第3話 文化の違い
久しぶりの滝野。
ホムハル集落群とのやり取りを第二世代に移管する引継ぎ時以来だから三年ぶりぐらいかな?
様変わりしたのは龍神池が埋め立てられたことぐらいかな?
遠くは除灰されていないけど、近場は竹林や樹林も灰落としやある程度の除灰がなされていて林ごと枯死する危険性はかなり低くなっていると思う。
「ノリちゃん先生、向こうの毛皮、虫湧いてんだけど」
「持ってきた服を提供して洗濯して防虫菊で燻蒸処理」
「だけど持ってきた服のサイズが……」
必要だろうと持ってきた替えの服だが大き過ぎた。
大人のSサイズではなく、子供のMサイズが適切だった。
「取り敢えずぶかぶかでも着せろ。それと毛布も使え。無いよりマシだ。それと……サイズ調整で何とか成るなら至急ホムハルから針子さんを呼んで調整」
「了解」
「ノリちゃん先生、昼ご飯だけど」
「彼らが何が食べられるか、ミヌエからの世話人に聞いて対応」
「セルヴァ」
そもそもの依頼は通訳だった筈だが、気付けば異文化との接触時の対応の差配まで付加されてやがった。
アシスタントに付けられたのは第二世代の四組の若夫婦(予定含む)で、この八人を鍛えて北方集落群向けのフロントが務まるようにする事も期待されている。
その代わり、キャンプ場方面と学校業務は義智に肩代わりさせるけど。
◇
北方の集落群の中心集落の名称は「ユラブチ」というそうなので、以後は北方集落群は「ユラブチ集落群」そしてユラブチ集落群の現地語は「ユラブチ語」と呼称することにした。
そのユラブチ集落群とホムハル集落群なのだが、色々と文化の違いがある。
その違いの一つは刺青。
ファーストコンタクト時のオリノコを思い出すが、ユラブチ集落群では成人儀式で刺青を入れていると思われる。
成人扱いだろうという者は刺青を入れているし、明らかに子供な者には入っていないから間違いないだろう。
一方で、ホムハル集落群では刺青の風習は急速になくなっている。
今では成人儀式に刺青を入れる事はほとんどなくなったため、ホムハル集落群では刺青を入れている者の方が少数派になっている。
替わりというとあれだが、長老や親から懐剣や剣鉈などを授けられると成人と見做されるようになり、成人か否かは帯剣しているか否かで分かるようになっている。
人を殺せる武器を授与するというのは『分別ある大人だと認める』という事なので、歴史を紐解けば成人の儀で武具を授けるというのは珍しい話ではない。
日本でも戦国時代や江戸時代の武家では元服時に主君や親や烏帽子親などから武具を授かった例も多く、元服時に授与するために特別に誂えた脇差は元服差と呼ばれている。
元服は青年ではなく少年の頃に行う事が多かったので元服差は少年が扱い易いよう小振りに誂えられている事が多く、また慶事に使う物なので装飾に凝っている物も多い。
ただねぇ……これ、定期的に刃物を鍛える事ができるよう佐智恵が策略を巡らした結果とも言えるんだよな。
成人の儀が執り行われる時期には(直前まで)たくさんの刃物を鍛えられて艶々した佐智恵を見る事ができる。
ユラブチ集落群では刺青を入れていたら成人という文化なら、刺青を入れていないホムハル集落群や俺らがどう見えるかだが……今のところは問題にはなっていない。
自分達が厄介になるのに居候先の家の風習にいちゃもんを付けるような傲慢な人たちではなかった。
辞を低くして頼み込んできたというあたり、弁えている人達だろうから当面は問題ないだろう。
もっとも、自分達より一回りも二回りも身体がでかい連中を未成年扱いにはできないだろうけど。
◇
次は衣食住の衣。
彼らの衣服などはうちらとは全然異なる。
彼らが着てきた衣類は、糸の番手が揃っていない織りが歪な麻製の貫頭衣や、鞣しの甘い革や毛皮だった。
今冬の防寒を考えると非常に心もとない。
それは聞いていたから美浦から古着などをかき集めて持ってきたのだが、先のようにサイズが大き過ぎた。
先住者は総じて小柄で成人でも現代日本の小学生高学年から中学生ぐらいの思春期手前ぐらい。
それは覚えてはいたが、ホムハル集落群は食糧事情が激変したので、かつてなら大柄とされた体格でも今の若者だと小柄な部類になってしまっていて、感覚がそっちに引き摺られてしまっていた。
サイズの問題は調整可能なら調整すれば良いし、調整では如何にもならないなら小さいサイズで作れば良い。
ただ、美浦及び美浦から多大な影響を受けたホムハル集落群の衣類は彼らとは様相が異なり、基本的には和装と洋装をケースバイケースで着ている。
正装は基本的には和装で、作業着(狩猟服含む)は基本的には洋装といった棲み分けがされていて、普段着については和装も洋装もあるが、どちらを着るかは個々人の好みや気候やその日の気分などによる。
