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文明の濫觴  作者: 烏木
第10章 百折不撓
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第9話 魔王顕現

昼食後に畜舎に導水する導水管の設置準備をしていたらサイレンの音が聞こえてきた。

この鳴っている秒数と回数からすると『(ただ)ちに集合せよ』だな。

(すみ)やかに』ではなく『直ちに』なので、緊急度は大で最優先で集まれという事。

日本の法解釈では、『直ちに』は“最優先で行え”で、『速やかに』は“猶予はあるが期限内には必ず行え”で、『遅滞なく』は“行わない合理的な理由がないかぎり期限内に行え(合理的な理由があれば行わなくてもよい)”という感じになっている。


急いでリンナに戻るが、火山灰を中に持ち込むわけにはいかないので勝手口から入ったところで待とうと思っていたのだが、理久(りく)くんが出迎えてくれた。


「先ほど超巨大噴火を観測しました。父さんが言うには強い空振がいつ来てもおかしくないと」

「観測できたのか」

「運が良かったです。偶々父さんが電源更新したタイミングで噴煙を確認したと」

「……目視で確認できるか?」

「ええ、何なら見ます? 物見部屋から目視できましたよ」

「そうだな、見てくるわ。ありがとう」


リンナには一部だけ塔状に突出させて全周が見える物見部屋を造っている。

その物見部屋から駄目元で鬼界カルデラの方向をビデオ撮影していたのだが、物凄い幸運に恵まれて超巨大噴火を確認できたという事。

物凄い幸運に恵まれてこれから物凄い不幸に見舞われる事が分かったというのも何だかなぁ……


そんな都合よく鬼界カルデラの方向が見えるのかというと、最初から留山の尾根に遮られずに鬼界カルデラの方向にも見通しが利くよう計算して建てたし、邪魔になる樹木がでないよう伐採やらもしているので、見える見えないで言えば見える。

ここらは無駄な配慮で終わってくれたら良かったのだが……


じゃあ、六〇〇キロメートル以上遠方という水平線を越えた遥か彼方の噴火が観測できるのかというと、通常の噴火なら無理だが超巨大噴火なら辛うじて観測できる可能性はあった。


鬼界カルデラの直径は二〇キロメートル程度あるのでカルデラの外周が割れ目噴火する超巨大噴火なら噴煙柱の直径は二〇キロメートルを超えるので六〇〇キロメートル先の二〇キロメートルを単純計算した視角度はだいたい一.九度ぐらいになる。

視角度が一.九度というのがどんな感じなのかというと、六〇センチメートル先の一円玉ぐらいの大きさと思ってくれればよく、それぐらいの大きさなら視力〇.一でも識別できる。

つまり、視界に入りさえすれば噴煙は見えるという事。


そうは言っても六〇〇キロメートル以上も彼方だと完全に水平線の向こう側なので余程高くまで噴煙が上がらないと見えない。

では、どれぐらい高く上がると見えるのかというと三〇キロメートルぐらいまで上がれば水平線から顔を覗かせる計算になる。


逆に言えば成層圏のど真ん中である高度三〇キロメートルまで上がらなければ見えないという事。

大規模噴火のプリニー式噴火でも大半が対流圏と成層圏の境界である一〇キロメートル程度までだし二〇キロメートルを超えるのも稀なので、特筆すべき超巨大噴火でもなければ見えないという事でもある。


成層圏と中間圏の境界付近にあたる五〇キロメートルもの高さまで上がる超巨大噴火だとこちらも水平線上から視角度一.九度ぐらいになるので、そうなったら水平線上に六〇センチメートル離れた場所に置いた一円玉ぐらいの高さで見える事になる。

それだけ上がったら噴煙は傘状に広がるから横幅は何倍もの大きさになって直径六〇〇キロメートルを超える大きさになっても不思議じゃないから、六〇センチメートル離れた場所に一円玉を十五個横に並べたような見掛けの噴煙が見えることになる。

