第7話 降灰対策(1)
匠が親父殿と相談しながら何かを作っている。
大きな三脚や冊に見えるが結構な数を用意している。
そして鶴郎くんが大量の筵を編んでいる。
「雪囲いならぬ灰囲いや」
「降灰から樹木を守る?」
「黄楊や榧の幼木は大事にしないと。せっかく二十年育てたんだからな」
「使えるようになるには八十年はかかると思うけど」
黄楊や榧はとても良い材が取れる樹種なのだが、まあまあの材となると樹齢百年ぐらいは必要になるし、良質の材となると樹齢何百年の物も珍しくない。
例えば天地柾の七寸盤がとれる榧となると樹齢は三百年以上にはなろうというあたりに深淵を感じる。
対して建材などによく使われる杉や檜だが、杉はだいたい三十五年、檜は四十年ぐらいから普通の用途で使えるようになる。
もちろん、もっと樹齢が長い木の方が良い材が取れるのだが、現代日本だと長くて八十年ぐらいまでの物が多い。
桐はもっと早くて二十年ぐらいで使えるようになるので、女の子が生まれたら桐を植えてその桐で嫁入り道具を拵えるなどという話も聞く。
それらと比べれば、樹齢百年で入口と言われる黄楊や榧がどういったものか分かってもらえるだろうか。
使えるのが植えてから百年以上後となると孫世代ではまだまだ使えず、曾孫世代か玄孫世代が辛うじて使えるかどうかあたりだから、匠も自分が使えるとはこれっぽちも思っていない。
「もし、最悪の想定の事態が起きれば全滅しかねん。今全滅したら最低でも三十年、下手すると百年は遅れる」
「国家百年の計って奴やな。それに果樹とか漆とかもそうやし、若い衆の記念樹も守ってやらんと」
積灰深が二〇センチメートルに達すれば成木にも甚大な被害がでるので幼木など一溜まりもない。
「意味は理解したが、この事を三人衆は知っているのか?」
「嘉偉には言ってある」
「ならいい。そうそう、カクさん、筵の幅や長さの計算、ちゃんとしてるか?」
「へ?」
「三脚のやつは三角錐の平面だぞ」
「……あっ!」
「今までのは冊の方に使うとして、三角錐の方は工夫な」
「……校長先生、ありがとう」
瑞穂学園だが、他の奴らは何のかんの言って距離を置きやがって、自分の専門分野に興味がある子にだけ義務教育後の専門教育をするだけだった。
たから、義務教育期間の教師は逃れられなかった俺がずっと担う羽目になり、気が付いたら校長先生にされてしまっていた。
そして仕事の合間に教師をするのではなく、教師が本業になって久しい。
幼児の保育・教育の方は、静江さんが歳も歳なので勇退して雪月花が園長先生になっている。
九年間の義務教育は俺が担当してきたので、第二世代の三期生以降の全員が学齢までは雪月花の教え子で、第二世代の全員が俺の教え子になる。
二年前から義智が教師をしだしたので足抜きできるかと思ったけどそうはならなかった。
残念と言えば残念。
「そうそう、突貫でやらなきゃアレだから義佐さんに応援頼んでいい?」
「義秀じゃなくて?」
「ヒデくんには別件を頼んでいるから」
「分かった。一応、話は通すけどカクさんからも言えよ」
「はーい」
義佐と鶴郎くんは『スケさんカクさん』とセットで扱われる事が多い。
まあ、分かる。
昭和平成の日本で育ったら“助さん格さん、懲らしめてやりなさい”というお約束のセリフを知らない人の方が珍しいだろう。
うちは、それを狙って義佐と名付けた訳ではなく、単純に義教の義と佐智恵の佐から名付けただけで、この辺りは義智と同じ命名方法。
狙って名付けたのは匠の方で、わざわざ“カクさん”と呼ばれる名前を考えて、俺らの中学の先生に鶴郎という名前の先生(もっとも“ツルちゃん先生”と呼ばれていた)がいたことを思い出して鶴郎と名付けたと言っていた。
これで義佐が建設の道を進めば『スケさんが均してカクさんが建てる』になっていたのだろうが、そうはならずに義佐は化学の道に進んだ。
もっとも、義佐と鶴郎くんは傍から見ても仲が良い。
■■■
義秀から相談があると言われて見せられたのは火山灰処分場の案だった。
永原を南北に貫く長さ五キロメートル、幅一八メートル(天端幅一〇メートル)、高さ二メートルの土塁を造るという案で、火山灰は土塁の中央部に盛土する計画のようだ。
ざっとした計算だが、これだけの土捨て場なら田畑に二〇センチメートル積もった火山灰を全て捨てても半分も埋まらないから美浦の主要部を除灰した分も埋める事ができる。
