第14話 鉄砲堰の準備
水道橋までの道路の除灰が一先ず目途が立ったので俺は里川沿いを北上して鉄砲堰に至るルートを開削する。
鉄砲堰が動かせないと里川に投棄した火山灰がヤバい事になる。
現・建設大臣の義秀は奥浜港へのルートを担当しているので義佐と鶴郎くんにはこちらを手伝ってもらう。
「ノーちゃん、ノーちゃん。里川の水量、少し多くね? 割と気兼ねなく火山灰、捨てられるのは良いけど」
「……そうか。たぶん、幾つかもしくは全部の溜池がオーバーフローしてるんだと思う」
里川に注ぐ支流の幾つかを堰き止めて谷池にして旭丘の用水に使っているのだが、これが結構な量を取水していて、平時の水量はその旭丘で使用する分だけ元々の里川の水量より少なくなっている。
物心ついたころにはこの状態になっていた(一部の年長者を除く)第二世代からすると入植当時の元々の里川の水量というのは普段より水量が多く感じるのだろう。
おそらく旭丘に至るどこかが火山灰で閉塞して、これまで旭丘に行っていた水も里川に流れ込んでいるんだと思う。
そうだとすると里川は谷池が無かったころの水量になっていることと整合がとれる。
「それってヤバくない?」
「ヤバいかもしれないが復旧の優先順位は鉄砲堰の次だから」
そうそうある事ではないが、洪水吐の吐水量より多い流入をもたらす豪雨が長時間継続すると溢れかえってしまって堤体越流といって水が堤を乗り越えて流れてしまう現象が起きてフィルダムである谷池が決壊してしまう事は考えられるのでずっと放置というわけにはいかないが、オーバーフローしていても直ぐに問題が生じるわけではない。
ダムや溜池などには設計水位以上にならないよう洪水吐というものがあって、規定の水位(多くは満水位)以上に水位が上がらないようにダムや溜池から水を吐き出すようになっているから満水位を超えることは滅多にない。
洗面台の側面に穴が開いているのはご存知だと思うが、その穴は実は洪水吐と同じ機能のもので、それ以上の水はその穴からでていって溢れないようになっている。
ダムや溜池の洪水吐と洗面台の洪水吐は、規模や構造は全く異なるが、水が溢れ出さないようにする機能としては同じだし、洪水吐から排水できる以上の水量が流入したら溢れてしまうのも同じ。
「校長先生、何か嫌な予感がするから急ごうよ」
「分かった。取り敢えず優先課題の鉄砲堰を特急でやっつけるぞ」
「了解」
◇
「スケさんは橋の上の火山灰を掃き落としておいてくれ。カクさんは点検・整備を手伝って」
「了解っす」
まあ、昨秋に建設した鉄砲堰なので大丈夫だとは思うが点検しておくに越したことはない。
鶴郎くんに点検を手伝わすのは技術継承も見据えての事。
伝承者が義秀だけというのは如何なものかという事もあり、建築がメインの鶴郎くんにも建設系の技術を伝授する。
そうは言っても、建築と建設は共通するものが結構あるので、ずぶの素人に一から教えるのとは全然違う。
例えが適切かはアレだが、自動二輪車に乗っている人に普通自動車の乗り方を教えるような感じ?
オートバイと普通自動車は運転方法も異なれば得手不得手など移動手段・運搬手段としての特性も異なるが、アクセルやブレーキといった基本中の基本の部分は操作方法が異なるだけで、どういう時にどういう操作をするかは基本的に同じだから話が早い。
鶴郎くんは同じ目的だけど別の手段を用いているところとか、建設は重視するけど建築は軽視しているとかその逆といった違いに色々感心している。
中々の優等生だ。匠は建築至上主義的な頑固さがあったけど柔軟に取り入れようとしているのは好感が持てる。
建設と建築は互いに密接に絡み合うものだから相手の事を知っているのと知らないのとでは仕事の幅や質が異なるからな。
「校長先生、見る限りでは大丈夫だと思う」
「サイレンの組み立て点検はしたのか?」
「サイレン? ……もしかしてサイレンも対象?」
「当然だろ?」
「フラッシュ放流」というのはある意味では河川土木用語での洪水(簡単に言えば川が増水する事を指していて、氾濫や浸水があるかどうかは関係ないというか、氾濫する危険があるようなばあいは『異常洪水』という)を起こす操作なので、豪雨時にダムが平時より多い水量を放流する「ただし書き操作(異常洪水時防災操作の一つ)」と同じく特例操作の一つである。
特例操作だけに限らないが、ダム操作で、流水の状況に著しい変化がおき、通常のままだと危害が発生しうると思われる際には、予め関係自治体や警察に通知するとともに、河川利用者などの一般に周知させるために必要な措置をとるよう河川法に定められている。
