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文明の濫觴  作者: 烏木
第10章 百折不撓
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第8話 降灰対策(2)

遠くでブロワーの音がしている。

灰囲いをする前に樹木に積もった火山灰にブロワーで風を送って吹き飛ばしている。

最終的には高圧噴霧器(自動車の洗車などに使う高圧洗浄機みたいな奴)で洗い流すのだが、灰囲いをしても多少は隙間から入ってくるから高圧噴霧器で洗い流すのは降灰が落ち着いてからの話。

現段階だと今積もっている火山灰を吹き飛ばして囲うことで火山灰の重さで樹木がやられない事の方を優先している。

まあ、そっちは匠や鶴郎くん達に任せている。


降灰対策をしているのは他にもいて、農地の方は秋川春馬くんの息子――美結の甥にあたる――の隆史(たかし)くんが中心になり補佐に親父殿と榊原家と文昭や奈緒美がついて進めている。

しかし、農地は広大なので全部を守るのはどだい無理な話なので温室の保護とほんの一部の田畑に覆いを被せる程度しかできない。


主食の米は一応は十年程度は持つとは思うが、米だけで生きていける訳ではない。

米と大豆があれば三大栄養素である炭水化物、タンパク質、脂質の多くはカバーできるが、ビタミンやミネラルとか食物繊維などは不足する可能性はある。

ビタミンは豆もやしである程度はカバーできるとは思うけど、新鮮な野菜というのは重要な地位を占めるし、飼料も備蓄分だけだと色々あるかもしれないから、ある程度は早期に栽培を再開したいという事で除灰作業をしやすいように細工をしているといったところ。


栄養という面でいえば家畜家禽も重要なのは間違いないので、俺らも犬小屋や牛舎や山羊舎や鶏舎といった畜舎の火山灰対策をしている。

火山灰をバカスカ吸い込んだらヤバイのは家畜家禽も同じだから隙間の目張りとかエアフィルターの設置とか色々やらないといけない。


「みゆちー、みゆちー」

「はいはい。どうしたの?」

「とっ、届かない」

「……踏み台、取ってくるから待ってなさい」

「はーい」


娘の朱美(あけみ)は小柄なので、何かの作業で手が届かない場所があって母親(美結)を呼んだようだ。

手が届かないなら美結が作業を替わればそれで済むとは思うのだが、それをやると壮絶に拗ねる。

もう直ぐお嫁に行くにもかかわらず、お前はイヤイヤ期真っ只中の三歳児かというぐらい拗ねまくって不貞腐れる。

……婿殿、すまぬ。俺には朱美のあれを矯正するのは無理だった。

美結も娘のそういうところは分かっているから作業を替わるのではなく踏み台を持ってくるという対処をしている。


「みゆち、朱美(アミちゃん)、ちょっと気になる事があるからここは頼む」

「何かあった?」

「水に火山灰が混じっている。水路を点検してくる」

「はーい」


畜舎の給水路に火山灰が混じった水が流れていた。

急いで点検に向かうと沈砂槽に火山灰が二〇センチメートル以上溜まっていて機能不全を起こしていた。

家畜家禽の飲料水は溜池から開渠で導水しているので、あちらこちらから水路内に入り込んだ火山灰が流されてきて溜まってしまったのだろう。


慌てて沈砂槽を浚渫したけど水路にも火山灰が堆積していて浚渫する端から流れ込んでくるので結構時間が掛かった。


三日ぐらいで降灰量の二十倍以上の量が沈砂槽に溜まってしまったということは第二段階がくると……沈砂槽は直ぐに埋まるし浚渫しても浚渫しても直ぐに埋まってしまうのはほぼ確実。

というか、沈砂槽云々よりもそもそも水路が火山灰で閉塞してしまうのではないかと思う。


それに暫くは降雨の度に水路に火山灰が流れ込んで沈砂槽や水路が頻繁に閉塞してしまう可能性は高い。

沈砂槽が埋まったり水路が閉塞すると畜舎まで水を持って運ぶか水道を引かないと家畜家禽に給水できなくなる。


破局噴火時の畜舎の火山灰対策や飼料の備蓄は考えていたんだけど、給水は見落としていた。


防災計画では、大量降灰があると上水道の沈砂池が火山灰で埋まるとか緩速濾過池が目詰まりしてしまうとか、火山灰に付着していたフッ化水素や塩化水素や硫黄酸化物といった火山性ガスが水に溶けて水質が悪化する(日常的に火山灰対策が必要な鹿児島県の浄水場には他の浄水場にはほとんど設置されていないフッ素計測器が設置されていて、フッ素が基準値を超えそうになると運転を停止している)ので上水道が停止する事も想定されていた。


だから沈砂槽の埋没は予測出来て当然だった筈なのに抜け落ちていた。

人間の飲料水は基本的に横井戸の水を水撃ポンプで貯水槽まで送って、そこで消毒してから水道管で使用場所まで送っており、外気に開放されている箇所がほぼ無いので天候や降灰の影響は皆無といっていい。

だから給水関係の対策を失念していて何もやってなかったのは完全に俺の落ち度だな。


家畜家禽だけじゃなく、産業用水もそうなのだからこれはやばい。

下手すると旭丘の棚田に火山灰混じりの水を引水してしまう事にも成りかねない。

これは何らかの対策が必要だ。

農業や工業で使用する産業用水は再開時までに何とかすればいいが、畜舎への給水の確保は待ったなし。

家畜家禽も水が飲めないと命の危機に陥る。


……沈砂槽の先に人間用の上水道から分配した水を流せる配管をする。

そうしたら最悪でも沈砂槽から畜舎までの水路を浚渫すれば給水はできる筈。

どうだろう?


