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文明の濫觴  作者: 烏木
第11章 来訪者
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第1話 北の村から

あまり読み味の良い話ではない幕間ですので、本日、幕間を二話と次章の第一話の三本をあげます。

今話は11章の第一話です。

和合・織豊祭で新たな課題が舞い込んできた。

ホムハル集落群の最北に位置するミヌエに五十人規模の難民がやってきたとの事。


別に彼らが難民と言ったわけではなく、あくまでも俺のイメージの話。

難民という言葉はとても曖昧で、一番広義に解釈した難民は『何らかの理由で住んでいたところから離れざるをえなくなり庇護を求めている者』のこと。


狭義の難民は『人種・宗教・政治的意見などを理由に、弾圧や迫害を受けているか受ける(おそれ)があるため、他国に逃れて庇護を求めている者』という感じで、政治難民とも亡命者とも呼ばれる。


本来国際的な支援対象になる難民はこの政治難民だけを指すので『戦争や紛争から逃れて』とか『飢饉や自然災害で住めなくなり』とか『経済的に立ちいかなくなって』というものは実は本来的には国際的な支援対象の難民ではない。


しかし、広義の難民というか一般に難民と思われているのではないかという難民は、政治難民以外の難民を含み、戦争や紛争から逃れるため他国に逃れた避難民や自然災害や疫病や飢饉などから他国に逃れた災害難民、経済的困窮によって他国に逃れた経済難民も含まれる。


そして、ここまでで共通しているのは『他国の庇護を求めている』という部分。


原義的に考えると母国内の他の地域に逃れて庇護を求めている者はその者の母国が面倒を見るのが筋なので、国際的な支援対象とするのはある意味では内政干渉でもあるので筋が通らない。


自然災害や疫病や飢饉などが原因の場合は他国や国際機関が難民として直接庇護するのではなく災害復興支援などを当該国に行い庇護を求めている者への庇護は当該国が行うというのが筋というもの。


だから母国内の場合は広義でも難民とは言い難いのだが……そういう人たちを指す『域内難民』という言葉もあって……このあたりは人道的とかの綺麗事を囀るのが好きな人たちとか国際政治的な各国の思惑などがからんでくる。


本来的には政治難民以外は国際的な庇護対象にはならないのだが『人道的』という言葉が好きな人たちは『庇護を求めている者に庇護を与えるのは当然の事』などと言っている者もいるそうだ。


もしそうであるなら、そういう主張をしている者たちが率先垂範して自らの身銭を切って庇護を求める者に庇護を与え、庇護を求める者がもたらす被害の補償も万全に行えばいいんじゃないかと思う。


経済難民をホイホイ受け入れていたら国内の労働需給や治安や秩序はぐちゃぐちゃになる。

そしてその被害を受けるのは受け入れを主張していた輩ではなく、ある意味では罪なき弱者たる元々その国で暮らしている庶民である。


それはともかくとして、個人的にはどうだとは思うが、域内難民もひっくるめて全部難民とするなら『何らかの理由で住んでいたところから離れざるをえなくなり庇護を求めている者』というのが難民の定義ということになる。


一番広く解釈した難民は『居住地を追われて庇護を求めている者』なので、何らかの理由で住んでいたところから離れざるをえなくなっても庇護を必要とせず自活できる者や、庇護を求めてはいるが居住地を追われておらず住み続けている者は難民とはいわない。


ミヌエからの報告では、その難民たちは辞を低くして庇護を求めてきて“全員が無理ならせめて子供たちだけでもお願いします”といった感じであったと。

難民たちの中に見知った者もおり無下にはできず、ミヌエで一時的な保護をおこなっているとの事。


これを聞いて直ぐに思ったのは『食糧援助が要るか』だったのだが、実はミヌエの人口に匹敵する五十人規模であっても当面の食糧はミヌエにあるそうだ。


俺を含めて美浦の誰も知らなかったのだが、冬季の食糧援助の必要量を尋ねるとどの集落も“米は一年は大丈夫”と言われ、慌てて各集落の備蓄食糧の量を確認して発覚したのだが、ホムハル集落群の各集落にはかなりの量の備蓄食糧があった。