和装は静江さんが伝えられる限りを尽くしたので、原料的に無理な物を除けばたいていの物は揃っているので正装も普段着もあるが、一方の洋装は伝道者がいないので、現代日本ではジェネラルマーチャンダイジングストア(総合スーパー)などでも売っているようなよくある洋服に留まっているので、作業着と普段着になっている。
元々はホムハル集落群もユラブチ集落群の彼らが着ているような服装だったのだが淘汰されており、今更時代遅れの低性能の衣類は誰も作らないし着ない。
そういう訳で、彼らが着ているような衣類を作ることは難しいので、申し訳ないが着慣れない衣類だけど着てもらうしかない。
それと……体格の差はねぇ……
ホムハル集落群の者はユラブチ集落群の者の一回り半ぐらい大きくて、美浦の者はホムハル集落群の者より一回りぐらい大きいので、美浦の者とユラブチ集落群の者は真面目に大人と子供ぐらいの体格差がある。
小柄過ぎる体格に合わせた衣類を如何作るかも問題だが、威圧感が半端ないんだろうなぁ。
ここらも障害にならないよう留意が必要か。
◇
衣食住の食だが……はい。彼らは基本手掴みでした。
これも最初期を思い起こさせる。
滝野初期もそうだったが、そもそもが手掴みで食べる料理とか素手で食べられるように串に刺すなどの工夫をする必要がある。
まあ、それだけだとレパートリーが限られるので手は打ってあるが。
それと、料理の大部分というか極一部を除いて彼らには馴染みが無い食材と調理法のオンパレードになるので、誰かが食べて見本(?)を見せて安心させる必要もある。
ミヌエからアテンドしてくれているトウジョさんにミヌエではどうしていたかを確認したら『おむすびと具無しの味噌汁ともやしのかき揚げとお漬物(沢庵漬け)が定番で、偶に卵焼きが加わる』というものだった。
成る程。手掴みという制約の中でよくやったと思うぐらい考えられた献立だ。
ご飯を茶碗に盛るのではなく手間を加えておむすびにし、味噌汁は具が入っていると箸がないと厳しいから敢えて具無しにし、普段は味噌汁の具にしたり炒め物にしていたもやしだが、手掴みで食べられるよう態々かき揚げにして手で摘まめるようにしている。
そういった工夫もさることながら、米と味噌をセットにしているのもよい。
俗に『米と味噌があれば生きていける』『米と味噌のために働いている』などという言い回しがあるが、栄養面でみても米と大豆の取り合わせは互いに不足しがちな栄養素を補い合う補完関係にあるし、大豆を味噌にすることで保存性がよくなる上に発酵に伴って生成されるビタミンの摂取も期待できる。
ただ、ミヌエの住人にはこの固定メニューは不満だったらしい。
あからさまに違う物を食べる訳にはいかないから滝野に避難させるまではミヌエでは延々と先の献立が続いたそうだ。
俺は全然気にしないんだが、普通は毎食同じメニューが続くのは辛いらしい。
箸を使えるようになると献立の幅が広がるので、ミヌエの住人の心は一つで“早く箸使いを覚えてくれ”だったとか。
俺はこれあるを見越して竹製のトングを量産して持ってきていた。
折り箸は手に持って挟むだけなので習得が容易というか習得自体が不要なぐらいなので、オリノコのファーストコンタクト時にも即席で作っていた。
箸ほどの汎用性は無いが、それでも手掴みオンリーよりは出せる料理の種類は格段に増える。
トウジョさんは『この手があったか! なぜ思い付かなかったんだ!』と悶えていたけど。
ふむ。これもファーストコンタクトマニュアルに残しておいた方がいいかな?
◇
衣食住最後の住だが、高床式でごめんなさい。
ホムハル集落群にはもはや竪穴住居はありません。
滝野も最初期には竪穴住居も用意していたんだけど、年を重ねるごとに礎石建物の高床式に更新されていき、竪穴住居はもはや存在しない。(跡地は土を埋め戻して畑になっている)
これはホムハル集落群全てに言えることで、各集落でも建て替えの度に礎石建物の高床式になっていて竪穴住居は絶滅した。
敢えて竪穴式の建造物を探せば地下収納庫ぐらい。
元を思えば、竪穴式が住居で高床式が倉庫だったのだが、ホムハル集落群では逆になっていて竪穴式が倉庫で高床式が住居。倉庫も高床式の方が多いけど。
ミヌエでも高床式の集会場に寝泊りしてもらっていたし滝野の宿泊施設も高床式なのは同じ。
倉庫に寝泊りさせられていると感じるかもしれないが、こっちもご容赦いただきたい。
どうしても竪穴住居が良いというなら建ててもよいけど、建設建築要員は除灰作業に掛かりっ切りになっているからかなり時間がかかるのは受け入れて欲しい。
ああ、あと、お風呂。
そういう習慣は無かったと思うけど、ホムハル集落群では共同浴場がある。
当然ながら滝野にもあるので是非に利用して欲しい。
それと敷布団と掛布団と枕は好評だった。
日本でも一般に使われ出したのは明治以降だから間違いなくオーパーツだけど。
◇
取りあえず、今のところは問題は起きてはいないが、何れもユラブチ集落群からの難民の皆さんが許容してくれているからという面が多分にある。