第3話 刺客、襲来
津波の描写があります。
閲覧にはご注意ください。
それが起きたのは義智の二十一歳の誕生日(有栖の二十四歳、俺と佐智恵の四十八歳の誕生日でもある)を過ぎた夏真っ盛り。
一言で言えば奇妙な震度三ぐらいの地震だった。
揺れている時間もかなり長かったが、何よりも初期微動継続時間が一分以上もあったのが特徴で、初期微動継続時間の秒数に八を掛けたものが震源との距離に近似するので、震源は五〇〇キロメートル以上は離れた場所と推定されるのだが、それでいて震度三ということはかなりの巨大地震だったはず。
巨大地震があれば津波を警戒するのは当然なので、念のために美浦平――初期入植地の平地――に居た人間は高台の旭丘――リンナなどがある造成地――に避難した。
後から分かった事だが、地震動から三時間後ぐらいから津波が到達しだしたが、最大波高は一〇センチメートルぐらいだった。
気象庁では最大波高が二〇センチメートルを超える津波が予想される場合は津波注意報や警報などを発表する事になっている。(津波注意報は〇.二メートル以上から一メートル以下、津波警報は一メートル超から三メートル以下、大津波警報は三メートル超)
注意報が予想最大波高が二〇センチメートル以上となっているという事は最大波高が二〇センチメートル未満だと何も発表されないという事なのだが、これは最大波高が二〇センチメートル未満の津波なら平時の状態のままでもほぼ被害がなく、水門や陸閘の閉鎖や高所への避難などといった特段の防災対策は必要ないからで、発表したとしても“海面変動があるかもしれないので海や川に近づかないでください”といったあたり。
『津波』と言わず『海面変動』という言葉に言い換えているのは、『津波』という語が被害を連想させるためで、パニックを防ぐために『海面変動』と言い換えている。
実際、美浦で観測された最大波高が推定で一〇センチメートルという津波(海面変動)では特段の被害はなかった。
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この地震だが、これは南海トラフ巨大地震ではないと思われる。
南海トラフ巨大地震だと震源はもっと近く、美浦から震源が一番遠い東海地震でも四〇〇キロメートルいくかどうかあたりなので初期微動継続時間が一分を超える事は考えにくい。
また、津波の発生と合わせて考えると、南海トラフより遠いところの海溝型地震だと思われる。
美浦から五〇〇キロメートルぐらいの円を描いてその外側にある海溝やトラフは『日本海溝』『伊豆・小笠原海溝』『琉球海溝(南西諸島海溝とも)』になる。
美浦で観測した結果は東日本大震災での観測結果や一九一一年(明治四十四年)の喜界島地震のシミュレーション結果と矛盾せず概ね合点がいく範囲だが、津波の到達時間などから考えると琉球海溝巨大地震の可能性の方が高いとは思う。
琉球海溝の北端は南海トラフに連なっていて、琉球海溝と南海トラフが連動する連動型地震がありえるという説もあるぐらいだから、もしこれが琉球海溝巨大地震だとすると南海トラフ巨大地震が誘発される可能性はある。
可能性はあるが、誘発されない可能性もあるし、誘発されてもそれが何年後、何十年後という事もありうる。
その後は大した余震も感じず、いたって平穏ではあったが、先住者集落でも地震を感じた筈なので、義智・理久・嘉偉の三人衆に頼まれて改めて滝野で先住者向けの防災教育を行った。
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刺客は実りの秋にやってきた。
美浦平の水田の稲刈りをして旭丘に運び上げている最中に強い揺れに襲われた。
稲刈りをした稲束を旭丘に運び上げていたのは稲架掛けを美浦平ではなく旭丘の棚田で行っていたからで、これは夏の大地震で南海トラフ巨大地震が誘発される可能性はあるという事で、将司と奈緒美が三人衆に進言して実現した施策であったが、これのお陰で今年の美浦平の米の収穫がゼロになることが避けられた。
少なくとも俺が関東地方で経験した東日本大震災のときの震度五弱(強震)とは比べ物にならない揺れで、東日本大震災のときは佐智恵を捕まえて物が落ちてこない安全な場所に連れていく余裕があったが、今回はそんな余裕はなかった。
立っていられない揺れというのは地震体験施設以外では初めての経験だったから震度六の烈震に達していたと思う。
初期微動継続時間、揺れている時間、震度などから今回の地震は南海トラフ巨大地震だと直感した。
一旦、揺れが収まったところで義智から津波が到達するまでの時間の予想を聞かれたから“九〇分から一一〇分”と答えた。
このあたりも第二世代に教えてはいたが、念のための確認だろう。
播磨灘にある美浦に津波が到達するには四国や淡路島を回り込む必要があるし、瀬戸内海は外洋に比べて水深が浅いので震源との距離の割には猶予時間はある。
