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文明の濫觴  作者: 烏木
第11章 来訪者
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第2話 言語問題

世界にどれぐらいの数の言語があるかは諸説あるが話者がいなくなった死語(消滅言語)を除いて話者がいる言語だけでも二十一世紀初頭の段階で七,〇〇〇ぐらいはあるそうだ。

ただ、二十二世紀まで話者が残っていると思われる言語は三,〇〇〇から四,〇〇〇程度という予測も立っていて、半数近くの言語は二十一世紀中に消滅する可能性がある。


研究によると二十一世紀初頭の段階で二,〇〇〇ぐらいの言語は話者が一,〇〇〇人に満たず消滅言語になるのは時間の問題なのだそうだ。

例えばアイヌ語だが二〇〇〇年代の調査によると『話者数は一桁に近い二桁ぐらいしかおらず、平均年齢も八〇歳を超えている』という推定があって、話者がいなくなって消滅する秒読み段階の『極めて深刻な消滅危機言語』とされている。


言語は意思疎通の手段の一つでもあるので、コミュニティ(共同体)内やコミュニティと関わる者たちが同一の言語を使用する方が何かと楽になる。

だから、とあるコミュニティ群はその中でメジャーな言語(コモン(共通)ランゲージ()スタンダード(標準)ランゲージ())を使用するようになる傾向がある。


人や物品や情報の交流が広範囲・高密度・高速度でおこなわれるようになると関連するコミュニティ群が広大になるので、広域で言語の収斂が起きるようになり、話者が少ない言語は淘汰されていってしまう。

この淘汰されそうな言語が『消滅危機言語』であり、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は約二,五〇〇言語が消滅危機言語であるとしている。


では逆に、人や物品や情報の交流が近距離でしか起きず、頻度も低く、多大な時間を要するとなると言語が収斂する範囲が非常に狭くなる。


言語は時と共に変化していくものなので、そういう状況だと元々は同一言語だったものが地域色を帯びていく。

これが方言というわけだが、方言は基本的には意思疎通は可能なので同一言語のグループに入る。

例えば、京言葉も山手言葉も博多弁も津軽弁も全部日本語ということ。


しかし、独自進化が進んでいくと同一言語とするには疑義を生じるレベルまで差異が広がる事があり、そうなると同一カテゴリーの別言語といった感じになる。

分かり易い例を挙げれば『イタリア語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語』は『インド・ヨーロッパ語族―イタリック語派―ロマンス諸語』に分類される別言語。


別言語と言いながらもかなり近接しているので、イタリア語の話者はフランス語やスペイン語で話しかけられてもある程度は分かるそうだ。

イタリアで行われた学会に行った准教授は“イタリア語は話せないのでフランス語で押し通したら結構通じた”と言っていた。


『人や物品や情報の交流が近距離でしか起きず、頻度も低く、多大な時間を要する』状況は、実は人類史でいえば極々最近になるまでの長い長い期間がそうであった。

だから、話者が存在する現役の言語が二十一世紀初頭に七,〇〇〇もあるという事でもある。


そして『人や物品や情報の交流が高速度・広範囲・高密度でなされる』現代は急速に言語の収斂が起きている。

日本でもテレビなどの全国放送で主に使われている標準語とも呼ばれる言葉が浸透していて、若い世代には通じない方言などもでてきているように方言も徐々に淘汰されつつある。



そして現状は『人や物品や情報の交流が近距離でしか起きず、頻度も低く、多大な時間を要する』状況なのだ。


滝野に避難させた北方の集落群からの難民は言葉が通じない。

物分かりが悪いとか思考が理解できないとか聞く耳を持っていないといった意味ではなく、ただ単に話す言語が異なるという意味で。


美浦と川俣とキャンプ場組の公用語はもちろん日本語。

美浦の首脳陣は内緒話にフィンランド語も使うけど。


そして、ホムハル集落群の公用語は便宜上ホムハル語としておくが、ここ二十年以内に生まれた者は日本語と現地語の合成言語のホムハル語が母語になっている。


ホムハル語は日本語と現地語の合成言語とはいっても日本語の方が語彙が圧倒的に多く現地語に無い語彙は全て日本語になるので、日本語由来が九割で元々の現地語由来が一割ぐらいしかなく、名詞や擬音語(オノマトペ)に違う物があるのが少々目立つとか、動詞に若干異なる言い回しがある程度の差異しかない。


同じ物を指していても人や地方によって言い方が異なるぐらい日本語でもよくある。

例えば『おにぎり・おむすび・握り飯』や『今川焼き・太鼓饅頭・回転焼き・大判焼き(御座候や七越焼は特定企業の屋号・商標・商品名だが一般名詞的に使われる事もある)』は同じ物を指しているし、自分の言い回しと異なる言われ方をしても“ああ、アレね”となり然して意思疎通を阻害しない。


