第6話 火山灰の使い道(2)
「(榊原)謙二さん、よく知っていたとは思うけど、ローマン・コンクリートってめっちゃ弱いし施工も面倒なんだよ」
「えっ? コンクリートって百年ぐらいしか持たないけどローマ時代のコンクリートは二千年以上持つとか聞きましたけど」
「ああ、それな。ローマン・コンクリートは長寿命っていうかポルトランドセメントのコンクリートが短寿命というのは誤解なんだよ。他にも“固まるのが早い”とか“強度が高い”とかもね」
「そうなんですか?」
現代のポルトランドセメントによるコンクリートの寿命の目安は長くて百年程度と言われているが、正確には鉄筋コンクリートや鉄骨コンクリートの中の鉄筋や鉄骨がやられるからであって、純粋なコンクリートの寿命ではない。
現代のコンクリート造の建造物はコンクリートと鉄筋や鉄骨の相乗効果による強度で保っているので鉄筋や鉄骨がやられたら駄目になる。
ローマン・コンクリートは極論を言えば石垣の結着材、充填材として使われているので建造物の強度は根本的には石材や煉瓦が担っている。
だから現代のコンクリートも同様の使い方をすればローマン・コンクリートと同等の寿命を持つのだが、コストも工事期間も造形の自由度も鉄筋コンクリートや鉄骨コンクリートに比べると著しく劣るのでそうしないだけ。
なぜ鉄筋コンクリートや鉄骨コンクリートが百年程度しか持たないのかというと、アルカリ性のコンクリートが鉄筋や鉄骨を錆から守っているのだが、外から段々中性化していき何れは鉄筋や鉄骨にまで達して錆から守れなくなるから。
百年もすれば四センチメートルぐらいは中性化が進行するので中にある鉄筋や鉄骨が錆てしまい、錆びて膨らんだ鉄筋や鉄骨が内側からコンクリートに亀裂を生じさせ外気や水が更に入っていき錆が進行し……といった感じでボロボロになる。
誤解して欲しくないのだが、あくまで鉄筋や鉄骨が錆びるから壊れたり強度を失ったりするのであって、コンクリートが中性化してコンクリートの強度が落ちるのではない。
主にコンクリート内のカルシウムが二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウムになる事で中性化が起きるのだが、これは物凄く大雑把で極端な事を言えば“コンクリートが石灰岩に成る”という事で、強度が増す方向に働くことが多い。
事実、古いコンクリートを分析すると石灰岩の主成分でもある方解石という炭酸カルシウムの結晶を確認できる。
炭酸カルシウムが更に二酸化炭素を吸収して炭酸水素カルシウムとなって流出……という事もありはするが、これは鍾乳洞や鍾乳石の成り立ちと同じ反応なので、強度に影響がでるぐらい流出するにはそれこそ万年単位の時間がかかる。
凡そ二千年前にローマン・コンクリートで造られた建造物が現存しているが、それは二千年前に鉄筋や鉄骨は無いので鉄筋や鉄骨を使っていないからに過ぎない。
まあ、仮に当時に鉄筋や鉄骨があっても硬化に思いっきり時間がかかるからローマン・コンクリートで鉄筋コンクリートや鉄骨コンクリートは無理だけどね。
それと現存している物は常にメンテナンスを受けていた物がほとんどだし、遥か過去に崩れ去って現存していないローマン・コンクリート造の建造物を考慮に入れていない生存者バイアスでもある。
「つまり百年ってのはコンクリートではなく鉄筋の寿命って事?」
「その通り」
「言われてみればピラミッドとかの石造のものも何千年と持ってる」
「だろ? 固まるのが早いってのも嘘で、古代ローマの建築家マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオの『建築について』って書籍によるとローマン・コンクリートの硬化時間は半月から一箇月ぐらいだったかな?」
「へ? 半月? 一箇月? そんなにも?」
「そう。対して、ポルトランドセメントだと硬化時間は粗々なら数時間だし、三日もすれば型枠を外しても大丈夫」
「じゃあ、何で固まるのが早いって話になるんですか?」
「水が多くて流動性が高い状態だと全く固まらないか固まってもボロボロで強度がでないから、水を少なくして流動性が低い状態で使うんだけど、そのせいで“施工中にすぐ乾いてしまうから云々”という記載があったりする。そこを誤読した解説からじゃないかな?」