あっ! 他の集落でこれと同じ事が起きないか?

それも何とかしないとだな。


■■■


一仕事終えて(火山灰除去の)風呂から上がって談話室に向かうと三味線の音色が聞こえてきた。


降灰以降は外にでるには防護しないと色々リスクがあるので、美浦の全員が避難所であるリンナと瑞穂学園に寝泊まりしている。

衣食住は大丈夫でも大人数が集まるとそれ自体がストレスになるし、外に出る必要が無い限り避難所に籠りっきりになっている。

何らかの気晴らしが無いと精神が持たないので有栖が演奏会を開いたのだろう。


聞こえてくるこのメロディーは……『物換星移(ぶっかんせいい)』だな。

『物換星移』は、留山から見た美浦の風景が移り変わっていく様子からのタイトルで、開拓初期から現在までの美浦の歴史を歌っている美浦での定番曲の一つ。


美浦の始まりから()()までを歌っているので、これまでも何回か大きな出来事がある度に歌詞が追加されていて、当初の二倍ぐらいの長さになっている。

津波被害は歌詞の推敲中でまだ足されていないが、今回の降灰の顛末と併せて盛り込まれる事になると思う。


物換星移というのは“世の中は移り変わっていく”という意味の四字熟語で、唐代の詩人で初唐の四傑の一人に挙げられる(おう)(ぼつ)の絶唱(最高傑作)と目される七言古詩に由来する。

四字熟語と言ってもかなりマイナーな言葉だし、そこはかとなく厨二臭もするタイトルだけど、当時八年生(日本だと中学二年生)だった史朗くんが物事が移り変わっていく事を表す格好いい言葉を探していて、古典の客員講師の長岡氏から紹介された幾つかの言葉の中から“これが恰好いい!”と選んだ。


だから厨二っぽくても仕方が無い。

ちなみに現在は三十代になっている史朗くん曰く“若気の至り・黒歴史”だそうだ。


しかし『物換星移』は叙事詩的な側面を持っているので、後世まで伝わったら神話や歴史の一部になるかもしれない。

そうなったら史朗くんの黒歴史タイトルが瑞穂の神話や歴史、場合によっては世界の神話や歴史の一つになるのか。感慨深い。



談話室に入るのは演奏中の曲が終わってからと待っていたら宣幸シェフに捕まった。

演奏中に席を立つとか演奏室に入るといった行為は雑音を発したり注意がそれるなど、演奏者や観客に対して失礼に当たるので途中で出入りするときは演奏の切れ目など支障がないときに行う。


宣幸シェフの話というのは降灰が食糧や食料へ及ぼす影響について短期から長期に渡ってどんなものがあるかとその対策を想定したので、抜けが無いか聞いて欲しいとの事。


一通り説明を受けたけど、短期的には全く採れなくなると想定し、備蓄をどう回すかという計画になっている。

計画の対象は美浦だけでなく川俣やホムハル集落群まで含まれているし、人間だけでなく維持できる家畜家禽についても考慮されていて非の打ち所がない。

果樹や田畑の降灰対策は進めているが上手くいったら僥倖として上手くいかなかった前提で組み立てているのも好感が持てる。


資源回復の目論見としては外洋漁業が最初で、次に内海漁業、沿岸、河川の順になっていて、これも妥当な線。

逃げ場がなくて他からの火山灰の移入が継続しやすい河川の被害は長期に渡る事が予想されるし、河口域も似たような条件になる。


「特におかしなところはない」

「それで相談なんだけど、里川の鉄砲堰を定期的に動かして里川河口の火山灰を洗い流して回復を急ぎたいんだけど……どうかな?」

「可能不可能でいえば可能。もっとも、鮎や鱒や鰻が遡上しにくくなるとは思うけど」

「鮎やら何やらが遡上しても川の環境が整ってなければ意味ないからそこは必要経費と考えて、海藻類と貝類の保全のため汽水域や河口付近の環境整備を優先した方が良いかと」

「そうだな、十分検討に値する。それと海老も危ないしな」

「海老?」

「そう、海老。貝類と海老類は降灰で明確に減少するのが観測されている。あと、平目や鰈といった底生生物も。だから誰かさんの好物のクルマエビは結構危ない気がする」


影響=被害状況となると、どうしても海産物の価値で測る事になるので、実際は多くの種が影響を受けるのだろうが海産物としての価値が物凄く低いと計測しても大した額にならないから影響の程度はよく分からないというのが正直なところ。


