、文の順番は日本語やホムハル集落群の元々の現地語と同じSOV型(【私】【ご飯】【食べる】のように、主語・目的語・述語の順)のようなので、転訛と倒語さえ何とかなればどうにでもなる。
いや、そもそもホムハル集落群の元々の現地語を知らなければ転訛だ倒語だといった混乱は起きないんだから、ホムハル集落群の元々の現地語を知らない方が習得が早いんじゃないか?
……よし、俺ではなく連れてきた教え子たちに頑張ってもらおう。
彼らはホムハル集落群の元々の現地語を知らない世代だからな。
◇
「といった感じで質問を繰り返して情報を集めて解析していく」
「大事なのは『これは何か?』という意味の言葉を探る事?」
「そう。それはとても大事な事だからメモっといてね。これが分かれば半分は言い過ぎだが三割は終わったも同然。では実践で頑張ってユラブチ語を習得してくれ」
「……ノリちゃん先生、無理言わないでください」
「大丈夫大丈夫。やればできる。ノリちゃん先生はできない事は言わない。取り敢えず、彼らの冬の間の世話は任せた。春にはユラブチ語が堪能になっているだろう」
「ノーちゃん、その無茶振り、ミユチに苦情上げて良い?」
「じゃあ、私はサッちゃんに苦情上げる」
「苦情上げるのは自由だが、全然無茶振りじゃないからサッちゃんとミユチに叱られる覚悟はしておけよ?」
うん。アシスタントに息子と娘がいる。
選ばれた八人は以下の通り。
芹沢家の輝政くんとその伴侶予定の秋川家の麻里沙さん
敷島家の昭尚くんとその伴侶予定の芹沢家の帆奈さん
東雲家の義秀と伴侶の安藤家の眞由美さん
東山家の司くんと伴侶の東雲家の朱美
三人衆の弟妹とその相方が指名されているのだ。
キツイ仕事なのは間違いないし、ユラブチ集落群に対するフロントを務める事を期待されているわけだから、三人衆も人選には悩んで結局は身内が選ばれている。
他は断られたから身内を人身御供にしたという事情もあるようだが……
当初はオリノコの黒岩家からも選ぼうとしていたけど、佐智恵に“オリノコの養蚕業の維持・復旧が最優先課題だから駄目”と強硬に反対されて黒岩家に話を持ち掛ける前に頓挫した。
佐智恵としては養蚕業の副産品の方が大事なんだろうな。
閑話休題。
アテンドするには相手の言語を解する必要があるから頑張って言語習得しろというのは想定の範囲内の要求で全然無茶振りじゃない。
だから佐智恵や美結に苦情を上げると高確率でガッツリ叱られるだろうし、下手すると折檻にまで至るかもしれない。それか情けなくて泣かれるか。
苦情を上げるにしても、せめて義智にしておけ。絶対にその方が無難だ。
芹沢家もそうだぞ。
文句は言うとしてもお前らの兄貴にしておけ。
言わんとは思うけど、間違っても親には言うなよ。
将司と雪月花は俺や佐智恵や美結と違ってえげつないからな。
それと、相方の皆々様。
人間、諦めも肝心です。
■■■
何とか滝野の暮らしにも慣れていってもらっているし、問題らしい問題もいまのところ起きていないので順調と言っても良いだろう。
しかし、彼らには疑問というか引っかかる部分がある。
それは『何故ミヌエに避難してきたのか』だ。
ユラブチ集落群は情報から推測すると現代日本でいうところの福知山盆地を中心に存在していると考えられる。
福知山盆地は由良川の中流域にあたり、由良川が形成した沖積平野や河岸段丘から成り立っているので由良川に沿った形になっている。
実際には断層で盆地が形成されているのだが、断層に沿って由良川が流れ、谷を埋めたりして盆地になっているので、因果が逆ではあるが由良川沿いに存在していると考えてよい。
その由良川だが、源流は丹波高地にある京都府(丹波国)・滋賀県(近江国)・福井県(若狭国)の国境が交わるあたりにある三国岳近辺で、琵琶湖の直ぐ西側にある三国岳から丹波高地を西へ西へと進んで福知山に至り、福知山から北東方向に転進して舞鶴と宮津の境から若狭湾に流れ出る。
