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文明の濫觴  作者: 烏木
第10章 百折不撓
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第16話 ハイテクも考えもの

先住者集落群向けの救援隊の進発が終わり、小鷹(こたか)がフリーになったので川俣へ派遣する。

可能性は低いが、大量の漂流軽石の群れである軽石(ラフト)が来てしまったら川俣との連絡線が陸路に限られてしまうが、陸路も未整備だと牛車や荷車などの車両は論外だし徒歩でも中々骨が折れそうなので、鬼の居ぬ間に洗濯というか鬼が来る前に川俣問題を何とかしないといけない。


何故軽石筏が来ると小鷹が運航できないかというと、冷却水の取水口に軽石が詰まって蒸気機関の冷却が間に合わなくなり、オーバーヒートで出力低下や機関停止(停止しないと最悪だと蒸気機関が爆発する)があり得るからとてもじゃないが運航できない。


蒸気船の蒸気機関も熱機関の一種なのでどこかで何とかして廃熱しないといけない。

これは蒸気機関に限らず、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンなどの内燃機関でも蒸気タービンやガスタービンなどでもそうだし、究極を言えば原子炉だってそうだ。


熱を利用している機関は何とかして廃熱しないといけないのだが、船舶の場合は基本的には自身の周りに豊富にある水を使って冷却するのが手っ取り早く効率がよい廃熱手段なので、多くの動力船で採用されている。


蒸気機関の場合は、ピストンやタービンを動かしたあとの高温の水蒸気を煙突などから排気してしまえば大量の熱を空中に廃熱できるので蒸気機関車などはそうやっている事も多いが、そうするとボイラーで加熱する水がどんどん捨てられていくので、給水所などで定期的に水を補給するとか(現実的ではないが)水を大量に積載する必要があるので、美浦の蒸気船はピストンを動かしたあとの水蒸気を復水器で水に戻して缶水として再利用しているから復水器を冷却するために周りから冷却水を取り込んでいる。

だから、冷却水の取水口が詰まると復水が不十分で出力が低下したりボイラーがオーバーヒートしたりしてしまうので運航が困難になる。


そうは言っても恐らくは美浦には軽石筏は来ないし、仮に来ても小規模だとは思う。

あれだけの噴火だから相当量の軽石も噴出した筈だし、噴煙柱崩壊型の火砕流も発生しただろうから大量という言葉が馬鹿らしくなるほどの量の軽石が洋上にばらまかれたと思った方が良い。


最終的には軽石同士がぶつかって砕けたり、軽石の空隙に海水などが染み込んで浮力を失って沈降していくのだがこれには年単位の時間が掛かる。

だから当面の間はその大量の軽石は海面に浮いていて、海流にのったり風に流されて漂流するのだが、その移動速度を推定できるデータがある。


昭和の終わりごろの一九八六年五月下旬に福徳岡ノ場由来の軽石が琉球列島に漂着しだし、その後は黒潮にのっておよそ一箇月後の六月下旬に宇和海(うわかい)(豊後水道の愛媛県側)に、八月には和歌山県の串本に漂着している。

そして一部は対馬海流に届いて十月には玄界灘にも漂着している。


だから、黒潮が流れている太平洋に面しているところや、対馬海流に至る九州西岸や対馬海流沿いの日本海側には軽石が漂着する可能性は高く、どの程度の海域に広がるかと言うと、北は北海道から南は九州沖縄まで軽石が漂着する可能性があると言える。


北海道までと言うのは幾ら何でもという問いには、実例があると答える。

対馬海流の本流は本州沿いを進んで津軽海峡に流れ込むが、一部は北海道西岸沿いを進むので、一九二四年に起きた沖縄の西表島近海の海底火山由来の軽石が北海道の礼文島付近に漂流していたのが観測されている。

礼文島は稚内の西方にある島なのでギリギリ北海道ではなくガッツリ北海道まで届いている。


一方で、黒潮は関東の東方沖から三陸沖あたりで日本列島から離れるので東北の東海岸にはあまり届かない可能性は高いが、それでも関東以西の太平洋沿岸は軽石の大量漂着はありうる。


