第10話 煉瓦と鉄と木精と
蝋石を入手したと言っても直ぐに耐火煉瓦ができる訳ではない。
蝋石を粉砕して煉瓦に成形しないといけないし、焼成には千何百度という高温が必要なのでその為の仕掛けも必要になる。
具体的には窯炉と燃料と高温にする仕掛けと蝋石を粉砕する手段の効率化などだ。
窯炉については蝋石を整形して作成してみた。蝋石のモース硬度は一.五なので削って整形するのは難しくない。次のステップでは焼成した耐火煉瓦で耐火煉瓦を量産する為の窯炉を作成するが、それに使用する耐火煉瓦の数は数千個に及ぶ。
窯炉を一回一回使い捨てにしていたらいつまで掛かるか分からないので、耐火煉瓦の原料である蝋石を直接使った仮の窯炉を作り、耐火煉瓦製の本物の窯炉が完成したら仮窯炉は壊して耐火煉瓦の原料として使用する予定である。
その分、運ぶ蝋石の量が半端なく増えるが仕方が無い。
燃料は薪を使うが、木材は家屋や道具や橋などで色々と消費したので初期に伐採した備蓄が心許無くなってきている。
今後鍛冶をするなら炭も必要になるので、今回の件を含めて森林資源をどう使っていくかが課題になってくる。食料、原料、燃料の供給源である森林を枯渇させないように計画的に利用しなければ破綻する。
森林の無い文明は衰退するという説もあるしね。インダス文明やメソポタミア文明の衰退要因の一つとして煉瓦の為に森林破壊が進んだという仮説がある位だし……もっとも気候変動とか灌漑による塩害とかの方が可能性が高いとは思うけど。
そういう訳で、恵森の利用については十個に区画を切って一年の伐採数は区画内の二割までという事にする。また萌芽更新が期待しやすい樹種や生長の早い樹種の植林も併せて行う事で継続利用が可能な状態を維持する。ドングリが実るブナ科の樹木は萌芽更新しやすいのでその点は都合が良い。
ガソリンがもう枯渇するのでエンジンチェーンソーを使った伐採は不可能になっている。エンジンチェーンソーさん今までありがとう。きっちり整備して保管箱に納めてガソリンが入手できるその日までゆっくりお休みいただく事にした。多分来ないだろうけど……
なので伐採は斧とノコギリを使って人力で頑張る。
しかし、実は伐採用の斧やノコギリは持っていない。伐採はエンジンチェーンソーで十分だったので他の道具は要らなかったのだ。
持っている斧やノコギリは基本的には木材加工用の物なので、伐採時に使い易いかと言われると答えは否だ。そこら辺りは匠と佐智恵が密談しているので成果を期待している。とは言え石斧なんかよりはよっぽど早い。一~二時間掛ければ伐倒できるし、最終手段として(ソーラーパネルの発電量からすると余り使いたくないけど)電動チェーンソーもある。
水上げしている木だから今切ると色々あるけど止むを得ない。
高温にするには空気を送り込んで反応速度(燃焼速度)を上げると思っていたんだけど、それは鍛冶の場合で、窯業の場合は自然吸気が普通で窯の形状や煙突の高さ、薪の種類やくべ方、吸気口の大きさなどで調整して高温や雰囲気を実現しているそうだ。その辺りの調整が醍醐味で狙った通りに焼き上がると天に昇るような気分になれると剛史さんが熱弁している。
言われてみれば空気を送り込んだら全部酸化焼成になってしまい、還元焼成ができない。電気窯やガス窯だと酸化や還元の雰囲気も比較的簡単に制御できるが薪窯だと色々奥が深いらしい。
あの人もゾーンに入ると他が目に入らないタイプだったんですね。子煩悩なお父さんと思っていましたけど、匠や佐智恵の同類でした。
最後に粉砕する手段については現状では地道にヤスリで削るか金鎚で叩き割ってある程度まで粉砕したら石臼で挽いて粉にするぐらいしか手が無い。
将来的にはボールミルとかで楽をしたいが、ドラムとボールと動力が無い。
ボールがなくても自生粉砕ミルならできるけどそれでもドラムと動力は必要だ。
