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文明の濫觴  作者: 烏木
第10章 百折不撓
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第26話 暴風雨

夏とも思えない冷夏だが暦の上では夏になり、気象有識者の警告のとおり(?)暴風雨が来襲した。


今のところ風速は秒速一五メートルから一八メートルぐらいだから、原因が台風だとしても強風域(平均風速が秒速一五メートル以上)には入ったが暴風域(平均風速が秒速二五メートル以上)ではないあたり。

低圧部での最大風速が秒速一七メートル未満だと台風ではなく熱帯低気圧になるので狭義の熱帯低気圧という事もあり得るし、広義の熱帯低気圧から変わった温帯低気圧の可能性もある。

気象庁用語の『強い風(秒速一五メートル以上、二〇メートル未満)』ではあるが、『非常に強い風(秒速二〇メートル以上、三〇メートル未満)』や『暴風(地域によって異なるが概ね秒速二〇メートル以上)』『猛烈な風(秒速三〇メートル以上 もしくは 最大瞬間風速が秒速五〇メートル以上)』ではないから()()雨かと言われれば“強い風雨”になるのかもしれないが、台風並みの風雨なので暴風雨にさせてもらう。


というのも、風は強いは強いが脅威度で考えれば大した事はないが雨が凄いんだ。

ゴッゴッゴッと轟く雨音が酷くて屋内でも近くで大声を出してもらわないと聞こえないし、強風と併せて外に出るには恐怖を感じるぐらい凄い。


これが短時間なら夕立などでの局地的大雨なら経験はあるが、これが長時間続くというのは経験がない。

気象観測担当の一美さんの報告では、直近の一時間の降水量は七〇ミリメートルという『非常に激しい雨(一時間雨量五〇ミリメートル以上八〇ミリメートル未満)』で、一時間雨量が八〇ミリメートルに達する『猛烈な雨(一時間雨量八〇ミリメートル以上)』まで進むかもしれないとの事。

しかも、線状降水帯にかかっている懸念があるので長時間続く可能性もあるそうだ。



防災担当として義秀と共に物見部屋から厚い雲による照度不足と豪雨のスクリーン越しに里川を見たが、里川の水位は鉄砲堰を動かしたときよりも上だった。

つまり、今現在里川には時間あたりの流量では鉄砲水を超える規模の雨水が押し寄せている訳で、降水量がとんでもない凄さだというのが分かる。


「洪水になると思う?」

「既に洪水だ。言葉は正確に」


内緒話をするように口に手を添えて相手の耳元で(わめ)く感じで話している。それほどまでに雨音が酷いのだ。


これが義秀でなければ煩い事は言わないが、義秀には『洪水』という単語の意味をちゃんと意識してもらわないと困る。


一般には『洪水』と『氾濫』は同義語に近く明確に区別して使い分けている人はほとんどいないと思う。

敢えて言えば“川が氾濫して洪水になった”など、河川などの水域から水が溢れ出ることを『氾濫』と言い、水域以外のところが水に浸かるのを『浸水』や『洪水』と言い、特に浸水が長期に渡ったり水位が高いなど状況が酷い場合は『洪水』と言うと思う。


しかし、土木・河川用語では『洪水』と『氾濫』は明確に分けられている。

河川用語の『氾濫』は一般のイメージと然して変わらないが、河川用語の『洪水』は一般との差異が大きくて、河川の流量が()()()()()を超えて増大する事を指しているので、河川用語での『氾濫していない洪水』は一般には『増水』のイメージの方が近いと思う。


氾濫していなくても洪水と呼ぶ例を挙げれば、治水ダムは()()調整を目的としていて、大雨が降ったときにダムの下流域で氾濫が起きないようにダムを操作するのを()()調整操作という。

治水ダムが満水になりそうなので放流量を増やしていって満水になったら流入量と同量の放流をする事を報道機関などは『緊急放流』や『ただし書き操作』と呼ぶことが多いが、あれは特例操作の中の異常()()時防災操作の事。