だから宇和海や土佐湾や紀伊水道には大量にくる可能性は高く、早くて十日程度、遅くとも一箇月以内には宇和海に大量の軽石筏が到達すると思われる。


しかし、これら軽石が漂流するメインストリームはやはり海流なので、瀬戸内海に入り込む量は限定的だと思われる。


そうは言っても最悪に備えるのが基本なので急ぎ川俣に派遣するのは良いのだが、何故か有栖が志願して派遣隊に参加している。

それも何に使うのか不明だが、盛上駒と七寸盤の将棋盤を持って。


荷物は必要最小限にしたいのだが、お姉ちゃん特権を使ったのか義智から許可を得ているので必要という事にしておく。


将司が提唱している大宇宙の絶対法則より確かな真理に『姉に逆らう弟は存在できない』というものがあるが、どうやらそれは正しいようで、東雲家でも()は有栖とバチバチにやりあったりもするんだけど、有栖に逆らう息子()は一人もいない。


■■■


二台ある多目的動力装置の再就役作業だが、旧式の『モグちゃん号』の再就役に成功したが、もう一台の『蜘蛛の糸号』は、当時としては新型なので、電子装備をはじめとした先進技術の関係もあってまだ時間が掛かるとの進捗報告があった。


蜘蛛の糸号とモグちゃん号の違いで分かり易い例としては『尿素SCRシステム』という物がある。


尿素SCRシステムというのは、尿素をアンモニアと二酸化炭素に加水分解して、そのアンモニアで排気ガス中のNOx(窒素酸化物)を還元させる事で窒素と水にして排気ガス中の窒素酸化物を減らすという仕組みの事。(アンモニアは保存性が悪く刺激臭や毒性があるためアンモニアを直接車載して使用するのではなく、毒性や刺激臭がなく保存性にも優れる尿素を車載しておいてオンデマンドでアンモニアにして使用している)


窒素酸化物を低減させる方法は幾つかあってそれぞれ一長一短はあるが、多目的動力装置の製造メーカーのディーゼルエンジンは尿素SCRシステムを採用していた。

だから蜘蛛の糸号には尿素SCRシステムが付いているのだが、尿素SCRシステムはモグちゃん号が製造された当時には存在しない技術なので当然ながらモグちゃん号には付いていない。


尿素SCRシステムがただ単に付いているだけなら問題はないのだが、尿素SCRシステムは国際的な環境対策の基準をクリアするための装置なので、実はこの尿素SCRシステムを採用しているディーゼル車は、ディーゼル()エグゾースト()フルード()(欧州や日本では登録商標の『AdBlue(アドブルー)』と呼ばれる事が多い)である高品位尿素水が切れている状態だとエンジンが始動しないようロックが掛かっている。(走行中に切れたときにいきなりエンストすると危ないので使用中にDEFが切れてもエンジンを停止するまでは動く)


だから、もしもDEFの供給が滞るような事があれば尿素SCRシステムを採用しているトラックなどはエンジンが始動できなくなって物流をはじめとして様々な混乱が生じて日常生活にも影響がでると思われる。

(尿素SCRシステム自体は排気ガス中の窒素酸化物を低減するためのシステムであって、本来的には走る曲がる止まるという自動車の根源的機能には関係が無いので、緊急自動車などは大災害などで万が一DEFの供給が途絶えた場合にも稼働できるよう特別にロックを解除できるようにはなっていると聞いている)


でだ、美浦にDEFがあると思う?

当初あったDEFは経年劣化で使えないから作らないといけないが、尿素自体は何とかなるけど、DEFに使える品質と量と言われると……ね?


