第11話 天岩戸
「特に異臭もないし体調に変化はない」
「牛、山羊、鶏も無事。あっ、卵と牛乳は採取して来た」
「ただ、煙霧が酷くてLED点けても五メートルも見えない」
「火山灰に反射して明かりが届くところは真っ白で、他が真っ暗だから凄く怖いよ」
「水道は大丈夫。ちゃんと動いていたし、水質も大丈夫。念のために調べるけど簡易検査では問題なかった」
「積灰量は凡そ五センチだから一晩で四センチぐらい積もった事になるかな?」
外に出た者の報告に耳を傾ける面々。
「成る程、分かった。五人には悪いが明日以降も頼む」
「エイ・セ・ミターン」
「キートス」
“エイ・セ・ミターン”というのは“オッケー”とか“大丈夫!”といった感じのフィンランド語で、“ありがとう”という意味の“キートス”と並んで美浦圏でよく使われているフィンランド語での言い回し。
この辺りってさぁ……子供は面白がって使うから定着しちゃったんだよね。
そこに幼児教育担当の雪月花が全く絡んでなかったかというとアレだけど。
「火山灰のサンプル採ってきたか?」
「採ってきた。父さん、見る?」
「後で見させてもらう」
うん。匠が我慢できない事は分かっている。
「匠ちゃん棟梁、一晩で四センチ、今後を考えると合計で二〇センチ行きそうだけど大丈夫だよね」
「ああ、ここは湿潤状態で五〇センチでも耐えられる。乾燥状態なら一メーター積もっても大丈夫だ」
「家屋の方は?」
「そっちも二五センチぐらいまでなら湿潤状態でも何とかなる」
火山灰は水を含むと見掛け比重が増す。
乾燥状態だと二五センチメートル積もると平米二五〇から五〇〇キログラムぐらいの荷重だが、湿潤状態だと五〇〇から七五〇キログラムぐらいになってしまう。
もっとも、それぐらいの荷重だとよっぽど痛んだ建物とかカーポートや庇などの建物という分類にはならないものでもなければ建物自体は何とかなるのだが、問題は屋根で鉄筋コンクリート造ならあれだが、木造だと屋根が抜ける恐れがでてくる。
美浦の建築基準だと屋根の耐荷重は平米六〇〇キログラムという、とても屋根とは思えないぐらい頑丈に造っている。
これがどれぐらい頑丈かというと、通常の住宅の床(平米二〇〇キログラムぐらいのことが多い)より頑丈と言えば分かるだろうか。
更に重要建造物の建築基準に則ったリンナと瑞穂学園校舎の屋根の耐荷重は平米二トンと、一トンの荷物を載せたフォークリフトが走っても大丈夫なぐらい堅固に造っている。まあ、斜面なのでフォークリフトは走れないが。
このコストパフォーマンスを無視した異常なほど頑丈で、オーバースペックにも程があるだろう強度にしているのもこの時の為。
美浦近辺は、俺らが知っている史実(?)では鬼界アカホヤ火山灰が二〇センチメートル積もった境界線あたりに位置しているので、湿潤状態の火山灰が二五センチメートル積もっても“何とか耐えられる”を一般建築基準にしていて、重要建造物は“倍でも余裕で耐えられる”を基準としてきた。
恐らくはここまでの物はもう無いだろうから今後は建築基準を改めた方が良いとは思うが、それを判断するのは俺じゃない。
「それなら二〇センチだと降灰中の灰下しは不要と」
「そうだな。無理に下ろす必要はない。下せるようになったらとっとと下すのがいいけど」
「タクちゃん棟梁、ありがとう」
「降灰が落ち着いたらどうするかは追って知らせる」
「質問がなければ状況の共有を終わる……では、以上」
■■■
将司と雪月花と俺に三人衆から話があるとの事で物見部屋に出向く。
物見部屋の窓の外は漆黒の闇で室内の明かりが窓と火山灰に反射していて何も見えない。
話の内容は今後の方針について話がしたいという事だった。
三人衆から見ると、俺らは公的だと先代にあたるし、私的でも親や舅や姑にあたるので、普通に考えると凄くやり難い相手だと思うのだが、臆せずやってくるところは褒めて良いと思う。
先ずは降り積もった火山灰の美浦での処分方法。
融けて流れりゃ消える雪と違って火山灰は物理的に除去しないと如何にもならない。
基本方針は、旭丘の火山灰は排水路などを使って里川に運搬しておき、折を見て鉄砲堰で海に流し、美浦平の火山灰は義秀の築堤案に基づいて永原を南北に縦断する灰捨て場を築いて埋めるというもの。
旭丘では火山灰を排水路に流すというのは運び出す労力を少しでも減らすためで、美浦平でそうしないのは水路の勾配が緩やかで運搬力に欠けるため。
この基本方針が実施できる前提は当然ある。
先ずは留山のあちこちに建設してある溜池から必要量の水を導水する事なので、溜池の操作や水路の保全ができないといけない。
これが難しいと人力で里川まで運ばないといけない。
次に鉄砲堰の操作ができないと投棄した火山灰で里川が閉塞してしまう。
こっちはこれができないと海に流す事ができないので旭丘の火山灰も埋めるしかなくなる。