実際には噴煙の傘はこちらにも迫ってくるわけだから、横幅はともかくとして高さはもっと大きく見える計算になる。


但し、これらは時間帯や気象条件が非常に良好だった場合の話であって、一〇〇キロメートル先でも見える時と見えない時だと見える時の方が珍しいなんて事は普通にある。

関東一円に富士山が見えることから富士見と付く地名も多いが、ビルとかを別にしても運が良ければ富士山が見えるというところも多い。


だから六〇〇キロメートル先の噴煙は、幾つもの好条件が重なっている瞬間に三〇キロメートルをゆうに超える噴煙を吹き出す超巨大噴火が起きない限り光学観測できない。


それでも物見部屋から光学観測していたのは二〇センチメートル級の降灰があるならその供給源たる噴煙が近づいてくるのを観測できる可能性が高かったからで、今回、噴火で生じるだろう空振が来る前に察知できたのは望外の事。


噴火で生じた空振が美浦に到達するのに約三十分かかるのだが、観測できる高度三〇キロメートル以上まで噴煙が上がるには二十分程度の時間は掛かるだろうから、恐らくはいつ空振がきてもおかしくないのだろう。



理久くんは俺以外にも外に出ていた者を待つとの事なので、大急ぎで灰落としをして物見部屋に向かったのだが、物見部屋には結構な数の見物人がいた。

見物人の隙間から覗くと水平線上にへばりつくような形状の噴煙が見えた。

暗色の噴煙をバックに雷光を発しているからか、大きさの割によく見える。


噴煙で発雷しているのだから火山雷だとは思う。

火山雷というのは火山が噴き上げる水蒸気や火山灰などの摩擦で生じる静電気が放電する現象の事で、その存在自体は古くから知られてはいたが観測体制が整ってきたのは近年の話。


しかし、火山雷ってあんなに頻繁に発雷し続けるものだったか?

いや、そもそも成層圏で雲放電(くもほうでん)があるのか?


見物していた将司に問うたが将司も火山雷だと思うがあんなのは見た事も聞いた事もないそうだ。

ただ、最初からずっと発雷していたようで、それがあったから気付いたと言っていた。


あと、合っている自信はないがとの前置きが付くが、仮説としては『海底火山の噴火でマグマに触れた海水から発生した水蒸気が噴煙に大量に含まれていて摩擦電気が多くなり、海底からの噴火が続いている間は摩擦電気が供給され続け、噴出速度の関係で正電荷と負電荷の分離が適度に進んで遠方まで飛ばされて、結果として延々と放電が起き続けている』というものが考えられるそうだ。


「ん? 空振が来るぞ!」


将司の言葉に窓を見ると(もや)っぽい物が高速で近付いてくるのが目に入った直後に頭上を戦闘機が低空で通過したときのようなバリバリバリという爆音が響き建物ごと揺れる。


予想はしていたけど六〇〇キロメートル以上離れているのに爆音を響かせながら建物を揺らす威力の空振がくるとは……


一三時(ヒトサン)四六分(ヨンロク)、空振を観測。物見部屋、観測機器に特段の支障は認めず」

「最初の噴火から三十分ぐらい経過したってところか」

「ああ、あと十五分から三十分ぐらいで今回の噴火は終わると思う。嘉威(かい)、空振はこれから一時間ぐらいはまたやってくる可能性はあるから注意な」

「はい」


陥没カルデラ形成に伴うウルトラプリニー式噴火の継続時間は一時間以内の事が多いから、三十分前に噴火したのならあと三十分ぐらいで終了する可能性が高い。


「ノリちゃん先生」

「何かあった?」


安藤家の娘の一美(かずみ)さんが、良くない物を見つけてしまったオーラを発しながら声を掛けてきた。


「潮位がおかしい」

「えっ? 津波にしては早すぎると思うけど」


津波の外洋での速度はジェット旅客機並みの時速八〇〇キロメートルぐらい出ることはあるが、流石に時速一,二二五キロメートル程度はある音速前後でやってくる空振とほぼ同時に到達するとは考えづらい。