そのドラムにしても鋼鉄製だと粉砕物に負けてしまうので一般的にはアルミナとか珪石などの硬度が高い物質かゴムのような保護材を内張りに使っているのでそれらが無ければ直ぐに使い物にならなくなってしまう。
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ファーストロットの耐火煉瓦は佐智恵に納品された。
耐火煉瓦焼成窯じゃなく佐智恵なのは製鉄の為だ。
鉄を作ると聞いて奈菜さんがちょっと納得いかない顔をしている。
「こういう時の定番は青銅器なんじゃないの?いきなり鉄器って何なのよぉ」
「銅の剣より先に鉄の剣……いや鋼鉄の剣が手に入るのはおかしい」
政信さんもか……でもその例えはどうなんだろう。
「銅は高価な金属で鉄の十倍以上の値段がするのに鉄の剣の方が高いのがそもそもおかしい。鉄は銅と違ってどこにでもあるから鉄を作れる技術があればあっという間に鉄の方が安くなる」
佐智恵さん。論点というか何かがズレていますよ。ゲームの設定次第では銅が遍在していて鉄が希少って事もあるから。そこらは突っ込まないのがお約束。
「でも技術史からすれば青銅器の方が先でしょ?石器時代、青銅器時代、鉄器時代って来てるし、文明ゲームだって青銅器を開発しないと鉄器の開発はできないじゃない。青銅器なしの文明ってどうなのよ」
「鉄は錆びて無くなるから出土できる古さに限界がある。だから蓋然性はともかくとして青銅器より先に鉄器が使われていたという仮説はある」
与太話の範疇だからアレだけど、双方共に言わんとしている事は分かる。
青銅で金属加工と高温の技術を磨いてから鉄というのが定説ではある。しかし、自然銅はあっても自然鉄は基本的に無いから技術の蓄積とかは関係なく青銅が先に生まれたとも考えられる。逆に言えば精錬技術さえあれば鉄の方が青銅よりずっと得易いから鉄の方が先であっても不思議ではない。砂鉄の上で焚き火とか土器作りをしていて還元された鉄を見つけたとかは有り得る範囲だと思う。
そもそも何たら時代をなぞるなら俺らは石器を使って……あっ石鏃(石製のやじり)作ったわ。石鏃は誰がどう見ても石器です。本当にありがとうございました。……石器時代はクリアしていました。
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ファーストロット程度の数の耐火煉瓦で製鉄ができるかと問われれば、答えは「Yes」だ。耐火煉瓦が三十丁程度あればたたら炉を組み立てられる。
たたら炉を「作る」ではなく「組み立てる」と言ったのは間違いではない。
川相式たたら製鉄といって耐火煉瓦を縦に二丁、横に一丁といった感じの長方形に組んで三段積みにして隙間を粘土で塞いだだけの簡単な構造のたたら炉がある。
「たたら製鉄」と言うとたいていの人が思い浮かべるのが「日刀保たたら」だと思うが、これは江戸時代中期に確立した近世のたたら製鉄を再現したものだ。
近世のたたら製鉄は、ケラ押し三昼夜(三日押し)とかズク押し四昼夜(四日押し)とかの時間を掛けて十二トン以上の砂鉄から二~三トン程度の鉄を得る。
「日刀保たたら」だとケラ押しの一代(三日押し)で玉鋼が一トン以下とズク(銑鉄)が二トン程度採れる。
対して、この川相式たたら製鉄は一回の操業時間が一時間半から二時間程度と短時間で、三~四キログラムの砂鉄から三分の一程度の重量(一.〇~一.三キログラム)の玉鋼を得ることができる。「日刀保たたら」と比較して大変こぢんまりとしたもので、短時間、少量、高品質の玉鋼が得られる製鉄方法である。
川相勝氏が鎌倉時代の名刀の再現を目指して三十年以上研究を重ねて辿り着いた製鉄方法だそうで、一回の操業で一振りの日本刀が作刀できるらしい。
ポータブルと言っても良いぐらい小規模なので出張操業もできる。
炉を「作る」のではなく「組み立てる」のだから部品を運べば実演できる。
大学祭で佐智恵が付属小学校の児童と保護者を対象に実施した「たたら体験」は参加者や学校関係者から高い評価を得ていた。