つまり、河川用語では河川から水が溢れ出ていようがいまいが通常の範囲を超えて増水する事を『洪水』と呼ぶ。


極めつけには河川用語には『超過洪水』という言葉もある。

これは“ここまでの流量なら氾濫させないよう対応できる”という計画流量を超えた事を指し、超過洪水になるとどこかで氾濫してしまう可能性がでてくる。

つまり、河川用語の『超過洪水』になると一般のイメージである『洪水』が起きる可能性がでるという事。


「氾濫はしないと思うけど如何?」

「同意する。里帰川に背水(バックウォーター)が起きて氾濫するかもしれないが、可能性は低いし起きても小規模に留まる」


本川の水位が支川の水位より高くなると本川の水が支川に逆流する事がある。

逆流までいかなくても合流地点の本川側の水位が高くなったことで支川からの流出が阻害されて支川で水が渋滞して支川の水位が上昇する事もあり、こういった現象をバックウォーターという。

バックウォーターは本義的には逆流なのだが、逆流したかどうかに関係なく本川の水位が高いことが原因で支川の水位が上昇する事を一纏めにしてバックウォーターと呼んでいる。


里帰川は美浦平の余剰水や排水を里川に放流するために掘った水路の事で、美浦にある里川の河岸の中で一番標高が低いところでもある。

今は美浦平に降った雨水が里帰川から里川に勢いよく流れ込んでいるし、まだまだ里帰川の河床の方が里川の水面より高いのでバックウォーターは発生しないが、里川への流入量が海への流出量を上回り続けて更に水位が上がったら里帰川が水の行き場になるので里川から里帰川に逆流することは無いとは言えない。


ただ、仮に里帰川にバックウォーターが発生しても美浦平に巡らされた用水路網に逆流していくのでそうそう氾濫はしないし、万が一氾濫しても美浦平の降水や排水は里帰川に集まって里川に流れるようにしているので里川の水位が下がれば放っておいても里帰川経由で里川に流出していくからダメージは小さい。

現代日本でバックウォーターからの氾濫が問題になるのは天井川とまではいかなくても本川の河床が高くなっていたり河床より低地を利用していて中々排水が進まないという事情もあるが、里川は鉄砲堰によって下流域にも関わらず定期的に鉄砲水が流れるので河床は以前より低くなっているぐらいだからきっと大丈夫。


「他所も含めてだけど問題は溜池だと思うけど、如何?」

「その通りだ」

「掻い掘りで再生できれば御の字。駄目なら火山灰を溜池に捨てる案を援用して対処」

「それしかない」


幸いな事に各集落の防災対策は施工済みなので人命や居住地の安全は何とかなる可能性が高いが、水利施設は罹災する可能性が極めて高く、特に溜池(集水用の谷池)は如何にもならない。


これが平時の豪雨・暴風雨ならば、溜池が満水になったら洪水吐(こうずいばき)から入流量と同量の水量の水が流出するだけで溜池自体は大した被害はうけないが、現状では大量に降った火山灰が豪雨に流されて河川に流入するので溜池に大量の火山灰が堆積してしまい使えなくなってしまう。


それに、火山灰混じりの濁水が流れ込んできて溜池内に堆積するのはマシな方で、鉄砲水や土石流が川を下って襲ってくる可能性だって低くはないというかかなり高い。

鉄砲水や土石流が溜池に流れ込むとその衝撃で堰堤を損傷させたり、時間あたりの流入量が洪水吐の時間あたりの吐水(とすい)限界水量を超えたら流出できなかった水が堤体越流を起こして堰堤が破壊される(おそれ)もある。

そりゃ平時であっても上流部で何かあれば鉄砲水や土石流が発生する可能性はあるが、現状はその発生率が異様に跳ね上がっている状態なので起きるものとして心構えをしておいた方がよい。


これは先住者集落だけの話ではなく美浦でも集水用の谷池がやられる可能性は十分にある。

旭丘は農業用水を谷池に集めた水に頼っているので旭丘での耕作を本格的に再開するには三つの谷池、最低でも二つの谷池が稼働している必要がある。

美浦には集水用の谷池は一号溜池から三号溜池の三つあるのだが、これは留山の標高は然して高くないから一つの谷池の集水面積が狭くて一つだと十分な水量を確保できず二つでも渇水期に不足が生じた事があったからで、最低でも二つないと現状の規模の維持は不可能になり規模の縮小や廃止まで考える必要がでてくる。


