第15話 段取り
奥浜港への連絡路が開通したので、係留していた内海河川併用船の『小鷹』が使えるようになった。
小鷹で芦原船着場に向かい、河川艇の『白梅』が稼働できるのを確認できたので、先住者集落に向けて救援隊が順次進発していく。
最初に派遣するのはオリノコで、次が川合となっている。
オリノコと川合からなのは建設建築業の座である山雲組を擁していて復旧要員の早期確保が図れるのが大きいから。
美浦から三組、山雲組から二組の救援隊を出せば二回転で一通り復旧ができる。
その中で俺が吃驚した事と言えば、オリノコと川合は火山灰の河川投棄を推奨した事。
オリノコと川合の下流には美浦しかないし、加古川河口付近は美浦がある右岸の方が標高が高く、氾濫が頻発するであろう左岸には人は居ないから、河川に投棄しても迷惑を受ける人間がいないから、スピードを優先したというのが義秀の説明だった。
この案は三人衆も認めたことだし第二世代に任せると決めた以上は反対はしない。
反対はしないが、手法を確認して必要になるであろうテクニックは教えようと思う。
オリノコは加古川と合流するまではある程度河床勾配はあるからテキトーにやっても問題ない程度には流れるだろうけど、川合は河床勾配がとても小さい加古川の本川に直接投棄する事になるので、下手なやり方をすると投棄作業そのものの危険度が大きくなる。
他にも色々と支障をきたす恐れがあって、例えば流れがとても緩やかなので捨てた火山灰があまり流れずに砂州や中洲を形成するなど滞留してしまうとかはあり得る。
それらが加古川全部を堰き止める事はないだろうが、流路を制限されて河川艇の行き来に支障をきたすとか、増水したときにそれらがボトルネックになって上流側で溢れたり、何かの拍子で一気に崩れて鉄砲水もしくは土石流が川を下っていくという事もあり得る。
だから、川に捨てるにしても例えば河川敷に野積みしておく(そして増水時に流されていく)とか色々なテクニックを駆使すべきだと思う。
加古川もそうだが、平野部の大きな川ってマジで河川敷が広いのよ。
東京湾に注ぐ荒川なんて河川敷を含めた川幅が一キロメートル以上あるところも珍しくないし、一番広いところは二.五キロメートル以上もある。(河川敷は普段は運動場など色々使われていて、中には農地になっている事もある)
特に山から流れ込む支流が合流するあたりは急に勾配が緩くなる事も多く、流域全部の降水が一気に押し寄せてくる平野部に切り替わる辺りは豪雨時には普段の百倍ではとても足りない水量に増水するのでそれだけの河川敷がないと実はヤバい。(荒川の例だと二百年に一度の洪水だと普段の五百倍近くの水量になる想定で、これだけの水量が押し寄せると普段の生活に支障をきたすレベルの堤防などを造らないと氾濫するので全部を流下させるわけにはいかず、上流のダム群を整備して半分をダムで受け止める事にして、河川の方は二五〇倍ぐらいの増水に耐えられる堤防や水門などの防災施設を整備する計画になっている)
無駄ではないが無駄に広い加古川の河川敷に火山灰を野積みして、火山灰が風で飛散しないよう土などを被せておくというのは川合ならありっちゃあり。
それとある程度予想はできていたので吃驚ポイントというとアレだが、俺は今回の先発隊にも今後送る予定の救援隊にもアサインされていない。
理由は簡単で、美浦の復旧に多目的動力装置を使用するのだが、それを運転・操作できるのが俺と文昭しかいないから。
モスボールしていた多目的動力装置のモグちゃん号と蜘蛛の糸号を稼働できるよう文昭が絶賛整備中で、時間は掛かるが稼働は可能だろうと聞いている。
将司は電装系の処理の為に、匠は部品や代用品を作らないといけないかもしれないから美浦で待機だし、バイオディーゼル燃料の脂肪酸メチルエステルや脂肪酸エチルエステルの製造は佐智恵が担当する。
要は、第二世代が外向きの仕事を担当して第一世代が美浦の復旧を行うという役割分担になっている。
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多目的動力装置の再稼働を黙って待っているのも芸がないので、溜池の復旧(美浦では埋立地にはせず溜池のまま使う)と旭丘への導水を行い、その水を使って旭丘の除灰を進めている。