まあ、河川法が定めているかどうかはともかくとして、急増水させるのだから、放流の前にサイレンを吹鳴するなりして里川から退避してもらう必要がある。
こういったダム放流警報システムは現代日本だと立て看板、サイレンやスピーカーサイレン、注意灯(回転灯(ちなみに“パトライト”はパトライト社の商標)や電光掲示板など)、防災無線による放送、CCTV(クローズド・サーキット・テレビジョン:閉回路テレビシステム、要は監視カメラ網と思えば大過ない)による確認、警報車(広報車)による周知やパトロールなどに加えてメールやインターネットなど色々なものを駆使して安全を確保する努力をしている。
玄倉川水難事故の際にもダム職員は複数回に渡って利用者に退避を呼びかけている(この呼びかけで退避した人は遭難していない)のは、ダム放流警報システムが機能していたからに他ならない。
件の事故の際にはサイレンが聞こえなかったという主張など色々あるが、このサイレンやスピーカーサイレンの設定って結構面倒なんだ。
目的としては河川近辺に居る者に風雨が激しい状況でも聞こえるというのが大事ではあるが、じゃあ、確実に聞こえるように河川からある程度離れた安全な場所にある事業所や住居などの活動や生活に著しい支障をきたす大音量の爆音を響かせて構わないのかといえばそれは否となる。
つまり、そういう場所では(川に近づかないよう)聞こえはするが、活動や生活を妨害しない音量に収まるようにサイレン網の設置場所や向きや音量を色々と計算しないといけない。
ダムの放流はそれなりの頻度で行われるダムもあるので、地元住民の生活を脅かすような放流警報システムは組めない。
美浦では鉄砲堰からかなり下流にサイレンを設置して耳栓をした上で大音量で吹鳴するが、実はこれでも結構ギリギリだったりする。
サイレンの音って気象条件とか色々な要素はあるが実はあんまり届かない。
音圧は基本的には音源との距離の二乗に反比例して小さくなっていくが、出せる音の大きさには限度があるので、だいたい五〇〇から六〇〇メートルぐらいが実用範囲で、それより遠いと警報としての役割を果たすのは難しくなっていく。
「あれ? ん? うぁ!」
「知らないならちゃんと取扱説明書読もうな」
「取説は分からなくなったら読む物」
保守や維持の為もあって部品毎にバラしてある手回しサイレンの組み立てに悪戦苦闘(?)している鶴郎くんだが、実は取扱説明書には組み立て方法が図入りで書かれている。
取扱説明書を見る前に直感的にやってみて、それで駄目だったらヘルプや取扱説明書を見るというのは、分からなくもないし心当たりがある人も多いだろう。
しかし、これは自動車とかパソコンなどの使用方法が類似したものを使用していたことがあったり、掃除機や扇風機などの単機能のものだから通用するという面がある。
そして落とし穴もあって“そんな便利な使用方法があったなんて!”という機能を他者から指摘されるまで知ることがないという……
「あんね、家屋を建てるときに設計図や施工図を見るだろ? 機械は取説とか組立図とかを見ないと危ないぞ」
「はぁい……あっ、何だ、こっちを先に組んでから入れるのか。こうやってこうやって……よっしゃ、こんなの簡単簡単」
大変不安になる振る舞いだこと。
◇
「義秀から湛水許可がでた。止水板下せ」
「スケさん!」
「おう、行くぞ! 零、二、三、四」
「「一、二、三、四、二、二、三、四」」
声を掛け合ってハンドルを回して止水板を下ろして鉄砲堰の水門を閉鎖させる二人。
右岸側と左岸側で同調して下ろさないと(引き上げる時もそうなのだが)止水板が傾いて引っかかってしまうので同調して動かさないといけない。
実のところ、一箇所で操作すれば上げ下げできる構造の方が良いのは分かってはいるが、昨秋の津波被害の直後に突貫で造ったので“資源も使うし構造が複雑で製作に時間が掛かる物を造るより、息を合わせて動かせば済むんだから”と手っ取り早く造れて使用する資源も少なくて済む方式にしている。
「ノーちゃん、これ貯めるのにどれぐらいかかるんだっけ?」
「天候にもよるけど、晴天が続いてる状況なら最低五時間は貯めないと効果がでないし、満水にするには九時間ぐらいかかったかな? まあ、満水になったらゲート上の洪水吐から流れるからあまり気にしなくていいぞ」
「一美っちの潮位表だと今は干潮から満ちてくるころ。次の干潮時刻まで十時間近くあるから満水にできるか」
「放流するのは満潮時刻と干潮時刻の真ん中少し前あたりだから六、七時間後だな。十分効果がある水量を流せるとは思う」