オノマトペとか形容詞や動詞の違いは意思疎通の阻害要因になるかもしれないが、これはどちらかが知識を持っていれば克服は可能な範囲。

例を挙げれば、津軽弁で『ニヤニヤ』という言い回しは『ちょっと調子が悪い・不快感がある』みたいなニュアンスで『ちょっとお腹の調子が悪い』というのを『お腹がニヤニヤする』などと言うらしい。

知らなかったら訳が分からない状態にはなるが、知っていれば如何とでもなる範囲だと思う。


俺らの使う日本語とホムハル語の差異は日本語の中の方言の差異と同程度なので、ホムハル語というのは日本語の方言の一つ(ホムハル弁)だと思う。


これが如何いう事かというと、美浦の者は基本的に日本語だしホムハル集落群の者も実質的には日本語であるホムハル語なので、美浦にもホムハル集落群にも北方集落群の者が話す現地語の話者がいないという問題が起きている。


ミヌエは北方集落群と没交渉だったわけではないので、ミヌエには何人かは現地共通語的なピジン言語の話者はいるのだが、挨拶と簡単な商談はできても突っ込んだ話は無理との事。


ホムハル集落群の長老だったら現地語も分かるのではないかというのも駄目だった。


今の長老の上の世代は母語が現地語なので上の世代との意思疎通のために現地語も多少は使えるが、上の世代もある程度はホムハル語が分かるので、現地語で話し合いができるレベルにまでは達していない。


それもあるが、実はそれ以前の問題もあって、仮に元々の現地語が堪能でも少々厳しいとの事。


現地共通語的な言語があるのは、ホムハル集落群の元々の現地語と北方の集落群の現地語は、意思疎通に双方の努力を要するレベルの差異があるからだそうだ。


『それぞれで自然発生した別言語だが、接触が限定的なので共通化がなされなかったか共通化が不十分なままだった』もしくは『元々は同じ言語だったがそれぞれで方言になり双方とも時間と共に変化して大きな差異が生じてしまい意思疎通に努力を要するようになった』という事だろう。


これはホムハル集落群と北方の集落群は完全に別のコミュニティ群で、接触度合いも重要度も低いという事でもある。


その結果、ホムハル集落群の元々の現地語の話者がおらず、仮に話者が居ても意思疎通には努力がいるという状況になっている。

……よくそれで南方に逃れようと思ったものだ。



「ノーちゃん、御免。力貸して」

「うちらじゃ彼らが何言ってるか分からないんです」


そういう状況なので、三人衆というか、第二世代というか、ホムハル集落群からというかの救援要請が入った。


ホムハル集落群とのファーストコンタクト時に苦労して現地語を覚えた美浦の第一世代の一部の者であれば北方の集落群の現地語を何とかできるのではないかという事。

その実用レベルで純粋な現地語の会話が可能な第一世代の一部である匠と俺の二人の出馬を求めてきた。例え二人でも一部は一部だ。


第一世代の他の人たちは、堪能な現地語が必要な場面では全て俺に押し付けていたから、簡単な挨拶程度とかピジン言語化したものとかならともかく、ものほんの現地語は習得していない。

匠は現地語辞典を作るのに協力してくれていたし、各地の言い伝えを収集して記録に残していたから実用に足る習得度合いはあると思う。


そして、匠なら“面倒だ(めんどい)から嫌だ(ヤダ)”ぐらいは平気で言いそうだから実質的に俺しかいない。

ああ、匠には断られたと。

匠はホント変わんねぇなぁ……


時間をかければ第二世代でも何とかなるとは思うが、今はその時間がない以上は致し方ない。


「居和辞典と和居辞典(ホムハル集落群の現地語の辞典)はあるからそれを片手に何人か付けてくれ」

「いや、ホムハル現地語(それ)すら通じないんだけど……」

「ゼロベースよりはマシだ。北方現地語の辞典を作らせる」


隣接地域で現地共通語的な言語があるのだからホムハル集落群の元々の現地語との共通点は存在する筈。

つまり、日本語と北方集落群の現地語の橋渡しを元々のホムハル集落群の現地語にしてもらう。


「えっと……北方集落群(彼ら)の言葉を覚えろと」

「ああ。それと未知の言語の解析・習得の方法なども教えるから」

「えっ? えっ?」


今後も未知の言語と出会う可能性は高いが、俺は不老不死ではないのでいつまでも俺がいるわけではない。


それに十把一絡げに現地語といっても、その現地語は方言レベルを超えて別言語となっている可能性はあると思う。

Aと少し差異があるB、Bと少し差異があるC、Cと少し差異があるDとグラデーションのように変わっていくとAとDは全くの別物になっている何て事は普通にあり得る。


ただ、隣接地域では多少の差異があっても意思疎通ができる可能性は高いとは思っている。

沖縄語(うちなーぐち)のように技術秘匿のために集落毎に独自色を非常に強くして、結果として隣り合った集落とでも意思疎通に困難を生じる事があるという例もあるから絶対ではないけど。