水量が増えたのでバンバン投げ捨てることが可能になり、里川に溜まる火山灰も鉄砲堰を動かして海に流すのでそれなりの速度で除灰が進んでいる。
建物に積もっていた火山灰は全て取り除けたのでリンナでの集団生活が解除になる日も近い。
灰囲いしていた樹木も順次囲いを解いていて、取り敢えずは灰囲いしていた樹木の湾曲倒伏はなく、おそらくは枯死も免れただろうと聞いている。
奈緒美が品種改良していた果樹も無事だったのは良かった。
果樹については主に葡萄系統の育種をしていて、実生させた葡萄とか、山葡萄や蝦蔓といった在来野生種をあれやこれやと交配していたもので、現状では生食用はまずまずの物ができてきていた状況。
もっとも、葡萄酒用の品種(?)はもっと早く作っていたけど“改良の余地がまだまだある”と息巻いている。
葡萄酒(及びブランデー)に関しては将司も煩い事は言わなかった、というか推奨していた。
理由は葡萄酒醸造の副産物(?)のロッシェル塩。
葡萄酒を醸造すると醸造中に液体に浸っていた部分に褐色の膜っぽい固体が析出する。
これは葡萄に含まれる二価のカルボン酸の酒石酸が発酵で生じたアルコールに押されて溶けきれなくなって(植物体には比較的多く含まれる)カリウムなどと結合して析出したもので、葡萄酒の醸造に伴って析出するのでこの固体を酒石とも呼ぶ。偶にワイン瓶のコルクに析出している事もあるが、こちらは醸造槽のものとは違って透明な綺麗な結晶を生じていることもある。
この酒石を色々と化学処理をすると酒石酸カリウムナトリウムと呼ばれる物質を造ることができるのだが、この酒石酸カリウムナトリウムはフランスのラ・ロシェル地方の医師・薬剤師のピエール・セニエット氏が初めて合成したので、地名からロッシェル塩とも人名からセニエット塩とも呼ばれる。(もっとも、こっちも酒石と呼ぶことがあって面倒くさいのだが)
呼び名の面倒はともかくとして、このロッシェル塩の結晶は圧電素子にできる。
圧電素子というのは、圧電効果といって力を加えると電気を発し、電気を流すと振動するという性質がある物質の事。
この圧電効果を発見したのはマリー・キュリーの旦那のピエール・キュリーと彼の兄であるジャック・キュリーだったりする。
圧電素子は身近なところだと使い捨てライターや家庭用コンロの点火装置に使われている事もある。
圧電素子を叩いて生じる高電圧で火花を飛ばす奴で、カチッと音がして一回だけ火花が飛ぶタイプの点火装置が圧電素子を使った点火装置と思ってくれればよい。
それと、圧電素子は電気を流すと(物質ごとに異なるが)特有の周波数で振動するので水晶に電気を流してその振動で時間を測るクォーツ時計というものもあるし、音の振動を電気信号に変えるマイクや電気信号の入力を音に変えるスピーカーとしても使われることもある。
他にも圧力センサーとか、応答速度が速いので噴射ノズル(インクジェットプリンターのインク噴射や自動車のエンジンの燃料噴射)の制御などでも使われている例もある。
このように便利な圧電素子だけど、水晶は天然でも人工でも比較的高価なので現代ではチタン酸バリウムやジルコン酸バリウムのような強誘電性セラミックスがよく使われている。
ロッシェル塩は湿気に弱いとか色々あるので現代では圧電素子に使われる事はほぼ無いと思うが、第二次大戦当時に葡萄酒の醸造所から酒石を掻き集めて馬鹿でかいロッシェル塩の単結晶を作って潜水艦のソナーの感音部にするなんて話もあった。
現状の美浦で入手できる圧電素子は(天然の水晶を除けば)このロッシェル塩ぐらいなので将司が推奨している事もあり奈緒美は大手を振って葡萄系統の育種や葡萄酒の醸造(及び蒸留してブランデー造り)をしている。
閑話休題
降灰による森林への影響だが、降灰による被害がでやすい樹種としては松や杉といった針葉樹が挙げられる。
その針葉樹でも降灰一〇センチメートル程度までは特段の被害は確認できず、一五センチメートルあたりから被害が散見されるようになり、二〇センチメートルあたりから壊滅的な被害が発生しだす。
二〇センチメートル未満だと枯死率は二割五分以下だが、二五センチメートル以上になると六割以上が枯死し、十割が枯死した文字通りの全滅という例もある。