コンクリートが固まることを俗語で「コンクリートが乾く」といったりもするが、実際には乾燥して硬くなるのではなく、水分子がセメントの成分に水和物として取り込まれてセメントの成分や骨材が水和物の水分子を介して結合する事で硬化する。
砂糖などの水を取り込みやすい異物が混じるとコンクリートが固まらないというのも水和物を形成できないからだし、コンクリートが炉とかの耐火物にならないのは摂氏五〇〇度とかの高温になると水和物の水が蒸発してしまって結合がほどけてしまうし体積が減って隙間ができるからで、コンクリートのリサイクルでは高温にしてセメント成分を回収するなんて事もしている。
だから水和物として取り込む前に水が蒸発してしまったり凍ってしまったりすると硬化しなかったり鬆が入ってしまったりするから、夏場は散水したり、冬場はヒーターで温めるなんて事もある。
「強度もね、現代のコンクリートの五分の一程度。経年劣化を思いっきり見積もって願望マシマシにしても半分以下の強度しかないな」
「うわ……マジで? 何か火山灰がミネラルと化学反応して結合するから強度が高いって見た覚えがあるんですが」
「火山灰には二酸化ケイ素と酸化アルミニウムが多く含まれているんだけど、このシリカとアルミナが強アルカリの状況で溶け出してカルシウムと反応してカルシウムシリケートという強い結合を形成する。これをポゾラン反応って言うんだけど、ポゾランっていうのは火山灰に由来している言葉だからローマン・コンクリートと無縁ではない。ただ、現代では組成が不安定な火山灰ではなく石炭火力とかのフライアッシュを使ってポゾラン反応を起こしているから、ポゾラン反応はローマン・コンクリート特有の物じゃなくて、現代のコンクリートでも使われている」
「そうなんだ」
ポゾラン反応は、ポルトランドセメントの黎明期はともかく、二十一世紀では当たり前に使われている。
「それと、火山灰と一口に言っても火山ごとに、場合によっては噴火ごとに組成が変わるし、火山灰がある場所によって粒の大きさや組成が異なるから、適切な配合の範囲はそれごとに変わってくる。古代ローマでも火山灰の出所によって配合はかなり違っていたし、全く駄目な火山灰もあったようだ。この辺りが廃れてロストテクノロジー化した一因と思っている」
「廃れるのには理由があるんですね。ローマン・コンクリートって幻想なんですか?」
「当時としては非常に画期的な建材だったのは間違いないよ。それに比較対象が現代のポルトランドセメントだから粗が目立つけど、中性化がポルトランドセメントより遅いのは間違いないから、強度や硬化時間を何とかしたローマン・コンクリート的な物で鉄筋コンクリートを造ったら二百年ぐらいは持つようになるかもしれないし、強酸性の場所に使えたりするようになるかもしれない」
ローマン・コンクリート以前にもコンクリート的なものは世界各地にあったが、あれだけ大規模に使用されたのはローマン・コンクリートがおそらく世界初だろう。
それ以前のコンクリート的なものはその多くは水に触れると強度が落ちる気硬性の物だし、水に浸かっても強度を保つ水硬性を持つ物は生産量が非常に乏しかったので、大量に使用できる水硬性のローマン・コンクリートは夢の建材だっただろう。
そして古代ローマでは建設建築様式を変えてしまうぐらいエポックメイキングな建材だった。
ローマン・コンクリートがロストテクノロジー化した後はコンクリートの類は大規模には使われなくなり、次にコンクリートが大々的に使われだすには、千年以上の時を経て十九世紀のポルトランドセメントの発明を待たなければならなかった。
だからローマン・コンクリートは千年先を行っていたと言ってもいいぐらいオーバーテクノロジーな存在ではあった。
しかし、ローマン・コンクリートが当時としては画期的で優秀な建材だといっても、それはあくまで比較対象がそれ以前のコンクリート的なものだからであって、現代のコンクリートと比べると“硬化に時間がべらぼうにかかり”“強度も低く”“施工性も劣悪”という、おおよそ使い物にならない代物でしかない。
江戸時代は徒歩で半月ぐらいかかっていた東京大阪間だが、明治時代に現在の東海道本線が開通して二十時間ぐらいと一日かからないで着けるようになったのは当時としては画期的な速度だったとは思う。
しかし、平成の最速の新幹線のぞみで二時間半程度、飛行機なら一時間内外というのと比べれば二十時間はとても遅いというのが現実。つまりはそういう事。