もっとも試験操業で作った玉鋼で日本刀の作刀をデモンストレーションしたのはいただけない。参加者は喜んでいたけど、銃刀法に抵触しかねない。幸いにもまだ日本刀にはなっていないグレーゾーンの物だったのと、学術、教育目的という建前も付けられたので雪月花と俺が教育委員会と警察に色々掛け合い、何とかお咎め無しにできた。もし罪に問われたら狩猟免許が剥奪されかねない、というかまず取り消しになるので、作刀を知った時は肝が冷えた。
参加者の話を聞いた学校関係者の要望で付属の小中高で出張授業をする羽目になったのだが、その時はちゃんと刀匠資格を持っている人に来ていただいて完全に合法にした。玉鋼の出来の良さに驚いた刀匠が譲ってくれというので協力への感謝という事で全量譲ったら佐智恵に物凄い形相で睨まれた。
まぁこの川相式たたら製鉄も難点はある。
量産性に欠けるってのもあるが、最大の難点は炭を選ぶという事だ。
比重の小さい炭でないと上手くケラが取れないので、最適なのは超高価な松炭という贅沢な製鉄方法なのだ。栗、柿、クヌギ辺りなら何とか代用可能だが、ホームセンターなどで売っている安価なバーベキュー用の炭とかだと上手くいかない。
松は海岸に防風林として増やさないといけないし、栗も柿も果実を期待しているのでまだ伐倒していない。クヌギを木炭にして頑張る。
「将来は山小屋で炭焼きしてすごしたい」と言っていたらしい榊原くんが炭焼き職人と化している。ある意味本望なのかも知れないけど絶対憬れていた生活とは違うだろう。伐採や枝打ちのやり方をレクチャーしたらモノにした様なので頑張ってもらおう。
必要量のクヌギ炭が出来上がると佐智恵が活き活きと砂鉄や炭の細工をして製鉄を開始した。火勢や還元帯を送風量で調節しながら砂鉄と粉炭をデンプンで練った砂鉄団子を少量づつくべていく。二時間弱で村下()の佐智恵がOKを出したので送風を止める。
冷えるのを待って炉を解体してケラを取り出し、ケラを叩き割って玉鋼と銑鉄に分別すれば製鉄は一段落といった感じ。
二基のたたら炉を交互に使えば日産四~六キログラムの鋼鉄を作り出せるが如何せん必要な炭が無い。木炭の製造がボトルネックで一週間で十キログラムといった感じ。
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たたらを吹いていない時の佐智恵は基本的には謎工房か鍛冶場(命名「御前場」鍛冶場か鍛冶小屋でいいじゃんって言ったけど楠本夫婦が……)で作業をしている。
御前場で主に作っているのは「釘」
先が尖った鉄の丸棒に平たく丸い叩くところがついたよく見る釘いわゆる洋釘ではなく、オベリスクとかの尖塔のような四角錐に似た形状の和釘を量産している。
鍛冶仕事もたたら吹きほどではないにしても炭を大量に使うので皆の意見要望に優先順位を付けて何を作るのかを決めているので、佐智恵としては不満はあるが和釘を鍛造している。
釘が一段落したら生活用品や機械部品が待っているが、合間に解体用ナイフとか鉈とか作らせないと佐智恵が暴発しそうで面倒だ。せめて包丁や鎌ぐらいは……
なぜ釘なのかというと、色々と建物というか小屋を建ててはいるが釘の備蓄なんてほとんど無いから原則として木組みで作っている。
しかし、接合部の強度問題などから色々と制約があるのは事実で、鉄釘があると恒久的な屋敷が建てやすいし、強度のある機械装置も視野に入ってくるので先ず作るのが鉄釘という事になった。
そしてなぜ洋釘ではなく和釘なのかと言うと、一つは匠の大師匠の勝爺は宮大工なので洋釘より木釘や竹釘や和釘の方が馴染み深いという事。宮大工が洋釘を余り使わないのは洋釘の耐用年数が三十年ぐらいと和釘の数百年以上と比べて短すぎるからで、数百年単位での変形を見越した上で千年以上持つ建物を建てるのが宮大工の真骨頂なのだから目標期間の三%以下しか持たない部材は使いたくないって勝爺が言っていた。