直線で飛んでくる空振と陸地を迂回しながら、更に速度が落ちる水深の浅い瀬戸内海を通ってくる津波では当然ながら時間差があって、少なくとも一時間は余計にかかる筈。


「潮位が高い。里川も流れが変」


そう言われてそういう目で確認すると……潮位は分からないが、里川の流れが満ち潮のときのような動きになっている。


「一美さん、今の時刻だと」

「引き潮」


鋭い観察眼と口数の少なさはお母さん譲りだな。

いや、まぁ姿形もかなり似てるんだけどね。


「確かに異常潮位だな。将司、異常潮位を確認」

「あぁ? 異常潮位だぁ? 早過ぎないか?」

「俺もそう思うが、現実に異常潮位が発生している」

「……分かった。記録しておく」


理論と現実が一致しないときは理論の変更が必要というのが自然科学の立場。


鬼界カルデラの陥没や噴火に伴う海面変動が伝播していくモデルでは説明できない現象だから、例えば遠隔地地震とかの美浦で検知できない何らかの原因で発生した津波が偶々到達したか、俺らの知らないメカニズムで生じた異常潮位になるだろう。


その後、干潮時刻だったのと波高がそれ程でもなかったことから特段の被害は無かったが、カルデラ生成に伴うと思われる津波も観測した。

ただ、空振到達時の異常潮位の原因は謎のまま。


■■■


明日には本格的な降灰が始まると思われるので、降灰対策ができるのは今日の日没までと思っていた方がいい。

建物や船舶をはじめとした諸々の降灰対策は既に終えているが念のために手分けして最終点検するのが中心だが、畜舎への導水管の敷設は終わっていないので俺はそちらを担当する。


割った竹の節を叩き抜いて元に戻して括っただけのやっつけ感溢れる簡易竹管を繋いで給水タンクから畜舎行きの水路を結ぶ。

竹菅を支えるのも竹を使った流し素麺の絵面にあるような竹棒を縄で括った三脚でこちらもやっつけ感満載。

試験導水をしたら少々水漏れも起きていたが水路に十分な水量が吐出していたからもうこれで良しとする。


こういった時間との勝負だと巧遅は拙速に如かずで間に合うことが最優先。

目的とする機能を最低限満たしてさえいれば効率やら見栄えやらは如何でもよい。

効率とか耐久性とか見栄えに拘って間に合わないというのが最悪。


『巧遅は拙速に如かず』はよく孫子と言われるが、実は出典は『文章軌範』という科挙受験のための参考書である。

制限時間がある試験では一問一問に言葉を尽くした長文を書き連ねるよりも簡潔にまとめた短文で答える方がよいということ。

単に早ければ良いという事ではなく、及第する水準であれば早い方が良く、満点を目指して時間切れになるのはいただけないという意味に捉えた方が良い。


これはこれで正しくて、期限を気にせず百点満点の仕上がりになるよう作るのは趣味人や芸術家であって実業のプロではない。

百点満点ではなくても及第点に達したレベルの物を期限内に作り上げる者が実業のプロというもの。


それと孫子は拙速が良いとは言っていない。

確かに孫子の作戦篇に『故兵聞拙速、未睹巧之久也(故に兵は拙速なるを聞くも、未だ巧の久しきを()ざるなり)』とあるが、これは『拙速は聞いた事はあるが、巧遅は見たことが無い』という事であって拙速が良いとは一言も言っていない。


孫子の重要なテーマの一つである『戦争は国を疲弊させるものだから戦争をするならできるだけ短期間に終わらせる事が肝要』という事と合わせて考えれば『巧妙な作戦というのは早々に勝利条件を満たして短期間で戦争を終わらせる作戦』であって『ダラダラと戦争を続ける巧妙な作戦というものは存在しない』と孫子は言っている。

ただ、作戦自体は稚拙でも結果として短期間で戦争が終わる事もあるので『拙速は聞いたことがある』と言っているにすぎない。


短期間で戦争を終わらせるのが肝要という事と合わせると、最善は『巧速』で次善が『拙速』、そしてよくある悪い例が『拙遅』で『巧遅』という物は存在しないという事になる。

ある意味では『作戦の巧拙に関わらず短期間で戦争を終わらせられれば長期戦になるより良い』と孫子は言っている。


閑話休題


日没にはまだ早い時間だが作業中から明るさがどんどん落ちてきた。

傾いた太陽が噴煙に隠れたのだろう。

空を見上げると南西方面から黒い雲が広がってくるのが見える。


災厄がにじり寄ってくるさまを目にするのはとても気分が悪い。


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[一言] 観るだけなら凄い楽しめるんだろうなぁ……
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