俺としては美浦の火山灰処理は海洋投棄が大本命なのだが、この案も問題が無いわけではないが悪くはない。
「良い案だと思うぞ。それで相談とは?」
「壁にする土をどうするかと、上手い工法が思いつかない」
「そうか。それなら……中央部を一メートルぐらい掘ってその土を使えばいい。勾配五分の二なら同じぐらいの量になる」
「…………確かに。でもそれだけ掘るのは」
平時ならともかく、防塵マスクをして穴掘りというのは正直きついので、躊躇するのは分かる。
「モグちゃん号と蜘蛛の糸号を使えばいい」
「えっ? あれは……」
「今使わずに、いつ使うのだ」
モグちゃん号はそもそもが年代物であったし、拉致当時はほぼ新車だった蜘蛛の糸号も二十年以上の時が過ぎている。
メンテナンスしようにも交換部品なんて存在しないのでそれなりにガタがきているし燃料事情などもあるので、十年ほど前から車両は全てモスボール保管にしていた。
再稼働には色々手間がかかるだろうし、損傷したら二度と動けなくなるとは思うが、もしも二〇センチメートル級の降灰があったら最後のご奉公をお願いしてもいいと思う。
「……義智兄貴に相談してみる」
「それがいい。それで工法の方だけど、灰を捨てて嵩上げしていくときの壁の造り方か?」
「うん」
「川を一時的に付け替えるときどうしてる?」
「……あっ、そうかそうか。土嚢使えばいいんだ。けど……埋めちゃって大丈夫?」
「それは有機物を埋めて大丈夫かという話? それとも、そんなに大量に土嚢袋を使い捨てて大丈夫かって話?」
「そんなに使えるほどの土嚢袋はないと思うから」
「全部そのまま埋めるとなると流石に数が足りないから両側埋めたら抜き取って再利用かな? どれだけ使っていいかは三人に確認して工区割りを決めればいい」
「そうか、両側埋めたら強度は要らないから土嚢じゃなくて筵や俵という手もあるか」
「うん。色々考えてみたらいい」
「そうする。で、他の集落の火山灰処分の手立ても必要なんだけど、これの準用で行けると思う?」
「……この処分法の問題点は」
「ちゃんと造らないと崩れて酷い目に合う」
「分かってるじゃないか」
穴掘って埋めるなら埋めた所が陥没する事はあるが基本的には掘った部分までしか陥没しないのだが、盛った場合は盛った土が全部崩れる事がある。
だから盛土は盛ること自体にも技術は要るが、崩れないように対策を施しておかないと危険なのだ。
俺の中で美浦の火山灰の処理方法として海洋投棄が本命だったのは、美浦が時間と土木技術を要する処分方法を採ると他集落の処分方法は土木技術を必要とする処分方法が採りにくいという事。
美浦には津波堆積物を海に捨てるために造った鉄砲堰があるので火山灰は里川に積んで鉄砲堰で海洋投棄してもいいし、何なら製塩所を別のところに造り直すのと仮設の奥浜港を廃港にする必要があるが星降湾に捨ててもよい。
「でね、車輪の再発明をしている時間が惜しいから、参考資料にノーちゃんが持ってる計画書を見せて欲しいんだけど」
「……ちょっと待ってろ」
「うん」
それなり以上にちゃんと考えているし、これぐらいのショートカットは良いだろう。
◇
「四つもあるの?」
「相手に選ばせるのが大事。一案しか無かったらそれを飲むか拒否するしかない」
これ結構大事なんだよ。
何かを選択するという事はそれ以外の選択肢を捨てるという事だから、何を捨てるのかを自分で選ぶのと他人から“これを捨てていいか”と問われるのでは、同じ物を捨てるにしても心情が異なる。
「そうか、集落によって違ってもいいし一つの集落に複数の処分方法でも良いんだ」
「手法も規模も捨てる火山灰の量次第だから柔軟にな」
「うん」
義秀がパラパラと素案を読み込んでいく。
「盛土案もある」
「中に火山灰を捨てるのは各自にやらせるとしても、周りの土塁を築くだけでも結構な人工が掛かるだろ? だから建設ができる人間を各地に派遣しないといけないのが欠点」
「美浦が盛土案だと派遣できないのが問題か……えっと、標準案が二〇〇メーター四方という事は八〇〇メーターか……工期を三箇月とすると二十人ぐらい入れないと厳しいかな?」
「もうちょっと少なくても何とかなるとは思うけどまあ妥当な見積もりだな。何なら数を増やして一つ一つの規模を縮小する案もある。火山灰を埋め終える頃に次を造るという感じ。トータルの労力は掛かるが全体のスピードは上がる」