その中で由良川が中流域に入る東端の綾部から北東に転進する西端の福知山までの東西二〇キロメートル、南北二キロメートルから五キロメートルという東西に細長い比較的平坦な地形が福知山盆地になる。
その福知山盆地を中心にユラブチ集落群があるので、綾部から福知山にかけての福知山盆地と福知山から由良川河口に至る由良川流域(現代日本でいうところの綾部―福知山―舞鶴)に集落が点在している事になる。
尤も、由良川河口域は別の集落群の可能性はあるが。
それはよいのだが、ホムハル集落群のミヌエ近辺から流れ出す黒井川が由良川に合流するのは福知山盆地の西端に近い場所になる。
そしてここがミヌエから最寄りの集落なので、黒井川流域には集落はないという事になる。
東西に長く連なっていて西端から北方へは川沿いを進めば海に至るルートがあるという文化圏。しかも、その文化圏の内の標高差はとても小さい。
南方の山を登った先に集落があるのは知っているし、細々とした交流はあるから全くの未知ではないが、そこは別の文化圏であり言葉も通じにくいので、実質的には異邦ともいえる。
そして、そこに至るには山を登らないといけない。
激甚災害である大量降灰をもたらした噴煙は南方から広がってきている以上、南方の被害の方が多いと考えるのが自然なのに南に向かうという不合理さ。
聞けば聞くほど考えれば考えるほどユラブチ集落群から南方のミヌエに避難するという選択肢が不自然すぎるのだ。
◇
分からなければ聞けばよいと、片言同士だが色々聞き取ったのだが……一言で言えば『厄介払い』だと思った。
ユラブチ集落群にとってホムハル集落群というかミヌエというかとの交流はある意味では厄介事だった。
細々とした交流でもミヌエからもたらされる産品が格段に優れているのが分かる。
自分達は石器を使っているのに、(青銅器や鉄器をすっ飛ばして)鋼鉄器がもたらされているだから優れているどころか比較するのも烏滸がましいぐらい技術レベルが隔絶している。
そして、技術レベルが隔絶した勢力と接触しているというのは、それ自体が恐怖の対象になるし、その勢力との付き合い方を間違えるととんでもない事態に成りかねないのだから悩ましいどころの話ではない。
どのように付き合っていくかについて、ユラブチ集落群では二つの考え方があった。
一つは『積極的に交流を深めて追い付け追い越せ精神で自分達の暮らしを良くする』というもので、もう一つは『相手に伍する物がない以上は、交流を拡大するというのは相手の言いなりになる事を意味する。だから相手を刺激しないようにしないといけないので、できるだけ現状を維持するようにするのが望ましい』というもの。
ユラブチ集落群で主流というか圧倒的多数は後者の現状維持派だった。
これはある意味では当たり前の反応だと思う。
そんな主流派からすれば、交流推進派はユラブチ集落群全体を危険に陥れかねない危険分子という見方ができる。
そんな最中に大量降灰という激甚災害がおき、このままだとジリ貧で二進も三進もいかなくなってきた。
ユラブチ集落群の指導層は、陸地はどこまでも火山灰に覆われているので海に活路を求めたのだが、交流推進派の一人がミヌエに向かう事を提起した。
彼はミヌエ(ホムハル集落群)は自分達とは技術レベルが段違いなので自分達と違って克服できている可能性があると踏んだわけだ。そしてその推測は間違いではない。
それを受けてユラブチ集落群の指導層は、交流推進派という危険分子や自分達に不満を抱いているであろう不満分子や役立たず達を纏めてミヌエに向かわせる事で、海に向かう一団を一枚岩の優秀な集団にできると目論んだ。
各集落から最低一家族はミヌエ行きにするよう指示した結果、各集落の首長は、自分に反感を持っている者や自分が見下している者などある意味では邪魔者を指名して送り込んだ。
色々とヒアリングした事を総合した俺の憶測ではあるが、この様な状況推移だったとしたら結構辻褄が合う。




