第21話 少しずつ少しずつ
川俣からの避難者にも除灰を手伝ってもらって、生活の場や田畑の火山灰は粗方片付いた。
粗方片付けたとはいっても、強風が吹くと山野から火山灰がやってくるという賽の河原状態なので正直なところ憂鬱にはなる。
そういう状況なので、田畑についても籾遺の儀で使う赤米の神丹穂用の水田を除いてはまだまだ作付けできる状態には程遠く、火山灰の流入がもう少し落ち着いてから天地返しをして表層に残っている火山灰を地中に埋める必要がある。
森林についても直ぐにではないが、枯死した樹木は早めに伐倒しておく。
どうして直ぐでなくて良いかというと、枯死するにしてもそんなに早く枯死する訳ではないのと枯死したと判別できるようになるまで時間が掛かるから。
伐倒するのは、直ぐでは無いにしろいつ倒れてくるか分からない枯死した樹木をそのままにしておくのは危ないし、伐倒しておけばその分日当たりも良くなって生き残っている他の樹木の助けになるから。
それと、何より倒しておいた方が分解が早いから植生の復活の一助になる。
倒木を棲みかにしたり餌にしたりする生物もいるし、分解者がある程度分解したら倒木を苗床にした植生が生える事もある。
鬼界アカホヤ火山灰の地層には植生は生えないだろうから、火山灰土壌の上に新たな土壌が堆積しないと植生の復活は難しい。
その新たな土壌の基になるものの一つが腐植で、その腐植の供給源として枯死した樹木を使う。
枯死した樹木は立ち枯れしている状態よりも地面に横たえた状態の方が分解が容易なので倒しておく。
だから近場なら引き摺り出して燃料などに使っても良いが、遠地ならその場に放置して“分解者さん頑張ってね”という事になっている。
分解者といえば、美野里と奈緒美が椎茸やエノキダケなどの木材腐朽菌の種菌を大量に生産している。
椎茸は椎の木の枯れ木や切り株に、エノキダケは榎の木の枯れ木や切り株に生えている事が多いのが種名の由来である事から分かるかもしれないが、キノコの多くは枯れ木に生えて枯れ木を分解する木材腐朽菌である。まあ、枯れ木ではなく生きている木に生えることもあるけど。
木材腐朽菌は、木を形成している難分解性のリグニンとセルロースとヘミセルロースを分解できることから名付けられている。
セルロースやヘミセルロースは植物繊維なので、これらが分解されると植物体は粉になってしまうし、リグニンはセルロースやヘミセルロースその他をくっつける接着剤のような存在なので、リグニンが分解されるとスカスカのボロボロになってしまう。
これらの特性から建設建築の世界だと如何に木材腐朽菌を発生させないかが重要になる。(実は木材腐朽菌の発生条件と白蟻の発生条件はかなり近いので木材腐朽菌対策と白蟻対策は似たようなものだったりする)
特にリグニンを分解できるのは自然界だと木材腐朽菌のみだと考えられているので、木材腐朽菌がいないと木は分解されることなく残り続ける。(正確に言えば木材腐朽菌の中の白色腐朽菌に分類される菌(椎茸やエノキダケは白色腐朽菌)はリグニンを分解できるが、他の木材腐朽菌はリグニン分解能力が無いかあったとしても弱い)
自然界では倒木のかなりの割合を分解するのは白蟻なのだが、白蟻及び白蟻の腸内共生菌が分解できるのはセルロースとヘミセルロースまでで木材の二割から三割を占めるリグニンは分解できないので、もし木材腐朽菌がいないと土壌には排泄されたリグニンがどんどん蓄積していくことになる。
実は石炭紀の終焉をもたらしたのは石炭紀末期にリグニン分解酵素が高性能に進化した事だという学説がある。
リグニン分解酵素が高性能になったため、石炭になるまで存在できる植物残滓が激減してしまい、それ以降は石炭紀のような大規模な石炭層が形成されにくくなったというもの。
リグニン単体でも地中で石炭化作用を受けて石炭になるので、木材腐朽菌がいなければ石炭として炭素が固定され続けて地球は温暖化することなく寒冷な氷の星になっていたかもしれない。
二人が種菌を大量に培養しているのは伐倒した樹木に木材腐朽菌を接種して分解を早めようという腹なのだろう。
自然に胞子がついてキノコが生えるのを待つより、種菌を接種した方がキノコが生える可能性が高いのは間違いない。
しかし、彼女らが培養している量を見ると朽木伐倒隊――字面と音からすると戦国武将の朽木家の抜刀隊に空目・空耳してしまう――に持たす種駒(キノコの原木栽培をするときに原木に穴をあけてそこに埋め込む丸棒型や丸楔型の種菌のこと)の量が凄い事になりそうである。
あくまで植生や自然の回復を早める一助としてだよな? 先住者集落群にも配布するための大量生産だよな? 間違っても自分達が食うためじゃないよな?
人里離れた奥地なんだから生ったキノコは(哺乳類はもちろんだが虫やら何やらまで全てひっくるめた)野生動物が摂食するだろうから自分達は食べられないと思う。
◇
生活の場からは火山灰は粗方片付けられたので、寝起きする場は避難所でもあるリンナから各家に戻した。
二箇月近く共同生活をしていたから小さい子は環境の変化に戸惑っていて、リンナに行って“お母さんが居ない”と泣く子も一人二人ではなかった。
小さい子といえば、川俣の子供たちは、学齢の子は再開した瑞穂学園で教育しているが、未就学児は保育園で預かっている。
聞いた話だと、保育園での初顔合わせの際は双方ともフリーズしてしまい、それからもずっとお互いに様子見をしていたそうだ。
これまで新たに入ってくるのは赤ちゃんしかいなかったから、突然見も知らぬ同年代を見たら吃驚して固まるのは分かる。
今ではそれなりに仲良くなっていて、一緒に悪戯して仲良く(?)叱られる事もあるとか。
一方で学校の方だが、美浦の子と川俣の子では学習状況が全く異なるので同じ授業という訳にはいかず、各人の理解度を勘案した個別カリキュラムを組む必要がある。
本来であれば校長たる俺が何とかしないといけないのかもしれないが、部下の義智に丸投げした。
二足の草鞋がどうとかこうとか抵抗したけど、義智も俺が三足も四足も草鞋を履いていたのを知っているだけに抵抗は弱々しかったから押し切った。
義智は通常の授業と政務の合間にマンツーマン指導も含めた個別カリキュラムを作り上げて持ってきた。
児童の個々人の見立ても、それに対応するカリキュラムも妥当で、俺からは特に指摘する箇所はなかったというか、俺が作るより良い物ができていると思う。
特に児童一人一人のプライドにまで配慮されていて、流石は幼少の頃からというか乳児の頃から人生三回目説が実しやかに唱えられていた義智だと思った。
それと、意趣返しとは思いたくないが、このカリキュラムの中に俺も組み込まれている。
“この部分の指導は校長先生にお願いしたい”と『ノーちゃん』ではなく『校長先生』と呼ぶあたりも抜かりが無い。
そう言われたら、職制に基づいて『校長』として『東雲先生』に命令した以上は『校長』としてはぐうの音もでない。
それに多目的動力装置の方は匠と文昭がいれば如何とでもなるので教育の方に軸足を移すのも悪くない。
だから“分かった。任せろ”と返事して一人々々の為人を聞き取っていく。
こういった個人一人々々に合わせたきめ細かな個人別指導ができるのは一学年が数人程度と対象人数が少ないからで、全部の児童生徒を合わせても現代日本の都会の学校の一クラスに満たない規模だから可能な事。