滝野には先住者集落に何か起きたときに直ぐに食糧を提供できるようにするための義倉というか非常時即応用の食糧庫があるのだが、それを真似た土蔵を各集落が建てていて人口倍増にもかかわらず一年以上耐えられる量の備蓄食糧があった。


備蓄食糧の存在は別に秘密にされていた訳ではないというか、彼らにとっては『普通の事』として言及されなかっただけ。


半世紀以上昔ならともかく現代日本で『我が家には風呂がある』とわざわざ言って回る人間はいないのと同じような感じで『うちの集落には一年以上耐えられる備蓄食糧がある』とわざわざアピールする集落はどこにもなかった。


これが美浦の者が各集落の備蓄食糧の存在を知らなかった理由だが『年単位で持つ量の食糧の備蓄』という尋常ではない事が『普通の事』となっているのは大変申し訳ない。


もっとも、今回の激甚災害は一年二年ではどうにもならないから美浦からの食糧援助が必要なのは間違いないが、それでも必要量が物凄く少なくて済むのは大きい。



それで、難民がどこからなぜミヌエに来たのかだが……当然ながらミヌエの北方の集落群からである。


ミヌエはホムハル集落群の最北に位置しているが、ミヌエの北に何もないわけではない。

ミヌエは峠の頂上にあたる地形にあるのだが、峠の南側の加古川水系を中心にしたホムハル集落群に属していて南側との交流は盛んだが、当然ながら峠の北側の由良川水系にも集落はある。


俺が聞き取りをした当時と変わっていないのなら、ミヌエから北方に流れ出る由良川水系の黒井川沿いを下っていって一日ぐらい歩いたところにある湿地帯の傍に北方の集落の一つがあって、ここがミヌエから最寄りの集落だった筈。


その場所は現代日本でいうところの福知山あたりと思っている。

黒井川が竹田川と合流し、竹田川が土師川(はぜがわ)と合流して、福知山で土師川が由良川に合流するが、地図で水分れから土師川と由良川の合流点まで川沿いに進んだときの道のりを測ると三〇キロメートル程度なので徒歩一日というのにも合致するし、福知山盆地は氷期のころは湖の底だったと推測されており、現代でも洪水が頻発する土地なので、湿地帯という事とも合致する。


南方は日帰りできる距離に複数の集落があり、北方は片道で丸一日かかる距離に一集落あるが他の集落はもっと遠い。


かつてはミヌエを北方の集落群との交易拠点とする事も企図した事はあるが、北方の集落群とは物理的な距離も遠いのだがそれ以外にも諸般の事情があって断念したという経緯がある。


そうは言ってもミヌエと北方の集落群とが没交渉だったわけでは無く最寄りの集落とは細々とした交流を継続していた。

だから見知った者がいたという事だな。


そして、北方の集落群も大量降灰で甚大な被害を受けている。

ミヌエの降灰量は五センチメートルぐらいだったからミヌエより北や東ではもっと少ない事が予想されるが、元の世界の史実では若狭湾東端付近で三センチメートルぐらいの降灰があったから、少なくとも三から五センチメートルの降灰はあったと思う。


気象庁の降灰予報は、〇.一ミリメートル未満が『少量』で、〇.一ミリメートル以上一ミリメートル未満だと【降灰への防災対応が必要】となる『やや多量』となり、一ミリメートル以上が『多量』(これ以上の区分けは無い)となっている。

だからセンチメートル単位の降灰は間違いなく激甚災害と呼んでよい。


ミヌエの北方の集落は色々と自活はしていたが、降灰は春だったので春の恵みはもちろんのこと秋の実りも壊滅的だし魚鳥獣の狩猟も低調で、二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなったという事。


細々とはいっても交流はあったので北方の集落群にミヌエの事を知っている人間も当然いて、藁にも縋る思いでミヌエにやってきたと言ったところか。


五十人規模というのは俺らが魔改造して食糧の生産力が激増したホムハル集落群からすれば小さめの集落一つ分といった感じだが、俺らが関わる以前の一集落の人口は三〇人程度という事を勘案すれば二つか三つの集落の合同ではないかと思う。

えっ? 七集落から八家族ですか? 異様に多くありませんか?


