第32話 やれる事とやれない事
多目的動力装置のモグちゃん号と蜘蛛の糸号は油脂類や有り合わせの部品などの状況から活動限界に達した。
しかし、モグちゃん号と蜘蛛の糸号のお陰で美浦平の土捨て場の造成は終えているし、美浦平の除灰も粗方終わらせているので、後は人力で何とかするしかない。
土捨て場は崩落防止工まで終えたら仕上げ工事は後回しにして休工し、美浦平の除灰作業は一段落とする。
その後は農地再生に動き、可能なら冬植えから再開、死守ラインは来年の稲作を一部でも再開するという事になった。
役目を終えたモグちゃん号と蜘蛛の糸号は以前のようにモスボールする。
一応は動態保存なので再々稼働も理論上は不可能ではないが、匠や文昭の死後に稼働させるのは恐らくは無理だと思われる。
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火山灰の利用法については、煉瓦以外にもポルトランドセメントの副原料にする方法に目途が立った。
義秀と鶴郎くんが試行錯誤していたが、ポルトランドセメントを作る際の粘土などの副原料の七割を火山灰に置き換えても実用範囲に収まる事が分かった。
一〇〇キログラムのポルトランドセメントを作るには、主原料の石灰岩が一一〇キログラムと副原料として粘土が二〇キログラム、その他の原料(珪石とか鉄を含む物質)が一〇から二〇キログラムを必要とする。
この副原料だが、粘土一二キログラム、火山灰二八キログラムの配合でいける事が分かった。
珪石から二酸化ケイ素を得ているが、火山灰の主体は火山ガラスなのでシリカ分は多いし、鬼界アカホヤ火山灰には鉄分も多いから結構の割合を置き換え可能だったのだろう。
俺は少量の添加が関の山だと思っていたんだけど、そうでもなかったのは嬉しい誤算といって良いだろう。
さすがに六〇〇キロメートルを超える距離を飛来してきた火山灰は骨材としては細かすぎて使えないので全体でみれば一割ぐらいと然程の含有率はならないが、それでも十分な使用先になるし、セメントはこれまで以上に需要が増えるので煉瓦ともども重要産品となるであろう。
火山灰を使用した煉瓦と火山灰を利用したセメントで何をするかというと土捨て場の土塁の養生。
土塁はどこまでいっても土なので風雨で表土が流出してしまう。
だから通常は芝生などの植生でグランドカバーして防ぐのだが、植生にとってマイナスに振り切れている火山灰混じりの現状では芝生を生やすのは難しい。
そこで、煉瓦で覆えば火山灰処理と表土流出が防げる一石二鳥の策というわけ。
火山灰を四割使用した煉瓦のレシピは窯炉がある先住者集落には伝えているので特注ではない通常の煉瓦はそちらで量産する予定。
セメントはこれからではあるが、同じく先住者集落のミツモコで量産される見込み。
ミツモコには石灰岩と燃料となる褐炭があるのでセメント製造もしてもらっていたので、暫くは火山灰を使用したセメントの製造に勤しんでいただきたい。
ポルトランドセメントという現代で普遍的に使われているセメントは、物凄く大雑把に言えば主原料の石灰岩と副原料の粘土などを混ぜた物を煆焼した上で急冷してクリンカという物を作り、そこに石膏を加えて粉砕して粉にして作る。
本来的にというか成分的にいえば石灰岩ではなく生石灰なのだが、石灰岩を煆焼すれば生石灰になるので石灰岩を煆焼して生石灰を作ってからクリンカを作るよりも石灰岩をそのまま使ってクリンカを作る方が面倒が無いので石灰岩が使われている。
生成物の重量よりも主原料の石灰岩の重量の方が重いのだが、それは石灰岩から二酸化炭素が抜けてその分の重量が減るから。
実は固まる事に関してはクリンカを粉砕した粉と骨材としての砂を混ぜた物に水を加えれば固まるのだが、クリンカの粉だけだと湿気を吸うなどして直ぐに結晶を作ってしまい固まらなくなるので、クリンカに石膏を混ぜて反応性を落としている。(反応性を落としているだけなので長期間放置していると湿気を吸って使えなくなる)
クリンカを粉砕して直ぐに使うなら何とかなるかもしれないが、石膏を混ぜないと保管も輸送もできなくなるので石膏も必須の材料だったりする。
ミツモコには石膏はあまり無いので美浦から石膏を提供しないといけないが、それ以外は揃っているのでセメント製造をしてもらっている。
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この様な『美浦で確立した製法を先住者に伝授して、先住者が作成した物を美浦も購入して使用する』というのは、ある意味では手垢のついた手法ではあるが現状では最善に近いと考えている。
先住者集落は、狩猟採取が中心で補助的に粗放農業という形態だったので環境収容力の限界から一つの集落に六家族ぐらいしか住めなかった。