もう一つは現状では洋釘より和釘の方が作りやすい為だ。洋釘は鋼鉄線をプレスして作るので現代なら量産性も含めて洋釘に軍配は挙がるが家内制手工業にも満たない設備水準の現状では簡易設備で作れる和釘の方が優位なのだ。
勝爺曰く、昔は建築現場の片隅で和釘を作っていたりもしていたらしい。
鋼鉄の方は使っているが銑鉄の方は手付かずだったりする。
鋳造施設がまだ作れていないし原料も足りていないので鋳物はまだできない。
キューポラは無理にしても甑炉なら視野には入るが、石灰とかが無いと鉄滓が除去できないので強度問題が出る。
鋳物の方が良い用途も一杯あるし量産性も良いんだけど部材が……原料が……
最悪、石灰じゃなく貝灰で代用するか……
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窯業と鍛冶を行えば出てくるのが木灰。
主に肥料として圃場予定地にすき込んでいるが、灰汁抜きや革なめしなどにも使っている。手近にあるアルカリ源なので色々と使い出はある。苛性ソーダ、重曹、ソーダ灰などが入手できるまでは貴重なアルカリ源として有効活用させてもらおう。
そして炭焼きの副産物が木酢液。
農薬的な使い方もしているが、基本的には佐智恵が蒸留してメタノールを集めている。メタノールは昔は木酢液を蒸留して得ていたので木精とも言われていた。
メタノールの古い別称はメチルアルコールというのだが、飲んだら視覚障害などが出るので「目散るアルコール」などとも言わていた。また誤飲などでの死亡例が山ほどある猛毒だったりする。
アルコールランプの燃料などに使われていたりするから気軽に取り扱ってしまいがちだが蒸気の吸入でも健康を損ねる事もあるので実は取り扱い注意なのだ。
で、何でメタノールを集めているかと言うとバイオディーゼル燃料の為だ。
油脂のグリセリンとメタノールをエステル交換するとディーゼルエンジンで使える燃料にする事ができる。
油脂をそのまま使う方法も無いわけではないがその場合はエンジンなどに改造が必要になる。一方エステル交換した脂肪酸メチルエステルは軽油や重油を使うディーゼルエンジンでほぼ無改造で使える。
蜘蛛の糸号はFAMEを使えるのでFAMEが作れるようになれば稼動できる。(楠本さんのオフロード車も使えるそうだ)モグちゃん号はFAMEが出る前の機種なので改造が必要かもしれないが多分大丈夫だと思う。
軽油と同じように使えるが軽油とは違うので制約も色々あるが耕耘機や重機が維持できるのは大変助けになる。
触媒とか廃液とか色々課題はあるがリターンは大きいのでガンガレ佐智恵!
先に個人的見解であるとお断りしますが、木酢液にはメタノールが含有している可能性が高いので飲むのは控えた方が良いと思います。
メタノールの共沸は面倒で、メタノールを取り出す事はある程度できますが、メタノールを取り除くのは難しいのです。特にメタノールとエタノールが混合すると分離するのは先ず不可能です。なので、メタノールを混ぜて飲めなくする不可飲処置をしたアルコールは酒税が掛かりません。
「メタノール(アルコール燃料)をお酒に混ぜて飲ませれば人を殺せたりする。よい子はぜったいにまねしないでください」って下書きでは書いていたのですが、やっちゃったらしい事件が起きたのでボツにしました。
もしこの事件からメタノールや変性アルコールなどで不可飲処置したアルコール燃料の販売規制とかに発展したら酒税が掛かった馬鹿っ高いエタノール燃料しか買えなくなってしまいます。例えばスピリタスとか(w
少し前にもトウゴマからリシンを抽出したらしい事件もありましたが、この様な知識を悪用した人殺しは駄目。絶対。……どんな手段でも殺人は駄目です。はい。
あと、自分の無知が原因で自分の子供を殺したのにそれを製造者や販売者の責任にするのも止めてください。あぁ~愚痴が止まらないorz