だから美浦の谷池がやられたら耕作再開までに復旧や場合によっては再建をする必要がある。

もっとも、直ぐに本格的な耕作を行うのは無理なので時間的な猶予があるのは救いではあるが、もしも三つ全部がやられたらその猶予を食いつぶしても復旧や再建が間に合わない可能性はある。

そうなるとその分だけ全体の復旧が遅れてしまう。


巨大地震と大津波、破局噴火による大量降灰と激甚災害が立て続けに襲ってきたが、そこにこの暴風雨……これも下手したら激甚災害になる可能性がある。


破局噴火の可能性に気付いて『備えよ常に』の精神で、客観的にみたら過剰と言われても不思議じゃないレベルの現状で可能な限り最大の防災対策を施してきたからこの激甚災害ラッシュに何とか耐えられてはいるが、そうでなければとっくに御陀仏だったと思う。


何とか破局噴火にも耐えられる可能性がある状態になってからの激甚災害ラッシュ……何か作為的なものを感じてしまう。

駄女神よ、お前(おめぇ)為業(しわざ)じゃねえよな?


■■■


豪雨も峠を越えて雨脚は急速に弱まっていき、現在は小雨といっても良いような状態になった。

まだ油断はできないが、懸念があるので溜池の状況確認に向かわねばならない。

雨衣(うい)(まと)って義秀と二人で用水路沿いに進んでいくが、用水路が一時オーバーフローしたようで通路は泥でぬかるんでいて足元が悪い。


「ノーちゃん、嫌な予感がする」

義秀(ヒデ)もか、俺も嫌な予感がしている」

「用水路の水位が低過ぎる。上、詰まってんじゃね?」

「可能性はある。突然の増水もあり得るから常に退避先を確認しつつ慎重に急ぐぞ」

「でた! 無茶振り」

「やれん事は言わん。やれ」


そんなやりとりをしながら二人してややゆっくり目の速足で一号溜池に着いたのだが……嫌な予感のとおり、全開にしていた取水口は閉塞していてちょろちょろとしか吐水しておらず、流入した水は全て洪水吐から放水路に流れていて放水路が川になっていた。


満水の一号溜池の水面には塵芥や流木が絨毯のように全面に広がっていて中には起立している流木もあった。

基本的には貯水池に流れ込む倒木や塵芥は通年発生するものなので、取水施設などに被害を及ぼさないよう網場といって取水口より上流にネットを張って浮遊物を捕獲して取水施設に近付けないようにしているのだが、これだけ大量に来たら衆寡敵せずで意味を成さなかったのも仕方が無い。


「ノーちゃん、樋管も取水口も中に土砂が詰まってる」

「駄目だこりゃ」


思わず天を仰ぎそうになったが雨の中で天を仰ぐと思いっきり雨に当たるので俯いて太い溜息をつく。


「一号溜池は放棄?」

「激痛だがやむを得ない。善後策は後で考えるとして、次、いってみよう」


一号溜池を再生するには最低でも水面を覆い尽くす倒木の処理と取水設備のオーバーホールが必要なのだが、起立している倒木があるという事は楽観的にみても水深三メートルぐらいまで土砂が堆積していると思われるので浚渫しないといけないが、浚渫するとなると尋常ではない量を処理しないといけない。それも火山灰混じりの厄介な泥を。

そこまでの労力をかけて再生するぐらいなら新たに造る方がましだから放棄もやむを得ないが、旭丘の用水の要中の要(かなめちゅうのかなめ)の一号溜池が駄目になったのはダメージが大き過ぎる。


それはともかく、旭丘への用水路に水を供給していた一号溜池の取水口が詰まっているから用水路への急増水はまずないし、一号溜池が崩壊しても直接的には旭丘に大きな影響はないから対処の優先順位は低くて良い。