それ以上の人数になるとホムハルのような食糧資源が豊富な神立地でもなければ縄張りを広くする必要があるのだが、縄張りを広げても増える労力に見合う成果が得られないので、そんな事をするぐらいなら分村した方が手っ取り早いので一つの集落における人口には限界があった。
そうなると一集落の家族数は固定になり、親の後を継げない子は、運が良ければ跡継ぎが居ない他家を継げる事もあっただろうが、大半は労働力兼予備となるか集落外に出るしかなかった。
集落外に出るのは一種の棄民だし、労働力兼予備というのは物凄く悪い言い方をすれば労働奴隷である。
しかし、俺らの介入で高効率の集約農業が食糧確保の主力の座に躍り出た事で一家族の収穫で三家族ぐらいは十分に食べていけるようになり、分家を作っても大丈夫になったし、余剰労働力で第二次産業を担う事も可能になった。
その第二次産業が成立するよう製法や技術の転移をしているし座を結成させて需給調整もしている。
美浦が彼らから購入するのは彼らの第二次産業が成立するよう需要を作っているとも言える。
そして、破局噴火後でも彼らに『やる事・やれる事』を提供しているという意味でも技術転移しておいて良かったと思っている。
『やる事・やれる事』があるというのは人間の矜持に関わる重要事項だからだ。
安全に生存さえできれば人間は満足するのかというとそんな事はない。
人間社会に受け入れられて他者から価値ある存在として認められたいという社会的欲求や承認欲求があるのが人間というもの。
そして、自分が他者から価値ある存在と認められているという矜持を保っていたら、多少の事には耐えられるようになるし、不道徳な事をしようとしなくなる。
『自分が必要とされている』という事実と自負はとても大事。
俺らは美浦も川俣も先住者集落も(……キャンプ場? 知らない子ですね)成人男性の全員に誇りが持てる仕事があるよう仕事を創生していくのに腐心してきた。
経済だけの話をすれば『穴掘って埋める』だけでも経済は回ると黒岩氏が言っていたけど、そんな誰にも必要とされない作業で矜持を保つのは無理。
それと、ここで男性に限ったのは男尊女卑じゃないよ。
女性は別に俺らが創らなくても仕事はあるのよ。
布や服を作るのは機械化していないと凄い人手を要するのよ。
製糸は木綿なら紡績機があるけど、麻糸や蚕糸は機械化できていないから糸を紡ぐ事自体に人手を要する。
布にするのも人力の機織機はあっても機械化された自動織機はないので人手が要る。
糸や布を染めるのも服に仕立てるなど製品にするのも全部人手で行うので、こちらは需要に供給が追い付いていない状態が常態化している。
ただ、色々と経緯があって繊維系業務は女の園と化していて、そこに新成人の男性を放り込むのは躊躇われたんだよ。
仕事の創生という面を考えると、街道整備や治水事業などの公共事業は本当にありがたい存在で、困ったときは公共事業で労働需要を何とかしてきた。
集落内の労働需要を超える新成人が発生するのに合わせて新たな仕事を創るって無理だから、そういう場合は他の労働需要が発生したり新規事業を立ち上げられるまとまった人数が揃うまでは山雲組を受け皿にしていて、その受け皿のための仕事として公共事業を行うという便利使いをしてきたし、これからもやると思う。
こういった雇用のための公共事業は政府を批判したい人達からは『無駄な公共事業』として槍玉に挙げられやすいが、雇用を守るという一点だけでも無駄とは対極にあると思っている。
実は各集落には山雲組で建設建築を経験した人間がそれなりにいて、日常のメンテナンスや簡単な新設などを自前で行えている。
そして、今回も各集落の除灰作業でも彼らが大活躍している。
これは俺が建設業者の息子だからそう思うのかもしれないけど、平時の無駄は有事の対応力だよね。
それと、公共事業を乱発していて大丈夫なのかというのは、今のところは大丈夫だと黒岩氏から太鼓判を貰っている。
詳しい話をすると長くなるので割愛するが、建設が今のところの公共事業の主な対象だが、現在の規模の三倍になっても恐らくは政府支出乗数(政府の支出を一単位増やしたとき、国内総生産が何単位増えるかというもので、云わば費用対効果みたいなもの)は一.〇を上回るから、今はやればやるだけ経済発展するとの事。
教育も政府支出乗数が高いのだが、現状ではこれ以上の増額は無理だろうとのお言葉もあった。
子供を働かせるより教育した方が絶対にリターンは大きいんだから政府支出乗数が高いのはよく分かるが、もっと人口が増えて集落ではなく町村レベルにならないと学校を建てるのも難しいし、各集落に巡回授業とかも教員数がねぇ……
それと医療も投資効果が高い分野だよって言われても、実現するのは中々に厳しい。