北方集落群が選べる選択肢は大きくは『南に向かって山を登ってミヌエに行く』と『由良川沿いを下って海にでる』の二つがあって、集落を割ってそれぞれに分かれたそうだ。


福知山から由良川河口までの道のりは三十数キロメートル程度でミヌエよりは若干遠いが、標高で見ると実は福知山は低いところだと一〇メートルも無く、福知山から由良川河口まではほぼ平坦といっていい非常に緩やかな下りが続く。

これが排水のボトルネックになって福知山は水害が多くなるのだが。


対してミヌエとの標高差は九〇メートルぐらいはあるので、ミヌエに向かうにはずっと上り坂を登り続けることになる。


北方の集落群から見ると『ミヌエは南方の山を一日かけて登った峠の頂上』で『海に向かうには由良川(大きな川)沿いに緩やかな高低差しかないところを進む』なので、普通に考えたら海に向かうのが無難だからそちらの参加者の方が圧倒的に多いそうだ。


ただ、リスク分散が分かっているのか、集落単位でみたときに片方だけという集落はなく、北方の集落群の全集落から最低でも一家族が選抜されてミヌエに向かったそうだ。



「とりあえず食事を与えて集会場を就寝場所に開放したそうですが、ミヌエの人口に匹敵する人数をミヌエだけで受け入れるのは不可能ですし、集会場も五十人規模だと物凄く手狭です。ミヌエからホムハル及び美浦に助言と援助の要請がありました」


そういう報告があったら当然ながら対策会議が開かれる。


「食糧に関してはミヌエの備蓄で持つそうですし、冬季の食糧援助用に持って行った物は滝野で保管しておいて供出すれば良いかと。大丈夫とは言っていていましたが、アレなんで念のために一部はミヌエに送りました」

「ただ、いつ雪が降っても不思議じゃない気温だから、早めに暖が取れる居所を造らないと拙い」

「建物とストーブがいるな。時間との勝負だから規格がすでにあるスプラウト栽培小屋をベースに窓を付ける形態で用意しよう」

「何棟要るんだ? 一家族一棟なら八棟いるが、直ぐになら予備部品を流用しても三棟が精一杯。残り五棟は突貫でやって……雪が降るまでに間に合うか怪しい」

「家屋もそうだが、ストーブの量産はどれぐらいかかる?」

「八基だと製鉄からやらんと無理だから……最短でも一箇月は欲しい」

「中々に厳しいな」

「ストーブは後追いにして、突貫の仮設住宅を急ぐ? 無理して四棟いけば集会場の人口密度は半分になるし、何なら二家族で一棟使ってもらうのもありかと」

「そうだなぁ……じゃあ、一旦はそういう方針にするとして、避難期間は数年に及ぶ筈だから来春以降はどうする?」

「来春以降は……どこかミヌエの北方の近場に移ってもらって」

「いや、それは現実的じゃない」

「じゃあ、ミヌエに突貫じゃない仮設住宅を改めて用意するってこと? 突貫じゃない仮設住宅は何れ必要になるのは分かるけど」


第二世代が難民がミヌエやミヌエの北方などですごせるようにするための方策を色々話し合っているが……気がかりな事があるので口を挟む。


「ちょっといいか?」

「何? ノーちゃん」

「何でミヌエに(とど)めることが前提なんだ? 滝野に連れてくるという選択肢は考慮したのか?」

「あっ!」

「確かに滝野なら余裕で泊めれる」


和合・織豊祭に来た者が全員泊まれるよう滝野に建てた宿は増築や新築を繰り返していて、一集落の半数にあたる三〇人が全集落から来ても泊まれるようになっている。

既にある物の活用も大事だよ。

特に時間との勝負のときは。



後から将司に“義教は優しいな”と微妙な顔で言われた。

“人命がかかっているんだから仕方ないだろう”と返したが“介入が早過ぎだと思う”と。


将司は初回の話し合いは迷走しても良くて、迷走した話し合いのあとで三人衆に示唆して次回で修正すれば十分と思っていたようだ。

確かにその方が三人衆の面目は立つか。


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