「えっ? 干潮時刻じゃなかったっけ? ヒデは引き潮に合わせて放流っていってたけど」
「引き潮が一番強いのはいつ?」
「えっと……正弦波だと振幅がゼロの場所だから……はっはっはっ。把握」
鉄砲水が河口に到達する時刻を一番引き潮が強い時刻近辺にすることで可能な限り沖合に流すという手法を採っている。
津波堆積物の処理もそうしていたから津波堆積物も火山灰も似たような場所に沈降していくんじゃないかと思う。
その場所は何千年か後に海退して沖積平野になったら近辺に比べて分厚い津波堆積物とその上に分厚くアカホヤ火山灰が堆積した地層ができるかもしれないけど、そんな事に構ってはいられない。
「校長先生、六時間あるなら、水門も閉めたことだし、溜池の方を見ようよ」
「そうだな。スケさん、ヒデと義智、それと理久くんと嘉偉くんに連絡して」
「はーい」
■■■
少々足元が悪い状況ではあったが除灰よりも到達を優先してたどり着いた溜池なのだが、カクさんの嫌な予感の通り(?)結構危なかった。
溜池が決壊するという危険はなかったが、取水口が火山灰などで詰まりかけていた。
取水口が火山灰で閉塞してしまったらこれを取り除くのはかなり骨が折れるので、最悪だと溜池の運用を諦めることにもなりかねなかった。
「校長先生、これヤバくないっすか?」
「ヤバいな。いったん戻ろう。スケさんカクさんは、戻ったら義秀をはじめとした支援派遣隊の主だった者を集めてくれ」
「いいけど、何を?」
「派遣先の溜池もこうなってる可能性が高いからな。対応方法の実地訓練。俺は必要な道具を見繕っとく」
浚渫などして取水口を維持する方法と、場合によっては溜池の運用を諦める際の水抜きのやり方の伝授を実物でやろうと思う。
通常なら池の水を抜くには取水口を全開にすれば何とかなるし、何だったら流入を洪水吐に誘導してやるのを併用すれば流入が無くなる分だけ早く抜ける。
しかし、今回だと取水口から排水できないから工夫が必要になる。
こういったケースだと現代日本だとポンプを使って排水する事が多い。
たいていは動力ポンプを使って排水するが、動力確保などの理由で動力ポンプが使えなかったり使えても排水能力が不足する時には、排水元と排水先(排水先が排水元より低地にあるのが大前提)をホースで繋いでホースの中を水で満たせば排水されていくサイフォンの原理を使ったサイフォンポンプを利用する事もある。
身近なサイフォンポンプとしては石油(灯油)をポリタンクなどからストーブなどに移す石油ポンプ(JIS規格だと『石油燃焼機器用注油ポンプ』)がある。
サイフォンポンプは流速や流量の調整がほぼできないとか低所には運べても高所に運ぶことはできないなど様々な欠点もあるが、基本的には外部からの動力を必要としないし動力ポンプとは比べ物にならない軽さと低コストという利点もあるので、地滑りなどで河川が堰き止められる天然ダム(河道閉塞)の決壊防止などのために下流に水を送るポンプとして緊急避難的に使われる事も多い。
まあ、お分かりかとは思うが、現状では動力ポンプは様々な意味で難しいので、溜池を廃止するときの排水方法としてはサイフォンポンプを利用する方法を伝授する。
ごく小規模だったら(移送する液体にもよるが)特に気を付ける事はあまりないが、池の水を全部抜こうとかになると色々気を付けなければならない事や知らないと凄く苦労するテクニックがあるのだよ。
廃止して水を抜いた元溜池はどうするのかって?
そんなもん、火山灰の捨て場にするに決まってんじゃん。
オリノコの最初期の溜池である瓢池は最初期だけあって極小規模なのだが、それでも総貯水容量だと三,〇〇〇立米近く(有効貯水容量は二,〇〇〇立米程度)はあるから大型ダンプ三〇〇台分の火山灰が捨てられる。
大型ダンプ三〇〇台分の火山灰といっても、二〇センチメートル積もっているとしたら一.五ヘクタール(一町五反)程度の火山灰を捨てられるだけなんで結構しょぼいが、あると無いとでは違うんだよ。
他の溜池は瓢池とは比べ物にならない貯水容量を持たせているので、仮に滝野の龍神池を廃止して火山灰の捨て場にするなら滝野城(滝野の土塁に囲まれた内部:四町歩ほど)の五倍(二〇ヘクタール)以上の面積の火山灰を処理してもお釣りがくる。
処理できる量で言えば滝野城と同規模の200メートル四方の土塁を築いてその中に火山灰を捨てるなら、土塁の高さにもよるけど十倍(四〇ヘクタール)は堅いが、築くのに時間が掛かるので、最初期は溜池を潰して基幹部分と(火山灰を捨てるための)築堤場所の除灰をして追々埋めていくのが良いとは思う。