縄文時代にはかなり広範囲に交易というか何というかがあって、新潟県の糸魚川が原産の翡翠はなんと北海道や沖縄の縄文時代の遺跡から出土している。

糸魚川から北海道や沖縄に直接運ばれた可能性は低く、おそらくは何箇所も経由していたとは思うが。


翡翠はとても分かり易いので出したが、翡翠に限らず黒曜石など色々な産品が産地から遠く離れた場所で出土しているので、縄文時代には既に交易ネットワーク的なものがあったと思われる。


交通の要衝に交易拠点であったとしか考えにくい縄文時代の遺跡が発掘されているので、縄文時代には既に交易ネットワークがあった蓋然性は高く、そうであるなら交易拠点ではピジン言語であっても意思疎通がなされていたと思われる。


縄文時代の物品の移譲は物々交換などの交易ではなく贈答の形が採られていたという説もあるが、意思疎通もできない見知らぬ他人に広範にプレゼントを贈る事はまずないし、また意思疎通もできぬ見知らぬ他人からのプレゼントもそうそう受け取れないと思うので、仮に贈答の形であったとしても一定の意思疎通は可能だったと考えてもよいと思う。


先住者同士では近隣であれば、ある程度の意思疎通ができるだろうとは思っても、それはあくまでも先住者同士の話であって美浦には当てはまらない。

縄文時代の言語が日本語のルーツの一つかどうかは定かではないが、少なくとも七千年もの時間の差があるから差異は別言語と言っていいぐらい大きく、現地語を習得するのは新たに外国語を習得するぐらいの労力を要した。

正直に言えばフィンランド語の方が習得が簡単だった。


今回はホムハル集落群で言語の変化が起きて北方の集落群の間で意思疎通が難しくなってから関わることになったから言語問題が起きたが、現在の長老の上の世代が健在なころなら話者は多くいた筈なのでここまでの問題にはならなかっただろう。

要は隣接地域との意思疎通ができる者が十分いるうちにその隣接地域に食い込んでいけば言語問題は軽減される。


ただ、これだと何れ破綻する。


隣接地域に食い込めば、その隣接地域に隣接しているところはもちろんあって、そこに食い込んでいき……というのを繰り返えすと食い込まないといけない地域がどんどん増えていくし、一つの地域に隣接している地域が一つとは限らないので関わっていく地域がネズミ算式に増えていく。


「だからな、何れまた意思疎通が困難な言語と出会う。それに対する備えがあるかどうかは大きいと思う」

「そういう事なら」

「人選を急ぎます」

「正直な、こんな短期間で話者がいなくなるほど急速に使用言語が置き換わるとは思わなかったんだ。その点はすまんと思っている」


ある言語の話者がいなくなって消滅言語となるにはそれなりに時間がかかる。

広域災害やエスニック・クレンジングなどで話者全員が短期間に絶滅したら短期間に消滅言語になる事はありはするだろうが、そうでもなければ極端な事を言えば最後の話者が亡くなるまで消滅言語にはならないのだから人間の一生分ぐらいの時間はかかる。


現代日本ではアイヌ語が極めて深刻な消滅危機言語とされているが、アイヌ民族の多くが日本語を母語としだしたのは明治政府がアイヌ民族に日本語教育をしだした一九〇〇年代ごろからで、純粋なネイティブのアイヌ語の話者は一九一〇年代生まれぐらいが最後と言われている。


そして自身は日本語を母語としながらも、親世代や祖父母世代の母語はアイヌ語なのでアイヌ語を話せる話者はその後も残っていて一九三〇年代生まれぐらいまでは日本語とアイヌ語のバイリンガルなどの話者は残っている。


明治政府が日本語を強制しはじめてから百年以上経過しても話者が残っているという事は、言語の置き換えは強制しても数十年かかり、消滅までは百年程度はかかると思っていたんだ。


平均寿命が短くて世代交代が早いと三十年程度で話者がいなくなりあっけなく消滅してしまうというのはハッキリ言えば想定外だった。

そして、それは未接触の先住者にも言えることで、言語の独自化も進んでいる可能性があるという事でもある。


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