最後に美浦平の永原に築堤するのはモグちゃん号や蜘蛛の糸号といった重機が使えないと途轍もない労力を要する。
重機を稼働状態にするのと燃料を確保するのはもちろんあるが、重機が動けるように通路などの除灰がなされているのも必要になる。
幾ら踏破性に優れる多目的動力装置といえど、タイヤと地面の摩擦力によって動いているのは違いはないので、分厚い火山灰の上を動くのは難儀する。
これらの前提を満たした上で、屋根の灰下しや田畑、樹木、周辺地域の除灰などを行うことになる。
燃料は佐智恵と春馬くんの出番もあるだろうし、重機の再稼働作業には文昭が必須だし、土木関係は当然ながら東雲家が中心で進めないといけないのでその辺りの打診だった。
俺は指名については東雲家の惣領は義智なので東雲家の応否は義智が決めればよいとだけ。
次は美浦の除灰以外でやらないといけない事について。
種苗を維持したり最低限必要とする量を栽培する田畑の設置とかもあるが、大きい物としては他集落の除灰作業や食糧などの援助や場合によってはというか最悪の手段にはなるが滝野や美浦への避難の打診などがある。
美浦の完全復旧を待っていたら年単位の時間が掛かるので、他集落への復旧支援と美浦の復旧作業は平行作業になる。
いつからどの程度の復旧支援を始めるのかや誰が赴くのかといったあたりは色々な考えがあると思う。
復旧支援の開始時期は“可及的速やかに”で一致しているが、何をもって可及になるのかだが、三人衆は“旭丘の除灰に目途が立ったら”だった。
旭丘を全力で仮復旧させてから三チームの復旧隊を編成して順々に仮復旧させていく方が全集落の仮復旧完了までの期間が短くて済むと算盤を弾いていた。
それは不味い。将司も雪月花も顔を顰めている。
被災状況の確認をしてからでないと最適な復旧方法が示せないし、戦力の分散を嫌っての事なのは理解できるが、これは悪手と言わざるを得ない。
美浦が健在である事と見捨ててはいないというアピールはしておかないといけないから、降灰が落ち着いたら状況確認の人員を派遣する必要があるのは三人衆も分かっている。
三人衆は、最初の派遣はアピールと被災状況の確認で済ませて、持ち帰った被災状況をもとに復旧方法を策定してから臨むと考えているそうだ。
俺は派遣隊は情宣と被災状況の確認に加えて現地の復旧支援まで兼ね備える必要があると考えている。
美浦からの派遣隊に“何箇月後に復旧作業の支援に来るからそれまで大人しく待っていて”と言われても、一日二日の話ならともかく月単位も待つなんて無理。
自分達のライフラインの復旧を後回しにされて気分が良い訳がないし、必要に迫られて各々で復旧作業を開始する事になる。
それならば、最初っから派遣隊は復旧支援メンバーとして位置付けて、集落を巡回して復旧支援したり美浦や滝野との補給線を構築した方が良い。
ホムハル集落群の全集落が一段落するまでに要する期間は、戦力を集中して各個撃破する三人衆の案の方が短くすむとは思うが、月単位や場所によっては下手すると年単位で待たすというのは現実的でない。
いくら最終的には長期間になろうとも復旧作業をしていたのなら何箇月も引き籠っているよりは気も紛れるというものだし、復旧作業を公共事業と考えれば公共事業に従事して食糧を得るというのは何もせず施しを受けるよりも健全な話だと思う。
この辺りは全体利益の最大を求めるのに慣れてしまっている弊害だろうな。
基本的に美浦の住人は物分かりが良いので、全体利益の最大を説けばたいていの事には賛同してくれる。
その事で割を食う者もでるが、俺らは明らかな貧乏籤は自らが無補償で呑み込んできたから、余りにも聞き分けが無いと自分の株を下げる事になるので多少の条件闘争はあっても本格的にごねる者はいない。
そういう物分かりが良すぎる集団の指導者を引き継いだからか、全体の利益を最大化できる方策が正義という感じになっているようだ。
ちょっと考えればこれが最適解なのが分かるから誰も反対しないというのが通用するほど世の中は甘くはない。紆余曲折はあっても最適解がほとんど通る美浦が異常な集団だと自覚して欲しい。
それと、避難生活のストレスを甘く見過ぎ。
美浦は避難所であるリンナや瑞穂学園で年単位で暮らしても大丈夫なようにプライベートスペースの確保とか色々と工夫は凝らしている。
少なくとも開拓初期の出端屋敷での暮らしよりは快適な暮らしができるようにしているので、第一世代は“あの頃よりはマシ”と思ってくれるだろう。
だから三人衆には実感が湧かないのかもしれないが、他所が美浦と同じレベルの避難所を用意している訳が無いから普通は数日ならともかく月単位になると避難所生活に耐えられる人間はまずいない。
現代でもそんな長期間の避難所生活は耐えられないから避難している間に家屋の修理をしたり仮設住宅を建築して多少は普段の暮らしに近い生活ができるようにする。
自分達がした苦労は次世代にはして欲しくないんだけど、ちょっと美田を用意し過ぎたかな?