「火山灰をコンクリートに使えないかと色々なところが研究しているけど、メインの骨材として使うには強度の問題とかもあるから、砂の半分から四分の一ぐらいを火山灰に置き換えるとか、混和剤といって添加物のように少量を使うのが優勢かな? だけど、使用する火山灰は大規模火砕流が堆積した火山灰が多い。例えばシラス台地のシラスとか。産業で考えるとその方が採掘もしやすいし組成も粒径も安定する。ローマン・コンクリートによく出てくるポッツォラーナもヴェスヴィオ火山の大規模火砕流の堆積物だし」
噴煙柱崩壊型の火砕流が堆積したところだと火山灰の粒径は比較的大きくて砂粒程度の大きさがある事が多いのだが、降下火山灰、特に遠方に降下する火山灰の粒径はとても小さくて粘土やシルト程度の粒径でしかない事が多い。
だから火砕流が堆積した火山灰はともかく、降下火山灰は細かすぎて少なくとも骨材には使えない。
「じゃあ、あの降ってくる火山灰はコンクリにも使えないと……」
「骨材としては無理だけど、混和剤として多少混ぜる感じでなら上手くいけば使えなくはないかな?」
「そうは言っても配合を色々試さんと駄目だろうな。鶴郎、頑張ってみるか?」
「ちょっ、父さん」
「アカホヤはシリカとアルミナが多いから混和剤として有望っちゃ有望だ」
いきなり振られて吃驚しているな。
ただ、匠が言ったように火山灰は火山ガラスの破片と言われるぐらい元々シリカが多いのだが、鬼界アカホヤ火山灰は活性アルミナが異様に多いのも特徴の一つ。
活性アルミナが多いとリン酸吸収係数が大きくなるし根の伸長を阻害するので不毛の土地になってしまうのだが、ポゾラン反応を考えるとアルミナが多いのは悪くない。
「鶴郎くんがやりたいなら保管しといても良いような気がするけど。今グラウンドに積もっている分だけでも百トンはあるだろうから一生使い切れん量が確保できるぞ。何なら義智に進言しとこうか?」
「ノリ小父さんまで……ちょっと考えさせて。要る要らないは自分で言う」
◇
場合によってはコンクリートの混和剤や焼き物の釉薬にはなるだろうし、粘土と混ぜて焼き物や煉瓦も作れたりするかもしれないけど、それで消費できる量は高が知れているから、火山灰の処分は基本線に沿って“埋める”“捨てる”が妥当だろう。
現代日本では日常的に桜島の降灰があり得る鹿児島では集めた火山灰は基本的には捨土として取り扱われており埋め立て処分場などに埋めている。
埋め立て処分場がなくても穴を掘って火山灰を埋めて掘って出た土で蓋をするいわゆる天地返しをして敷地内で処分する事もあって、富士山の宝永噴火で降った軽石や火山灰を天地返しをして埋めて畑を再生した記録があるし、現地を調べれば天地返しをした証拠もでてくる。
噴火を想定した防災計画でも除去した火山砕屑物は施設管理者(宅地からの物は市町村)が土捨て場に捨土したり埋め立て処分場に埋め立てたりすることになっている。
そうなってはいるが、いつ頃のどこの話かは知らないが“火山灰を河原に仮置きしていたら増水して全部流れちゃったテヘペロ”って事もあったらしい。
しかし、大規模噴火などで大量の火山砕屑物が発生したら施設管理者や地方自治体が処分先の確保をするのが困難になる事が予想されるので、国が認めたらという条件付きで緊急避難的な海洋投棄も選択肢の一つにされている。
もっとも、火山砕屑物を海洋投棄するのは国際条約(及びそれを担保する国内法)で原則禁止されているので、日本がやむを得ず海洋投棄しようとすると、どこぞの国々やアレな人達がギャアギャア文句を言うだろうけど。
降灰がこれで打ち止めなら『埋める』もありだが、第二段階で二〇センチメートル級の降灰があったら『埋める』はかなり厳しい。
仮に二〇センチメートルの積灰だと美浦平の十二町歩の水田だけで処理する火山灰は容積で言えば二万四千立米になり重量だと乾燥状態でも二万トンから四万トンに達する。
美浦平の水田だけでそれなんだから美浦全体だと考えたくない量になる。
そうなったら俺としては火山灰の処理は『捨てる』一択。
津波のヘドロや発生した瓦礫の焼却灰と同じく海に流してしまう。
ただ、農地の天地返しは必要だろうな。
水田は〇.五ミリメートルの降灰で一年間の収穫が期待できないという被害想定は、その量であってもリン酸吸収や物性の悪化で水稲栽培に支障をきたすという事だから火山灰が混じった可能性がある土は埋めてしまわないといけない。