三人衆がテキパキと指示を飛ばしていて、俺は里川に架かる橋の安全性点検を頼まれたので旭丘への登り口に一番近い旭橋の点検に向かった。旭橋が大丈夫ならここから避難すればよい。
この点検は次の定期点検まで大丈夫なのかの点検ではなく、即今の避難に耐えうるかの点検に過ぎず、極論を言えば最後の避難者が渡り終えたら落橋しても問題はない。
だからざっと点検して避難に耐えうると判断したのでその旨を義智に伝える。
時間的猶予があったのでやれるだけの事をして旭丘に避難した。
三箇月前に期せずして予行演習していたのもあって稲叢の火をやるまでもなかった。
旭丘から海を見ると一艘の船が出港していくのが見える。
大きさや煙突の位置からするとあれは『不知火』だな。
稲刈りの目途が立ったので淡路島に亜炭を採りに行くために出航準備をしていたからこの短時間で出航できたのか。
津波という呼称は、沖では大した被害がないのに、津(港)には大きな被害をもたらすことからきている。
水深が深いほど波の速度が速く、沿岸部では速度が落ちるので波高が高くなるからというのも原因の一つだが、実は地形に拠るところも大きな要因になっている。
湾口が広くて湾の奥が狭いV字型の地形だと湾の奥は湾口の波高の何倍もの高さになるなど極端に高くなるし、逆に湾口が狭くて湾の奥が広いΩ字型の地形だと波高は湾口と湾の奥で大して変わらなかったり湾の奥の方が低くなる事もある。
そして港はV字型の地形の奥に造られることも多いので、津波は津(港)に大きな被害をもたらす。
だから船は沖合にいた方が助かりやすい事もあるし、港にいると津波に浚われた船が陸を襲って被害が大きくなる事もあるので、港外退避といって港を出て沖合で津波をやり過ごすのは津波対策の基本的な考え方の一つ。
実際、防災指針にも大型船や危険物を積載している船は可能な限り港外退避するよう明記されていたりする。
もっとも小型船だと沖に出てもやり過ごせず転覆したりするので小型船は陸揚げして縛って固定するのが基本になる。
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地震発生から二時間弱、旭丘への避難と外洋船の不知火の港外退避が完了して約三〇分、年一の干潮でも引かない場所まで海水が引いた後に濁った海水が盛り上がって襲い掛かってきた。
美浦に津波の第一波が到達した。
津波は最初に大きな波が押し寄せてくる『押し・押し波』から入る場合と、大きく引いてからやってくる『引き・引き波』から入る場合があって、津波は『観測時刻・押し引きの別・波高』が記録される。(大津波だと観測装置の測定限界を超えたり装置自体が壊れたり意味がある値が観測できないなどがあるから後日に痕跡などから推定する場合もある)
今回は『引き』のようだ。
津波は大きく引いてからくるとは限らないが、大きく引いたら『引き』から入る津波が来る。
そして、これから数時間は繰り返し襲来する津波に晒される事になる。
第一波は星降湾の狭い湾口に遮られて星降湾や湾の奥にある奥浜港は何とか耐えられそうな感じがする。クレーターの外縁部の一部が欠けて海と繋がった星降湾は瀬戸内海と星降湾を隔てている部分が自然の防潮堤になっている。
そうはいっても津波は第一波が最大波高な事は少なく、第三波、第四波が最大になる事が多いので油断はできない。
まあ、油断しようがしまいが、お構いなしにやってくるんだけどね。
そして第二波は第一波とは比べ物にならない高さで、瀬戸内海と星降湾を隔てている部分を乗り越えてきたし、引き波の後に隔てていた部分が無くなっていた。
星降湾と瀬戸内海を分けていた部分はもはや存在しないので、また地図を描き直さなきゃならんな。
もっとも、地形の変化はともかく標高の測り直しは必要だろうからあれだけど。
まだ落ち着いて見ていられたのはここまでで、第三波が到来した以降は茫然と眺める事しかできなかった。
第三波は係留していた外洋船の黒潮の係留索を引き千切って漂流させ、奥浜港近くのクレーターリムを乗り越えさせて製塩所の枝条架に叩きつけた。
そして、そのまま煎熬建屋を直撃して建屋もぶっ潰した。
初代塩奉行の悲鳴が聞こえる。
折角苦労して蒸気利用式塩釜にして煎熬に要する燃料を四分の一以下まで効率化したというのに全てぶち壊されたら悲鳴の一つも上げようというもの。
俺も煎熬建屋の煉瓦造りの煙突が砕け散って倒れる様を見るのは辛いし、壊された橋桁が里川を遡上しているのも悲しいし、橋桁が旭橋に直撃して旭橋も落橋してしまったのには頭を抱えた。
稲刈りを終えた田んぼや収穫間近だったキャベツや綿の畑を押しつぶしながら進んでいく波頭は旭広場、出端屋敷跡地に達し、漆原の親っさん力作の石窯も呑み込まれた。
最大波高を記録した第四波は瑞穂会館まで遡上した。