将司が苦言を呈すると“じゃあ、こっちの案の方が良いですかね?”と言って直ちに支援隊を派遣する案が開陳された。この野郎共……
――――――
後で義智が種明かし(?)してくれた話では、どちらにするか決めあぐねていたそうだ。
七三で直ぐに支援隊派遣が良いとは思ったが、手を広げ過ぎて虻蜂取らずにならないかが不安材料で、そうならないようにするには戦力を集中させるのが……と堂々巡りしていたとか。
例え虻蜂取らずになろうともやらないといけない事であり、考えるべきは“どうやって虻も蜂も取るか”や“虻と蜂の優先順位をどうするか”だと言われて覚悟がついたと。
――――――
最後の話題は、この後の暇つぶしについてだった。
今日は初日である意味では興奮状態だからアレだけど、暗闇が続きそうなので何か気を紛らわす手段が必要になる。
しかし、降灰以降の期間がそれなりにあったので思い付く気晴らしは一通りやってしまったと。
“それなら宴会でもすれば? 宴会が気になって太陽も顔を覗かせるかも”と言ったら、将司は“天岩戸かよ”って爆笑してくれたけど、残り四人はポカーンだった。
そうか、さすがの雪月花も日本神話までは手が回ってなかったか。
それと寓話的なものはともかくとして基本的に神話の類は授業ではやらなかったから第二世代は知らないか。
「父ちゃん、アマノイワトって何?」
「日本神話にそういう話があるんだ。天岩戸というのは……義教、後よろ」
「へいへい。太陽神である天照大御神が弟神にあたる……」
弟神の須佐之男命の行状に腹を据えかねた天照大御神が天岩戸に引き籠った。
太陽神が隠れたので昼夜の区別がつかないほどの暗闇に包まれ様々な禍が発生した。
困った八百万の神々は相談して色々やり、最終的には天岩戸の前で宴会を催して天宇受賣命が裸踊りをしたら八百万の神々は天地を震わせるほど笑った。
その笑い声を訝しんだ天照大御神が岩戸から顔を覗かせたところを岩戸の横に控えていた天手力男神が天照大御神を引っ張り出して光が戻った。
一般に『天岩戸』や『岩戸隠れ』などと呼ばれている神話の古事記における大雑把な粗筋はこんな感じ。微妙に異なる部分もあるが日本書紀も大筋はだいたい同じ。
ちなみに三種の神器とされている『八咫鏡(古事記の表記は“八尺鏡”)』と『八尺瓊勾玉』はこの話のときに作られている。
「昼も夜も区別が付かないってまさに今のこの状況だね」
「それで宴会か」
「だからイシは笑ったんだ」
天岩戸の岩戸隠れはアジアに広く伝わる射日神話・招日神話の類型の一つともされてもいる神話で、これらの射日神話(太陽が隠れてしまう)や招日神話(隠れていた太陽を呼び戻す)のモチーフとなったのは皆既日食だと思っていたが、今のこの状況の方が符合する。
皆既日食で太陽が月に完全に隠れている時間(皆既継続時間)の理論上の最長時間は七分三〇秒程度と言われているから、相談して色々試して宴会をするには短すぎる。
それなら今のこの状況の方が暗闇の継続時間といい、火山灰という禍も発生しいる事といい、状況に合致する。
それに須佐之男命は天照大御神が天岩戸に引き籠る前に田んぼの畔を壊して水路を埋めたりしているけど、これを南海トラフ巨大地震の津波の事とすれば……
「ノーちゃん、天岩戸は有名な話なの?」
「日本神話の中ではそれなりに有名な一節だから、一般常識とまでは言わないけど、それに近いかと」
「じゃあ春馬伯父さんも知ってるかな?」
「たぶん、知ってると思うけど」
「そっか」
義智は物心つくころには、自分の親相当(佐智恵・美結・俺)は一般とは異なると悟って、常識については義伯父の春馬くんを基準にしてるんだよなぁ……子供に常識を疑われる親って悲しい。
「じゃあ、色々手配して宴会しましょうか」
「これから準備を始めて……明後日の昼ぐらいからならできるかな?」
「だな。ノリちゃん先生、イシ。明後日ぐらいには落ち着くかな?」
「そんなもんだろう」
「じゃ、そういう事で」