当然だけど降灰海域に棲む全ての生物は影響を受けるし、中には斃死(へいし)してしまう個体もそれなりにでるだろうが、降灰していない海域に逃げる事ができたら影響を脱する可能性は高く、そういった運動性が高く生息域が局限されていない魚介類は安全海域に逃げられる事が多いのか、降灰海域では短期的に漁獲量が減る事はあっても中長期に渡って漁獲量が有意に下がる事は少ない。


しかし、固着しているとか動けるスピードや運動量が高が知れているとか、棲息できる環境が限られているなどの逃げようがない生物は、降灰によって大きな影響を受けると想像できると思う。


天然物なら珊瑚、海藻類、貝類とかはその条件に当てはまりやすい。

逃げ場がないというのは養殖場もそうなので、降灰が養殖に及ぼす影響は甚大で、養殖中の稚魚や幼魚が全滅という例も枚挙に暇がない。


また、海に降ったり陸から流れ込んできた火山灰は基本的には海底に堆積するので底生生物が受ける影響も決して小さくはないのも想像しやすいと思う。


重要な水産資源の中で有意な割合で天然の生息数や漁獲量が減少するのが観測されている種の多くが貝類と海老類だったりする。


貝類はまだ想像もしやすいのだが何故か海老類も大きな被害を受ける。

海老は養殖が多いというのもあるだろうが、降灰後に天然の海老の棲息数が激減して不漁になるのは何度も観測されている。

クルマエビなどが顕著だが海老の中には生活環の中で干潟が重要な役目を果たす事があって、そういった種類の海老は大きな影響(=被害)を受けるという感じかな?


「クルマエビが危ないとなると何とかしないとね。鉄砲堰で里川河口の環境整備をする事について、ノリちゃんはどう思う?」

「賛同する」


一安心した顔を見せる宣幸シェフ。

これは、俺からお墨付きを貰うのが目的だったのかな?


「でね、もう一つ気になっているのが野生動物。森林にも被害はでるだろうし、草とかはかなり厳しい状況になるんじゃないかと」

「そうだな」

「そしたら餌が激減した野生動物が人間が除灰して回復させた場所に殺到する危険が」

「十分考えられる」

「どうしたらいいかなぁ……」

義智(トモ)に振ったら?」

「それじゃあ芸がない。単純に考えれば冊や濠で守るとか、犬のパトロール隊を定期的に巡回させるといったあたりだろうけど、鳥には意味がないだろうし、そもそも野生動物も必死なんだからそれで守れるかと言われたら難しいと思う」

「だな。被害ゼロというのは虫が良すぎる。だから厳重に守るところを定めてそこはしっかり対策するが、それ以外のところは“権兵衛が種まきゃカラスがほじくる”じゃないけど、やられたら補植を繰り返すのも已む無しと腹を括る」


『権兵衛が種まきゃカラスがほじくる』というのは“実らない努力”とか“無駄なこと”といった意味に使われるが、元になった民話の『種まき権兵衛』だと“蒔いた種をカラスに食われたらまた種を蒔き、カラスが食う以上の種を蒔いたらちゃんと収穫できる。短期的には無駄が多いように見えても愚直に続ければ実を結ぶ”という風にも読める。

何せ権兵衛は後々村一番の農家になったのだから。


「二兎を追う者は一兎をも得ずにならないよう狙う兎を定めるのか。言わんとする事は分かるけど、厳重に守る物が何かを選定をするのが難しい。調味料関係は一個一個はそれ程の量にはならないだろうから守りたいけど、副菜原料とどっちが大事かとかは判断しかねる」

「そういう責任重大な事は責任者に振ればいい。先ずは他との整合とかは考えずに、今使っている調味料を列挙して、一つ一つに今まで通りに使い続けるには何がどれだけいるか、節約しながら使う場合はどうか、使用を停止するけど復旧した時に直ぐに再開できるよう維持するにはどうするか、維持できないと再開が不可能になる調味料は何かなどを具申して、後の判断は責任者に任せる」

「……例えばコリアンダー・クミン・ターメリック・チリペッパーが維持できないとカレー粉が終わるとか? まあ、チリペッパーは他で代用できるかもしれないけど」

「そう。他にも竹糖が無いと砂糖が無くなって砂糖を使っている諸々がアウトとかもそうだな」

「けど、種があれば保存が利くとか色々ありそうで……そこらはよく分からない」

「じゃあ、次は原料を列挙してそれぞれの専門家に聞けばいい。植物関係は奈緒美にきくのが手っ取り早い」

「……分かった。やってみる。ありがとう」

「どういたしまして」


自分の手を動かさなくても良くなっているのはきっと良い事なんだと思う。


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― 新着の感想 ―
[気になる点]  ………村のご隠居さん………にはまだ若いけど若年寄? [一言] 専門家の専門家
[一言] 開拓初期の転移組に、主人公達大学生チームが居なかったら、この噴火で転移組が全滅していた可能性が高そうだよね。
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