「それも考えてみる。ところで、この二〇〇メーター四方の土塁ってっていうと滝野の土塁と同規模だよね」
「そうだな。実はあれ、文昭と匠の二人で三箇月ぐらいで造ったんだよな。それも全部人力で」
「えっ? 嘘でしょ?」
「嘘言ってどうする。雪月花に聞いてみろ。二人が勝手に造った土塁を初めて見た時はマジギレしてたから」
「……虎の尾を踏みたくない。本当だとすると……やっぱ化け物だわ」
化け物というのは同意する。
特に文昭はマジで人外だから。
「穴掘って埋めるは良いとして、溜池を埋め立てるって農業用水どうすんの?」
「最悪の事態だと稲作が再開できるまで数年はかかるからその間に新たな水源を造る」
「水源は順々でいけるし当座の労力は掛からない……新たな水源地が見込めるところだったらありだな」
「ただ、事故は起きやすいからそこは注意が要る」
「………………そうか、確かに危ない」
溜池の斜面は急だし滑りやすくて登れない上に、火山灰を投入したら場合によっては泥質干潟のような深い泥濘になるから嵌まり込んだらかなり危険な状態になる。
だから埋め立て作業は安全に配慮したものにしておかないといけない。
「ただ、ノーちゃん、最後の“川に捨てる”は酷いんじゃない? 河床の上昇は必至だし下手すると河道閉塞とかありそうで怖い」
「どうせ雨風に運ばれた火山灰が河床を埋めるんだから人間が捨てる分なんて誤差みたいなもんだ」
降灰後の暫くの間は降雨の度に大量の火山灰を含んだ土石流があちらこちらで発生する筈。
こういった火山灰などの火山砕屑物が水分を含んで流動する現象は世界的にはラハールと呼ばれ、日本語に訳すと火山泥流となるのだろうが、日本では火山泥流は火口湖の崩壊とか噴火の熱による融雪など噴火が直接引き起こしたものだけを指していて、そうでない場合は土石流と呼ぶ。
火山が多い日本では火山砕屑物が主体の土石流はとても多いのでそれらを全部火山泥流と呼ぶのは違和感があるという事だと思う。
それに火山砕屑物が主体だろうが風化土が主体だろうが廃土が主体だろうが対策は同じだから全部引っ括めて土石流としておいた方がやりやすい。
降雨に伴い発生した土石流などで大量の火山灰が加古川に流れ込む事になるのだが、加古川はホムハルの北方でコクダイやハクバル方面からの川と合流するあたり以降の河床勾配は千分の一程度と非常に緩い。
それだけ緩いと土砂運搬力が低いので流れ込んだ火山灰や土砂は加古川の河床に堆積してしまって、あっという間に河床が上昇してしまう。
そうなると川は蛇行をはじめるし、雨が降るたびに鉄砲水、土石流、氾濫が起きる事が何年も続く可能性はある。
実際、富士山の宝永噴火で酒匂川の中上流域に大量に降った火山砕屑物の影響で酒匂川流域では数年間は土石流や氾濫が頻発したし、酒匂川下流の足柄平野にいたっては噴火から百年経っても度々水害に悩まされてきた。
「それはそうかも知れないけど、ホムハルや川合に恨まれそうだからやめとく」
「それも一理ある」
例えそれがあろうがなかろうが結果は変わらなくても、酷い目に合った者はそれを恨むことで心の平安を保つという事がある。実際にそれが原因であるかどうかは関係なく、取り敢えず何かを原因だとしてそこに矛先を向けることで心のバランスをとるのだ。
だから水害が頻発するようになった下流の集落の者は上流で火山灰を捨てるからこうなったと思う事で自分を慰めるという事は十分あり得る。
こういう心情や考えは合理的ではないし生産的でもないのだが、全てを合理的に捉えて受け止められる“できた人間”はそうそういない。
「そうそう、水口の復旧も当分見合わせだよね」
「ああ、火山灰がほぼ流れてこなくなるまで待った方が無難」
「うん。せっかく除灰した農地に火山灰を撒くような物だし、肝心の水田が無いんだから後回しは妥当だよね」
話してて改めて思ったけど義秀は弱冠十九歳なのにちゃんとしている。
俺が十九歳のころより優秀なんじゃないかな? 頼もしい限りだ。
そりゃ探せば足りないところは幾らでもあるけど、それは場数を踏めば自ずと身に付くものなのだから、今後は義秀にどんどん任せていこう。
あれ? ふと思ったけど、土建屋としての俺の役目は終わってしまう?