ここらは二〇センチメートル近い降灰があったので、特に何もしなかった(できなかった)樹木は下手すると半分程度が枯死すると思われる。
しかし、降灰中に降雨があるのと無いのとでは森林被害が桁違いに異なるので、降灰中に降雨がなかったのが不幸中の幸い。
降灰中に雨が降ると、水を含んでセメントミルク状になった火山灰が葉や枝や幹といった樹木全体の表面の全てを分厚く覆い尽くすように大量に付着するので、降灰が一センチメートルもあれば火山灰の重みで枝が折れたり幹ごと湾曲倒伏する事もあるし、そうなろうがなるまいがそのまま枯死することも多い。
つまり、降雨中の降灰は一センチメートルで、そうでない時の二五センチメートル以上の降灰に勝るとも劣らない致命的な被害を森林にもたらす。
仮に降灰中に雨が降っていたら、二〇センチメートル近い降灰があったこの近辺は間違いなく全滅だったと思うので、半分やられたとしてもまだマシと思うしかない。
◇
「ノリちゃん、ノリちゃん。棚田やけど、一枚でええから作付けできるよう特急でやってまいたいんやが」
「一枚だけ? 何か訳が?」
「ああ、匠ちゃんがな、籾遺の儀の神丹穂はできれば露地で頼むと。何でもシージューヨンが変わるとかゆうとった」
「成る程」
「はっはっはっ、やっぱノリちゃんはそれで分かるんや。うらはさっぱりやけど」
匠が言った炭素14というのは炭素の放射性同位体の事で、この放射性炭素が測定物の中の炭素の中にどれぐらいの割合で存在するかで光合成で取り込まれてからの経過年数を測定する放射性炭素年代測定というものがある。
この炭素14の大気中での割合はおおよそ一定ではあるが、あくまで“おおよそ”に過ぎず、色々な変動要因があって場所や季節や年によって(放射性炭素年代測定をする上では)結構変動している事実がある。
基本的には古いほど炭素14の割合は下がるのだが、木の年輪を一年分ごとに測定すると、ある年の年輪の部分がそれより新しい筈の外側の年輪の部分より炭素14の割合が高いという例もあり、このような年ごとに測定した際の特異値の出現パターンで年代較正をしたりしている。
木の年輪はかなり良質の試料なので、古い木造建築物に使われている木材が伐採された年をピンポイントで割り出せる事もあったりする。
このときに重要なのは『炭素固定された時点の大気中の炭素14の割合を反映している』という事で、例えばハウス栽培だと燃料を燃やした排気も使って室温を上げたりするのだが、(特に石炭などの化石燃料だとそれが顕著だが)燃料に含まれる炭素は基本的には燃やした時点よりも古い年代に炭素固定された炭素なので炭素14の存在割合はその時点の大気中の存在割合よりも低くなる傾向がある。
露地栽培だとハウス栽培と比べればそういう撹乱要因を受けにくくなるので、現在の大気中の炭素14の存在割合をより正確にとどめることが期待できる。
籾遺の儀は『豊穣を祈念して奉納する』というのが表向きの理由ではあるが、裏ではというか真の目的は『毎年の炭素14の存在割合を残す』というものなので、可能な限り正確に近い割合を残したいという考古学の学徒の性がでたのだろう。
超巨大噴火が大気中の炭素14の割合にどういった影響を及ぼすのか、将又影響はないのかというのは俺も気になるところではあるので賛成しようと思う。
「一枚だけだと不安なので、最上段の四枚ともやるのはどうでしょうか?」
「ええんか?」
「神丹穂の方が大丈夫ならですが、一枚も四枚も大して手間は変わりません」
「なら決まりや」
「取り掛かるのは三人衆に提案してからですけどね」
「堅苦しいな。やってもうたらええやん」
「そうはいきません。手順をちゃんと踏むことに意味があるんです」
自分が与り知らぬことの尻拭いをする羽目になった事がある人なら“事前に言ってくれれば……”と思ったことがある筈だ。
手順というのは手順を守らずに起きる被害と手順を守る面倒を秤にかけて守った方が利益になるから手順がある。
まあ、お世辞にも手順を守っているとは言えない輩が一杯いるのは知っているが、そいつらだって自分の領域だときっちり手順を守っている。