だから尿素SCRシステムやエンジン始動を司っている制御装置をクラッキングして始動停止ロックを解除するとか、何らかの手段で騙してDEFがあるように誤認させるとか、そもそもの制御装置を迂回させて始動ロックを回避するといった手間を掛けないと蜘蛛の糸号のエンジンは掛からない。


他にも自己診断をはじめとした安全装置の類も色々と進歩して複雑化しているので、これらの要求を満たしたり騙したり回避したりもしてやらないといけない。


これはアレだな、物語などでよくあるが、何らかの事情でハイテクが使えなくなったらハイテクに頼った最新鋭機が使えなくなり、ローテクの旧式機が大活躍するという奴。

まあ、モグちゃん号は祖父母世代が使っていた年代物とは言え、自動車というだけで現状のインフラだと十分にハイテクなのだけど。


蜘蛛の糸号が稼働できればモグちゃん号との協働で作業効率が上がるので蜘蛛の糸号の再稼働を期待するが、稼働できようができまいが、モグちゃん号が稼働できる以上はモグちゃん号には頑張ってもらう。

エンジン動力を作業機械用動力として取り出すパワー()テイク()オフ()を利用したアタッチメント類は共通規格なのでモグちゃん号でも蜘蛛の糸号でもどちらでも動く。


工作機械であるアタッチメント類は比較的構造が単純でハイテク要素も少ないが、唯一の心配が油圧に使っているオイル。

文昭が言うには、使わないアタッチメントからオイルを抜いてそのオイルを流用する共喰い整備的な手法とか、使う時だけ使うアタッチメントに集める自転車操業的なやり方なども視野に入っているそうだ。


そうそう、オイルといえばエンジンオイルも色々と面倒。

トランスミッションオイルとかディファレンシャルギア(デフ)オイルをはじめ他にも色々な油脂類が自動車には使われているけど、エンジンオイルほど劣化しないのでここでは無視する。


現代では原油からエンジンオイルに適した成分を抽出した『鉱物油』と、その鉱物油を化学処理して性能を高めた『化学合成油』、それと鉱物油と化学合成油をブレンドした『部分合成油』がほとんどを占めている。


では、美浦に鉱物油があるのかというと『造るのに膨大な資源を要するから無い』と答える。


一応はね、フィッシャー()トロプシュ()法などを使って石油成分を合成して、その中からエンジンオイルに向く成分を分留すれば、理論上は得る事はできる。

ただ、それをするには最低でも工場レベルの機器や施設が要るし、大量の炭素供給源と膨大なエネルギーを消費するので手を出していない。


第一、どんな原油からでもエンジンオイルが抽出できるかというとそうではなく、原油は油田によって成分が異なるからエンジンオイルに向く成分が採れやすい原油もあれば全く採れない原油もある。

FT法にしても触媒や合成ガスの成分比率によって出来上がる炭化水素の組成が大きく変わるのだから、仮に美浦でFT法で造った原油擬きが得られたとしても、その中にエンジンオイルに向く成分が含まれるのかどうかは定かではない。


ではどうするのかというと、普通なら絶対に使わないであろう年代物で使い古しの化学合成油のエンジンオイルに植物油を混ぜて量を確保するという、性能やら機械寿命やら安全性やらといった諸々を全てを犠牲にして当面の間だけ動いてくれれば御の字という窮余の策で乗り切る。


エンジンオイルに植物油というのは奇異に感じるかもしれないが、実は昔はエンジンオイルに植物油も使われていた。

車やバイクの特にレース関係の愛好家には『カストロール』というエンジンオイルのブランドをご存知の方も多いと思うが、このカストロールは創業当時にエンジンオイルに使っていた“ひまし油(英語でカストル・オイル)”に由来している。

つまり、唐胡麻(とうごま)種子油(シードオイル)である“ひまし油”はエンジンオイルなどの潤滑油としても用いられてきた。


ひまし油をベースにしたエンジンオイルは現代でもレースなどで使われる事もある事から分かるように、植物油の中にはエンジンオイルとしての特性に優れる物もあるが、鉱物油と比べると変質しやすく寿命がとても短いという大きな欠点がある。

だから、レースなどの特殊な環境以外ではエンジンオイルには鉱物油とその改良版である化学合成油が使われている。


美浦には唐胡麻が無いから潤滑油として優秀なひまし油もないが、無い物強請りしていても仕方が無いので旧式品の代用品の劣化模倣品レベルでも使えるなら使う。


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