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余震がある程度間隔が空いてきたので匠と俺はそれぞれ建築建設の後継者候補の息子を連れて手分けして旭丘にある建物の応急危険度判定を行う。
「これは駄目だね」
「ああ、赤札貼っといて」
完全に傾いてしまっていて一目で駄目だと分かる納屋。
「形は保っているけど、あそこの柱と梁の接合部が完全にやられてるから『赤』だと思う。如何思う? ノーちゃん」
「良い判断だ。これも赤札だ」
基礎・柱・梁・耐力壁やそれらの接合部といった重要な構造躯体が無事かどうかを見ているのでそこがやられていたらアウト。
「天井が抜けてる。『赤』」
「天井は構造躯体か? 黄札が妥当だと思うがどうだ?」
「残ってる天井が落ちると思うけど」
「だから落下物による危険性がある箇所だけ立入禁止」
大地震の直後は判定する建物の数が数なので詳細な調査をしている時間が無いから応急的な簡易判定で行う。
その際に重要なのは“建物が倒壊するかどうか”なので、極端な事を言えば建物を支えている構造躯体が無事かどうかだけを判断している。
『赤』は構造躯体が大きく損傷していて、いつ倒壊してもおかしくない建物や、余震で倒壊する可能性がある建物に貼るもので、原則として使用不可・立入禁止となる。
『黄』は今すぐ倒壊する可能性は低いが、余震などで天井や設置物などが落下する危険性が高いなど何らかの危険がある建物に貼るもので、基本的には使用不可・立入禁止だが、危険箇所が局限されている場合は危険箇所以外なら短時間の立ち入りはあり。
『緑』は構造躯体は無事だし余震などで落下物が発生する危険性も低いので使用しても構わない建物に貼る。
この応急危険度判定と復旧の関係で言えばこんな感じ。
『緑』そもそも補修の必要がなかったり、あったとしても基本的には修復自体は可能。
『黄』たいていは修復可能だが、場合によっては取り壊して建て直した方が早くて安全で安いことがあり得る。
『赤』基本的には取り壊して建て直した方が良い部類になるので、修復困難として全壊判定と思ってもよい。
ただ、誤解して欲しくないのだが、この応急危険度判定は財産的被害程度を認定する罹災証明とは異なり、あくまで倒壊する危険度の判定をしているだけなので、その建物が目的としていたものが維持できているかは別の話。
例えば、構造躯体が無事だったら天井が落ちていたりしても『緑』判定になるが、それは罹災していないという事ではない。
余談ではあるが、美浦では緑色の顔料や染料を入手するのが中々難しく、群青色は比較的簡単に入手可能なので『赤・黄・緑』ではなく『赤・黄・青』になっている。
「……ノーちゃん」
「見なかったことにする優しさは必要。他言無用」
「うん。分かった」
「佐智恵の引き籠り部屋を思えば可愛いもんだろ」
「それを言われると……けど比較対象が酷すぎ。……まあ、ここは『青』でいいかな?」
「良いと思うぞ」
こういった判定を行っていると他人のプライベート空間に足を踏み入れる事も間々ある。
中には他人に見られるのが恥ずかしい状況とか他人に知られたくない秘密などが露になっている事もあるが、そういった物は見なかった事にして淡々と進めていかないといけない。
「これ、美恵姉ちゃん泣くかな?」
「かもな」
「建屋は『青』だけど……」
「ぬか喜びさせないよう青札と赤札を両方貼っとけ」
「そうする」
作品や作成途中だった物の残骸が床に散乱しているのも泣けてくるけど、窯炉に一目でわかる大穴が空いているのが輪をかけて痛い。窯炉がある建物の躯体は無事なので青判定だけど肝心の窯炉が壊れているからなぁ……
◇
応急危険度判定の結果だが、幸いなことに火災が発生しなかったので建物の被害は五棟が全半壊したにとどまった。
点検した建物の中には燃料アルコールがまき散らされたところもあって肝を冷やしたが、全員が稲刈りしていて火を使っていなかったのが幸いした。
全半壊した建物も、代替が利くとか無くても問題ない物ばかりだったので旭丘の建物総体としては損傷軽微といった感じ。
ただ、匠の息子の鶴郎くんと俺の息子の義秀が落ち込んでいる。
全半壊したのは二人が主導して建てた建物で、匠や俺はもとより山雲組が主導して建てた建物に損害がなかったのが原因だろう。
年季が違うんだよ年季が。精進したまえ。
農業用水の水源の溜池の調査はまだだが万一決壊しても旭丘には絶対に来ないので後回し。
その他では旭丘の棚田は稲刈りの為に水を抜いて乾かしていたからか液状化もなく一部に積石の損傷はあったが修復は可能な程度だし、上下水道も一部に損壊はあったが応急修理で何とかなるレベルだったので、地震動による旭丘への最大の被害では窯炉の大破になる。
各家や建物内に散乱した物とか荷崩れした倉庫の中身の整理整頓とかの手間はこれからだが、差し当たっての旭丘での生活に大きな支障はない。