それよりも、二号溜池と三号溜池の様子を確認する方がまだ優先順位が高い。


■■■


「一号はアウトで、二号三号は使用可能と」

「まあ、整備は要るけど。ただ、二号と三号は一号経由だからそこを何とかしないと結局は使えない」


理久くんからの問に状況報告した義秀が答える。


二号溜池と三号溜池は網場で止めた流木などの除去や掻い掘りは要るかもしれないが健在だった。

しかし、二号溜池と三号溜池から旭丘に水を引くことはできない。


どういう事かと言うと……

旭丘の北隣の谷に一号溜池を造ったのだが、それだけだと足りないのでもう一つ北の谷に二号溜池を造った。

そうすると、二号溜池から旭丘に水を引くには一号溜池がある谷を越えないといけなくなる。


色々な方法は考えられるが、二号溜池からの水を一号溜池に流して一号溜池経由で引水すればそれで事足りるのでそうしていた。

そして二つだとやや不足気味だったので二号溜池の更に北隣の谷に三号溜池を造ったが、これも三号溜池から二号溜池に放流して二号溜池、一号溜池と経由して旭丘に……


親亀の背中に子亀を乗せて子亀の背中に孫亀を……といった感じの構造なので、親亀こけたら皆こけるように一号溜池がアウトなら皆アウト。

一号溜池が健在なら色々と手も打てただろうし、全滅なら全滅で諦めもつくのだが、一号溜池だけアウトというのは実に悩ましい。


「どんな手があり得る?」

「現実的ではない案が二つ。それと、まだ現実的な案が二つ」

「先ずは現実的でない方を」

「一つは取水を諦める。もう一つは一号溜池の再建」

「なるほど、確かに困難だな。じゃあまだ現実的な二案を」

水路橋(すいろきょう)を造って谷越えをさせる案と一の沢川(いちのさわがわ)(一号溜池を設けた谷の川。二号溜池は二の沢川(にのさわがわ)、三号溜池は三の沢川(さんのさわがわ))への放流部の下流に取水堰を設ける案」

「それぞれのメリット・デメリット、それと課題点の概要を」


川を越えて用水路の水を引く方法として分かり易いのが、川に橋を架けてそこに水路を通す水路橋や水管を通す水管橋(すいかんきょう)を造るというもの。

水路がある水路橋は水が川などを渡っているというのが一目見ただけで分かるが、数としてはそれほどあるわけではない。

実は、水管はポンプなどで圧をかけられるので上水道にも使えるなど、水路より扱いやすいし安全性や利便性が高いことから現代日本では水管の方が主流になっていて、街中の橋の横などにパイプが通っている事があるが、あれらの多くが水管橋だったりする。


それら水路橋や水管橋が建設可能なのかというと、旭丘の余剰水を美浦平に供給するため里川に架橋している水管橋の水道橋があるし、規模は小さいが用水路の上を別の用水路が跨ぐ水路橋もないではないから建設自体は可能。


この架橋方式のメリットとしては、仮設の簡易版なら比較的容易に架橋できるというものがある。

里川に架橋している石造アーチ橋の水道橋のような恒久的・本格的な物だと多大な時間と労力と資源を使うが、木樋を通すだけといった簡易版なら大して難しくないし、なんだったら一号溜池の天端(てんぱ)(堤の天辺の部分)に木樋の用水路を通してもよい。

デメリットは恒久的に使用するしっかりとした物を造ろうとすると多くのリソースを消費する事。


もう一つの案の取水堰を造るというのは、二号溜池からの水を一の沢川に放流している箇所の下流に取水堰を設けてそこから旭丘に引水すれば二号溜池・三号溜池からの水を取水できるという物。

これは、一号溜池が持っていた旭丘への用水を取水する機能だけを再建するという意味あいが強い。


メリットは二号溜池からの用水路は何も触らなくて構わないのと、一の沢川からも取水できる事。

デメリットは造るにはそれなりのリソースを消費してしまう事と効率が悪い事。

取水堰には基本的には貯水機能が無いので二号溜池・三号溜池からの水の結構な部分が一の沢川を流れ落ちていく。

それと、取水堰も小なりと言えど堰なので水が滞留して土砂が堆積するので現状なら機能を維持するのに手を取られる可能性がある。


後、共通する課題というか……

今回は一号溜池が受け止めて下流に被害を及ぼさない役目を果たしてくれたが、この先何年か何十年かは土石流や鉄砲水が頻発する可能性が高い一の沢川に施設を造る事自体がリスクではある。

この土石流や鉄砲水のリスクは別に一号溜池に限った話ではないが、一号溜池の上流部はあれだけの倒木が発生したのだから植生に相当なダメージがあった筈なので、他所に比べて発生しやすくなっている可能性が高い。


「壊されたら造り直す前提で当面は仮設の水路橋で凌ぐ。皆、どうだ?」


妥当な判断だと思う。

今年最後の更新です。

皆様良いお年をお迎えください。

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